クムダ・セヤドー法話

2016年8月10日 (水)

浜松瞑想会でのクムダ・セヤドーの法話

7月31日に開かれた浜松瞑想会でセヤドーは、「瞑想実践者が行う15の項目」などの法話をされました。
この法話を主催者の小林範雄さんが文章にしてくださいましたので、ここに掲載いたします。

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1.瞑想実践者が行う15の項目

1.信じること
・信じることができないと信仰できないので、信じることが大事。

2.「戒律」を守ること
・戒律を守ること。
・戒律には「五戒」「八戒」がありますが、自分の能力に応じて可能な限り戒律を守ることが大事です。
・少なくとも「五戒」は守ってください。
・それと、いつも「前向き」な思考をすること。
・先ほどのお経で読み上げた五戒ですが、一番目は、生き物を殺さないという戒律ですが、これを守っていくと、世の中も平和になります。
・五戒の中の二番目は、与えられていないものを盗らない。盗まないことですね。これも守ると、世の中が平和になります。

・三番目は、みだらな性行為をしないということです。これを守ると、世の中が平和になります。
・四番目は、嘘を言わないという戒律です。この戒律も守ると、世の中が平和になっていきます。
・五番目は、お酒や麻薬を飲まないということですね。これも守ると、世の中が平和になっていきます。
・お酒を飲むことで、いろいろな問題が、世の中に起きています。嘘を付いても様々な問題が起きています。みだらな性行為で、問題が起きます。盗むこと、与えられていないものを盗ることで、いろいろな問題が起きています。生き物を殺すことで、さまざまな問題が起きています。
・なので、五戒を守ることが大事です。

・この五戒を守って生活をすることで、ドアに鍵をかけることなく、自分の家で平和に暮らすことができます。
・皆さんが五戒を守っていくことによって、身の回りが安全になって、居心地のよい世界になって、世の中も平和になっていきます。
・今、世の中でもいろいろな問題が起こっていますけれども、原因は、こうした戒律を守らないことから起きてきていると思います。
・五戒を守ることで、長生きすることもできます。反対に、五戒を守らないことで、命も短くなっていきます。
・もし、五戒を守っていけば、若いうちに亡くなることも減っていきます。
・五戒は、普段の生活の中で守っていくことで、また、身近な感じで守っていくことで、結果が得られていきます。
・ですので、この基本となる五戒を、皆さんも守ってください。少なくとも、この五戒だけは、守っていってください。

3.サティ(念)
・サティとは、気づくこと、憶えていること。
・アーナパーナ・サティの通り、呼吸に「気づく」こと。
・呼吸が入って、出て行くことに「気づく」こと。
・この気づきが無いと、なかなか続けられないと思います。
・この「気づき」があることで、瞑想になります。
・この気づきが無いと、心が集中できないで、いろいろなところにさまよってしまいます。
・心がさまよってしまいますと、心を集中することが、ますますできなくなってしまいます。
・なので、呼吸が入って、出て行くことに気づいていくことが大事です。

4.スタ(suta:知識)
・スタとは、知識があることをいいます。
・たとえば、アーナパーナ・サティの瞑想について、多く知識があるほうがよくなります。

5.パンニャー(智慧)
・自分でわかること。
・知識としてではなく、自分で実際にやってみてわかること。
・アーナパーナ・サティの瞑想でいえば、実際にやってみて、それがわかることをいいます。

6.ヒリ(慚:ざん)
・悪いことをするのが「恥ずかしい」こと。

7.オタパ(愧:き)
・悪いことをするのが「怖い」こと。
・6番目の「慚」と、7番目の「愧」はとても大事です。
・「ヒリ(慚)」と「オタパ(愧)」があれば、悪いことが一切できなくなる。
・悪いことをすることがなくなると、地獄に堕ちることがなくなります。
・戒律を守ることだけでなく、悪いことをするのは恥ずかしい、怖いとするのが大切です。
・「ヒリ(慚)」と「オタパ(愧)」を持っているだけで、ソータパンナ(悟りの初門の「預流果」)と同じように、地獄などの悪趣におもむくことはなくなります。
・「五戒」と、「ヒリ(慚)」と「オタパ(愧)」を護持するのが大切です。

8.ビリヤ(精進:努力)
・瞑想するときも努力(精進)が必要です。努力しませんと、瞑想もうまくできるようにはなりません。
・瞑想で大事なことは、三番目の「サティ(念)」と、この「ビリヤ(精進)」の二つが大事です。
・この二つがありませんと、瞑想を続けることができなくなります。
・ですので、瞑想をするときには、サティ(念)とビリヤ(精進)がありませんと、まずできません。

9.「根(こん:感官、六つの感覚器官)」を護ること
・根には6つあります。「眼、耳、鼻、舌、身、意」の根を守ることです。
・瞑想をするときには、眼で、見たいものを意のままに見ないほうがいいですね。眼も、自分で見る範囲を決めるのも大事です。
・耳も、音楽や歌を、意のままに聞くのを控える。
・鼻も、良い香りだからといって、欲するままに嗅ぐのもよくない。
・舌も、美味しいものだけを食べたいとか、嫌いなものを食べたくないとか、選り好みをするのはよくない。
・身(体の感触)も、感触のよいところだけを触ったり、やわらかいものだけを触りたいとか、選り好みすることはよくない。
・心が、心で考えるときは、良いことだけを考えて、悪いことは考えない。

10.食事を適切にすること
・食事が美味しいからといって、お腹いっぱい食べたりしてはいけない。
・適切な量の食事をすることです。
・美味しいものだけを選んだり、嫌いなものを食べないとかではなく、体が元気になるように、瞑想ができるように、適切な量の食事を取ることです。

11.活発・生き生きしていること
・活発にし、生き生きしていることも大切です。
・そのためには、12時間のうち1/3(4時間)の睡眠がおすすめです。

12.「第一禅定」を得ること
13.「第二禅定」を得ること
14.「第三禅定」を得ること
15.「第四禅定」を得ること

・12~15に関しては、禅定に関することですので難しくなります。
・アーナパーナ・サティの瞑想が深まっていきますと、月や太陽のような光(ニミッタ)が見えてきますが、これは瞑想が進んできている印になります。
・ニミッタに少なくとも1時間集中できるようになると、第一禅定になり、第二、第三、第四と禅定を深めていくことができます。
・以上が、瞑想実践者が行う15項目になります。


Q&A

Q.「歩行瞑想」で禅定に到ることができるのでしょうか。また、歩行瞑想でミニッタが出てくることは無いとは思いますが、禅定とニミッタは関係ないのでしょうか?
A.歩行瞑想では、禅定が得られない。なぜなら、歩くからです。歩いていると、心が動いてしまいます。また、歩きながらニミッタに集中することはできませんし、歩行瞑想では禅定は得られないと思います。
瞑想には、4種類あります。
・寝ながら
・立ちながら
・座って
・歩きながら
このうち、禅定を得るには座った瞑想になります。寝ながら、立ちながら、歩きながらでは禅定を得るのは難しいと思います。

Q.アーナパーナ・サティ(呼吸瞑想)において、禅定を得るには、ニミッタは必ず見えるものなのでしょうか。ニミッタが見えていないと、禅定は得られないのでしょうか。人によっては、ニミッタが無くても禅定が得られるのでしょうか。
A.ニミッタが無く、禅定になったとはいえません。ニミッタのように、何か集中する対象がありませんと、禅定にはなりません。

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2.アーナパーナ・サティと八正道

1.正見
・出入りする呼吸がはっきりとわかること。
2.正思惟
・常に入ってくる呼吸と出てゆく呼吸に心を置くこと。
3.正語
・正しい言葉。戒律(五戒)を守っていれば、悪い言葉を言わない。
4.正業
・正しい行い。戒律(五戒)を守っていれば、悪いこともしない。
5.正命
・正しい生活。戒律(五戒)を守っていれば、生活や仕事も真っ当になる。
6.正精進
・正しく努力をすること。アーナパーナ・サティを努力すること。
7.正念
・正しい気づき。アーナパーナ・サティにおいて、呼吸に気づいていること。
8.正定
・正しい禅定。アーナパーナ・サティで禅定を得る。
・3.4.5は、戒律(五戒)を守れば、これらに相当します。
・1.2.6.7.8は、瞑想に関することになります。
・瞑想が、どれだけ進んだかは、この八正道で確認することができます。

3.七歳で阿羅漢になったアニタの話し

アニタは、七歳で出家して沙弥(比丘ではなく具足戒を受けていない少年)になりました。アニタは、サーリプッタ(舎利佛)尊者の元で出家しました。
ある日、アニタはサーリプッタ尊者と一緒に托鉢(たくはつ)に行きました。托鉢にいったときに、畑に水を回す灌漑(用水路)を越えていきました。
このとき、アニタは、サーリプッタ尊者に、「これは何ですか」と尋ねます。
サーリプッタは「これは灌漑設備(用水路)ですよ」と。
「では、この水は生き物ですか?」と尋ねます。
「いいえ」と。

そこで、アニタは「生き物ではない水でさえも、使い方によっては給水や排水に使うことができるのか。それなら、生きている人間であるなら、やりたいことがやりたいようにできるだろう」と考えます。
さらに歩いていくと、矢をとがらせる人達を見かけます。
矢が弓で射られる光景をみたときに、アニタは「この矢は生き物ですか?」と尋ねます。
サーリプッタ尊者は「いいえ」と答えます。

そこでアニタは、「生き物でもない矢であっても、弓で射るとまっすぐ飛ぶことができるなら、生き物である人間なら、瞑想などやりたいことを目標にして達成することができるだろう」と考えました。
さらに歩いて行くと、木を切っている人達を見かけます。
木を切っているところを見たとき、アニタは「この木は生き物ですか?」と尋ねます。
サーリプッタ尊者は「木は生き物ではありません」と答えます。

これを見てアニタは、「生き物でない木であっても、自分の思うように切ることができる。それなら人間であるなら、自分の目標に向かって達成することができるのではないかと」と考えます。
生き物でないものであっても、人間は、用途によって使うことができる。それならば生き物である人間は、瞑想の修行していけば、瞑想を達成することができるだろうと考えます。
七歳のアニタは、こうした思いで修行し続けたところ、七歳で阿羅漢になることができたといいます。


イマーヤダンマーヌダンマパティパッティヤーブッダンプージェーミ
Imaya dhammanudhamma patipattiya. Buddham pujemi.
(私は、ブッダの教法に従って実践し、ブッダを敬い尊びます)
イマーヤダンマーヌダンマパティパッティヤーダンマンプージェーミ
Imaya dhammanudhamma patipattiya. Dhamman pujemi.
(私は、ブッダの教法に従って実践し、ダンマを敬い尊びます)
イマーヤダンマーヌダンマパティパッティヤーサンガンプージェーミ
Imaya dhammanudhamma patipattiya . Sangham pujemi
(私は、ブッダの教法に従って実践し、サンガを敬い尊びます)

サードゥ、サードゥ、サードゥ。

2012年11月13日 (火)

クムダ・セヤドー 夏の法話

夏の合宿、瞑想会でのセヤドーの法話をまとめましたので順次掲載していきます。

Ⅰ.戒律について

・戒律を護ることの利益と護らないことの不利益

護らないことの不利益
1、財産がなくなる。
とくに不邪淫戒を破ると財産を失い、人からの非難を受ける。
それらは機が熟すと自からに還ってくる。
不飲酒戒を破ると、本来の意識を失い、パマダー(放逸)に陥る。その結果財産をなくす。

戒を護っていることを思い起こし、喜びを得る。その喜びによって良いカルマが増えていく。
たとえ禅定に至らなくても瞑想していると戒を護っているので大きな利益をもたらす。

2、悪い評判が広がる
罪を犯しているとその噂は近所に広がって行く。

3、自分に対して誇りを持てない。
人に言えない隠し事を持っていると自分の弱みになる。怖れを抱く。堂々とできない。
戒律を守っている人は堂々としていられる。話していても怖がることはない。

4、死ぬ時に安心できない。迷いがある。
死ぬ時にしてきたことの映像が浮かんでくる。死後どこへ行くか怖くなる。

5、死後、地獄に落ちる。
死の直前に次の3つの内の1つの映像が浮かぶ。
・業(カルマ):自分の犯したアクサラの行いの映像。例えば殺している時など。アクサラ(不善)により死後は地獄に行く。
・業相
・死後の行先


戒を護ることの利益
1、財産が増える
2、良い評判が広がる
3、自分に対する自信がつく
4、死ぬ時に迷いがない。安心して死ぬことができる。
5、死後善趣地(人間界、天界)におもむく。

戒律を守ることによって、心に安心感が生まれる。
小さな喜びが生じる(パモサ)
パモサから喜び(ピティ)へ。
さらに軽安(パッサディ)へ。
体と心の軽安から楽(スッカ)へ。
楽(スッカ)が基礎となってサマーディへ。楽が出てきたら、すぐにサマーディに入るべきである。逆に楽がないといくら努力してもサマーディに入れない。

サマーディが確立されると、ヤタブラ・ニャーナ・ダッサナー(すべてを正しく見分けられる智慧)が生まれる。

例えばサマーディの力ある人が、自分の体を見ると、そこに人間があるのではなく、32の体の部分(三十二身分)がある。
サマーディがないとその体の部分が見えない。

三十二身分から、さらにすべてがカラーパ(微粒子)でできていることを見る。
その力がないと、人を見てもそこに人しか見えない。サマーディの力によってすべての物質がカラーパに見える。

さらに智慧が進むと、カラーパのなかの地・水・火・風・色・匂い・味・栄養素という要素だけしか見えなくなる。カラーパは八つの要素が集まって一つになっている。
さらに智慧が進むと、それらの要素が生滅しているのが見える。つまり、変化、無常が見えるようになる。

されに生滅をみていると、そこに苦が見えてくる。生―住―滅 が苦として見える。
そして、生―住―滅の後に何が残るか。何も残らない。空である。ゼロである。無我であることが理解できる。
それはサマーディを得たからそこまでの智慧(ヤタブラ・ニャーナ・ダッサナー)を成長させることができた。

ヤタブラ・ニャーナ・ダッサナー(すべてを正しく見分けられる智慧)はネピダ・ウィラガ(執着を離れる)智慧に変わって行く。

さらにヴィパッサナー続けるとビムティニャーナ・ダサナー(すべての煩悩を離れる)智慧を成長させる。それは涅槃への道である。

それらのすべての基礎は戒にある。戒律を守ることによってそこまで到達することができる。

質問:
今まで知らずに悪いことをしてきていると思うけれど、それを反省することによって何か変わるでしょうか。今までしてきたことは消えないのでしょうか。

答え:
悟りを開けば(涅槃に到達すれば)そのカルマは消えていきます。しかし涅槃に到達しない限りそのカルマは熟してその結果を自分で受けるしかない。自分の作った原因の結果は自分で得るしかないから、良いことをしても悪いことをしてもその結果は自分に還ってくる。
この世界はダンマ(法)で動いているから、自分のした結果は自分でしか受けられない。だから悪いことをしないように日常生活で注意しなくてはならない。サティ(気付き)をしっかりするしかない。
終わったことは仕方ないので、これから善いことをして行くようにしましょう。

質問:
知って犯した罪と知らずに犯した罪とどちらが重いでしょうか?

答え:
犯した罪は同じだからどちらも悪いカルマになる。あまり変わらないと思う。どちらも結果として還ってくる。

質問:
懺悔をすると何かいい効果はないでしょうか。
答え:
してしまったことは消えることはありません。懺悔と言うのは在家にはなくてお坊さんだけなあるものです。それも2種類あって、懺悔できる戒と懺悔できない戒です。懺悔できない戒はいくら懺悔してもカルマとして残ってしまう。

質問:
誤って虫を殺してしまったことがるけれど、どうすれば良いでしょう。

答え:
チェータナー(意志)が問題であり、(殺そうという)意志がなければ問題はありません。

Ⅱ.瞑想のための準備

1、信(サッダ―)
仏法僧に対しての信。自分の瞑想についての信。
信がないと瞑想は進歩しない。自らの進む道を信じること。
2、健康管理。健康であればすべてがうまく進む。
3、食べ物をよく消化できること(熱)。食べた後にすぐお腹がすくぐらいが良い。
それは、食べ物をすぐ栄養素に変えられるから。
4、正しい心(まじめな)を持つ。だましたりと言う悪い心を持たない。瞑想が進んでいないのに上手く行っているように言ったりしない。自分の罪を隠さない。正直に話す。
5、すべての苦を乗りこえていくヴィパッサナーの智慧をめざす。

○瞑想の条件について
瞑想ができない時
1、歳をとってしまった時。
2、病気にかかった時。
3、食物が少ない時、飢餓の時。
4、戦争の時。治安のよくない時。自分の命さえ危ない時は瞑想できない。
5、仲たがいしている時。

瞑想に良い条件
1、若いとき(元気であり、柔軟性がある)。
2、体が健康である。
3、食べ物が豊か。
4、人々が仲良く暮らしている。慈悲の心がある。
5、仲たがいがない時。

瞑想して今世では上手く行かなかったとしても、それは来世で瞑想が進み悟りに至る基礎になっている。だから、瞑想を優先的にして波羅蜜を積んでください。

質問:いま日本は落ち着いていて瞑想しやすい環境だけれど、それがいつまで続くか分らない。今の時期に修行をすることの意味は?
答え:今の日本では良い条件がほとんどそろっている。その中で重要なのは正しい教えである。正しい教えと、自分にやる気があれば悟れる可能性はある。このような良い時期に努力してほしい。

Ⅲ.戒律・定・智慧

パパティ・スッタに書かれている「四つの倒れている(達成されていない)こと」

1、戒律において倒れている。
日常で五つの戒を護れていないと戒律において倒れている。そうすると瞑想が進まない。
戒律についてどうか自分でチェックしてみる。
戒を護っていれば、戒律について倒れていない。
この合宿では一時的にしろしっかりと戒律を守っているわけで、それは良いカルマになって熟して来ると良い結果を表す。このカルマは次の生で人間界天界に生まれる力を持っている。
瞑想がうまく行かなくても、戒をしっかり護っていれば、次は良いところに生まれ変われるから、弱気にならないでください。

カルマと言うのは、体のどこかにあるわけではない。皆さんはカルマと言うのが自分の体のどこかにあると思っていますか?
例えば実がなる前の柿の木を見ても、どこに柿の果実があるか分らない。しかし時期になると柿の実ができる。カルマはそれと同じで、今自分の中を探してもどこにあるか分らない。しかしその潜在的な力があり、時期になると熟して出てくる。
戒を護っているということがカルマとして作られている。

2、サマーディ(定)において倒れている
禅定を得てなければ「サマーディにおいて倒れている」。
禅定を達成していると、人間界、天界のさらに上の梵天界に行ける力を持っている。
ですから戒律で満足しないでもっと上のレベルまで行ってください。

3、智慧において倒れている
この場合の智慧とは学校で習う知識のことを言っているのではない。
学校や世間で習った知識に、煩悩をなくす力はあるでしょうか?
ここでいう智慧は、まずヴィパッサナーの智慧ですべての物質現象、精神現象を「無常・苦・無我」とみて、さらに上の道智、果智をえるもの。そこで涅槃に到達し、すべての苦しみから逃れることができます。

4、ビムッティ(煩悩を離れる)において倒れている
つまりこれは阿羅漢になっているということです。セヤドーは、「自分もまだその智慧を得ていないから、そこで倒れています」と。

今、4つの倒れているものについて話しました。戒・定・慧・ビムッティ(煩悩を離れる)です。4つ全部倒れているとしたら、下の世界に行くのは間違いないです。
悟りを得るまで努力しましょう。

質問:
道智果智とはなんですか。

答え:
ヴィパッサナーの智慧の段階が上になってくると、預流道を得る時に預流道智というのが一瞬だけ現れ、次に預流果智が何回も出てくる。果智は道智を「味わう」と言う感覚です。涅槃を対象に味わっています。
美味しい果物があっても、味わってみなければわからないでしょう。だから(涅槃を)自分で味わってみてください。


Ⅳ.廻向について

全ての餓鬼が廻向を受けられるわけではありません。パラタトゥバという餓鬼だけが廻向を受けられます。
コピパシカという餓鬼はいつも飢えている。
ニィザマタンディカという餓鬼は体の周りが燃えている。
カラケンシカという餓鬼は阿修羅系の餓鬼で、大きな体を持ち、眼は海老のように飛び出していて、口は針のように小さい。いつも飢えていて、唾や痰を食べている。
廻向を受け取れるのはパラタトゥバという餓鬼だけで、他の餓鬼は廻向を受けられない。

パラタトゥバという餓鬼について話します。
嘗て(地球が92回生滅する前)カーシ国にサヤシーナという王がおり、シリマと言う女王がいた。王には息子がいて、彼はプッサというブッダになった。
王はこのブッダは自分の息子だから、自分だけのものと考えた。ブッダが話した法も自分だけのものと考えていた。彼らに対する供養も自分だけがして他の人にはさせなかった。
プッサには3人の兄弟がいたが、王の振る舞いに異議を唱えた。ブッダは一人のものではないから、自分たちも供養をしたいと思っていた。

王国に治安のよくないところがあり、そこを3人の王子が平和にした。王様は褒美を上げようとこの3人に聞いた。
兄弟は、ブッダとサンガに7年間供養をさせてほしいと言った。しかし王様は、7年は長すぎるので3か月なら良いと許可した。兄弟たちは3か月の間喜んで供養した。村人たちも供養したが、供養の意味が分からずに食事を食べてしまうもの、火で燃やしてしまうものもいた。3か月の後、ブッダは入滅した。3人の兄弟たちもやがて亡くなり、天界に生まれ変わった。

供養の邪魔をした村人たちは死後地獄に落ちた。長い間地獄にいたが、カッサパ・ブッダの時代にこれらの人々は地獄から餓鬼界に転生した。プッサ・ブッダに供養した村人の一人は天界に生まれ変わり、ゴータマ・ブッダのときに、ビンビサーラ王として人間界に生まれた。餓鬼たちは王が廻向してくれるのを待っていた。
しかし、ビンビサーラ王はブッダに供養した時に餓鬼に廻向することを忘れた。
それで餓鬼たちが王宮で騒ぎ出した。
ビンビサーラ王はブッダに相談すると、その餓鬼たちは過去の親戚だから供養を待っているので廻向しなさいと言われた。
それでもう一度ブッダに供養してそれを餓鬼たちに廻向した。その廻向のおかげでこの餓鬼たちは人間に生まれ変わった。

餓鬼界に行ったとしてもすべての餓鬼が廻向を受けられるわけではなく、パラタトゥバという餓鬼だけが廻向を受けられる。
戒律をしっかり守っている人に供養しないと、その廻向は餓鬼に届かない。だから戒律を守っている人に供養すること。

昨年の11月にインドに行き、霊鷲山に行きました。経典にも出てくるように、そこには長いこと餓鬼になって苦しんでいるものおり、超能力があれば見えるのですが、セヤドーには見えなかったそうです。竹林精舎も建物はすでになく、廃墟が残っているだけでした。

皆さん餓鬼界に落ちないように、アクサラ(不善)をしないようにしてください。
人間界にいる時に功徳を積むようにしてください。
ダーナ(布施)の功徳は一瞬だけれど、戒律を守る功徳は長い。瞑想にはもっと力がある。皆さんがここで瞑想していることにより、大きなクサラ・カンマ(善業)ができているのです。
瞑想による功徳は、お金・財産・親戚よりも頼りになる。それは自分の拠り所になる。
ですから自分の頼れるカルマをたくさん作る必要があります。


Ⅴ.日常生活でいかにして皆と仲良く生活するかについて

パスヴィハラ経(増支部経典)に書かれていること

1、体による行いは慈悲をもってする。そうでないと粗雑になる。
2、言葉による行いは慈悲をもってする。そうでないと、言葉が荒くなって、関係がぎくしゃくしてしまう。慈悲のこもった言葉で語るとお互いに仲良くなってくる。
3、心においては慈悲のこもった心で。誰にあっても、いつも慈悲を送ること。そういう習慣をつけていると、誰に対しても慈悲を持つことができる。そうすれば怒りの心は自然に消えていく。
たとえその人にいない時でも陰口を言わないように。そうなることが大切。
4、互いに良い生活をすること。同じように戒律を守っていること。仲間の中でも戒律を守る。
5、ヴィパッサナーの智慧を得る。瞑想をする。悟りを得て果定に入る。

5番目は難しいけれど、4番まではできるので努力して行うこと。
このように行えないと、職場、家庭は幸せに生活できない。

一番重要なのは、いつも慈悲を送っていること。ですから皆さんは慈悲の心を持って毎日を暮してください。


Ⅵ.欲について

皆さんに質問します。
自分は老いたくないと思っても、それがかなえられますか?
自分は病気になりたくないと思っていても、それがかなえられますか?
自分は死にたくないし、親しい人も死なせたくないと思っても、それがかなえられますか?
自分の財産をなくしたくないと思っていても、それがかなえられますか?
生命であれ、非生命であれ、ずっと存在し続けてほしいと思っても、それができるでしょうか?

人は、生命であれ、非生命であれ、物質が永遠にあってほしいと言う願いを持っている。しかし生老病死という危険がある。
だから、それらを乗り越えるには涅槃に行くしかない。
そのために涅槃に行くまで一生懸命にやるしかない。そのためにやる仕事は一つである。それは瞑想。
どんな仕事をしても、どんなことをしても、すべて生老病死にかかわってくるし、自分の持ち物、財産も無くなってしまう。
そう思ったら一生懸命に瞑想して涅槃に行くことである。

今世で瞑想して涅槃に行けないとしても、そこに至る準備が必要。それはアクサラ(不善)を避けることである。

アクサラのカルマを作らないために必要なもの。
1、信(サッダ)
仏法僧を信じる。
カルマの原因と結果を信じる。「悪いことをすれば悪い結果が来る」という信がないと不善を犯してしまう。

2、慚(ヒリ)恥じる気持ち
 不善なことを恥じる気持ち。この気持ちがあれば不善なことをしなくなる。

3、愧(オタパ)恐れる気持ち
 不善なことを恐れる気持ち。
その反対が無慚無愧。慚愧の念がないと悪を犯し、四悪趣に生まれ変わる。

4、努力、精進(ヴィリヤ)
 善をするのに精進がないと、怠けてしまう。

5、智慧(パンニャ―)
 智慧により善悪の区別ができる。区別する智慧がないと悪いことをしてしまう。

これらの5つがあれば不善をしなくなるでしょう。ですから、この五つがいつもあるように努力してほしいと思います。


Ⅶ.瞑想を成長させるための6項目について

1、健康であること。元気がないと瞑想もうまく行かない。
2、戒律を守ること。
3、自分より智慧ある人の教えを聞く。瞑想だけでなく、在家生活でも大事なこと。
4、世間の一般知識を学ぶ。出家界においても在家界においても一般知識の多い方が成功しやすい。
5、身口意において善を行うよう努力する。
6、怠けない、不放逸。在家の生活においても「怠けない」というのは必要。

この6つを守れば瞑想はうまく進む。


Ⅷ.サンマ・パッターナ4項目

1、未だ行ったことの無い不善をしないこと。
2、してしまった不善は二度としないこと。
3、まだしていない善を行うこと。
4、今までして来た善がさらに増えるようにすること。

してしまった不善についてはもう考えない。思い出すともう1度不善を作っていることになるので忘れるようにするのが良い。
皆さんは過去世のカルマによって今、仏教の教えを聞くことができている。家へ帰ってそういうことを思い出すことによっても善いカルマを作ることができる。

最後にオワダ・パティモッカを読みます。
セヤドーは皆さんがこのように努力することを願っています。

Sabba papassa akaranam kusalassa upasampada
Sacitta pariyodapanam etam buddhana sasanam

諸悪莫作 衆善奉行 
自浄其意 是諸仏教 

諸々の不善をせず、諸々の善いことを行い
自らの心を清める、これが諸仏の教えである

浜松瞑想会での法話(この法話は、浜松瞑想会の主催者がまとめてくださったものです)

1.パオ瞑想の修行体系について

■五戒(戒)
まず修行にとって大事なことは、戒律をしっかりと守ること。在家は五戒。できれば八戒または十戒を守ることです。
五戒の一番最初は殺生(せっしょう)。殺生をしませんということです。生き物を殺すことがないように注意しないとなりません。⇒不殺生戒(ふせしょうかい)。
二番目は偸盗(ちゅうとう)。盗むことですけれども、そういうことをやらないように注意をすることです。⇒不偸盗戒(ふちゅうとうかい)。
三番目は邪淫(じゃいん)。不倫しない。不倫をして相手の家庭を壊してはならないということです。⇒不邪淫戒(ふじゃいんかい)。
四番目は妄語(もうご)。嘘を付かないことです。⇒不妄語戒(ふもうごかい)。
五番目は、自分の意識を弱めること。たとえば麻薬、お酒、薬物といったものをとらないことです。⇒不飲酒戒(ふおんじゅかい)。

・戒律を守る上で欠かせない慚愧(ざんき)の心
五戒を守る重要な心の働きは、ヒリ(慚:ざん)とオタパ(愧:き)です。悪いことを行うことへの恥ずかしさ(慚)、悪いことを行うと悪い結果が来ることを怖がる心(愧)がないと、簡単に悪を犯してしまいます。
ヒリ(慚)とオタパ(愧)は、戒律を守るために一番重要な心です。この二つは、自分の心を綺麗にする重要なダンマ・教えになります。戒律を守りたいとしたら、まずヒリ(慚)とオタパ(愧)が自分の心に培うように努力することが大切です。


■禅定~アーナパーナサティ
この戒律を基本として、戒律の上に、禅定(定)があります。
ですからパオ瞑想では、まず戒律をしっかり守って、それから禅定を作る瞑想に入ります。
アーナパーナ瞑想を行う場合は、呼吸に30分~1時間、集中を継続します。この間に、他のことや妄想、思考が入らないようにします。次第に光(ニミッタ)が現れてくるようになります。呼吸に長く集中できればできるほど、ニミッタが安定してきます。最初はゆれていたり、人によっていろいろな形に出てきます。どんなニミッタが出てきても構わずに、呼吸に集中していきます。そして集中力が長ければ長いほど、ニミッタも安定してきます。

ニミッタにはいろいろな形があり、その人その人によって形は違います。
ある人は丸い形、星の形、棒の形、雲の形、ダイヤモンドなどいろいろと出てきます。
ニミッタは、自分の鼻の先に止まって光って現れてきます。
ニミッタが安定して動かなくなってきたら、呼吸からニミッタに集中します。ニミッタに1時間集中できるように練習します。
1時間なら1時間、決意した通りに集中できるようになると、第一禅定、第二禅、第三禅定、第四禅定に行くことを教えることができます。

■40種類のサマタ瞑想
アーナパーナ瞑想で禅定が完璧にできるようになれば、次は四十種類のサマタの瞑想の仕方を教えます。
アーナパーナ瞑想が成功すれば、まず「三十二身分」を行います。「三十二身分」とは体の三十二箇所を確認する瞑想です。
「三十二身分の瞑想」とは、アーナパーナ瞑想で得た禅定力で、髪の毛、体毛、皮、骨、肉、すい臓、心臓、腎臓、腸、胃などの32の部分を見ていく瞑想です。
三十二身分ができれば次は「白骨観」です。
白骨観が出来れば、骨の白色を取って、白遍の瞑想を行います。白遍などは十遍処(カシナ)の瞑想といいます。白以外にも赤、青、黄など10種類あります。
これをマスターしたら「慈悲の瞑想」です。
その後に「仏随念」「死随念」を行っていきます。


■ヴィパッサナ瞑想
ここまで出来れば禅定は完璧にマスターしていますので、今度は禅定力を使ってヴィパッサナ瞑想を行っていきます。

・ルーパ瞑想
ヴィパッサナ瞑想には段階があって最初に「ルーパ瞑想」を行います。ルーパ瞑想は物質の現象を見るヴィパッサナ瞑想になります。
最初に「四界分別観」を行います。地・水・火・風という四大元素を観察していきます。四界分別観を行うと自分の体の中が小さな微粒子で出来ていることが見えるようになります。この微粒子には10種類の要素が含まれていることを観察していきます。その10種類とは、地・水・火・風という四元素、栄養素、臭い、色、味、命根、パサダ(透明)の要素です。ヴィパッサナ瞑想で、これら10種類の要素を観察していきます。
微粒子は、10種類の要素だけでなく、8種類の要素が含まれた物質もありますし、9種類の要素から成る物質もあります。※物質は、含まれる要素によって3タイプに分けられます。

・ナーマ瞑想
ルーパ瞑想をマスターしたら今度は「ナーマ瞑想」に進みます。ナーマ瞑想とは心の現象を観る瞑想です。これもヴィパッサナ瞑想の一つです。ナーマ瞑想では、心(チッタ)と心所(チータシカ)を観ていきます。

・縁起瞑想
これができれば「縁起の瞑想」に進みます。原因と結果。どういう原因でどういう結果を生じているかを観ていく「縁起の瞑想(十二縁起の瞑想)」を教えます。

・四特相
十二縁起の瞑想が終われば、次に先の物質を4段階に分けて広めて観察する瞑想方法に進みます。「四特相」といいます。ナーマ・ルーパの瞑想は、最初は一種類の相で見分けて、無常・苦・無我を見ていきます。四特相では、4つの方法で、ナーマ・ルーパの現象(無常・苦・無我)を見ていきます。

・ヴィパッサナ瞑想
四特相をマスターすれば、完全なヴィパッサナを行う。何を見ても無常・苦・無我を見通せるようになります。

■パオの教え方とは
パオの教え方は、最初は「戒律」から始まり、戒律が基本になります。
そして戒律の上に定、要するに禅定があります。
禅定を作ったら智慧の行、つまりヴィパッサナに進みます。
要するに、「戒・定・慧」を行っていきます。

簡単にはできないと思いますけれども、速い人もいれば遅い人もいます。
初心者は、アーナパーナだけでも大変ですけれども、マスターできるように努力してがんばっていくことです。
またこのようにたくさんのカリキュラムを書くと大変だと思うかもしれませんが、アーナパーナが成功すればすぐに進んでいきます。
第一の壁はアーナパーナで、アーナパーナで得た禅定によって、他のことはできるようになります。


2012/8 宝台樹高原

  • 6
    8月に合宿の行われたみなかみ町藤原は宝台樹山のふもとにあり、冬はスキー場になる高原風ののどかな村です。

2009年クムダ・セヤドーのお寺 

  • 10 セヤドーのお話を聞く
    ミャンマー・ヤンゴン市郊外モービにあるクムダ・セヤドーの瞑想センターを訪ねた方が写真を送ってくださいました。 シーマホールも完成し、そこには富士山をバックにした仏像がまつられています。

2008/8 水上合宿

  • 雨上がり
    8月に合宿の行われた水上町藤原はまさに水の里。民宿周辺の風景をお届けします。

2008 夏の風景

  • 朝霧の沢
    夏の暑い日、川の源流では入道雲が湧き、山や木々は様々な表情を見せていました。

2008/7 関西合宿・瞑想会

  • 延命寺三門にて
    大阪、河内長野市にある延命寺は弘法大師空海が開基と伝えられ、市の紅葉名所にもなっている美しいお寺です。 ここで7月、クムダ・セヤドーをお招きして一週間の瞑想合宿が開かれました。
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