クムダ・セヤドー法話

2019年12月11日 (水)

クムダセヤドー 法話(9)

2019年5月、来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。

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田植え前の田んぼ

将軍バンドゥーラの話
 今日のお話は、お釈迦様の時代にいたバンドゥーラという将軍と奥さんの話です。その奥さんの名前はマリカといいます。将軍はとても力持ちでした。彼がどれくらい力があるかを確かめたいというので100本の竹を切ることになりました。100本の竹を音も出さずに切れたらそうとうの力ですが、さらに竹の中に鉄の棒を入れておいて、これも切れるだろうかと。そうすると、100本の竹の棒は音も出さずに切れて、鉄の棒はどうしても音が出る。最後の一本だけ音が出た。しかし、100本の竹の中に入った鉄の棒も切ってしまいました。それほどの力持ちでした。

 そのバンドゥーラがマリカと結婚しましたが、子供に恵まれないので、マリカはお釈迦様に会いに行きました。お釈迦様に礼拝してお話しすると、お釈迦様はどこへ行くのか聞かれますので、マリカは親元に帰ると答えました。なぜ帰るのかと聞かれたので、子どもが出来ないから旦那に帰ってくれと言われて親元に帰ります、と答えました。お釈迦様は、そういうことなら親元には帰らなくて良いから、旦那さんの元に帰りなさい、と言われました。それでマリカは旦那さんのところに帰りました。

 しばらくすると、ようやく子どもを授かりました。子供ができると、マリカの振る舞いも変わってきて、やりたいことをするようになりました。王族だけで、一般の人は使えない池に行きたいと思うようになりました。その池の名前はリスミといって、今でもインドにあります。今はレンガできれいに整備されています。その池は王様やその子どもが使う場所で、よく整備されていて普通の人は入れないようなところです。王族以外は入れない池に、奥さんが行きたいと言いだしたのを聞いて、旦那さんは、行きたいなら連れて行こうと言って、馬車に奥さんを乗せ、武器も積んで連れて行きました。池は警備が厳しいのでなかなか入れませんが、警備兵に話をつけて、将軍も奥さんも入りました。それで、池の水を飲んだり水浴したりしました。

 一般の人が池を使ったので、王様と子どもたちや王族は怒りました。それでバンドーラを殺そうということになって将軍のところに向かいました。王族たちも怒りから将軍を殺そうと追いかけました。ところで王族の中に将軍と一緒に学校で勉強した人がいて、将軍の力を知っているから、行かないように止めました。王族は怒りが収まらず殺そうと追いかけました。将軍をよく知る人は、力があって誰にも比べものにならない人なので、行くとしたら注意するようにと。何を注意するのかと言うと、馬車の車輪が土に深くはまってしまったら、そこで止まって戻って来るようにと言いました。将軍はとても力があるので弓矢を引くと千人射ってしまうほどだ。千人の力で引いても矢が動かないのに、将軍が引くと動かせるくらい力がある。力を込めて足をふんばり、矢を引くとその力で下の土が深くへこんでしまう。そんな力があるのです。

地面がへこんでいるのが見えたら戻って来なさい、それでも追いかけると命がないと注意しました。矢を引くときに、雷みたいな音がするので、それが聞こえたらもう先に行かないように。そのまま追いかけたら命がなくなるので、それだけは気をつけるようにと注意しました。それにもかかわらず王族達は将軍を追いかけました。将軍は部下に、車輪の走ったわだちが真っ直ぐになっていたら教えるように命じました。後ろから追いかけてきた王族の馬車が、真っ直ぐに並んだ時に矢を射ると、矢がまっすぐ走って、みんなを殺すことができます。将軍にはそんな力がありました。

 将軍はマリカと結婚して子どもを授かりましたが、双子が16回生まれて32人。32人全部男です。その息子たちが大きくなって、父親のようにパワーがある者たちばかりです。将軍が力持ちで、息子たち32人が父親みたいにパワーがあるので、王様をお迎えするときも彼らの家族だけで行い、他の人は入れません。他の家来たちが嫉妬して王様に将軍の悪口を言いました。王様もパワフルな将軍の家族たちが、実力をもっているので恐れるようになりました。財産や自分の立場を奪われると思って恐れました。王様の下にいる大臣達も将軍の悪口を言い、将軍がここにいたら王様も危ないし私達も危ないので将軍をどこか遠いところ行かせてくださいと訴えました。王様は将軍を国の遠い所、内戦が起こっている所に行かせました。将軍と32名の息子たちも一緒です。将軍がそこへ行っている間に、王様は別の軍隊を行かせて将軍と息子たちを暗殺させました。

 王様の軍が将軍を殺しているとき、マリカはお釈迦様と比丘500人を家に招待して食事のお布施をしていました。食事のお布施をしている間に、旦那さんと息子たち32人が殺されたという知らせがマリカに届きました。その時マリカはお釈迦様に食事を差し上げる準備をしていました。昔なので陶器をつかうのですが、お釈迦様に差し上げようとしたら、知らせが来て動揺し、食器を落として全部割れてしまいました。お釈迦様はマリカに言います。あまり悲しまないでください、と。別れるときは何をしても別れてしまいます。その別れるということには私達にも含まれるのです。別れるということは死ぬ事を意味します。

悲しみを越えていくには
 人間には、自分が好きなもの、こだわりあるもの、気に入ったものそれぞれあります。マリカが持っていた陶器みたいにいつでも割れるし、いつでもなくなります。私達人間は死ぬことにもなるし、別れることもあります。自分が好きなもの、気に入っているもの、好きな人も、いつか別れたり死んでいきます。そういう事になったら涙が出ることになります。悲しくなってそういう涙が出ないようにするにはどうしたらいいでしょうか?
人間なのでいつかこういう事が絶対にあります。自分が好きな人や、気に入ったものでもいつか別れることになります。このような目に遭ったらみなさんは動揺することになるし、悲しいことになります。しかし、それはみなさんが必ず会う事です。私達が好きな人とか、家族、友人、奥さん、子供、自分が集めた財産、それも全部含めていつか離れるし、別れることになります。

 先立たれることもあるし、自分が先に別れて行くこともあります。そういう事になったとき、自分が悲しまないよう、どのように心に収めて対処したらいいでしょうか。 泣いてばかりいても仕方ありません。 そういう事にならないように、それに対処できるように、セヤドーはミャンマーから来て教えています。ですから、みなさんも頑張ってください。セヤドーは遠い所からきていて、こちらとは季節が逆で今ミャンマーは暑い時期です。今、ミャンマーの気温は42度で、ここは15度。ずいぶん差があります。セヤドーはもう歳ですが頑張ってきています。皆さんは10日間だけの合宿なのですから、がんばってください。

 今セヤドーがお話ししていることは悲しい時、嬉しい時、その感情が出てくる時に智慧で見ることです。智慧で見ることができれば、感情に対処できる。そうでないと多分みなさんは嬉しい時、悲しい時、動揺して感情が現れるんですね。しかし、そういう(ヴィパッサナーの)レベルに行ってる方だけが、嬉しい事もないし、悲しいこともないのです。そういう風にできるのです。

 智慧で、「無常、苦、無我」を見ることができるのです。身体を智慧で見ると、身体がなくなってカラーパ(微粒子)だけが見えます。身体として見ないでカラーパだけが見える。その中で「地、水、火、風」、4つだけの要素として見えるのです。カラーパの中に8種類あります。「地、水、火、風、色、臭い、味、栄養素」で8種類。もし透明の要素(浄色)を入れたら9種類。命根を入れたら全部で10になります。それを見て、「アニッチャ、アニッチャ(無常、無常)」と集中します。それを見てから、「ドゥッカ、ドゥッカ、(苦しみ、苦しみ)」を見ます。それを智慧で見て、「アナッター、アナッター(無我、無我)、私がない」と見ます。そういう風に見えるなら、さっき言った好きなことや、好きなものとか本当に無いと分ってくるのです。自分が好きな人、物、そういうものは壊れます。指さす間に生じて、すぐになくなるのです。今、目で見えないですけど、カラーパとかもそうです。「生じて壊れて、生じて壊れて」。ですから、私達が好きな物でも好きな人でも、そういう人も、生じて壊れて、生じて壊れているのです。私達が好きな人とか、好きなものとかは本当は無いのです。「無常、苦、無我」を見れば今の私達が好きな人とか、好きな物とかに執着することはないのです。

 私達はまだそういう力がないから何でも欲張りで、何でも欲しがります。何でも欲しがる気持ちが出てくる。智慧で見る方達は、何も欲しくないし、何者にもならない。ヴィパッサナーのレベルまで行くと、今までは悲しく別れる物でも人でも、別れる時悲しさ嬉しさを感じなくなります。ヴィパッサナーまで行ってない人は、今までみたいなことが感じられます。悲しい時は悲しくなり、嬉しい時は嬉しい気持ちが出て感情的になります。ヴィパッサナーの智慧のない人達は、こういう別れに出会ったら、怖れて動揺します。どうしたらいいか、わからなくなるのでセヤドーはヴィパッサナーができるまで教えてあげたいのです。

  皆さんは、好きな人、好きなものと別れなくてはならない場合に動揺しますか? 悲しくなったり落ち込んだりしますか?  ヴィパッサナーの智慧がある人は悲しくなったり落ち込んだりしません。ヴィパッサナーまでできる人は動揺するものがないので自分が強くいられます。ヴィパッサナーの智慧まで行かない人は来世、再来世もあって、悲しいこと落ち込むことが必ず出てきます。その時は毎回毎回繰り返しになります。私達が悲しい時、落ち込んだりした時、涙が出ますよね。その出てきた涙の量は海より多いのです。今世だけではなく、私達の生きてきた過去から流した涙は海より多いのです。そういう涙が出ないようにセヤドーが一生懸命教えています。ですから眠ったり、妄想とか出ないように、しっかり集中してやってください。セヤドーも歳をとりました。セヤドーが歳をとって来れなくなったらどうしますか。みなさんミャンマーに来きますね。しかし、今の10日間だけでも頑張れなければミャンマーに来てもムダです。明日から悲しいことがあっても涙が出ないように、みなさん集中して頑張ってください。今日はここまでです。

        サードゥ!  サードゥ!  サードゥ!

            (2019年4月29日  みなかみ合宿での法話)

2019年12月10日 (火)

クムダセヤドー 法話(8)

2019年5月、来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。

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会場付近の風景

村娘ペーターオリの話
 今日は、ペーターオリという女性のお話です。カッサパ仏陀の入滅後にパゴダを建てていました。ペーターオリは母親と連れ立って歩いていて、建設中のパゴダを見て母親に「これは何をしているんですか」とたずねました。母親は、「お釈迦様の金や銀の舎利(お骨)を中に入れてパゴダを作っているんですよ」と答えました。すると彼女は、「それでは、私が今身に着けているネックレスもお布施したいのだけど、いいですか」と言い、パゴダを作っている方にお願いしてお布施をしました。そのパゴダの場所は、昔の名前で「ナーラカ」といいます。それが今でもまだインドにあります。セヤドーもそこに行ったことがあります。昔大きな大学があった「ナーランダ」というところです。その大学の遺跡は現在もあります。ペーターオリはこのお布施をしたおかげで、何度も天界へ生まれ変わりました。彼女は、お釈迦様の時代にまた人間となってこの村に生まれ変わりました。

 母親はいつもの店へ彼女をお使いに行かせました。その店は代々お金持ちの家でしたが、親が亡くなり息子の代になると、財産が石や割れた瀬戸物などになってしまいました。それは、息子の前世の悪業の影響だったのです。彼は、その石や割れた瀬戸物などを店の前に出していました。ペーターオリは油を買いに来たのですが、店の人が金や銀をお店の前に置いているのを見て、「なぜ金や銀を家の中に置かないで、店の前に出しているのですか?」とたずねました。彼女には、その石や割れた瀬戸物が金や銀に見えたのです。店の主人は、そのことに驚いて、きっと彼女はとてもパワーがある人だと思いました。そして、自分の息子とこの娘さんを結婚させたいと思いました。主人は、娘の親に結婚の許可をもらうために、「この金や銀をさしあげますので、自分の息子と結婚させてください」とお願いしました。そして、息子と結婚させ、ペーターオリを家に一緒に住まわせました。石や割れた瀬戸物で一杯の部屋を彼女に見せると、「金や銀などの宝物ばかりですね」と言いました。店の親は、「あなたのパワーで財産に見えるようだから、すべてあげますよ。そして、あなたがくれるものだけで、私たちは生活します」と言いました。

 セヤドーもこのような経験をしたことがあります。セヤドーが生まれたところはミャンマーのちょっと上(北)のところです。そこは、内戦していたところなので、人々は自分達の財産が盗まれてしまうから土の中に埋めました。そして内戦であちこち逃げたり死んでしまった人もいて、埋めていたところが分からなくなってしまった人もいました。ミャンマーではそういうことがたくさんあります。セヤドーはその時10歳くらいで、お金持ちの親戚がいました。彼らは子ども達に財産をどこに埋めたか教えていたようでした。その子ども達は、内戦が終わり財産を掘り返すことにしました。セヤドーも土を掘るのを見ていました。しかし運がよくなかったようで、金や銀は何も出てきませんでした。すべて炭だけでした。他にも、目印をつけて財産の場所を覚えていた人が、内戦が終わり戻って掘ってみてましたが、何もなくて本当に土だけだったということもあったようです。

 そして、セヤドーは大きくなりお坊さんになって、マンダレーへ勉強しに行きました。セヤドーの生まれた村は火事で全部焼けてしまっていました。新しい村ができ、もとの焼けた村の辺りは田畑になっていました。運のよい人達が何気なく畑の土を掘った時、金や銀が出てきました。ミャンマーでは、昔のイギリスの金貨や銀貨を使っていました。それが出てきたのです。昔はその金貨や銀貨で商売をやっていました。ちなみに、その金貨や銀貨も良いものと悪いものがあります。投げて地面に落ちた時の音が違います。いい金貨は、チーンと鳴る。悪い金貨はギャーンと鳴る。カンマのいい人は、何もしなくても運が良いのです。他の人が石や割れ物に見えても、自分には金や銀に見える。本当にカンマが悪い人は、自分のものだけど炭とかになってしまう。なので、カンマがいい人は掘るだけでも金や銀が出てきますね。

 先ほどの話を続けます。ペーターオリは「ナーラカ(現ナーランダ)」に生まれ変わっていました。そして店の人と結婚して、商売は彼女が全部指示して仕切るようになりました。サーリプッタ尊者もこの村出身です。尊者は自分が死ぬ時、生まれ育った「ナーラカ」に戻りたいと思い、お母さんの家に帰りました。お母さんがソタパナ(預流道)に悟るようにさせて、尊者はその村で死んでしまいました。尊者の遺体を燃やすために、香木を使いました。みんな尊者のお棺のところに集まってきました。彼女も、尊者がお釈迦様の弟子であることを知っていて見に行きたくなり、義理の父母に許可をもらおうとしました。金箔でできた花を持って行こうとしていました。義理の父母は人がたくさん集まっていて危ないからと止めましたが、彼女はどうしてもお布施をしたくて出かけて行きました。サーリプッタ尊者は有名だったので、王族たちも見に来ていました。昔の王様達は象に乗るので象もいました。ある象は気が立っていて危ない状況になっていましたが、大勢の人がいるので捕まえることができません。象は怒って暴れるので、大勢の人があちこち逃げまどいました。ペーターオリは、雑踏にのなかに倒れ、皆に踏まれてその場で亡くなってしまいました。

 そして彼女は天界に生まれ変わり、千人の天女の弟子のいる天女となりました。そこで、彼女はなぜ自分が天国に来たのか知りたくなり、いろいろ調べて分かりました。前世でサーリプッタ尊者の葬儀に金箔のお花や香木をお布施したからです。彼女は、天国にきて千人の弟子の天女たちと一緒にいること、自分が財産を多く持っていることが嬉しくて、もっとお布施したい、良いことをしたいと思うようになりました。その頃人間界にお釈迦様がいらっしゃいました。彼女は、弟子の天女たちと一緒にお釈迦さまのところへ降りていきました。お釈迦様のお世話係、ワンギーサ長老は、天女を見ることができました。ワンギーサ長老は、なぜそんなに財産がある天女になれたのか質問したくなり、お釈迦様に許可を得て聞きました。彼女は、「私がなぜこのように美しく善い天界で、千人の弟子の天女を持っているかというと、前世でサーリプッタ尊者の葬儀に金箔の花と香木をお布施したからです」と答えました。

楽を探して、苦ばかり集めている
 この話で言いたいことは、自分が持っている物(金や銀など)は、本当は自分の物ではないということです。「ルーパ(物質)は、自分のものではない」。ルーパは全部、私達のものではないのです。なので、そのルーパを、こだわらずにそれを捨てなさい、ということを言いたいのです。
 さきほどの話の中で、高価な金や銀はルーパですね。そのルーパを自分達は好きになっているのです。好きになっていること自体が苦(ドゥッカ)なのです。苦を好きになっているのです。ルーパ(物質)は本当は自分のものではないのに、自分たちのものとして好きになっていること自体が苦です。私たちの体もルーパ、私たちの持ち物もルーパですね。そのルーパを全部好きになったら、苦になってしまうのです。苦を好きになったら、苦から逃げられません。私たちはこのようになっているのです。自分の体というルーパ、自分の物というルーパ、全部好きになっているのです。そういう苦から抜け出せないのです。ですから、苦を好きになる限り、私たちはその苦から全く抜け出せないのです。ヴィパッサナー瞑想まで行かないと、苦から抜け出せません。

 私たちは今、仕事をして財産を集めたりしていますね、それもルーパです。そのルーパを好きになっていることが苦だと言いました。その苦から抜け出せないのは、私たちはまだヴィパッサナー瞑想をしていないから、苦ばかり集めているのです。苦ばかり集めていると、苦から抜け出せなくて、楽(スカ)にならないのです。本当は私たちは楽(スカ)を探しています。しかし、楽を探しても見つからないのです。

セヤドー(参加者に):Aさん、楽(スカ)は見つかりましたか?
参加者:この合宿に来ていますので、スカです(笑)。・・・スカは一瞬で、後は苦ばかりです。

 私たちは本当は「楽(スカ)」を探しているんですが、見つからなくて苦ばかり集めて苦ばかりになっています。ある比丘尼が言っている言葉があります。「自分たちは本当は楽(スカ)を探しているのに、苦(ドゥッカ)だけもらって後は自分達には何も残っていない」のです。この意味はちょっと深いのです。苦が生まれて、苦が壊れて、そして苦以外は何もないのです。苦がやってきて、苦がなくなって、あと自分達には苦しか残っていないのです。

参加者:「苦はなくなったのではないですか?」

楽(スカ)は無いのです。なので、苦だけが残っているのです。苦が生まれ、苦が壊れて(それが繰り返されて)、楽(スカ)がない。私たちには苦しか残っていないのです。

楽を見つけるにはヴィパッサナー
セヤドー:阿羅漢になりたいですか?
参加者:なりたいです(笑)
 皆さん考えてください。楽(スカ)の時間って本当にわずかではないですか。あまりないじゃないですか。自分が幸せだな、と思う瞬間が本当にありますか? それはいつまでもない。楽(スカ)は。皆さんが生まれてきてから、大きくなって朝起きて目を開けてから楽(スカ)を探しているんですね。探すのは、死ぬまで探し続けています。だけど私たちはまだ楽(スカ)の時間が見つかっていない。楽(スカ)の時間を本当に見つけるためには、ヴィパッサナー瞑想をしないと見つからない。ヴィパッサナー瞑想をしていると、涅槃を見ることができるのです。涅槃を見ることができたら、本当の幸せはこれだな、と分かってくるのです。だからヴィパッサナーができない限りは、涅槃も見ることができないし、幸せはないから、楽(スカ)ではない。そしてヴィパッサナーができるためには、毎日やらないといけないですね。その積み重ねで、毎日やることが大事です。

 今私たちが探しているダンマは、本当に深くて重いから中々見つけるのは難しい。簡単にはできない。私たちは今ダンマを探しているのです。幸せになりたい。そのダンマを探すために、譬えでセヤドーがおっしゃっているのは、「エベレストのように大きな山のふもとにある小さな種を探すのは難しい」ということ。そのように、私たちが探しているダンマは、とても難しくて意味も深くて中々見つかり難いものです。10日間では足りないです。それを今セヤドーがたとえで話しています。難しいので、長い目でみてやらないといけません。セヤドーが今話していることを皆さんが少しでも分かるだけでも波羅蜜になります。皆さんは他の人よりは波羅蜜がある方々なので、分かるのです。今の話は、他の人(普通の人)に言ってもあまり分からない話なのです。私たちは今聞けること、理解するだけでも、波羅蜜があります。しかし、皆さんが怠けものなので・・・(笑)。皆さんがんばってください。今日はここまでです。

   サードゥ!  サードゥ!  サードゥ!

(2019年4月30日  みなかみ合宿での法話)

2019年12月 9日 (月)

クムダセヤドー 法話(7)  

2019年5月、来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。

 

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会場付近の風景

 

自分を支える「波羅蜜」  

  お釈迦様が、ヤジャ城の町でウェンルーオンというお寺におられたときに、天界のタウリンサ(三十三天)にいる弟子が象に乗ってお釈迦様に会いに来ました。その時、ワンギーサというお坊さんが、その弟子に「なぜ三十三天に生まれ変わったのですか?」とたずねました。弟子は、「人間だった時に、五戒を守って三宝に帰依したからです」と答えました。五戒とは、「殺生をしない。盗みをしない。不倫をしない。嘘をつかない。お酒や麻薬などをやらない」ですね。三宝とは、仏・法・僧です。仏法僧への帰依です。それが原因で三十三天に生まれ変わりました。

 

なぜセヤドーがこの話をしたかというと、皆さんは今、三法への帰依と八戒を守っていますね。これは三十三天に生まれることができるような大きな波羅蜜なので、自分が戒を守ったことを喜び、大事にしてください。いつも、このことを思い出して、心に喜びをつくってください。死ぬときも、八戒を守ったことを思い出せば、地獄など四悪趣には行きません。間違いなく天界に行けます。ですから、毎日、寝るときにでも、「私は今日、八戒を守った」と思い出してください。自分のした功徳を忘れないようにしてください。

 

 この功徳は、家族よりも自分を支えてくれます。自分の人生にとってとても良い波羅密になります。お金とか、財産とかあっても、死ぬ時には全然支になりません。しかし、この功徳は大きなものです。車とか財産とか、家と、それはあまり支えてくれません。家族、娘、息子、旦那さん、奥さんとか、それより今の功徳はもっと自分を支える力になります。
このことを忘れないで、いつも思い出してください。

 

 戒律を守ること、お布施をすること。いつもそれを思い出すときに、功徳になっています。稲妻が光る一瞬の時間でも、このような功徳の心を持てば、それは大きな力になります。それは良いチェタシーカ(心所)がたくさん生じているからです。それが支えてくれます。今生だけでなく、来世以降もその功徳のときに生じたチェタシーカ(心所)が支えてくれます。

 

 戒律(シーラ)や、布施(ダーナ)だけではなく今皆さんはアナパナ瞑想をやっていますが、それも功徳です。それもいろいろの良い結果をもたらします。たった一分だけでもアナパナをすることは、大きな力になる功徳になります。はるか昔、今の宇宙ではなく、一万くらい前の宇宙で、ある弟子が、自分だけではなく他の人に、灯明のお布施を薦めました。そして言われた人たちは皆、布施をしました。その功徳で、その弟子はとても長い間、何度も三十三天に生まれました。自分がしたことだけではなく、他の人に善いことをすすめることも大きな功徳になります。

 

 ですから、功徳は小さくても忘れないように。小さな功徳でも、例えば今の弟子の話のように、ずっと以前に、周りの人に働きかけただけでも、良い世界に生まれ変わっているのですから、自分の功徳も、少ないとか言わないで、忘れないように。いつも思い出して喜んでください。今日は皆さん、セヤドーに食事のお布施をしましたね、瞑想修行もしましたね。それはすごいことです。それを「少ない」と思わないでください。それを忘れないで大事にしてください。それをいつも思い出していれば、いつか良い結果が出てきます。

 

 お坊さんに会うことや、戒を守ること、お布施をすること、瞑想をすること、これは簡単にできることではない。なかなか難しいのです。皆さんのいままでの功徳の結果で、こういう場所に出会えています。日本にも色々な場所があり、世界も色々な場所があるでしょう。でもこういう場所は少ないでしょう。このように瞑想したり、お坊さんに会ったりする場所は、世界どこにでもあるわけではないでしょう。それはすごい功徳なのです

 

原因があって結果がある

  セヤドー一人でこういう会を開くことは困難です。組織する人たちがいなければ難しい。だから、なかなかつくることができない貴重な功徳を皆さんは作っているのです。原因がなければ結果は出ない。セヤドーが日本に来始めたのは40代からのことで、今セヤドーは60歳になりました。日本に16回くらい来ています。だから皆さんの功徳がいっぱいになっています(笑)。 それは皆にいい結果と功徳ををもたらしています。しかし、セヤドーは歳をとっていくから、これからいつ日本に来られなくなるかわかりません。

 

 鈴木一生さんも、一昨年亡くなってしまいました。とてもダンマを欲する人で、功徳を積んだ方でしたが、病気になってしまいました。しかし、日本にこのテーラワーダ仏教を伝えたいと一生懸命努力されたな方でした。「ビルマ人に生まれ変わりたい」と、死ぬ前におっしゃっていました。ビルマ人じゃなくてもいいんじゃないですか。、ビルマにも瞑想できない人は一杯いるから、ビルマ人じゃなくてもいいんじゃないですかと聞きましたが、今生は、早く亡くなって、ビルマ人に生まれ変わりたいと、とても強く希望していました。亡くなったあと、その骨の一部はセヤドーの僧院に送られました。セヤドーはその骨をパゴダの隣に収めたそうです。鈴木さんは、心では修行をとてもやりたがっていましたが、亡くなってしまいました。皆さんはまだ生きているのですから頑張ってください。

 

 鈴木さんは生前、クティという修行者の宿舎をたくさんお布施しました。鈴木さんが、一番最初に、他の人たちを誘ってクティを建てたのです。そして鈴木さんは自分が布施したクティに、亡くなった後に来たみたいです。今はもう出てきません。人間に生まれ変わっているそうです。だから、自分の心は、死ぬ時に、良いことを思わないとダメなのです。自分自身で心をコントロールしないとダメなのです。アナパナで自分の心をコントロールできるようにしてください。

 

 どの瞑想でも、自分の心をどこに置いたかが問題で、サマーディはそういうことです。自分の心をコントロール出来ないと、心はばらばらになってしまいます。行きたくない世界に生まれ変わってしまいます。例えば動物界とか。ですから、アナパナ瞑想をして、サマーディを作って心をコントロール出来るように。心は飛んじゃうでしょ。アナパナ瞑想でそこをコントロール出来るように訓練して、練習してください。自分の心をコントロール出来ないと他へ飛んじゃうから。鈴木さんは、人間に生まれて、お坊さんになって、ここに来るかもしれない(笑)。 鈴木さんの思いは、日本にミャンマーのようなお寺を作ることでした。ですから、これからお坊さんになって日本でお寺を作ることになるかも知れませんね。

 

 今機会ががあるうちにお布施・戒・定・ヴィパッサナー瞑想をがんばれば、それが自分の力になる。自分を支える。その功徳で自分を支えてください。ヴィパッサナー瞑想ができるまで頑張ってください。ヴィパッサナーができないとなかなか難しいですね。セヤドーは16年日本に来ていますが、瞑想が最後までできたのは6人ぐらいでした。セヤドーはもっとたくさんの人に最後までできてほしいと思っています。昔の人たちは一生懸命やっていましたが、今の日本の方は難しいようでなかなか進みません。前に瞑想会に来ていた人たちは一生懸命やっていました。

 

人間では、悪いことをして人生を終える人の方が多い。戒を護らない人が多い。だから、地獄にいく人が多い。ですから、善いことをして功徳を積んでください。

 

質疑応答

 参加者:今、モービ僧院の日本人の瞑想レベルが低くなっているのはなぜででしょうか?

 

セヤドー:それは、過去の生で悪いカルマを作っていて、その心が出てきて修行に集中できないとか、良い原因をあまり作っていないので、良い結果がでないということですね。良い波羅蜜を作っていないということ。前のカルマのせいで、心も体も楽しいというような状態にならない。だから、頑張ることが難しくなっている。人生が大変になっている。元気が出ないとか、疲れていて修行がたいへんなようです。カルマのせいで、頑張りたくても、仕事や家族のことなどで帰らなければならないこともあります。

 

私(通訳)も同じです。ミャンマーへお坊さんになりたくて帰ったけれど、家族のため、家を作らなくてはならなくなったり、あまりお寺へ行けなくなっている。セヤドーは、あなたも同じだね、とおっしゃっている(笑)。

 

まだ時間がある、後ですることができると思っているのは間違っています。時間はあまりない。後でやるよと、そんな風に考えているうちに、人生が終わってしまいます。功徳を積むことを急いでください。早めにやるのが良いのです。涅槃にいきたければ、急いでやってください。

 

参加者:今まで悪い業をいっぱいつくってきたと思うのです。反省することが一杯あります。来世を良い人生にしたいのですが、悪い業は消せないので、善い業をつくるしか前向きに進むことはできないのでしょうか?

 

セヤドー:だれでも悪いことをしない人はいないですからね。これから4つの方法を教えます。
1. 今までしていない悪い行ないを、これからもしないようにする。
2. すでにしてしまった悪い行ないを、二度としないようにする。(また、そのことについて、後悔したり、考えたり、思い出したりしない)
3. 今までしていない善い行いを、するようにする。(他に人のために良いことをするとか)
4. やったことのある善いことを、続けてやるようにする。(そのことを考えたり、思い出したりすることも、善いことをすることにあたります。)

 

この4つができれば、いい人生になり、来世も良いことになります。この四つは自分を支えることになります。今日はここまでです。

 

     サードゥ!  サードゥ!  サードゥ!

 

           (2019年4月28日  みなかみ合宿での法話)

 

2019年9月15日 (日)

クムダ・セヤドー 法話(6)

2019年5月に来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。 

 

4 民宿前の桜の木

 

恩を忘れないこと  今日は、わかりやすい法話をします。輪廻している中で大切なこととして、「立派な人や目上の人には悪心を抱かない」ということがあります。「悪いことをしないこと。悪い言葉も言わないこと。心の中で悪く思ったりもしないこと」です。目上の立派な方は、いい影響を与えている方たちです。そういう人達には、親や、祖父母、目上の兄弟達がいます。また自分の世話をしてくれた人たちです。こうしたお世話になった人には、悪いことをしない、悪いことも言わない、心でも悪く思わないこと。

 

 こんな話がありました。池にいる白鳥が魚を獲っていました。獲った魚を空中に放り投げ、落ちてきたところを上手くくわえて食べています。ある男がそれを見ていて、「自分も真似してみよう」と思いました。棒を空中に放り投げ、落ちてきたところを口で捕まえました。これをしていたところ有名人になり、みんなの前で披露することになりました。みんなは、「どうやって練習したんですか?」と聞きました。男は、「教わる人がいないので自分で練習しました」と言いました。そして、棒を放り投げて口にくわえようとしたとき、棒が口に突き刺さって死んでしまいました。  教えてもらった人やお世話をしてもらった人への恩を忘れないこと。いつも憶えていることが大切です。

 

 

菩薩コピダの話  お釈迦さまが「コピダ」という菩薩だった時代の話しをします。バラナシにコピダという人がいました。コピダは竪琴が上手だったので、竪琴を弾いて生計を立てて生活をしていました。コピダの竪琴は有名でした。この町にはムティアという人もおり、やはり竪琴が上手でした。しかしコピダほど上手くはありません。ムティアは、コピダの所に習いに来ました。もっと上手くなりたいので教えてくださいといってやってきました。コピダは人相を見ることもできたので見てみると、ムティアはお世話になった人を裏切り、逆らう人相をしていました。それで、竪琴を教えることは断りました。

 

 ところで、コピダの親は目が見えませんでした。ムティアは、コピダの親の世話をして、恩を売って、コピダの弟子にしてもらうように、その親に頼み込みました。コピダは、親から言われたので仕方なく、ムティアを弟子にすることにしました。そうして竪琴の弾き方を教えることになり、コピダは、ムディアに竪琴の全てを教えました。竪琴の全てを教わったムディアはうまくなって、先生のようになりました。ムディアは、バラナシで自分が一番上手いと自慢するようになり、教わった先生よりも優れていると鼻高々になってしまいました。
 あるとき、ムティアは王様に竪琴を披露したいと思いました。そして王様を紹介して欲しいとお願いしました。コピタは王様の前で竪琴を演奏するときに、弟子達も連れて行き、紹介しました。

 

 王様はムティアの竪琴の腕前を知りたくなりました。そして、ムティアの竪琴を聞いた王様は、ムティアが気に入り、彼は王様のお抱えになりました。ムティアは王様のために竪琴を奏でるようになり、王様は給料を出すことにしました。しかし王様は、「ムティアはコピダの弟子なので、弟子としての給与しか出せない」と言いました。たとえば先生が1000円なら、弟子は500円です。けれどもムティアは反発しました。自分には先生と同じくらいの実力があるのに給与は弟子の金額というのはおかしい。王様は、「ムティアよ、あなたは先生より腕前が上かもしれないが、そのことは言わないように」と言いました。ムティアは納得がいきません。自分の竪琴の技術は先生と同じなのに、どうして弟子並の金額しかもらえないのか。そこでムティアは、王様と国民達の前で、竪琴を披露して、先生のコピダと自分の竪琴の、どちらが上手いかを見てもらいたいと言い出しました。

 

 これを聞いたコピダは、ムティアと勝負して、もし負けたらどうしようかと思い、つらくなりました。先生が負けるのは恥ずかしい。竪琴で勝負することを考えると、つらくなって、死にたくなりました。コピダは、森の中に入って自殺しようとしました。しかし死ぬのは怖くて戻ってきました。何度も自殺を考えて森へ入り、思い直して森から戻るということを繰り返しているうちに、コピダが歩いた跡が道になってしまったくらい、何度も逡巡しました。実際のところ、先生のコビダよりも、ムティアのほうが実力があったのです。

 

 そのときデーヴァ(天人)が、それを見ていました。デーヴァは事情がわかっていたのでコビダに対して「何かお手伝いしましょうか」と言いました。コピダは、「ムティアが竪琴を披露しあって勝負しようと言い出した。どうしたらいいものか」と言いました。それを聞いたデーヴァは、「コビダさんを助けますよ。だからあなたは落ち込まないで、負けないで」と言いました。「コビダさん、あなたが勝ちます。7日後に行われる竪琴の勝負のときに、天界から降りてきてあなたを助けます」と、デーヴァは言いました。

 

 7日後、竪琴の勝負が行われました。デーヴァはやってきました。竪琴の披露では、先生であるコピダが先に弾きました。その演奏は綺麗な音だった。竪琴には7本の糸があるけれど、コピダは、1本の糸を切って、6本で弾き始めました。しかしまるで7本の糸で弾いているかのように綺麗な演奏でした。次にまた1本切って、5本の糸で演奏を始めた。またもや7本の糸で弾いているかのように綺麗な音でした。そうして、また1本切って4本。3本。2本。1本。とうとう7本全部切って、糸が無い状態で演奏しても、綺麗な竪琴の音が響き渡りました。糸が無くても綺麗に聞こえたのです。
 実はこれらはデーヴァが全て助けてくれたことでした。しかしデーヴァの姿は、みんなには見えません。この様子を見ていたムティアは驚いて負けを覚悟しました。ムティアはショックのあまりに竪琴が弾けなくなってしまいました。そうして観衆から、「あなたは何故、先生と勝負すると言ったのですか?」と問われました。ムティアは答えることができず、出て行こうとしたところ、観衆から石や棒を投げつけられて、その場で亡くなりました。

 

 この話しのポイントは、お世話になった人に対して文句を言ったり争いをしてはいけないということ。セヤドーは今年60才です。60年生きてくると、いろんな先生やお世話になった方々がいらっしゃいます。そういうお世話になった人達に、争いごとを持ちかけたり、文句や不満を言ったり思ったりすることもよくないことです。このことには注意したほうがいいでしょう。
若い時は一生懸命に働きます。その甲斐ががあって年齢を重ねると地位を得たり偉くなることがあります。けれども鼻が高くなって慢心が強くなることもあります。でも、そういうふうになってはいけません。お世話になった人のことを忘れてはいけません。この話しは、輪廻して生き続けている中で、気をつけないといけないことです。

 

 

お布施と天界  ところで竪琴の勝負が終わった頃、天界では、天女達が、「デーヴァはどこへ行ったのか?」と探して、デーヴァが戻ってくるのを待っていました。デーヴァは、「人間のコピダのところへ行っていた」と言って事情を説明した。すると天女達は、「コピダの演奏を聞きたい」と言いました。そこで使いの神をコピダの元に行かせて、天界に招待しました。
 ちなみに生きている間に天界へ行った者は三人いました。一人は、コピダ。二人目は、雌の白鳥。三人目は、王様のメーミです。この3人は、生きながら天界へ行った者たちです。3人ともデーヴァから招待されて天界へ行きました。雌の白鳥は、前世ではデーヴァの奥さんでした。けれども善いことは何もしていなかった。着飾ったり、化粧したりして自分を美しくすることばかりしていました。そして、いつも綺麗になりたいと言っていました。それで次の生は白鳥に生まれ変わったそうです。

 

 さて、天界に招かれたコピダは天女達の前で竪琴を披露しようとしました。コピダは、「竪琴を弾く場合はお金をいただいて披露しています。お金をいただけないなら竪琴の披露はできません」といいました。天女たちは、「コピダさん、お金の代わりに何が欲しいですか?」と聞くと、コピダは、「天女の皆さんは、どうして天界にいるのですか?何をして天女に生まれ変わったのですか?それを教えてください」と言いました。
 それで、天女たちは、前世で何をしたのかをコピダに話し始めました。天女は36人いました。天女たちは、「そんなに大したことはしていません、けれども、カッサパ仏の時代に、お布施をしました」と言いました。「お布施したものは、『花・よい香りのするもの・服(布)・果物・燈明・食べ物』。こういうものをカッサパ仏へ施しをしただけです。それで天女に生まれ変わりました」と言いました。

 

 36人の天女のうち「ご飯(食事)」をお布施した人が多かった。戒律を守っていた天女もいました。天女になったのは、カッサパ仏にお布施した功徳でした。お布施をして、戒律を守っているならば、かならず天界へ行くし、天女にもなれる。天女が持っている財産、食べているもの、その他諸々のすべては「ルーパ(物質)」です。前世で善行をし、施しをしていたので、財産、物といった「ルーパ(物質)」に恵まれるようになりました。気持ちや心は「ナーマ(心)」です。所有物は「ルーパ(物質)」です。

 

 

ナーマとルーパも自分のものではない  ところで私たちは、前世で善いことをしたので、今、現世で人間になっています。人間が持っているものは「ルーパ(物質)」と「ナーマ(心)」です。天人にも「ルーパ(物質)」「ナーマ(心)」があります。けれども「ルーパ(物質)」、「ナーマ(心)」は自分のものではない。もし、「ルーパ(物質)」や「ナーマ(心)」が自分のものであるならば、自分でコントロールすることができるし、思っている通りにすることができます。
 自分の髪の毛が白くなったら黒くするこができますか?それはできないでしょう。なぜなら髪の毛は自分のものではないからです。自分のものであるならば、綺麗にしようとすれば、綺麗にできる。若くなろうと思えば若くなれる。けれども実際はできない。これは「ルーパ(物質)」や「ナーマ(心)」は自分のものではないからです。

 

 「ルーパ(物質)」や「ナーマ(心)」は、変化し壊れる性質がある。「ナーマ(心)」もいつも動いている。変わり続けている。なので「ルーパ(物質)」や「ナーマ(心)」は自分のものとは言えない。お金や財産も「ルーパ(物質)」で、自分のものではない。配偶者や子どももそうだし、自分の身体もそうです。死んでしまったら、その死体は自分のものと言えるでしょうか。そのときには、地・水・火・風・色・味・香・栄養素の8種の要素だけが残ります。その8種の要素は自分のものといえるでしょうか。自分の体といえるでしょうか。自分の所有物といえるでしょうか。
 ですから、ヴィパサナーまで頑張ってください。ヴィパサナーができるようになると、カラーパ(微粒子の集合)もわかります。要素も全部わかるようになります。これは本当に大事なポイントです。私たちにとって大事なことは、「(これは)自分でないし、(これは)自分のものではない」ということです。

 

 セヤドーのお寺でも、ここにある木でもそうですが、枯れて下に落ちる枯れ葉があります。この枯れ葉を、拾って持って行っても、誰もなんとも思いません。枯れ葉を燃やしても誰もなんとも思いません。どうしてでしょうか?  その枯れ葉は、自分のものではないからです。だから全然気にしない。財産、身体も、この枯れ葉と同じです。本当は自分のものではありません。枯れ葉と同じで、いつか燃やされてしまうものです。枯れ葉と同じで、亡くなったら私たちの体も燃やされてしまいます。だから自分の体、自分の物と思わないでください。誰も何も持っていません。

 

 ヴィサパナーまでできるように頑張ってください。ヴィサパナーまでできなくても、ダーナ(布施)とシーラ(戒律)を行う。ダーナ、シーラを守る。これがいつか身につくようになります。ヴィサパナーができるようになれば最高です。ヴィサパナーができれば本当のしあわせになれます。涅槃まで行けます。苦しいことも悲しいこともなくなります。   今日はここまでです。

 

   サードゥ!  サードゥ!   サードゥ!

 

                   (2019年5月1日  みなかみ合宿での法話)

2019年7月18日 (木)

クムダ・セヤドー 法話(5)

2019年5月に来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。 

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会場付近の民家

戒律を守った天人
今日は、シッダ・ダタという名の天人の話です。その天人は三十三天(帝釈天がいるところ)にいました。モッガラーナ長老がシッダ・ダタに、なぜあなたは今の生でここに生まれ来たのか質問しました。天人の前世は人間でした。結婚しないで親の世話をして、戒律を守って生活をしていました。モッガラーナ長老は、なぜ結婚しなかったのか尋ねました。シッダ・ダタは、結婚しても、奥さんが親の世話をしてくれるとは限らないからだと答えました。そして彼は親の世話をしながら、戒律を守って生活をしをしたため、次の生で天人に生まれ変わりました。

戒律を守る人は、自分がかなえたいことを実現することができます。ですから皆さんも戒律を守っていれば、自分の欲しいものが手に入ったり、望む状態が得られたりします。
1番目に、戒律を守れば心が穏やかになります。心が穏やかになると、心が綺麗になります。
2番目に、戒律を守れば戒律が好きになってきます。
3番目に、身体も心も穏やかになっていきます。そして悲しんだり落ち込むことがなくなってきます。
4番目に、身体と心が楽になります。

皆さんも戒律を守るようにしてください。3番目に言ったのは自分の身体と心が穏やかになる、ということです。悪いことをしないし、悪いことを思っていなから心が穏やかになって、楽(スカ)になります。悪いことをすると、楽しくないし、楽(スカ)にはならないですね。4番目までいってさらにサティとヴィリア(精進)をちゃんと持てば、瞑想につながります。それをちゃんとやればサマーディになります。私たちは戒律をちゃんと守っているのですから、4つの要素をもっていて、さらにサティとヴィリアを足したら、サマーディになります。

今私達がサマーディに入れないのは、ちゃんと戒律を守っていないからかもしれないと、セヤドーはおっしゃっています。
お酒を飲んだら絶対にサマーディには入れません。
お酒を飲んでいる方はいらっしゃいますか?
参加者:(手を挙げる人なし)

自分が戒律を守らないと、なかなかサマーディには入れません。私たちは昔、戒律を守っていなかったので、今こうして良いことをしていても、なかなかサマーディには入れません。気持ちが前のことに戻って、そこにいってしまうのです。前のところに気持ちが行ってしまうから、サマーディになかなか入れません。ですから、前戻りしないほうがいいのです。自分たちが昔していたこと、たとえば飲酒で戒律を守ってなかったとか。そういうことを以前していたので、今良いことをしても、前に少し悪いことをしたことを思い出して、そこに気持ちがいってしまいます。前にもどらないように、とは後悔しないことです。

戒律をちゃんと守って、行ないをちゃんとすれば、サマーディも高まるし、あとは正しいことが観えてきます。自分の身体を観ると、32身分が観えます。私達はサマーディがないので、32身分も観えません。サマーディのある人が自分の身体を32身分で観ると、カラーパ(微粒子)が観えます。そしてそのカラーパから8要素が見れます。サマーディができたら、そのサマーディで全部観えます。どこを観ていても、全部カラーパに観えます。どこを観ても、雪のように観え、その雪のように観えるカラーパの中に8つの要素が観えます。そこまでできたらヴィパッサナーができます。ルーパ(物質)まで観えるようになります。

ルーパが観えるようになると、自分の身体や他人の身体が全部カラーパに観えます。そこまで観えるようになるのはちょっと難しいのです。でもそこまでできるようになったら椅子を見てても観えるようになるのです。全部がカラーパに観えています。夜中に起きても観ようと思えばそれが観えます。全てがカラーパに。私達は、まだできてないから、観えませんが、もしできるようになったらいつでもカラーパが観えます。

そして、自分の身体を観ていると、いつもカラーパが生まれては代わるので、存在してないということ、「無常」ということがわかります。そこまでできるようになると、他の人が「この身体は存在します」と言っても、存在しないと答えてしまうのです。生まれては代わる、生まれては代わる、そういうものを、「それが存在するか、存在しないか」と質問されたらどう答えますか? 皆さん。
私達が「存在する」と思っても存在しないんですね。 これがスニャータ「空」です。

(参加者が補足説明)
ニッチャは「常」で、「ア」が付くと否定なのでアニッチャは「無常」ですね。「無常」が分かれば、常に存在するものはありません。そういう状態を「空」という、そういうご説明でした。

もしドゥッカ(苦)が観えたら、スカ(楽)がない。アナッタ(無我)が観えたら我がない。これは修行した人じゃないとなかなか分からないとセヤドーはおっしゃってます。
カラーパの中に、良い匂いとか良い味とか綺麗な色とかが混じっています。綺麗でないカラーパはアスバ(不浄)です。アスバが観えたらスバ(浄)はありません。ここまでいくと涅槃は近いです。

参加者:理屈で理解するのと、実際体験するのとでは、どれくらいの差がありますか?
セヤドー:理屈で理解するのと、実際体験するのとは全く違います。実際体験した人と知識だけの人を比較すると、頭のいい人と馬鹿な人ぐらいの違いがあります。だから実際に体験できるようにがんばってください。

こういうことを全て体験すると人生に飽きてきます。もっと分かりやすく言うと、生きていることが楽しくないのです。遊びに興味がなくなり、瞑想することが幸せになります。

参加者:仏教を学んで瞑想をしていて、遊びに興味がなくなるのは良いことですか?
セヤドー:良いことです。サマーディに入っていなくて何も観えてなくても、遊びに興味がなくなってくる。人と会いたくなくなってきます。そういう方でも一人で瞑想やり続けています。そういうふうにやればその人は必ず涅槃に入れるようになります。

サマディで全て観えるようになると人生に全て飽きてきます。私達が守っている戒律にプラス、サティとヴィリアがあればサマーディになって、サマーディになったら涅槃に行けます。今私達が瞑想をして3~4日目で身体の痛みが消えてきました。そしてだんだん呼吸に馴染み、サマーディが高くなって、サマディが高くなると難しいところまで行けます。私達はまだ期間が短いのでそこまで行っていないだけです。戒律が良いところまで行けるようにサポートします。涅槃に行けなくても、ちゃんと戒律を守っていれば天界に行けます。ですから戒律だけはきちんと守ってください。八戒が守れなければ、せめて五戒だけでも守ってください。戒律を守ることで、自分の人生に頼ることができます。

私達人間は一年365日で、もし100年生きるとしたら、365X100で36,500日しかありません。 しかしこの中では100歳まで生きる人は誰もいない。もし80歳まで生きるとしたら29,200日、大体30,000日ですね。そこから50歳を引くとすると、10,950日。セヤドーはもう60をこえているので、10,000日もないのです。
だから残っている時間、良いことをして幸せになるか、悪いことをして不幸せになるか。皆さんそういう計算をしたことがありますか?

人生は本当に短いです。あっという間です。ですので悪いことをして時間を消費しないでください。長いと思わないでください。今のように計算すると、人生は本当に短いとわかってきます。残りの日にちは良いことばかりやりましょう。

私達は今瞑想をしていますが、その中に妄想がどれくらい入っていますか?相当入っているでしょう?
それでも私たちは今いいことをしています。しかしその中でもアクサラ(不善)が沢山入っています。死ぬ前の気持ちは今のような気持ちです。死ぬ前は今のように、悪いことばかり思い出すのです。今の私達が瞑想をしていても、悪い妄想を沢山しますね。臨終のとき同じように悪い妄想をすると、地獄に行くことになります。

私達はこんな良いことをやっている最中にも悪い妄想が沢山入ってくるのに、良いことをやっていない普段の生活では、話になりません。ですから、なにを頼りにしたら良いでしょうか?
ちゃんと残りの時間を計算してみてください。そして瞑想をしっかりやってください。

    サードゥ!  サードゥ!   サードゥ!
                           (2019年5月2日  みなかみ合宿での法話)

クムダ・セヤドー 法話(4)

2019年5月、来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。  

 

Photo_20190718143601 水仙の咲く道

 

 

今日は、 「慈悲喜捨」(四無量心)と随念のお話をします。

 

カルナー(karuṇā 悲) 「慈悲喜捨」の二番目、「悲」のお話から始めます。パーリ語でカルナー(karuṇā)と言います。例えば、足を失ったり、足が折れたりとか、そういう人を見て「かわいそう」と思う気持ちがカルナーです。その気持ちを心身が不自由な人たちなどにを送ります。苦しんでいる情況を思い浮かべ、そこから抜け出せるようにカルナーを送ってください。カルナーを送る時にお唱えするパーリ語はメッターの場合と違って一つだけです。
「この善なる人が、苦痛から解放されますよように」
ayaṃ sappuriso dukkhā muccatu(アヤン サップリソ ドゥッカー ムッチャトゥ)

 

心身が不自由な人だけでなく、お年寄りや、元気がない人、死にかけている人、そういう人たちにもカルナーを送ってください。最近は人を殺したり虐待する事件が多くありますが、そのような事が起こるのはカルナーがないからです。カルナーがあれば、人を苦しませるような事件は起きません。

 

参加者:「死にかけている人」というのは自殺しそうな人のことですか?
セヤドー:死や病、つまり「生老病死」の事です。

 

生老病死でに苦しんでいる人にカルナーを送ってください。人々がお互いを殺しあったり、国家間の紛争などありますが、それはカルナーがないからです。この世界に生きている限り、慈(mettā メッター)・悲(karuṇā カルナー)・喜(muditā ムディター)・捨(upekkhā ウペッカー)が必要です。私たちが、慈・悲・喜・捨の四無量心を失うと、世界は滅びます。今、世界に起きている苦はこれら四無量心が失われつつあるからです。世界は広すぎるので四無量心を送ることが難しいとしても、家族や友人、自分の身の回りにいる人々などに必ず送るようにしてください。

 

 

ムディター(muditā 喜) 三番目はムディター、喜です。先ほど説明したカルナー(悲)が二番目、昨日話したメッター(慈)が一番目でした。ムディターとは、うれしいこと、よろこびです。たとえばお金持ちを見たときに起きる、喜びの気持ちです。
パーリ語で、
「ayaṁ sappuriso yathāladdha-sampattito māvigacchatu(アヤン サップリソ ヤターラッダ サンパティト マーヴィガッチャト)」
と唱えます。「この善き人がみずから得たものを失いませんように」という意味です。

 

ムディターの回向の偈はカルナーと同じくこの一つだけです。人を困らせたり、人の物を壊したり、人の仕事や物を奪ったりなどするのはムディターがないからです。相手を嫉妬せず、喜ぶことです。「あぁ、この人がお金持ちになってうれしいな、自分もうれしいな」という気持ちがムディターです。ムディターがないと他人や物を破壊してしまいます。友人がお金持ちになっても嫉妬しないでムディターの気持ちをもってください。日本は縦社会ですけれど、自分の後輩や同僚が出世しても嫉妬しないでください。その人のカルマによって出世したことなので、そのことに嫉妬せずにムディターの気持ちを持つことが大事です。

 

参加者:お金とか、地位とか、その人が持っている能力、才能とかも同じですか?
セヤドー:そうです。ムディターで接してください。

 

自分より能力や才能が優れた人にムディターで接しないと、その人が持っているものを破壊したくなるのです。わたしたちが今住んでいる世界も同様です。たとえば、アラビア諸国は石油のおかげでとても裕福ですが、周辺国から嫉妬されて争いが一年中絶えません。ムディターがないから戦争が起こるのです。自分より生活が上であることに嫉妬するからです。お金を持っている国、アメリカなどは貧しい国に対してかわいそうと思うカルナーがありません。殺そうとさえします。カルナーがないといじめてしまうのです。力を使って弱者を苦しめます。ですから、メッター、カルナー、ムディターを必ず持ってください。

 

 

ウペッカー(upekkhā 捨) 次はウペッカーです。日本語で「捨(しゃ)」と訳されています。
1.すべての生き物に平等に接することです。
2.まず最初に、嫌いでも好きでもない同性の人を思い浮かべてメッターを送ります。
3.充分にメッターを送ったことで自分の心が落ち着いたらウペッカーを送ります。

 

パーリ語で、
「Ayaṁ sappuriso kammassako(アヤン サップリソ カンマサッコ)」と念じます。
「この善き人が為したカルマはその人のものです」という意味です。

 

ある人がお金持ちだとすると「そのカルマによってお金持ちだ」と思ってください。自分より貧しい人には「そのカルマによって貧しい」など(先入観を捨てて)と思ってください。ある人がよい仕事をしているとき、嫉妬をせずに「そのカルマによってよい仕事をしているなぁ」と思ってください。

 

この四つの無量心は、この世界に住んでいる限り、絶対になくしてはいけません。仏教、キリスト教、イスラム敎など関係なく必ずその四無量心を持つようにしてください。この四つが世界にないと、人として生きてゆくことが難しくなります。たとえば、アメリカとウサマ・ビン・ラディンの場合はこれに当てはまります。四つの無量心がないのであのように殺し合ったりするのです。アメリカが攻撃されたり、ビン・ラディンが殺されたり、結局お互いにとってよいことがありません。国どうしで戦争したり、殺し合ったりするのです。たとえば、日本と北朝鮮の関係が悪化しているのは、お互い四無量心がないから争っているのです。これを理解してほしいのです。本質はもっと深く難しいので喩えとしてお話しています。

 

四つの無量心がこの世にあるかないかを省みて、この世から離れるべきかか、留まるべきかをよく見極めてください。世界に四無量があるかないかを見て、人間界に残るか、涅槃を目指すかを自分で決めてください。世界が苦であるとみて、瞑想修行をして涅槃に行く努力をしてください。

 

 

仏随念(Buddhanussati ブッダヌッサティ) 次は、仏の九徳を随念する仏随念です。九徳を念ずる修行は、自分の好きな仏像、例えば鎌倉大仏でもいいですし、牛久の大仏でもいいです。自分の家に仏像があるならばそれでもいいです。仏の姿を思い浮かべて九徳の一つを選びます。一つまたは九徳全部を選んでもよいです。たとえばアラハンを選んだら、「アラハン、アラハン…」と唱えます。この九徳を心を込めて唱えると、心が安らかになり、それが自分を護ります。この徳を何回も唱えます。そうすると自分の意思をコントロールできるようになります。

 

(通訳の体験)
私が小さい時の事です。母親に隠れて映画を見に行きました。しかし、帰りが遅くなり、母親から怒られるのではと怖くなりました。そこで仏の九徳を唱えながら帰りました。家に着くと母親に笑顔で迎えられ怒られなかったのです。私はびっくりしました。ミャンマーの親はとても厳しいので普通は子どもの帰りが遅いと当然怒られます。私は普段と違う反応にとまどいましたが、九徳を唱えたことを親には黙っていました。〔笑〕
これは私の実体験です。九徳を唱えるとよい結果を得るので、何回もやったことがあります。自分が何事かを実現したいとき、九徳を使うとうまくゆきます。

 

もしも、自分の力(power)を強くしたいならばこれを毎日唱えてください。

 

仏の九徳(Buddhaguṇa ブッダグナ)
Itipi so Bhagavā(イティピソー バガワー)
①Arahaṁ(アラハン)=阿羅漢(あらかん)
②Sammāsambuddho(サンマーサンブッドー)=正自覚者(しょうじかくしゃ)
③Vijjācaraṇasampanno(ヴィッジャーチャラナ サンパンノー)=明行足者(みょうぎょうそくしゃ)
④Sugato(スガトー)=善逝(ぜんぜい)
⑤Lokavidū(ローカヴィドゥー)=世間解(せけんげ)
⑥Anuttaropurisa-dammasārathi(アヌッタロプリサ+ダマサーラティ)=無上士(むじょうし)+調御丈夫( じょうごじょうぶ)
⑦Satthādevamanussānaṁ(サッター デーワ マヌッサーナン)=天人師(てんにんし)
⑧Buddho(ブッドー)= 仏陀(ブッダ)
⑨Bhagavā ti(バガワーティ)=世尊(せそん)

 

これをお唱えすると自分のパワーが強くなります。

 

 

アスバ瞑想(Asubha bhāvanā 不浄観) 仏随念の次はアスバ瞑想です。ラーガ(rāga 貪欲)、執著が強い場合はアスバ瞑想をします。アスバ瞑想をするときは、同性の死体をイメージします。異性で行ってはいけません。目の前に死体がない場合は、智慧によってはっきりと死体を観想します。そして「paṭikūla、paṭikūla(パティクーラ、嫌悪)」と唱えます。この瞑想の目的は、ラーガをなくすためです。ミャンマーではお墓にいって死体の眼前でアスバ瞑想をします。日本のお墓は、火葬なので死体はありませんね。ミャンマーも火葬ですが、アスバ瞑想のための死体置き場があります。人が亡くなると新聞や伝言などでアスバ瞑想者に告知します。

 

参加者:亡くなって何日ぐらい瞑想しているのですか?
セヤドー:二三日ぐらいです。昔は土葬でしたので虫がわいたり、腐って臭う死体が朽ち果てるまで瞑想していました。
参加者:ミャンマーは暑いので三日ぐらいで結構臭いそうですね。
セヤドー:そうです。臭くなります。私たちの身体も臭くなります。生きていても体臭があります。
参加者:今でも(実際の)死体で行うアスバ瞑想をやられているんですね。
セヤドー:人が亡くなると比丘を呼んでアスバ瞑想の場を設ける伝統があります。
参加者:日本人はぜんぜん死体を見なくなったのでよくないですね。

 

死随念(maraṇānussati マラナヌッサティ) 次は死随念です。まず、死随念に入る前にアスバ瞑想を30分ぐらい行います。アスバ瞑想で見た死体のように、自分もいつか死体になります。死から逃れることはできません。自分は必ず死にます。死随念では自分が死ぬことを随念します。

 

①私は必ず死ぬ。私の命は無常だ。
(maraṇaṁ me dhuvaṁ, jīvitaṁ me adhuvaṁ マラナン メー ドゥヴァン、ジーヴィタン メー アドゥヴァン)
②私はいつか死ぬだろう。
(maraṇaṁ me bhavissati マラナン メー バヴィッサティ)
③私の命は死によって終わる。
(maraṇapariyosānaṁ me jīvitaṁ マラナパリヨーサーナン メー ジーヴィタン)
④死。死。
(maraṇaṁ maraṇaṁ マラナン、マラナン)

 

これをsaṃvega(サンヴェーガ)を持って行います。
通訳:saṃvegaは日本語で何といいますか。後悔?
参加者:切迫感、自分の身に迫ってくるという…。

 

切迫感を持って、自分の死や死んでいる姿を思い浮かべて瞑想します。これが終わるとサマタ瞑想の修習が終わります。さらにレベルの高い瞑想がありますが今はおおまかな説明だけ終わります。

 

    サードゥ! サードゥ! サードゥ!

 

                 (2019年5月5日  みなかみ合宿での法話)

 

 

2019年7月 2日 (火)

クムダ・セヤドー 法話(3)

2019年5月、来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。  

 

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 今日は瞑想の方法3種類を教えます。セヤドーが他のセヤドーたちに教えてもらった瞑想方法です。

 

アーナパーナサティ

 入息出息に集中できない時、やるべき方法は3つあります。まず1番目は、皆さんもご存知の数字を数える方法です。1から8までです。もう一つは1から10までです。まず8まで数えるという方法ですが、8までというのは八正道から来ており、10というのは仏陀の智慧が10あるのでそこから来ています。
 もう一つの方法は、まず1から5まで数えて、次は1から6まで、次は1から7まで、と最終的には1から10まで数える方法です。そういう時に1から5までで止めてしまうと心が彷徨って、牛が囲いのなかで彷徨ってしまうようになります。また10以上に大きく数えてはいけません。それは10以上に数えると、数字が大きくなって、数字の方に気がいってしまうからです。上の方法は心が彷徨う時にやる方法です。それは数字で数える方法です。

 

 もう一つの方法は入息の時に「1、1、1」、出息の時に「1、1、1」と3回数える方法です。これを1から8までやります。数字一つを3回ですね。どうしても先ほどの方法で心が彷徨ってしまう時にはこの方法でやります。
 もう一つの最後の方法は、舌を口の中でつける方法です。それで出来ない場合はもう方法はありません(笑)。ですから心が彷徨ってしまう場合はこの中から好きなものを選んでやって下さい。5つの方法がありますので、覚えておいて下さい。

 

 そういう風に心が落ち着いてきて、集中できるようになってきたら、出息入息に集中できるようになってきて、グレーなものが見えてきます。そして心がもっと落ち着いて、集中できるようになってきたら、雲のようになってきます。
 さらに集中できるようになったら、明るい光になってきます。最初に光る時は広い光になります。もっと集中できるようになってきたら、その光が太陽の光とか月の光みたいに丸い光になってきます。

 

 そういう風に心が集中できるようになってきたら、体もじーっと座れるようになってきます。2、3時間ずっと座っていても痛みを感じなくなります。そうやっていくと入息出息に集中するアーナパーナサティが好きになってきます。
 そうして毎回座るたびに先ほどの光が出てくるようになってきたら、今度は入息出息ではなくて光を対象にします。そうしているうちに先ほどのニミッタ、つまり光が消えてきたら、また入息出息から始めます。入息出息をしてまた光が現れたら、光を対象にします。

 

 ニミッタをずっと1時間くらい見られるようになってきたら、体の中の心臓のところを見ることになります。そうやって見てみると、心臓の動きが入息出息と同じように見えてきます。それはなぜかというと、心の中にアーナパーナサティがはっきりと固定できているからです。それを例えると、満月の時には水の中でも月が光っているようなもので、それと似ています。
 そこまでできるようになってきたら、ニミッタの方を1時間くらい見るようにします。可能であれば2時間、3時間見るようにして下さい。もし2時間、3時間とか瞑想できるようになったら、サマーディ、定が安定してきます。

 

五禅支

 基本的に1時間くらい見られるようになったら、セヤドーがその先を教えます。それが次のステップで、そこまでできるようになってきたら、先ほど見た心臓の中の透明なところを観察して、他の臓器とかを見るようにします。そうしていくと禅定になっていくので、禅定の機能として尋・伺・喜・楽・一境性の五禅支が出てきます。

 

 その1番目の「尋」は、アーナパーナサティをしているとき入息出息に常に注意がいくようにする能力です。次に「伺」は、意識上にずっとアーナパーナサティがいるように支えてくれる能力です。次の「喜」は、アーナパーナサティをすることに喜びを感じるということです。次の「楽」は、アーナパーナサティで幸せな気分になることです。最後の「一境性」は、ずっと心がアーナパーナサティだけにくっついているという能力です。それは禅定の5つの機能、能力です。

 

 ニミッタを集中して見られるようになってくる時は、先ほどの5つの機能が同時に感じられます。それをまとめると、心がアーナパーナサティにくっついていて、そこにずっといられるように支えられていて、そういうことが喜び、幸せであって、ずっとアーナパーナサティをしていられるような状況です。ニミッタに注目してみる時には、常にニミッタに注目しながらも、先ほどの5つの禅定の機能を見ながらニミッタを見るようになります。

 

五自在

 次のステップは五自在を練習することです。1番目は第一禅定の機能を、再度観察することです。2番目は目標を決めて、目標通りに禅定に入ることです。3番目は自分で目標の時間を決めて、その目標通りに修行を行うことです。例えば1時間と決めて1時間、2時間と決めて2時間、と修行することです。4番目は禅定から好きな時に普通の状態に戻せることです。最後の5番目は1番目と似ています。禅定になる時に最後にその禅定の機能をもう一度観察することです。そこまで出来るようになったら、さっきまでは第一禅定だったので、次の第二禅定、第三禅定、第四禅定のやり方をまた教えます。

 

三十二身分

 最後の第四禅定まで出来るようになってきたら、次のステップとしては、毎回第四禅定に入るようにして、その状態で身体の三十二の部位を観るようにします。三十二の身体の部位を観る時、例えば心臓を観る時に、心臓には部屋が何個ついているか、どんな色か、身体のどこにあるのか、そういうのを観ます。それを教える時には、基本的に一日五個観るようにします。最初は、毛髪、毛、歯、爪、皮膚の5つを観るようにします。

 

参加者:それは見るのですか?感じるのですか?
セヤドー:智慧で観ます。例えば自分の両親がいるでしょう。その両親を心の中で観るという感じです。
参加者:それは、イメージするということですか?
セヤドー:智慧で観るというのはイメージするというのとは少し違うと思います。
参加者:観察するということですか?
セヤドー:観察するんですね。何か対象があるとしたら、基本的に人間は五感で感じて心で何かがわかるのですが、今回は五感ではなくて、智慧で観るのです。例えば、心の中に親がいるとしたら、イメージして次のステップで智慧でばっと観えてくる。ちょっと分からないですかね(笑)。
参加者:アナパナをやっていたら智慧がついてくるのですか?
セヤドー:そうですね。アナパナと次のニミッタで、第一禅定、第二禅定・・・と禅定に入れば、智慧がついてきます。ですから、毎回そういう身体を観察しようとしたら、最初に第四禅定になるまでやって、身体が禅定の状態になるようにしてから観察します。

 

 次はまた5つで、肉・筋・骨・骨髄・腎臓です。その5つの中で一番むつかしいのは骨髄です。骨髄を観る時には、骨の中までつっこんで観ることです。お医者さんでも骨髄までははっきり分からなくて、色などもはっきりとは分かりません。それは、白っぽいクリーム色をしています。そういう色まで観察します。それは禅定があるからこそ観ることができるのです。例えば、腎臓を観る時にも腎臓がどんな形をしていて、身体のどの部分にあってとか、そういうことまで分かるようになります。

 

 次の五個は、心臓・肝臓・肋膜・脾臓・肺臓です。その中では心臓が難しいです。心臓のそれぞれの部屋を観るのが難しいのです。4つありますが、皆さん知識ではわかっていると思いますが、そこを観るのが難しいです。他は難しくないです。心臓が一番難しいです。

 

参加者:観る時に心臓の中から観るのか、外から観るのか、どっちですか?
セヤドー:外から観ると心臓の形だけが見えてきます。ですから、心臓の中まで入って、心臓の中身まで全部観ます。

 

 次の5つは、胃・腸・胃の中の食べ物・大便・脳です。腸を観るのが難しいです。腸も心臓と似たような感じで、大事な部分でもあって、難しいです。腸は他の臓器とも繋がっていて、観るのが難しいです。そこも身体の中でも大事な部分です。胃の中の食べ物と大便と何が違うのか。身体の部位としては腸に入ってきてはいるのですが、腸の中でもそれぞれ分かれています。

 

参加者:胃とか胃の中とか腸の中というのは、実際にある自分の胃とかなのですか、それともイメージなのですか?
セヤドー:自分の身体です。
参加者:例えばポリープとか観えるのですか?
セヤドー:基本的には三十二の部位だけ、誰にでもある身体の三十二の部位だけが観えます。

 

 次は6つですね。胆汁・痰・膿汁・血・汗・脂肪です。これはそんなに難しくないと思います。ただ、その中の膿汁は、今は無かったとしても、過去にあった時があれば、観えます。最後は、涙・皮脂・唾・鼻汁・関節液・小便です。その中で一番難しいのは皮脂ですね。皮脂をどう観るかというと、分かりやすいのは顔の上に脂がのっているとかそういう時です。それを見ます。もう一つ難しいのは、関節液なのですが、骨の関節のところとか、筋肉と皮の間とか、そういう部分を観ます。のりみたいに白いものです。その2つが難しいです。
 実際、人間の身体の中にはその三十二の部位だけがあって、私たちが男だとか女だとか色々ありますが、その三十二の部分は誰でも同じです。皆さんは私とかあなたとか分けて、私がなんであるとか、あなたがなんであるとか言っていますが、実際は同じで人間は皆その三十二の部分で出来ています。実際に観えるのは、きれいな私とかではなくて、中にあるとても不潔なものです。上の皮で隠れているので、形が整っていますが、もしその皮がないと、とても醜いものです。そこまで観えてきたら、かなり上の段階までいっています。

 

四界分別(地水火風、ルーパ)

 さらにその禅定が上のレベルになってきたら、それぞれの三十二の部分の形ではなくて、粒子の状態で見えてきます。すべて周りの建物とかでも、その粒子が集まって出来ています。その粒子が集まって形になっているのですが、その粒が無ければ形もありません。そこまで見えるようになってきて、禅定があるレベルまで来たら、そこの部分を詳しく教えます。

 

 身体の部分を観るにしても、身体の部分を地水火風で観るとしたら、身体が粒子で出来ているのが観えてきます。その粒子も素早く生じては滅しているという繰り返しをしています。例えばテレビとかで映像が見えますが、停電とかで映像が壊れると粉々になったりします。なのでテレビの映像も粒子で出来ています。自分の身体も同じです。
 その粒子を身体の中で見ていると、透明なものと透明でないものがあります。その粒子の中にはある程度、固いものもあります。鉄みたいに固いのではなく、ざらざらしているような固い部分もあります。それが地ですね。粒子を形にしているものがあります。粒子と粒子を繋げるものが水です。なぜ繋げるために水があるかというと、本来であれば流れているというイメージをすると思うのですが、とても小さいので水は繋げる役割をします。

 

 さらに熱いとか寒いとか、そういうものが火です。すべて暑さも寒さも燃やすということをするので、二つとも火です。ミャンマーでは、夏になると木は葉っぱが落ちて枝だけになってしまいます。日本では冬に葉っぱが落ちて枝だけになってしまいます。でも両方とも同じですね。暑さと寒さで燃やすということです。ですから、暑さと寒さは両方とも火です。最後は、それぞれの粒子が活発に動いているのが風です。
 あとは色、匂い、味、栄養素もあります。そこまで見えるようになったらルーパ(物質)が分かるようになります。それがルーパの機能です。その中に命もあるとして、9つあるという考え方もあります。さらに言うとしたら透明という機能もあります。なので、色々な言い方があって、8個あるとか、9個あるとか、10個あるとか言います。

 

 それがすべて分かるようになったらルーパが分かるようになったことになります。それぞれの機能は科学的にもはっきりと分かっていない部分があります。粒子までは分かっていますが、それ以上はまだ分かっていません。

 

参加者:さっき内臓を観るときに中から観ていったのですが、地とか水なんかも中から観ていくのでしょうか?
セヤドー:智慧で観ていきます。粒子の状態は中に入らなくても観えます。この中でも栄養素はルーパの中の栄養素の部分まで入って中から観ます。栄養素の一種の油です。そこまで分かったらルーパをすべて分かることになります。

 

無常、苦、無我

 次にヴィパッサナーの方法で観るとしたら、すべてのルーパの機能は、生じては滅すると繰り返しであることを見ていきます。そういう風に見て、すべてのルーパの機能が粉々のものが生じては滅して、生じては滅しての繰り返しであることが分かったら、それらはすべて無常であるということがわかります。

 

 すべてが生じてはすぐに滅する繰り返しなので、すべてのルーパが無常であり、無常であるから怖い、そして苦だと見ます。もう一つは、先ほどは無常であるから、今回は生じて滅しての繰り返しだから怖いと思います。なので、苦なのです。
 そういうことを観て、すべてが生じて滅して、最後に何も残らない。だから、それが無我である、と見ます。それを智慧で観るということです。皆さん、そこまで出来るようになったら詳しく教えます。

 

参加者:そこまで出来る自信がありません・・・。
セヤドー:一日二日とか頑張っただけではそこまでいかないと思います。十年くらいずっと瞑想している人もいます。セヤドーはまだ会ったことがない人で、電話で話してこの段階までいっている人もいます。その方はセヤドーのところまで瞑想しに来たことはないですが、毎日瞑想しているそうです。なので皆さんも頑張ってください。
参加者:先ほどセヤドーと三十二身分についてミャンマー語で話している方がいましたが、あの方は見えるのですか?
セヤドー:あの方は見えませんが、医者なので物理的に肉眼で見ることができます。智慧では観たことはないですが、目で見たことはあるので、お医者さんはイメージしやすいと思います。戒律を守って禅定にならないと観えないですが。
参加者:自分のものよりほかの人のほうが観にくいというのは本当ですか?
セヤドー:そうですね。ですから、自分の身体を観てから、ほかの人の身体を観ます。頑張ってください。
参加者:ルーパとかは、高いレベルまで行っている人は普段から観えるのでしょうか?
セヤドー:基本的には禅定になってから観察します。高いレベルになってくると普通に観えるようになります。すべて観えると、生きたくないと思うようになり、涅槃にいくまで頑張ろうという気持ちになります。そういうのが観えないから、お互いに好きになったりしますが、そこまで観えるようになったらそういう気持ちにはなりません。

 

 皆さんは自分の仕事を終えてから来世とか思っていますが、自分の仕事が終わらないうちに死んでしまうので、早く修行するようにしてください。忙しい毎日の中でも瞑想の時間を作って頑張ってください。なぜかというと、自分の求めている財産とかは全部なくなってしまいますから。
 自分たちが求めているものは、すべて壊れてしまいます。そのことを覚えておいてください。壊れるものばかり探して、求めても意味がないので、時間をとって修行、瞑想をしてください。そういうことをしていくうちに、老いて、病気になって死んでいきます。そうして来世、来世と続いていきます。

 

 そうやって、修行をしてこなかったから、まだ私たちはこの輪廻から逃れられていません。だから、この地球では何回もブッダが生まれてきていますが、私たちは今まで出会わずにここにいます。ですから、ヴィッパサナー瞑想を頑張ってください。

 

参加者:ヴィパッサナーの前に禅定が必要なのですよね?
セヤドー:戒律、禅定、智慧が必要です。

 

      サードゥ!  サードゥ!  サードゥ!

 

              (2019年5月25日 福岡合宿での法話)

 

2019年6月25日 (火)

クムダ・セヤドー 法話(2)

2019年5月、来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。        
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                合宿会場

 

大事な5つのこと

皆さん、生きていると、いろいろな生活をして、いろいろな人に出会います。いろいろな人に出会ってみると、相手により様々な性格があります。その性格に合わせて、私たちはいかに対応すべきか、ということを今からお話しします。皆さんメモしておいてください。

 

一番目は、怒りの人です。怒りっぽい人に出会ったら、自分から慈悲をもって話ししてください。怒りの人に慈悲で打ち勝つようにしてください。その意味がわかるでしょうか?怒りを乗り越えてください。
二番目は、悪い言葉をつかったり、暴言を吐いたりする人です。そういう人に出会ったら、自分は相手に暴言を吐いたりしないで、暴言を無視してそれを乗り越えてください。

 

(質問)それは一番の怒りの人とは違う人ですか?
(答え)二番目の人は、怒りだけでなく暴言を吐きます。そういう悪い言葉をつかったり暴言を吐いたりする人に皆さん会ったことはありますか? ○○さんは、そういう人たちに出会うかもしれないので話しています(笑)。

 

三番目は殺すとか言って脅迫する人。もし自分が脅迫されたら、その脅しを相手に返さないでください。それを言葉で返したりしないことです。
四番目はけちな人。お金にけちな人、人にものを絶対にあげたりしない人。そういう人に会ったら逆に自分が差しあげてください。
五番目はうそをついたりだましたりする人、そういう人に出会ったら、自分が正しく直してあげてください。うそをつかないように正しく説いてください。

 

今の話は5つの項目がありました。それはウトラーという天女が人間だった時に、お釈迦様がウトラーに教えた教えです。私たちも必ずこういう人たちに出会います。怒りが出ている人に会います。自分が良いことをしてあげても文句をいわれたりします。そういう人にもし会ったら、慈悲で理解してあげてください。さっきいったように悪い言葉を使ったり、暴言を吐いたりする人に会ったら、同じように言い返さず、慈悲で我慢してください。もし脅迫する人たちに会ったら、そういう風にしないで黙って乗り越えてください。四番目のけちな人、物を上げることをしない人に出会ったら、自分が逆に差し上げてください。五番目の、自分が正しいことをやっていても文句を言ってくる人に会ったら、正しく教えてあげてください。この5つは必ず覚えておいてください。この5つにあるような人に会ったら、慈悲をもって我慢、忍耐してください。

 

慈悲だけでなく我慢、忍耐も必要です。忍耐がないとだめですね。自分が正しいことをやっていても、あれこれ言われる人は言われるのです。何か言われたら自分が我慢するしかないです。我慢してください。こういう人間世界なので、こういう人たちに必ず出会います。会っても今のように慈悲で我慢してください。今の話は5つありました。皆さんメモして覚えておいてくださいね。次に天女のお話をします。このお話は覚えなくてもいいですが、今言った5つだけは必ず覚えておいてください。これがいつか必ず使えます。必ず私たちが出会う事なので覚えておいてください。

 

天女ウトラーの話

 これからのお話はウトラーという天女で、前世が人間だった時のお話です。インドのギッチャクッタ(霊鷲山)という山の近くにラージギルという町がありました。ウトラーは天女で、人間だった時、お母さんの名前もウトラーで、娘の名前もウトラーといいました。旦那さんは畑仕事をして生活をしています。名前はプンナです。あるとき、旦那さんはラージギルの町のお金持ちの畑で働いていました。近くのギッチャクッタという山の頂上で7日間のお祭りがありました。お金持ちが旦那さんに、7日間のお祭りに遊びに行くか、畑で仕事をするかどちらを選びますかと聞きました。ウトラーの旦那さんは、「遊びに行くことはお金持ちのやることで、私たちは明日のためにもお金がないし食べるご飯もありません。働かなくてはならないので行きません」と答えました。旦那さんは、奥さんにお弁当を届けるように頼んで畑に働きに行きました。

 

そのときサーリープッタ長老が7日間瞑想をしていました。瞑想のパワーで誰かを助けに行かなくてはいけないのが見えました。それで見ていたら、その夫婦二人を助けに行かなくてはいけないのが見えました。サーリプッタ長老は旦那さんの畑の近くまで行って、干し草をじっと見ていました。旦那さんはサーリプッタ長老がそれを欲しくて見ているのかなと思って、それを欲しいのですかと聞きました。長老が欲しいといったので、干し草を歯ブラシに整えてお布施しました。お布施をし終わったら、長老が鉢の中から水を漉(こ)す布を出して見せました。旦那さんは長老が水を欲しいのかと思い水をお布施しました。

 

そのとき奥さんはご飯を作っていました。サーリープッタ長老には全部見えているので、奥さんがご飯を作り終わるタイミングを待っていました。長老が町に入ったとき、奥さんはご飯を作り終わっていました。前に長老は奥さんに会ったことがあります。奥さんの方はその時お布施するものが何もなく、お布施できなかったのです。お布施をしようと思っているときにはサーリプッタ長老がいないのです。今日は偶然ですが、それはサーリープッタ長老がわざわざ作った偶然ですね。奥さんの方は、それを知らず、うれしくて旦那さんのごはんとかおかずを全部長老ににお布施しました。全部上げてしまったので、旦那さんの分がなくなり、もう一回作りなおして、持って行きました。届けるのが遅くなったので、旦那さんは何で遅れたのか聞きます。奥さんは、サーリープッタ長老に会ってごはんとかおかずをお布施したことを話しをしました。旦那さんも、こちらにも長老が来て歯ブラシとお水をお布施したことを話し、お互いにうれしくなりました。おなかがすいていたので、奥さんが作ったごはんを食べて、眠くなってきて、旦那さんは奥さんの胸の中で、二人とも眠ってしまいました。

 

二人ともぐっすり寝てしまって、起きてみるとさっき整えた畑が、全部金になっていました。ありえないですよね。さっきまで自分で整えたのは土なのに、自分が勘違いしているのかなと思って、奥さんにも金が見えるかどうか確かめました。それで金を取って確かめるために、たたいたり、中身を割ってみると、ほんとうに金になっていたのです。夫婦二人はびっくりしました。サーリープッタ長老にお布施をしたので、すぐにその功徳が現われたといって喜びました。

 

その金をお弁当の入れ物に入れて、ビンビサーラ王に二人で届けに行きました。自分たちの畑で見つけたのでビンビサーラ王に差し上げました。王様が名前を聞きます。プンナとウトラーですと名前を言いました。どうして金を預けに来たのかと聞くと、今日サーリープッタ長老会って、お布施をしたら、その金が出てきましたと、さっきの出来事を全部王様に話しました。ビンビサーラ王も大変驚きました。今日お布施をして、今日金が出てきたのだからすごいことだと。そして、金を運ぶために馬車を何十台もそこに行かせました。馬車でビンビサーラ王の家来たちが取りに行くと、家来たちは、「ビンビサーラ王のもの」と言って金を入れ物に入れました。そのように言うと、金が土になってしましました。ビンビサーラ王のものではないのに、「ビンビサーラ王のもの」と言っったために金が土になってしまったのです。

 

セヤド―がおっしゃるには、ミャンマーにもこういうことがあります。ミャンマーでは昔から金がたくさん出るんです。ルビーとかご存じかとおもいますが金もたくさん出るのです。お金のない人たちが土の中を掘っていると、金が出てくるので貧乏人たちはそれを取って生活していました。ある日、前の軍事政府が金が出ているという話をきいて、そこを立ち入り禁止にして誰も入れないようにしました。軍隊の制服の人たちは、力があるので、そうしました。ところが、昔は金が出ていたのに、掘っても全然出てきません。貧乏人がいるところは金とかルビーとか出てきます。その人たちが生活するために、たくさんではなくちょろちょろと出てきます。ミャンマーの北にそういうところがいっぱいあります。それはカルマですね。それで出てきます。

 

それで、王の家来たちはもどってきました。なぜ土になっているのかと聞かれました。私たちは王様のものだから、「王様のものです」と言いながら取っていたら、土になってしまいました、と答えました。それはあなたたちが間違っています。本当はプンナのものなので、「プンナのもの」と言わなければいけないのです。それで、もう一度行って、今度は「プンナのものです」と言いながら入れると、金がいっぱい出てきました。その金がどれだけ多いか、手でここからここまで、80回。30から40cmの80倍の高さぐらいあります(およそ25m)。それは、もともとプンナのものなので、ある程度の量を王様はプンナにもあげました。それで名前がマハーダーナ(大いなる布施者)となりました。プンナはマハーダーナになり金持ちになりました。前にマハーダーナが働いていたお金持は、息子をマハーダーナの娘ウトラーと結婚させたいと思いました。

 

お金持ちになってから7日間、お釈迦様と500人の比丘に食事のお布施をしてお釈迦様から毎日法話を聞きました。法話を聞いた親子三はソターパナ(預流者)になりました。マハーダーナの家族三人がソターパナになったのです。マハーダーナはお金持ちが邪見をもっているので娘を結婚させたくありませんでした。しかし、周りの人たちはみんなマハーダーナに言いました。以前、この人の畑で働いて金を持つことができたので、お金持ちには世話になっているではないかと。さんざん言われて、仕方なしに最後には娘と結婚させました。

 

娘はソターパナになっているから、お坊さんにお布施したり、お釈迦様にお布施したり、接待したかったのです。しかし、旦那さんがそれをしないので、従うしかありませんでした。結婚して旦那さんの方についていたのでダーナができなかったのです。それでお布施ができないので落ち込んでいました。ソターパナだからお布施をしたかったのです。

 

ある日、ワサ(雨安居)の三か月のなかで、二か月半が過ぎ、あと二週間を残すだけになりました。お釈迦様に会って、お布施したり、法話を聞いたり、比丘たちにもお布施をしたいが、それができないので親に手紙を書きました。親は娘にお布施するようアドバイスします。ラージギルのまちにはシリマという名前の娼婦がいました。そのシリマに頼んで残りの15日間旦那さんの世話をしてもらいました。シリマには一日分の日当×15日分を払って、親は、シリマに二週間の間、旦那さんの世話を頼みました。シリマが旦那さんの世話をするので、二週間、ウトラーがお釈迦様のお世話をしたりお布施をするようにと親はアドバイスしたのです。それで、娼婦のシリマに二週間世話をさせたのです。

 

最後の日、15日の前日、窓から旦那さんが外を見ていました。奥さんのウトラーがお釈迦様にお世話するため一生懸命働いているのが見えました。そしたら、旦那さんがにこっと笑いました。旦那さんが、奥さんの一生懸命働いているところを見てにこっと笑ったのを見たシリマがやきもちを焼きました。シリマは仮の奥さんで、向こうが本当の奥さんなのに嫉妬してしまったのです。怒りが出て、嫉妬も入っていました。シリマはウトラーのところに行きました。シリマのおかげでお布施ができているのでウトラーは慈悲を送っていました。一方のシリマは怒りで来ています。ウトラーの横で揚げ物をしていて、熱い油がありました。シリマは熱い油をコップにとってウトラーの背中にかけました。ウトラーは、本当は熱い油なのに、涼しい水をかけられた感じがしました。ウトラーは慈悲を送っていました。ずっと慈悲を送っているので熱いと感じないのでした。それで、シリマは再び油をかけようとました。そうしたらお手伝いさんが彼女を捕まえて、殴りかかりました。殴ったり、たたいたりしていたら、ウトラーが、「もうやめなさい」とお手伝いさんたちに言いました。「シリマのおかげで私たちがお布施できているのです。彼女にそんな風にしないでください」と言って、シリマは助かったのです。

 

それで、シリマも助けてもらったので後悔してウトラーに謝りました。「自分が間違っていました」と。謝ってもらったウトラーはそれだけでは納得がいかないのです。「私に謝るだけでなく、向こうに行って礼拝してください」と。「私に礼拝してもらっても納得がいかないから、お父さんにもしてください」とウトラーが言いました。それで、「お父さんにもします」とシリマが言います。「あなたのお父さんは誰ですか」と聞ききますと、「私のお父さんはお釈迦様です。こういうことをやっている善い人です」と説明しました。「明日お釈迦様が来るから、ここに来てください」と頼みました。シリマはお釈迦様が来るので、謝るためにお布施をしようと、いろいろなものを集めて持ってきました。シリマは、お釈迦様や比丘たちに直接食事を上げられません。自分は良い人ではなく、良い仕事もしてないので、恥ずかしく、直接上げることができずにウトラーに上げてもらいました。

 

それをお釈迦様が見ていて、「あなたがやらないで、なぜウトラーにやらせるのか?」と聞きました。シリマは自分がしてきたことを全部お釈迦様に話しました。自分が、こういうことをやっていたからウトラーにも迷惑をかけた。それなのにお釈迦様に会えて、お布施をしている、と話しました。お釈迦様はウトラーをたいへん褒めて、最初に言った5つのことを話しました。

(一番目)怒っている人を、怒らないで慈悲で乗り越えましょう。
(二番目)暴言を吐いたり悪い言葉を言ってくる人達を、そういう風に言い返さないで我慢で乗り越えましょう。
(三番目)脅迫する人たちにたいして、自分は脅迫しないで我慢して乗り越えましょう。
(四番目)けちな人に会ったら、自分が反対に差し上げてください。
(五番目)うそをついている人や悪いことを言ってだます人に会ったら、自分が正しいことを言って直してあげてください。
この五つのことをお釈迦様はウトラーに話しました。
それを聞いてウトラーの旦那さんと、旦那さんのお父さんとお母さんとシリマも全員ソターパナになりました。最後は皆さんソターパナになりました。

 

まとめ

大事なのは、この五つのことですね。
怒りのある人と会ったら、怒りで返さないで我慢で乗り越えてください。
悪い言葉で暴言を吐かれても、自分は言い返さないで我慢してのりこえましょう。
脅迫されたら、自分も脅迫しようとしないで我慢して乗り越えましょう。
けちな人と会ったら、自分が逆にさしあげましょう。
自分が嘘をつかれても、我慢して正しく直してあげましょう。

 

最後に言いたいのは我慢、忍耐です。何をやられても我慢して生活してください。今日は、話が長かったけれど、最後にまとめると我慢、忍耐です。

 

(質問者)セヤド―がおっしゃっている我慢、忍耐のパーリ語はなんですか? 
(答え)カンティ(Khanti)です。

 

ですから、瞑想など私たちがやっていることも忍耐です。瞑想している間に身体が痛くなっても忍耐です。ごはんを食べることも忍耐です。怠け心にたいしても忍耐です。今、皆さん飽きてますよね、飽きに対しても忍耐です。飽きてきて、自分がやりたくないと思っても、やらないとうまくできないのです。

 

阿羅漢になる人でも、飽きることや怠けることもあります。阿羅漢の最後の生まで何もしないでいる人もいます。最終的には阿羅漢になりましたが、お坊さんになってから7回も還俗を繰り返して、お寺に入ったり出たりを繰り返して阿羅漢になったのです。

 

ちなみに、この話のシリマはとても美しい人でした。シリマが好きになった比丘の話があります。ある比丘がシリマを見て、好きになってしまって、ご飯も食べられなくなりました。本当は阿羅漢になる比丘ですが、それでもシリマを好きになってしまったのです。ある日、シリマが病気になり死んでしまいました。死んだら臭いが出るじゃないですか。シリマが生きている間、シリマと遊ぶと1000円かかりました。シリマが亡くなって、シリマの遺体をどうしようかと王様がやってきました。シリマの遺体を欲しい人は1000円で買ってくださいと言いました。誰も買う人がいないので、700円、500円、300円、200円、100円、最後に1円でもだれも買わないのです。その話をお釈迦さまと、シリマを好きになった比丘が聞きました。そして、皆でアスバ瞑想(死体の観察)をやりに行こうということで、シリマを好きになった比丘もアスバ瞑想をしました。アスバ瞑想をしたら、その場でシリマを好きになった比丘が阿羅漢になりました。

 

シリマはいまだに天国で天女になっています。いまも天国にいるそうです。それでは、皆さん忍耐して頑張ってやってください。今日はちょっと長かったですね。

 

        Sadhu!   Sadhu!   Sadhu!

 

                  (2019年5月3日  みなかみ合宿での法話)

 

 

 

2019年6月21日 (金)

クムダ・セヤドー 法話(1)

2019年5月、モービ僧院のクムダ・セヤドーは、招きに応じて日本を訪れ、各地の合宿・瞑想会で説法をしてくださいました。この時の法話を文章にして、順次掲載したします。
文章化にあたって協力いただいた皆様に感謝申し上げます。

 

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天人になったカエル

 今日は、天人(デーヴァ)になったカエルのの話をします(註1)。サンバという町の中にガカラという池がありました。その町(サンバ)の池のほとりに、講堂があり、お釈迦様はそこに滞在していて、夜になると説法をしました。そのガカラ池の中に、カエルが住んでいました。カエルは夕方になると、お釈迦様の法話を聞きに池から上がって来て、人間たちの隣で聞いていました。ありがたい法話と思って、カエルは聞いていました。

 そこに、牛の世話係がお釈迦様の法話を聞きに来ていました。世話係は、いつも牛たちを世話しているので、牛の尻を叩く棒を持っていました。世話係は、その棒を持ったまま、説法に参加し、人々から離れた所で、その棒を地面に刺して、立ちながら法話を聞いていました。ところが、その刺したところに、先ほどのカエルがいて、法話を聞いていました。カエルは、刺されたことで死んでしまいました。

 カエルは死ぬ前に、法話を聞いていて、嬉しくなりました。そして刺されて死んでしまい、すぐ天人に生まれ変わりました。その天人が住んでいる建物は、長さが84マイルありました。インドですと12ヨージャナです。(1ヨージャナは、7マイルとあります)
ミャンマーはマイルで数えるんですが、日本ではキロですね。日本だとどれくらい?  
(参加者)1マイルは、約1.609km。ですから約135kmです。それくらい広い建物です。

 カエルは死ぬ前に、ちょっとだけ法話を聞きました。そして、すぐに死んでしまって、すぐに天界へ行ったのです。そんなわずかでも、法話には効果があります。法話の効果は、そんなにも大きいものです。その天人は、自分が何で天界に来て、そんなに大きな建物に住んでいるのかと考えました。そして、前世自分がカエルで、すこしばかり法話を聞いたことで、天人になったということが分かりました。自分が天人になった理由を知り、とても嬉しくて、お釈迦様に会いたくなり、人間界に降りて行きました。お釈迦様の法話が聞きたくて、人間界に降りてきたんですね。

 人間界に降りたら、お釈迦様に会いに行きました。お釈迦様は、「あなたは誰ですか?」と尋ねました。それで、天人は、自己紹介をしました。自分は、前世カエルであって、牛の世話係の棒に刺されて死に、すぐに天使になったことを、お釈迦様に説明しました。
それで、お釈迦様は天人にさらに法話をしてあげました。天人は、その法話を聞いて、すぐにソータパン(預流者)になりました。法話の影響力はすごく大きいのです。ちょっと聞くだけで天人になれるのです。

アナパナ瞑想の次の段階  さて、今日は皆さんに難しい話をします(笑)。皆さんが毎日やっている瞑想は、まだアナパナ・サティです。呼吸を見ているだけで、ヴィッパサナーまで行っていないのです。
呼吸を見るだけでは、まだ何もはじまっていないのです。まだ、教えるくらいになっていないのです。

 今、私たちの段階は、呼吸を見るだけですね。呼吸を見ていると、だんだん雲みたいなものとか、形とかが出てきます。それがだんだん強くなったら、丸っぽいものとかいろいろな形で出てきて、やがてニミッタが出てきます。ニミッタが出てきて、それが目の前にとどまったら、そのニミッタをじっと見ることをしなければなりません。で、そのニミッタをじっと見続けるところまできたら、次のステップを教えられます。そのニミッタを見届けて、心の中を見なければいけません。心は、人間でも動物でもみんな一緒です。

 心は、心臓の中にある、血に頼って生きています(註2)。心には色がありません。色はないけれど、心臓のところの色を見ると透明なものが見えます。さっきの、血があるので、血の色で、カラーパ(微粒子)もその色になっています(註3)。それで、その中の色も見えるようにしないといけません。それが見えたら、ニミッタも1時間くらい集中します。
そこまでできたら、後の方は、もう大丈夫です。

 それで次は、ニミッタを30分、できれば1時間見て、それで自分の身体を見ます。自分の身体を上から下まで、32の部分を見ます(32身分)(註4)。それで、32身分を見ると、男も女も区別はないということが分かります。32身分は、男性でも女性でも同じです。
男性も女性も区別はないし、ただ32身分しかないと見えて来ます。もし信じられなかったら、身体を切って見てください(笑)。32身分が見えます。

 32身分以外に、細かく見ると、骨髄の中も見ないといけません。骨髄の中を見るときに、皆が一番間違えやすいです。骨髄の色はクリーム色です。心臓の下にある脾臓を見るときも間違いやすいです。脾臓について、皆それぞれが異なる色を言っています。緑と言う人もいるし、他にいろいろな色を言っています。本当の色は、赤、ブラウン(土色)、青、その3色が混ざった色です。心臓の中にも、心室があり、それもちゃんと見ます。それは、ちょっと難しいのです。あとは、そんなに難しい事はありません。腎臓とかはそんな難しい事は無いです。

 その32身分が終わったら、骸骨を見ます。見ていると、人の身体が骸骨だけに見えるんです。今、セヤドーが仰っていることは、セヤドーが皆さんを見たら、骸骨しか見えないのです。自分を見ていても、他の人を見ていても、皆骸骨に見えます。今、見てても、皆さん、ここは空いていて、歯があって、全部骨ばっかり見えています。智慧で見るんですが、智慧で見ると、皆さんが骨ばかりに見えます。

 その骸骨を見てから、今度は骸骨の色が白になるように見ます。頭骸骨が「白、白」と思って見ていると、骸骨がなくなって、その白い色だけが見えてきます。これは、智慧で見るんです。そして、その白を東西南北と北西・北東・南西・南東・天・地の10か所に広げて、白い色に集中します。それが終わったら、慈悲の瞑想に入ります。

慈悲の瞑想  慈悲の瞑想の4種類を皆さんご存じですか?
①安全でありますように(危険に遭いませんように)。
②心の苦しみがありませんように。
③体の苦しみがありませんように。
④私が健康で幸せでありますように。自分の身体の世話は自分でできますように。
この4種類を覚えておいてください。

 慈悲の瞑想の段階にまで至ってなくても、これは毎日できる事です。これは自分で唱えられます。自分が慈悲を送りたい人、例えば自分の親でもいいし、自分の仲いい方でもいい。その送りたい人の笑顔(幸せな顔)を思い浮かべて、慈悲の言葉を、「その人が安全でありますように」と何回も何回も言うんです。
その人の笑顔を思い浮かべて、「心の苦しみがありませんように」と何回も言う。
その人の笑顔を思い浮かべて、「体の苦しみがありませんように」と何回も言う。
その人の笑顔を思い浮かべて、「健康で幸せでありますように」と何回も言う。

 夕方4時にインタビューをするとき、セヤドーは皆さんの目を見て慈悲を送っています。
毎日一人一人に。それで、皆さんがセヤドーを見ると、幸せを感じるんですね(笑)。
慈悲の瞑想にまで至っていない人も、こういう風に言いながら相手の人に慈悲を送れるんです。そういう風に慈悲を送ったら、会うときは本当に幸せな感じで、お互い会うことができます。怒りとかもぜんぜん無くて、幸せな感じです。嫌いとか、嫌味とか、何にもないのです。今教えた、これを使ってみてください。

 慈悲を送る功徳と、他のダーナ(布施)の功徳の差は、例えると月の光と星の光くらいの差があります。月が出る前に、星が出てきますね。そして、月が出てくると星の色はかすんでしまいます。これは60分の1くらいの差があります。
独身の男性とか、独身の女性の方は、慈悲を送ると相手が好きな気持ちになってきます(笑)。
もし、結婚したいなと思ったら、慈悲をいっぱい送って下さい(笑)。慈悲は、嬉しい気持ちが心の中に出てきて、表情も穏やかになります。

 いつも元気になりたければ慈悲をたくさん送ってあげて下さい。慈悲をいつも送っている人たちは、落ち込んだりはしないです。皆さんの中に落ち込んでいる人は、いらっしゃいますか? もしいらっしゃったら、慈悲をいっぱい送ってください。
(参加者に)○○さん、落ち込んでいますか?(笑)
慈悲をいっぱい送って下さいね。

 慈悲の言葉の①②③④ですね。その一つ一つを何回も送ります。時間を使って、
①番目だったら、20回30回くらいやって、結構長く。②番目もそうだし、③番目もそうだし、④番目もそう。何回も何回も時間かけて送って下さい。
綿に油をにつけると、ふにゃーとなってしまうじゃないですか。相手に慈悲をたくさん送ると、そういう風に心が柔らかくなります。慈悲を送ると、嬉しく、とても生き生きします。慈悲をたくさん送ると、あまり落ち込んだりとか、悩んだりしません。ですから、皆さん慈悲を持ちましょう。

 慈悲の瞑想を何回も何回もして下さい。それは、難しい事はないし、例えばバスに乗っている時とか、電車に乗っている時、どこに行っていても、トイレに入っていても送れます。簡単なことで、短い時間でもできることですから、皆さんやってください。皆さん、こういう慈悲の気持ちがあれば、平和でいられますよ。平和がないということは、皆さん慈悲がないからです。皆さんが、そういう慈悲を持っていれば、この世界が平和で、皆さんが幸せに住んでいられます。

 本当は、セヤドーはこういう事を皆さんに教えてあげたいのです。けれど、皆さんがセヤドーについて来れないのです。皆さんがまだ何も出来ていなくても、これだけやるだけでも、本当に幸せで効果があります。この功徳は、他のダーナと比べものにならないくらい、とても強いものです。できれば、この4種類をちゃんと覚えておいて、自分が慈悲を送りたい人に、いつも送って下さい。その慈悲を送ったら、その人と会うときは、とても幸せな感じで会えます。なぜそういう気持ちになるかというと、相手に慈悲を送っているからです。自分も幸せだし、相手も幸せに感じられます。

 自分の人生でこれは絶対持っていた方が良いので、毎日慈悲を送るようにしてください。
大勢の人に慈悲を送らない時であっても、自分の家族だけでも、毎日慈悲を送ってください。そういう風に慈悲を送っている家族は、絶対に喧嘩することがありません。なぜならお互い慈悲を送っているから、喧嘩しようがないですね。皆幸せにいられます。家族の中で喧嘩するのは、お互い怒りが出て、慈悲がないので喧嘩になるのです。この4種類を覚えておいて、慈悲を送るようにしてください。

 もし、慈悲が世界中どこにでもあったら、戦争もありません。戦争するために銃とか、お金がかかりますけど、そういうものは要らなくなりますよね、世界中に慈悲があったら。
現実には、慈悲がないので戦争になっています。世界は今、どこの国も経済力が落ちています。戦争のためにお金を使っているので、経済力が落ちています。慈悲があったら、戦争するために銃とか作る必要もないし、お金使う必要もないですよね。そうなれば、皆幸せに生きていられます。慈悲がないので、みんなお互い戦争したり、国と国の間に嫌みとか、無法とかが出てきたりします。

 今、ここにいらっしゃる皆さんはどれだけ幸せですか、とセヤドーは聞いています。
皆さん、幸せですよね?あまり幸せじゃないの?(笑)
返事がないと、こちらが落ち込みます(笑)
この4種類を覚えておいて、明日から自分の関係ある家族だったり友人だったりに、慈悲を送って下さい。
残りのお話は、明日また。

サードゥ! サードゥ! サードゥ!

 

註1:この宇宙には大きく分けて6つの世界(六道)があり、さらに細かく分けると31の世界がある。人間界より高い世界(天界)には天人(デーヴァ)が住んでいると言われている。
註2:心(citta)と心色(hadaya rupa)について;「アビダンマッタ・サンガハ」によると、心臓の血液の中に心色(hadaya rupa)が拡散しており、その心色に依拠しているのが意界(心)である。
註3:物質は小さな微粒子が集まったもので、この集まりをルーパ・カラーパ(色聚)と言う。
註4:32身分とは、髪の毛、体毛、爪、歯、皮膚、筋肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、横隔膜、脾臓、肺、腸、腸間膜、胃の内容物、大便、脳髄、胆汁、痰、膿、血、汗、脂肪、涙、皮脂、唾液、鼻水、関節の滑液、尿。

                      (2019年5月4日  みなかみ合宿での法話)

  

 





2016年8月10日 (水)

浜松瞑想会でのクムダ・セヤドーの法話

7月31日に開かれた浜松瞑想会でセヤドーは、「瞑想実践者が行う15の項目」などの法話をされました。
この法話を主催者の小林範雄さんが文章にしてくださいましたので、ここに掲載いたします。

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1.瞑想実践者が行う15の項目

1.信じること
・信じることができないと信仰できないので、信じることが大事。

2.「戒律」を守ること
・戒律を守ること。
・戒律には「五戒」「八戒」がありますが、自分の能力に応じて可能な限り戒律を守ることが大事です。
・少なくとも「五戒」は守ってください。
・それと、いつも「前向き」な思考をすること。
・先ほどのお経で読み上げた五戒ですが、一番目は、生き物を殺さないという戒律ですが、これを守っていくと、世の中も平和になります。
・五戒の中の二番目は、与えられていないものを盗らない。盗まないことですね。これも守ると、世の中が平和になります。

・三番目は、みだらな性行為をしないということです。これを守ると、世の中が平和になります。
・四番目は、嘘を言わないという戒律です。この戒律も守ると、世の中が平和になっていきます。
・五番目は、お酒や麻薬を飲まないということですね。これも守ると、世の中が平和になっていきます。
・お酒を飲むことで、いろいろな問題が、世の中に起きています。嘘を付いても様々な問題が起きています。みだらな性行為で、問題が起きます。盗むこと、与えられていないものを盗ることで、いろいろな問題が起きています。生き物を殺すことで、さまざまな問題が起きています。
・なので、五戒を守ることが大事です。

・この五戒を守って生活をすることで、ドアに鍵をかけることなく、自分の家で平和に暮らすことができます。
・皆さんが五戒を守っていくことによって、身の回りが安全になって、居心地のよい世界になって、世の中も平和になっていきます。
・今、世の中でもいろいろな問題が起こっていますけれども、原因は、こうした戒律を守らないことから起きてきていると思います。
・五戒を守ることで、長生きすることもできます。反対に、五戒を守らないことで、命も短くなっていきます。
・もし、五戒を守っていけば、若いうちに亡くなることも減っていきます。
・五戒は、普段の生活の中で守っていくことで、また、身近な感じで守っていくことで、結果が得られていきます。
・ですので、この基本となる五戒を、皆さんも守ってください。少なくとも、この五戒だけは、守っていってください。

3.サティ(念)
・サティとは、気づくこと、憶えていること。
・アーナパーナ・サティの通り、呼吸に「気づく」こと。
・呼吸が入って、出て行くことに「気づく」こと。
・この気づきが無いと、なかなか続けられないと思います。
・この「気づき」があることで、瞑想になります。
・この気づきが無いと、心が集中できないで、いろいろなところにさまよってしまいます。
・心がさまよってしまいますと、心を集中することが、ますますできなくなってしまいます。
・なので、呼吸が入って、出て行くことに気づいていくことが大事です。

4.スタ(suta:知識)
・スタとは、知識があることをいいます。
・たとえば、アーナパーナ・サティの瞑想について、多く知識があるほうがよくなります。

5.パンニャー(智慧)
・自分でわかること。
・知識としてではなく、自分で実際にやってみてわかること。
・アーナパーナ・サティの瞑想でいえば、実際にやってみて、それがわかることをいいます。

6.ヒリ(慚:ざん)
・悪いことをするのが「恥ずかしい」こと。

7.オタパ(愧:き)
・悪いことをするのが「怖い」こと。
・6番目の「慚」と、7番目の「愧」はとても大事です。
・「ヒリ(慚)」と「オタパ(愧)」があれば、悪いことが一切できなくなる。
・悪いことをすることがなくなると、地獄に堕ちることがなくなります。
・戒律を守ることだけでなく、悪いことをするのは恥ずかしい、怖いとするのが大切です。
・「ヒリ(慚)」と「オタパ(愧)」を持っているだけで、ソータパンナ(悟りの初門の「預流果」)と同じように、地獄などの悪趣におもむくことはなくなります。
・「五戒」と、「ヒリ(慚)」と「オタパ(愧)」を護持するのが大切です。

8.ビリヤ(精進:努力)
・瞑想するときも努力(精進)が必要です。努力しませんと、瞑想もうまくできるようにはなりません。
・瞑想で大事なことは、三番目の「サティ(念)」と、この「ビリヤ(精進)」の二つが大事です。
・この二つがありませんと、瞑想を続けることができなくなります。
・ですので、瞑想をするときには、サティ(念)とビリヤ(精進)がありませんと、まずできません。

9.「根(こん:感官、六つの感覚器官)」を護ること
・根には6つあります。「眼、耳、鼻、舌、身、意」の根を守ることです。
・瞑想をするときには、眼で、見たいものを意のままに見ないほうがいいですね。眼も、自分で見る範囲を決めるのも大事です。
・耳も、音楽や歌を、意のままに聞くのを控える。
・鼻も、良い香りだからといって、欲するままに嗅ぐのもよくない。
・舌も、美味しいものだけを食べたいとか、嫌いなものを食べたくないとか、選り好みをするのはよくない。
・身(体の感触)も、感触のよいところだけを触ったり、やわらかいものだけを触りたいとか、選り好みすることはよくない。
・心が、心で考えるときは、良いことだけを考えて、悪いことは考えない。

10.食事を適切にすること
・食事が美味しいからといって、お腹いっぱい食べたりしてはいけない。
・適切な量の食事をすることです。
・美味しいものだけを選んだり、嫌いなものを食べないとかではなく、体が元気になるように、瞑想ができるように、適切な量の食事を取ることです。

11.活発・生き生きしていること
・活発にし、生き生きしていることも大切です。
・そのためには、12時間のうち1/3(4時間)の睡眠がおすすめです。

12.「第一禅定」を得ること
13.「第二禅定」を得ること
14.「第三禅定」を得ること
15.「第四禅定」を得ること

・12~15に関しては、禅定に関することですので難しくなります。
・アーナパーナ・サティの瞑想が深まっていきますと、月や太陽のような光(ニミッタ)が見えてきますが、これは瞑想が進んできている印になります。
・ニミッタに少なくとも1時間集中できるようになると、第一禅定になり、第二、第三、第四と禅定を深めていくことができます。
・以上が、瞑想実践者が行う15項目になります。


Q&A

Q.「歩行瞑想」で禅定に到ることができるのでしょうか。また、歩行瞑想でミニッタが出てくることは無いとは思いますが、禅定とニミッタは関係ないのでしょうか?
A.歩行瞑想では、禅定が得られない。なぜなら、歩くからです。歩いていると、心が動いてしまいます。また、歩きながらニミッタに集中することはできませんし、歩行瞑想では禅定は得られないと思います。
瞑想には、4種類あります。
・寝ながら
・立ちながら
・座って
・歩きながら
このうち、禅定を得るには座った瞑想になります。寝ながら、立ちながら、歩きながらでは禅定を得るのは難しいと思います。

Q.アーナパーナ・サティ(呼吸瞑想)において、禅定を得るには、ニミッタは必ず見えるものなのでしょうか。ニミッタが見えていないと、禅定は得られないのでしょうか。人によっては、ニミッタが無くても禅定が得られるのでしょうか。
A.ニミッタが無く、禅定になったとはいえません。ニミッタのように、何か集中する対象がありませんと、禅定にはなりません。

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2.アーナパーナ・サティと八正道

1.正見
・出入りする呼吸がはっきりとわかること。
2.正思惟
・常に入ってくる呼吸と出てゆく呼吸に心を置くこと。
3.正語
・正しい言葉。戒律(五戒)を守っていれば、悪い言葉を言わない。
4.正業
・正しい行い。戒律(五戒)を守っていれば、悪いこともしない。
5.正命
・正しい生活。戒律(五戒)を守っていれば、生活や仕事も真っ当になる。
6.正精進
・正しく努力をすること。アーナパーナ・サティを努力すること。
7.正念
・正しい気づき。アーナパーナ・サティにおいて、呼吸に気づいていること。
8.正定
・正しい禅定。アーナパーナ・サティで禅定を得る。
・3.4.5は、戒律(五戒)を守れば、これらに相当します。
・1.2.6.7.8は、瞑想に関することになります。
・瞑想が、どれだけ進んだかは、この八正道で確認することができます。

3.七歳で阿羅漢になったアニタの話し

アニタは、七歳で出家して沙弥(比丘ではなく具足戒を受けていない少年)になりました。アニタは、サーリプッタ(舎利佛)尊者の元で出家しました。
ある日、アニタはサーリプッタ尊者と一緒に托鉢(たくはつ)に行きました。托鉢にいったときに、畑に水を回す灌漑(用水路)を越えていきました。
このとき、アニタは、サーリプッタ尊者に、「これは何ですか」と尋ねます。
サーリプッタは「これは灌漑設備(用水路)ですよ」と。
「では、この水は生き物ですか?」と尋ねます。
「いいえ」と。

そこで、アニタは「生き物ではない水でさえも、使い方によっては給水や排水に使うことができるのか。それなら、生きている人間であるなら、やりたいことがやりたいようにできるだろう」と考えます。
さらに歩いていくと、矢をとがらせる人達を見かけます。
矢が弓で射られる光景をみたときに、アニタは「この矢は生き物ですか?」と尋ねます。
サーリプッタ尊者は「いいえ」と答えます。

そこでアニタは、「生き物でもない矢であっても、弓で射るとまっすぐ飛ぶことができるなら、生き物である人間なら、瞑想などやりたいことを目標にして達成することができるだろう」と考えました。
さらに歩いて行くと、木を切っている人達を見かけます。
木を切っているところを見たとき、アニタは「この木は生き物ですか?」と尋ねます。
サーリプッタ尊者は「木は生き物ではありません」と答えます。

これを見てアニタは、「生き物でない木であっても、自分の思うように切ることができる。それなら人間であるなら、自分の目標に向かって達成することができるのではないかと」と考えます。
生き物でないものであっても、人間は、用途によって使うことができる。それならば生き物である人間は、瞑想の修行していけば、瞑想を達成することができるだろうと考えます。
七歳のアニタは、こうした思いで修行し続けたところ、七歳で阿羅漢になることができたといいます。


イマーヤダンマーヌダンマパティパッティヤーブッダンプージェーミ
Imaya dhammanudhamma patipattiya. Buddham pujemi.
(私は、ブッダの教法に従って実践し、ブッダを敬い尊びます)
イマーヤダンマーヌダンマパティパッティヤーダンマンプージェーミ
Imaya dhammanudhamma patipattiya. Dhamman pujemi.
(私は、ブッダの教法に従って実践し、ダンマを敬い尊びます)
イマーヤダンマーヌダンマパティパッティヤーサンガンプージェーミ
Imaya dhammanudhamma patipattiya . Sangham pujemi
(私は、ブッダの教法に従って実践し、サンガを敬い尊びます)

サードゥ、サードゥ、サードゥ。

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2012/8 宝台樹高原

  • 6
    8月に合宿の行われたみなかみ町藤原は宝台樹山のふもとにあり、冬はスキー場になる高原風ののどかな村です。

2009年クムダ・セヤドーのお寺 

  • 10 セヤドーのお話を聞く
    ミャンマー・ヤンゴン市郊外モービにあるクムダ・セヤドーの瞑想センターを訪ねた方が写真を送ってくださいました。 シーマホールも完成し、そこには富士山をバックにした仏像がまつられています。

2008/8 水上合宿

  • 雨上がり
    8月に合宿の行われた水上町藤原はまさに水の里。民宿周辺の風景をお届けします。

2008 夏の風景

  • 朝霧の沢
    夏の暑い日、川の源流では入道雲が湧き、山や木々は様々な表情を見せていました。

2008/7 関西合宿・瞑想会

  • 延命寺三門にて
    大阪、河内長野市にある延命寺は弘法大師空海が開基と伝えられ、市の紅葉名所にもなっている美しいお寺です。 ここで7月、クムダ・セヤドーをお招きして一週間の瞑想合宿が開かれました。
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