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2020年5月 7日 (木)

ディーパンカラ・サヤレー 法話(3)

2019年末より20年正月にかけて行われたディーパンカラ・サヤレーの南房総合宿での法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたり、ご協力くださった皆様に深く感謝申し上げます。

 

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合宿風景

 

アナパナ瞑想

 皆さんこんばんは。今日の法話は前回の続きです。その前に、もう一度、アナパナ瞑想のことをお話しようと思います。アナパナ瞑想は集中のためにとても必要です。皆さん、アナパナ瞑想をこの数日間、されていると思いますが、心というものがどういうものかだんだん分かってこられたと思います。なぜこのアナパナ瞑想を上達させることが重要なのかということが分かったと思います。未だにコントロールするのは難しいでしょう。でもちょっとずつ上達するように、頑張ってください。

 

サヤレー:心をコントロールするのは、簡単ですか、難しいですか。
参加者:難しいです。
どうして難しいのでしょうか? 簡単ですよ。みんな誰でも呼吸していますし、呼吸をしているときに、ここに息がありますよね。そうじゃないですか?
みんな呼吸をしています。では、心はどこにあるでしょうか。心が問題なのですね。
どうしてなかなか、集中出来ないのでしょうか。その理由を見つけなければいけません。原因はどこにあるのか、と。心が全く安定しないのは、瞑想対象に固定させたくない、という気持ちがあるからです。それが問題なのです。呼吸と共に、幸せな気持をどうやって同時に生じさせるか、ということをコントロールしないといけません。最初に、心をシンプルにさせなければいけないということです。

 

 そして、私たちの瞑想対象である呼吸というものに、まず興味を持つことです。興味があったら、長くそれを見ようと思いますよね。見ていて、かつ幸せな気持ちが生じますね。
なぜならそれに関心があるからです。たとえば、誰か好きな人がいたとして、その好きな人を見て、考えているのは、幸せ(ハッピー)ですか、そうはないですか。
参加者:ハッピーです。
ハッピーですね。恋人ではなくても、好きな人、尊敬している人のことを考えていたら幸せな気持になりますよね。そういう好きな人のことを考えているときはもちろん幸せな気持ちになるし、慈悲の気持ちも生まれます。その相手が危険な眼にあいませんように。幸せでありますように。健康でありますように。と、興味のある人に対しては、そういう慈悲の心というものも芽生えています。

 

 それでは、次のどちらが良いと思いますか。一つは、自分の好きな人に対して、良いなと思っている人に対して慈悲を送っているか、それとももう一つは、嫌いな人に怒っているか、です。関心があるという「思い」には、2種類あります。
1つは、純粋に好きという気持ちを伴った関心。
2つめは、相手に怒っているという気持の関心です。
怒りも執着ですから。ですから、智慧を使わなければいけません。良い方に、ポジティブな方に、幸せな気持ち、関心を向けなければいけません。そうすれば幸せな気持ちになります。しかし関心を悪い方向に向けると、怒りになって、幸福な気持ちにはなりません。
このように二通り、関心の方向があります。

 

 最初は誰かのことが好きだったとします。しかし、時が経つにつれ、だんだん嫌いになって、怒りが生じてきます。そうなると悪いカルマになります。最初は善いカルマだったのに。慈悲を持って、幸せな気持ちになっている、その状態での集中力というのは、正しい集中力です。サンマ−(正しい)集中力ということです。でも、悪い集中力、たとえば誰かのことをずっと怒っているというのもあり、これは悪い方向の集中力です。これは善い集中とは言えません。

 

 ですから、心にもっとサティ(気づき)を持つことが必要です。悪い感情がでてきたら、カットする、切る、ということです。そして、もっと善い感情が生まれるように、善い心が生まれるように自分の気づきをコントロールしましょう。どうですか、わかりますか。簡単ですよね、コントールするのは。みなさんには智慧があります。その智慧に従ったらいいのです。智慧タイプの人間だったらコントロールできます。智慧のある人は、善いことと悪いこと、善悪を判断できますから。それが智慧です。

 

 ですからブッダは、ヴィパッサナーによってコントロールしなさいとおっしゃいました。心が執着しないように、さまよわないように。心を常に智慧で綺麗にします。そのやり方というのは、洞察の智慧なのです。洞察すること。それがヴィパッサナーです。最初は、悟りの第一段階である、預流果(ソータパン)になるための修行をします。預流果まで達したら、将来は安泰です。もう苦しまなくてもすみます。たとえば動物に生まれたりすることはありません。預流果になることも、難しくありません。ちゃんと心をコントロールできたら簡単です。今日は20分間、呼吸をコントロールしてみましょう。

 

 今日、サヤレーは静かに後ろで座っていたのですけれども、皆さん、体はわりとしゃんとしていました。心はどこにいっていたか分からないですが。なぜなら、前に行ったら部屋が暗かったので、みんなの顔が見えませんでした。明日はカーテンを開けてくださいね。 部屋が暗すぎたそうです。顔を見たら皆さんの心が読めるそうです。ですから皆さん、明日は気をつけて。明日もチェックしにくるそうです。

 

 皆さん、心を20分~30分ちゃんとコントロールすればいいのです。そうしたら、皆さん多くの人はすでにニミッタが見えているので、ニミッタがもっと安定してきたら、もっと深い集中に入れます。それが一時間、二時間続くようであれば、ジャーナ(禅定)に行けます。
 ジャーナのことは、皆さんすでにご存じですね。ジャーナというのは深い集中力、という意味ですけれども、そういうもっと深い状態になったら心はかなり安定してきて、とても安定してくるのです。そしてその安定した心はたいへん力強いものなので、パワーがあります。ですから、なんでも見抜こうと思うものをきちんと洞察できるのです。それは集中によってできます。そういう集中を手に入れたら、今度は身体の方を洞察していきます。そして内側を見ていきます。

 

ヴィパッサナー

 ヴィパッサナーというのは自分の、あるいは他人の本質というものを知ることです。つまり、なんであれ、内側と外側の対象の本質は何かということを知るということです。
昨日説明しましたが、ヴィパッサナーというのは、自分の体を理解するということなのです。それは先日説明した、四界(地水火風)とか、体の感覚とか、32の身体の部分とかを全部、チェックしていきます。

 

 いまあなた方の集中力で身体の中を見ようと思って32の身体の部分は見えますか。できないですね、難しいですね。ですので、それらを見るためには、私たちは集中した心が必要になります。顕微鏡みたいに、身体の内側や外側を粒子レベルまで細かく観察出来るように。集中力を身につけると、後々になって、32の身体の部分を全部くっきりと見ることが出来ますし、その中の四界(地水火風)も見えますし、感覚とかも見えます、自分の内側の。

 

 そして皆さん、こういうことも理解していけます。身体の内臓の細かい部分を見ていくと、それらは汚いもので、心地よくないものだな、気持ち悪いものだなという智慧が生まれます。そしてこういうものからの執着を断ち切らなければ、と思うのです。そしてそれは、皆さんが好きな人、執着の対象となる人、愛している人も同じように中に内臓を持っていて、同じようにそれらは汚くて厭うべきものだと理解することができます。そういうことを理解する、見るのが、ヴィパッサナーの第一段階です。

 

 例えば内臓一つにとっても、皆さん、執着がありますよね、これは私の心臓だ。他人にはあげたくない、と。心臓をお布施してくださいと言われたら、しますか。しないですよね。みんな心臓をあげたくはないですよね。私から離せません。血液でもそうです。血だって私ものですよね。たとえば蚊にだって血をあげたくはないです。蚊一匹でどれだけの血をとっていくのでしょうか。ちょっとだけです。それでも刺されたら怒りますね。こういうふうに私たちは、執着を手放せないのです。「これが私の身体だ」とか、「これが私の内臓だ」とか思っているのです。

 

 ですからブッダは全部分解して見なさい、全部を粒子レベルまで分解して見なさい、とおっしゃられました。そうしたら粒子がパッパ、パッパと、生じては消え、生じては消えを繰り返している、そしてそれが本質なのです。それは無常という本質なのです。それは内臓だってそうなのです。生じては消えを繰り返しています。ですから私たちは内臓もチェックしていかなければなりません。どんな内臓だって全部、地水火風の四界で出来ていて、それの中も全部粒子レベルになっています。粒子というのは物質なのです、ルーパなのです。

 

 そして、物質というのは四つの原因のどれかで出来ています。あらゆる内臓も、4つの原因のどれかで出来ています。先日説明した4つの原因を覚えていますか。眼の奥の中心部分に、透明な小さな粒子がありますね。この透明な物質は4つの原因のどれで生じていますか。
参加者:カンマです。
そうですね。カンマで作られる物質には10個の特徴がありまして、その中の一つが「透明」なのです。他の3つの原因から生じた物質は、あまりキラキラ輝いておらず透明ではありませんが、このカンマによって生じた物質は他とは違ってキラキラと輝いています。カンマ以外の3つの原因は、覚えていますか。心(マインド)、熱(ヒート)、栄養素(ニュートリメント)です。

 

 4つの原因でできた物質が、眼の中に入っています。全部、4つのどれかで出来たものが眼に入っています。そのほかの内臓だってそうです。ですのでブッダは、この眼の奥の一番透明な部分は、カンマで出来た物質だとおっしゃっていますが、それもやはり不安定なのです。現れては消え、現れては消え、という現象をものすごく早く繰り返しています。そして残りの3つの原因で出来た物質も、同様に現れては消え、現れては消え、をパッパ、パッパ、と早く繰り返しています。それが本質なのです。

 

 眼だけではありません。どんな自分の中にある物質も、自分の外にある物質も、現れては消え、現れては消えを繰り返しているのです。そういう物質の本質というものは、「無常、苦、無我」です。どんな粒子であっても、自分のものではありません。眼だってそうです。なので、そういうふうに分解してみたら、どんなものだって、自分のものではない、心臓だって肝臓だって、どんな内臓だって自分に属していないし、自分のものとは言えないのです。どうですか、わかりますか。

 

 ですので、これは“あなたの”奥さんでもないし、“あなたの”旦那さんでもない、ということなのです。今できなくても、将来はこのように考えてください。いつか起きることなので。明日にでも、もしかしたらあなたの家族の誰かが亡くなるかもしれません。そしたら、それはあなたのものですか。その死んだ人はあなたのものですか。もしそんな風に実際に家族のメンバーが亡くなってしまったら、自分のものではない、という考えも受け入れられるかもしれませんが、今は難しいですね。でも、もし粒子レベルまで物をはっきり見ることができたら、この考えは受け入れられますし、手放せるのです。これは自分のものではない、ということで。これが聖者への道なのです。

 

 なので、すぐ修行をしましょう。苦しみから逃れるために。妻とか、旦那とか、子供がいたら、忙しいですね。それにかかずらわされますね。義務も増えますし、執着も増えます。執着がなければどこに行くのだって簡単に行けますし、心配しません。ですので、もっとダンマを勉強する必要があるのです。執着をなくして、何でも手放して、幸せな平和な気持ちになること。そして悩まないことです。

 

12縁起

 ここまでは物質の本質を学びましたけれど、それでは、心の本質はどうでしょう。心も同じですね。心と物質の本質というものが分かれば、12縁起が分かるようになります。心と物質の原因と、それによってなにが生まれるかというチャートみたいなものを理解することが出来ます。皆さん、今生でどんな善いカンマをしたか覚えていますか。覚えていなかったら「12縁起の瞑想」はできません。12縁起をはっきり出来なかったら預流果へも行けません。集中した心を持っていなければ、過去世だって見通すことが出来ません。
そういう心がちゃんとあれば、難しくないですよ。ジャーナに入れる心があれば簡単です。

 

 昨日どんな善いことや悪いことをしたか覚えていますか。どんな善い心が生じたか、悪い心が生じたか、覚えていますか。まぁ、過去のことは終わったことなので、思い起こすことが出来るでしょう。なんで覚えてないのでしょうか。サティ(気づき)がしっかりあれば、思い出せます。
 一ヶ月前はどうですか。 何かしたことを覚えていますか。一ヶ月前どんなことが起きましたか。覚えていますか。一ヶ月前が無理なら二、三ヶ月前なんてもっと無理です。一年前はどうでしょうか。ここでサヤレーと一緒に何をしていたか、覚えていますか。大勢の方が私と一緒に修行したことがありますよね。去年私が何をしゃべったか覚えていますか? 「アナパナ」って言ってはだめです。アナパナは毎回しゃべっていることですから(笑)。他の法話のお話を、覚えていますか、覚えていませんか?

 

 こんな風に、数か月前のことも思い出して、お腹の中にいた時まで思い返します。それは、集中力があれば、とても記憶力が良くなるのです。なんでも思い返すことができます。お腹の中でどんな形をしていたかだって思い返せます。9か月目、10か月目、お腹の中でどんな姿だったかとか、お腹の中でどんな風にして生きていたか思い返せますか?
強い集中力を使えば、お母さんのお腹の中で、どんな形だったか、どういう体つきだったかを思い出せます。お母さんがお腹の中で、あなたをどんな風に守っていたかを思い出せます。どんな風に栄養を与えて、熱やあたたかさを与えていたか。慈悲だって送っていました。そのお母さんが送る慈悲があなたに届いていたのです。そういう慈悲とか、いろんなものが、お母さんから届いた時、体にちゃんと届いて、とても感謝の念があったのです。

 

 赤ちゃんの時や過去の映像を見たいと思ったら、ヴィパッサナーを使います。まず、決意をします。「私は過去世を観たい」と決意するのです。それから、ヴィパッサナーで、お母さんのお腹の中にいたとき、ナーマ(心)とルーパ(体)が生じて滅するのを観察します。そして心はババンガ(有分心)に落ちますが、その時に過去の映像が現われます。
ババンガ(有分心)というのは、例えば眠いとき、トロンとなっている時に陥っている心の状態です。眠いときは、善悪とかがありません。そういうことを判別しない心です。

 

 人それぞれ状況が違うから、過去世で人間だった方もいるし、動物だった方、天人(デーヴァ)だった方もいます。そういう違いを見つけるために、自分自身をチェックします。
過去世で動物だった方が人間に生まれかわろうと思ったら、良いカルマが必要です。今生につなげるための良いカルマがなければ、人間に生まれることは簡単ではありません。なんだかんだサポートがあって、皆さん人間に生まれたのです。また過去世で、「男性に生まれたい」とか、「女性に生まれたい」とか考えていたかどうか、迷いの気持ち、愚かな気持ちがあったかチェックします。例えば、「来世は男性に生まれたい」とか、「天人に生まれたい」とかいう心があったとして、それは邪見、邪(よこしま)な見解と理解しましょう。どういう無知があったか、どういう良い心があったか、どういうカルマを自分は作って来たか、というのをしっかり見ます。

 

 過去世を作ったのは、原因があります。今、人間として正しい見解を持っていますか。邪見を持っていますか。どっちでしょうか。 来世でどこに生まれたいか、という事です。死んだら、どこに生まれ変わりたいですか。生まれ変わりたくないですか?  
天界に生まれたいとか、動物とか、人間界とかありますか。何の予定もないですか?  
人間界が良いですよね、またダンマも学べますから。

 

 しかし、「人間界に生まれたい」、これは邪見です。「天界に生まれたい」、これは邪見です。正しい見解って何でしょうか。「正見」って何でしょうか? 男性でもなく、女性でもなく神々でもない。「ただの粒子」と見る事です。こういう「何々に生まれたい」という執着のせいで、永遠に輪廻を繰り返すわけです。生まれ変わって終わらないのです。ですから、ブッダはヴィパッサナーで理解しなさい、とおっしゃったのです。未来、何も望まない。私が欲しいのは涅槃だけだと。どんな欲望も、どんな来世もいらないのだと。これが十二縁起です。

 

 全ての輪廻の鎖を断ち切るのです。続く輪廻の続きを、切るのです。この執着のために、お母さんのお腹の中に生まれついて、生まれ出なければなりません。こういう執着の意識のせいで、またお母さんのお腹の中に入ってしまいます。この意識のせいで、また心と物質がお母さんのお腹の中で、作られていきます。母親のお腹の中では、物質がまだ小っちゃくて、カルマでできた物質しかないのです。
 数日立つと、「6つの感覚器官」が生まれます。眼とか耳とか鼻とか作られていきます。デーヴァ(天人)で産まれたら、完全体でできあがっているのですが、人間の場合はお母さんのお腹の中でちょっとずつ形が出来上がってきます。

 

 「6つの感覚器官」が、眼とか耳とかができたら、そこは「接触」する場所になります。外的な対象物が、例えば音だったら、耳にポンとあたりますし、視覚対象だったら、眼にポンとあたります。お母さんのお腹の中にいる状態では、まだ眼が開いてないので、そんなに視覚的な対象物をとらえて執着とかそんなにありません。対象物と「接触」がないので、執着もありませんし、それを対象と接して幸せとか嫌だとかありません。

 

 「接触」が起きるために基盤ができるのです。対象物をとらえるための基盤ができる。それに対して感じる心、入口が開きます。そして思考がくるくると動いていくのです。そして「感情」というものが生まれます。そして「感情」が生まれたら、「執着」が生まれます。良いとか悪いとか、ジャッジしてしまう、その執着が来世、生まれ変わりを作ってしまいます。執着があるために、良いなと思うもの、好きな人からは離れたくないし、いやだなと苦しいと思うものから離れたいと思います。嫌いな人とは、あまり近づきたくない、仲よくしたくないですよね。そうすることって結構苦しいですよね。そうじゃないですか。

 

 そして、私たちの体もじょじょに老いていきます。老いも苦しみです。自分が歳とるなと思ったら、幸せですか嫌ですか? 嬉しくないですね。綺麗じゃなくなったら、嬉しくありません。それは苦しいですよね。
 老いることで嫌なのは、あちこち痛くなることです。それもまた苦しみです。歳とって1つ別の悩みは、自分の旦那さんが自分を嫌いになるのではないか、歳をとって、綺麗じゃなくなるから嫌いになるのではないか、そういう自分の旦那の感情までケアしなければいけないし苦しいですよね。

 

 体をもつことは、全くもって苦しみです。また病気になることだって苦しみですし、幸せじゃないですね。たとえばお金があっても、たとえまわりにたくさん人がいても、自分の具合が悪かったら嫌でしょう。体があるかぎり、それが本質で、それは起こりうることです。ですので、輪廻・来世の苦しみに繋がっていきます。ですからブッダは、「ヴィパッサナーで物質の本質を見なさい」とおっしゃったのです。もっと見ていけば、もっと過去世を見ていけます。人間は生まれて死んで、また生まれ変わるわけです。それは天人に生まれても、いつかは死ななければならなくて、またどこかに生まれ変わらなければいけません。

 

 ですので、たくさんの過去世を見ていくと、天界に生まれたり人間に下がって生まれたり、上がったり下がったり、いろいろ繰り返しているのです。それは退屈なこと、時間の無駄なこと。「私はもうそんなに、どこにも生まれ変わりたくない、輪廻はいらない」と、ヴィパッサナーはそれを洞察することなのです。それを作っているのが、執着だったのです。

 

 今サヤレーの身体は病気ですが、軽くしたいと思っています。それは、身体への執着ではなく、皆さんとちょっとでもダンマをシェアしたい、教えたいという想いからです。でも命の本質が苦だということをわかって下さい。これは、皆さんが将来修行するためのちょっとした説明なのです。集中力を得た後の話でして、今日の瞑想合宿は、短いですから集中を得るくらいまでしかいかないですけど、もっともっと長い瞑想合宿とか修行に入ることができましたら、もっとシステマティックに系統だてて十二縁起のヴィパッサナーの修行をして、生まれ変わりの輪廻に対しての執着もなくなるまでできます。

 

 あなたにもし良い波羅蜜がありましたら、私が説明したことを実際に実践して、預流果になれます。簡単でしょう。今日の法話はわかりましたか。まだまだ執着は手放せないですよね。実際に内側を見られるようになったら、手放せますし、それから涅槃にいけます。わかりますか。これが悟りの第1段階、預流果へのレベルです。

 

 ヴィパッサナーをするためには、心と物質をみるための集中力が必要です。集中力を鍛えるためには、サティ(気づき)が必要です。サティがサポートしてくれます。これは同じ心所のグループにいます。集中する心のためには、集中しようと思ったら、心はものすごく澄んで透明で、そして安定していなければならないのです。まるできれいな水みたいに。そしてようやく集中力が得られるわけです。

 

 ではどうやったら、心を清められるかというと、それは戒を守ることです。八正道のうちの正語、嘘をつかないとか、正しい行いをする。殺生しないとか、正しい生業、職業として仏教的に推奨されない職業をしないとか、そういう心で戒を守って良い心を作ります。ですから、五戒を守ったり、八戒を守ったり、心を清らかにしていきます。そして、柔らかくもっと慈悲の心を持つようにします。戒を守っていたら、集中もしやすくなって、戒と集中力があれば、ヴィパッサナーも簡単で、ヴィパッサナーによって、正しい理解が得られたら、執着も断ち切ることができます。

 

おさらい

 おさらいです。復習します。眼にある物質は、四つの原因でできている物質です。今日、預流果までの話をしました。次回の法話で、阿羅漢の悟りの段階をします。今日の法話は忘れないように。4つの原因からできる物質を覚えていますか?
 カルマからできる物質と、残りの3つの原因によってできる物質は違いますね。カルマによってできる物質は、10種類の性質がありますが、他の3つは8つの性質しかありません。まず、「地水火風」ですね。粒子のグループが1つあったら、その中に「地水火風」の4つ性質全部が入っています。それから「色、匂い、味、栄養素」、その8つです。この8種類の性質は、どんな物質の粒子のグループ集団の中にも絶対に入っているので大事なのです。

 

 カルマによってできる物質では、それとは別に2つの要素があります。1つは「命根」。命根は物質の寿命を支え、動かすための振動を与えています。動いているから、命があるから、明るいのです。眼の真ん中が、透明でキラキラしているのは、カルマでできた物質、つまり「命根」と「透明な要素(浄色)」が多いからなのです。
 10番眼は眼の「透明な要素」です。残りの原因でできた3つは透明ではありません。「透明な要素」のおかげで、外的な物質と接触ができるわけです。耳も実は、耳の奥に透明な部分があって、そこが音という物質と接触できるところなのです。耳の対象物は音。鼻や舌もそうですね。鼻は匂い、舌は味ですね。身体も触感、触り心地を感じられるものがあるのです。心も感情という対象物を接触できるところがあるのです。心臓のところにある心基(しんき)です。

 

 今日の法話は忘れないように。次回はこの続きから入りますので、1人ずつ質問して覚えているか確認しますからね。難しい法話でごめんなさい。でも将来、修行するとき役に立つと思います。 今日は新年です。元旦なので、幸せな気分になってほしいのですが、難しい法話だったので苦痛でしたでしょうか。ごめんなさいね。
皆さん、あらためて、“明けましておめでとうございます”

 

       サードゥ!   サードゥ!   サードゥ

 

          (2020年1月1日 南房総合宿での法話  通訳:川本佳苗さん)   

 

 

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