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2019年12月10日 (火)

クムダセヤドー 法話(8)

2019年5月、来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。

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会場付近の風景

村娘ペーターオリの話
 今日は、ペーターオリという女性のお話です。カッサパ仏陀の入滅後にパゴダを建てていました。ペーターオリは母親と連れ立って歩いていて、建設中のパゴダを見て母親に「これは何をしているんですか」とたずねました。母親は、「お釈迦様の金や銀の舎利(お骨)を中に入れてパゴダを作っているんですよ」と答えました。すると彼女は、「それでは、私が今身に着けているネックレスもお布施したいのだけど、いいですか」と言い、パゴダを作っている方にお願いしてお布施をしました。そのパゴダの場所は、昔の名前で「ナーラカ」といいます。それが今でもまだインドにあります。セヤドーもそこに行ったことがあります。昔大きな大学があった「ナーランダ」というところです。その大学の遺跡は現在もあります。ペーターオリはこのお布施をしたおかげで、何度も天界へ生まれ変わりました。彼女は、お釈迦様の時代にまた人間となってこの村に生まれ変わりました。

 母親はいつもの店へ彼女をお使いに行かせました。その店は代々お金持ちの家でしたが、親が亡くなり息子の代になると、財産が石や割れた瀬戸物などになってしまいました。それは、息子の前世の悪業の影響だったのです。彼は、その石や割れた瀬戸物などを店の前に出していました。ペーターオリは油を買いに来たのですが、店の人が金や銀をお店の前に置いているのを見て、「なぜ金や銀を家の中に置かないで、店の前に出しているのですか?」とたずねました。彼女には、その石や割れた瀬戸物が金や銀に見えたのです。店の主人は、そのことに驚いて、きっと彼女はとてもパワーがある人だと思いました。そして、自分の息子とこの娘さんを結婚させたいと思いました。主人は、娘の親に結婚の許可をもらうために、「この金や銀をさしあげますので、自分の息子と結婚させてください」とお願いしました。そして、息子と結婚させ、ペーターオリを家に一緒に住まわせました。石や割れた瀬戸物で一杯の部屋を彼女に見せると、「金や銀などの宝物ばかりですね」と言いました。店の親は、「あなたのパワーで財産に見えるようだから、すべてあげますよ。そして、あなたがくれるものだけで、私たちは生活します」と言いました。

 セヤドーもこのような経験をしたことがあります。セヤドーが生まれたところはミャンマーのちょっと上(北)のところです。そこは、内戦していたところなので、人々は自分達の財産が盗まれてしまうから土の中に埋めました。そして内戦であちこち逃げたり死んでしまった人もいて、埋めていたところが分からなくなってしまった人もいました。ミャンマーではそういうことがたくさんあります。セヤドーはその時10歳くらいで、お金持ちの親戚がいました。彼らは子ども達に財産をどこに埋めたか教えていたようでした。その子ども達は、内戦が終わり財産を掘り返すことにしました。セヤドーも土を掘るのを見ていました。しかし運がよくなかったようで、金や銀は何も出てきませんでした。すべて炭だけでした。他にも、目印をつけて財産の場所を覚えていた人が、内戦が終わり戻って掘ってみてましたが、何もなくて本当に土だけだったということもあったようです。

 そして、セヤドーは大きくなりお坊さんになって、マンダレーへ勉強しに行きました。セヤドーの生まれた村は火事で全部焼けてしまっていました。新しい村ができ、もとの焼けた村の辺りは田畑になっていました。運のよい人達が何気なく畑の土を掘った時、金や銀が出てきました。ミャンマーでは、昔のイギリスの金貨や銀貨を使っていました。それが出てきたのです。昔はその金貨や銀貨で商売をやっていました。ちなみに、その金貨や銀貨も良いものと悪いものがあります。投げて地面に落ちた時の音が違います。いい金貨は、チーンと鳴る。悪い金貨はギャーンと鳴る。カンマのいい人は、何もしなくても運が良いのです。他の人が石や割れ物に見えても、自分には金や銀に見える。本当にカンマが悪い人は、自分のものだけど炭とかになってしまう。なので、カンマがいい人は掘るだけでも金や銀が出てきますね。

 先ほどの話を続けます。ペーターオリは「ナーラカ(現ナーランダ)」に生まれ変わっていました。そして店の人と結婚して、商売は彼女が全部指示して仕切るようになりました。サーリプッタ尊者もこの村出身です。尊者は自分が死ぬ時、生まれ育った「ナーラカ」に戻りたいと思い、お母さんの家に帰りました。お母さんがソタパナ(預流道)に悟るようにさせて、尊者はその村で死んでしまいました。尊者の遺体を燃やすために、香木を使いました。みんな尊者のお棺のところに集まってきました。彼女も、尊者がお釈迦様の弟子であることを知っていて見に行きたくなり、義理の父母に許可をもらおうとしました。金箔でできた花を持って行こうとしていました。義理の父母は人がたくさん集まっていて危ないからと止めましたが、彼女はどうしてもお布施をしたくて出かけて行きました。サーリプッタ尊者は有名だったので、王族たちも見に来ていました。昔の王様達は象に乗るので象もいました。ある象は気が立っていて危ない状況になっていましたが、大勢の人がいるので捕まえることができません。象は怒って暴れるので、大勢の人があちこち逃げまどいました。ペーターオリは、雑踏にのなかに倒れ、皆に踏まれてその場で亡くなってしまいました。

 そして彼女は天界に生まれ変わり、千人の天女の弟子のいる天女となりました。そこで、彼女はなぜ自分が天国に来たのか知りたくなり、いろいろ調べて分かりました。前世でサーリプッタ尊者の葬儀に金箔のお花や香木をお布施したからです。彼女は、天国にきて千人の弟子の天女たちと一緒にいること、自分が財産を多く持っていることが嬉しくて、もっとお布施したい、良いことをしたいと思うようになりました。その頃人間界にお釈迦様がいらっしゃいました。彼女は、弟子の天女たちと一緒にお釈迦さまのところへ降りていきました。お釈迦様のお世話係、ワンギーサ長老は、天女を見ることができました。ワンギーサ長老は、なぜそんなに財産がある天女になれたのか質問したくなり、お釈迦様に許可を得て聞きました。彼女は、「私がなぜこのように美しく善い天界で、千人の弟子の天女を持っているかというと、前世でサーリプッタ尊者の葬儀に金箔の花と香木をお布施したからです」と答えました。

楽を探して、苦ばかり集めている
 この話で言いたいことは、自分が持っている物(金や銀など)は、本当は自分の物ではないということです。「ルーパ(物質)は、自分のものではない」。ルーパは全部、私達のものではないのです。なので、そのルーパを、こだわらずにそれを捨てなさい、ということを言いたいのです。
 さきほどの話の中で、高価な金や銀はルーパですね。そのルーパを自分達は好きになっているのです。好きになっていること自体が苦(ドゥッカ)なのです。苦を好きになっているのです。ルーパ(物質)は本当は自分のものではないのに、自分たちのものとして好きになっていること自体が苦です。私たちの体もルーパ、私たちの持ち物もルーパですね。そのルーパを全部好きになったら、苦になってしまうのです。苦を好きになったら、苦から逃げられません。私たちはこのようになっているのです。自分の体というルーパ、自分の物というルーパ、全部好きになっているのです。そういう苦から抜け出せないのです。ですから、苦を好きになる限り、私たちはその苦から全く抜け出せないのです。ヴィパッサナー瞑想まで行かないと、苦から抜け出せません。

 私たちは今、仕事をして財産を集めたりしていますね、それもルーパです。そのルーパを好きになっていることが苦だと言いました。その苦から抜け出せないのは、私たちはまだヴィパッサナー瞑想をしていないから、苦ばかり集めているのです。苦ばかり集めていると、苦から抜け出せなくて、楽(スカ)にならないのです。本当は私たちは楽(スカ)を探しています。しかし、楽を探しても見つからないのです。

セヤドー(参加者に):Aさん、楽(スカ)は見つかりましたか?
参加者:この合宿に来ていますので、スカです(笑)。・・・スカは一瞬で、後は苦ばかりです。

 私たちは本当は「楽(スカ)」を探しているんですが、見つからなくて苦ばかり集めて苦ばかりになっています。ある比丘尼が言っている言葉があります。「自分たちは本当は楽(スカ)を探しているのに、苦(ドゥッカ)だけもらって後は自分達には何も残っていない」のです。この意味はちょっと深いのです。苦が生まれて、苦が壊れて、そして苦以外は何もないのです。苦がやってきて、苦がなくなって、あと自分達には苦しか残っていないのです。

参加者:「苦はなくなったのではないですか?」

楽(スカ)は無いのです。なので、苦だけが残っているのです。苦が生まれ、苦が壊れて(それが繰り返されて)、楽(スカ)がない。私たちには苦しか残っていないのです。

楽を見つけるにはヴィパッサナー
セヤドー:阿羅漢になりたいですか?
参加者:なりたいです(笑)
 皆さん考えてください。楽(スカ)の時間って本当にわずかではないですか。あまりないじゃないですか。自分が幸せだな、と思う瞬間が本当にありますか? それはいつまでもない。楽(スカ)は。皆さんが生まれてきてから、大きくなって朝起きて目を開けてから楽(スカ)を探しているんですね。探すのは、死ぬまで探し続けています。だけど私たちはまだ楽(スカ)の時間が見つかっていない。楽(スカ)の時間を本当に見つけるためには、ヴィパッサナー瞑想をしないと見つからない。ヴィパッサナー瞑想をしていると、涅槃を見ることができるのです。涅槃を見ることができたら、本当の幸せはこれだな、と分かってくるのです。だからヴィパッサナーができない限りは、涅槃も見ることができないし、幸せはないから、楽(スカ)ではない。そしてヴィパッサナーができるためには、毎日やらないといけないですね。その積み重ねで、毎日やることが大事です。

 今私たちが探しているダンマは、本当に深くて重いから中々見つけるのは難しい。簡単にはできない。私たちは今ダンマを探しているのです。幸せになりたい。そのダンマを探すために、譬えでセヤドーがおっしゃっているのは、「エベレストのように大きな山のふもとにある小さな種を探すのは難しい」ということ。そのように、私たちが探しているダンマは、とても難しくて意味も深くて中々見つかり難いものです。10日間では足りないです。それを今セヤドーがたとえで話しています。難しいので、長い目でみてやらないといけません。セヤドーが今話していることを皆さんが少しでも分かるだけでも波羅蜜になります。皆さんは他の人よりは波羅蜜がある方々なので、分かるのです。今の話は、他の人(普通の人)に言ってもあまり分からない話なのです。私たちは今聞けること、理解するだけでも、波羅蜜があります。しかし、皆さんが怠けものなので・・・(笑)。皆さんがんばってください。今日はここまでです。

   サードゥ!  サードゥ!  サードゥ!

(2019年4月30日  みなかみ合宿での法話)

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  • 6
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2009年クムダ・セヤドーのお寺 

  • 10 セヤドーのお話を聞く
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    8月に合宿の行われた水上町藤原はまさに水の里。民宿周辺の風景をお届けします。

2008 夏の風景

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    夏の暑い日、川の源流では入道雲が湧き、山や木々は様々な表情を見せていました。

2008/7 関西合宿・瞑想会

  • 延命寺三門にて
    大阪、河内長野市にある延命寺は弘法大師空海が開基と伝えられ、市の紅葉名所にもなっている美しいお寺です。 ここで7月、クムダ・セヤドーをお招きして一週間の瞑想合宿が開かれました。
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