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2019年12月

2019年12月21日 (土)

サヤレー合宿の締め切りは12月25日です

12月28日から開かれるディーパンカラ・サヤレーの瞑想合宿は12月25日が締め切りですので、参加ご希望の方は早めにお申し込みください。

日時:2018年12月28日(金)15時集合~2019年1月3日(木)12時ごろ解散(6泊7日)
会場:民宿 川きん 
〒299-2216 千葉県南房総市久枝749 
ホームページ http://kawakin.sakura.ne.jp/
定員: 40名 
参加費: 8,000円×宿泊数(部分参加も受け付けています)

申し込み: お名前・電話番号・性別・参加期間を明記の上、メール(paramifriend@gmail.com)でお申し込みください。初めての方には、後ほどご確認のためお電話させていただきます。
定員内ならば、その時点で仮予約となります。折り返し合宿案内および申込書をメールにて送付いたします。2週間以内に参加費全額をお振り込みいただき、申込書をメールにてお送りください。申込書の到着とお振込みを確認できた時点で予約確定です。

 


Dhamma


 

○台湾人グループが東京でディーパンカラ・サヤレーの瞑想会を開催します。
日時:2020年1月4日(土)9:00~16:30
場所:豊島区民センター7F会議室
東京都豊島区東池袋1-20-10
地図:https://www.toshima-mirai.or.jp/center/a_kumin/
日本語通訳あり。
入場料:喜捨

 座布団の用意がないので、座布をご持参ください。

注意:事前申し込みが必要です。
申込みフォーム:https://forms.gle/QHtfuPSTNSBagTxU7
メール:therymeditationjp@gmail.com
電話:080-1347-1893


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2019年12月11日 (水)

クムダセヤドー 法話(9)

2019年5月、来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。

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田植え前の田んぼ

将軍バンドゥーラの話
 今日のお話は、お釈迦様の時代にいたバンドゥーラという将軍と奥さんの話です。その奥さんの名前はマリカといいます。将軍はとても力持ちでした。彼がどれくらい力があるかを確かめたいというので100本の竹を切ることになりました。100本の竹を音も出さずに切れたらそうとうの力ですが、さらに竹の中に鉄の棒を入れておいて、これも切れるだろうかと。そうすると、100本の竹の棒は音も出さずに切れて、鉄の棒はどうしても音が出る。最後の一本だけ音が出た。しかし、100本の竹の中に入った鉄の棒も切ってしまいました。それほどの力持ちでした。

 そのバンドゥーラがマリカと結婚しましたが、子供に恵まれないので、マリカはお釈迦様に会いに行きました。お釈迦様に礼拝してお話しすると、お釈迦様はどこへ行くのか聞かれますので、マリカは親元に帰ると答えました。なぜ帰るのかと聞かれたので、子どもが出来ないから旦那に帰ってくれと言われて親元に帰ります、と答えました。お釈迦様は、そういうことなら親元には帰らなくて良いから、旦那さんの元に帰りなさい、と言われました。それでマリカは旦那さんのところに帰りました。

 しばらくすると、ようやく子どもを授かりました。子供ができると、マリカの振る舞いも変わってきて、やりたいことをするようになりました。王族だけで、一般の人は使えない池に行きたいと思うようになりました。その池の名前はリスミといって、今でもインドにあります。今はレンガできれいに整備されています。その池は王様やその子どもが使う場所で、よく整備されていて普通の人は入れないようなところです。王族以外は入れない池に、奥さんが行きたいと言いだしたのを聞いて、旦那さんは、行きたいなら連れて行こうと言って、馬車に奥さんを乗せ、武器も積んで連れて行きました。池は警備が厳しいのでなかなか入れませんが、警備兵に話をつけて、将軍も奥さんも入りました。それで、池の水を飲んだり水浴したりしました。

 一般の人が池を使ったので、王様と子どもたちや王族は怒りました。それでバンドーラを殺そうということになって将軍のところに向かいました。王族たちも怒りから将軍を殺そうと追いかけました。ところで王族の中に将軍と一緒に学校で勉強した人がいて、将軍の力を知っているから、行かないように止めました。王族は怒りが収まらず殺そうと追いかけました。将軍をよく知る人は、力があって誰にも比べものにならない人なので、行くとしたら注意するようにと。何を注意するのかと言うと、馬車の車輪が土に深くはまってしまったら、そこで止まって戻って来るようにと言いました。将軍はとても力があるので弓矢を引くと千人射ってしまうほどだ。千人の力で引いても矢が動かないのに、将軍が引くと動かせるくらい力がある。力を込めて足をふんばり、矢を引くとその力で下の土が深くへこんでしまう。そんな力があるのです。

地面がへこんでいるのが見えたら戻って来なさい、それでも追いかけると命がないと注意しました。矢を引くときに、雷みたいな音がするので、それが聞こえたらもう先に行かないように。そのまま追いかけたら命がなくなるので、それだけは気をつけるようにと注意しました。それにもかかわらず王族達は将軍を追いかけました。将軍は部下に、車輪の走ったわだちが真っ直ぐになっていたら教えるように命じました。後ろから追いかけてきた王族の馬車が、真っ直ぐに並んだ時に矢を射ると、矢がまっすぐ走って、みんなを殺すことができます。将軍にはそんな力がありました。

 将軍はマリカと結婚して子どもを授かりましたが、双子が16回生まれて32人。32人全部男です。その息子たちが大きくなって、父親のようにパワーがある者たちばかりです。将軍が力持ちで、息子たち32人が父親みたいにパワーがあるので、王様をお迎えするときも彼らの家族だけで行い、他の人は入れません。他の家来たちが嫉妬して王様に将軍の悪口を言いました。王様もパワフルな将軍の家族たちが、実力をもっているので恐れるようになりました。財産や自分の立場を奪われると思って恐れました。王様の下にいる大臣達も将軍の悪口を言い、将軍がここにいたら王様も危ないし私達も危ないので将軍をどこか遠いところ行かせてくださいと訴えました。王様は将軍を国の遠い所、内戦が起こっている所に行かせました。将軍と32名の息子たちも一緒です。将軍がそこへ行っている間に、王様は別の軍隊を行かせて将軍と息子たちを暗殺させました。

 王様の軍が将軍を殺しているとき、マリカはお釈迦様と比丘500人を家に招待して食事のお布施をしていました。食事のお布施をしている間に、旦那さんと息子たち32人が殺されたという知らせがマリカに届きました。その時マリカはお釈迦様に食事を差し上げる準備をしていました。昔なので陶器をつかうのですが、お釈迦様に差し上げようとしたら、知らせが来て動揺し、食器を落として全部割れてしまいました。お釈迦様はマリカに言います。あまり悲しまないでください、と。別れるときは何をしても別れてしまいます。その別れるということには私達にも含まれるのです。別れるということは死ぬ事を意味します。

悲しみを越えていくには
 人間には、自分が好きなもの、こだわりあるもの、気に入ったものそれぞれあります。マリカが持っていた陶器みたいにいつでも割れるし、いつでもなくなります。私達人間は死ぬことにもなるし、別れることもあります。自分が好きなもの、気に入っているもの、好きな人も、いつか別れたり死んでいきます。そういう事になったら涙が出ることになります。悲しくなってそういう涙が出ないようにするにはどうしたらいいでしょうか?
人間なのでいつかこういう事が絶対にあります。自分が好きな人や、気に入ったものでもいつか別れることになります。このような目に遭ったらみなさんは動揺することになるし、悲しいことになります。しかし、それはみなさんが必ず会う事です。私達が好きな人とか、家族、友人、奥さん、子供、自分が集めた財産、それも全部含めていつか離れるし、別れることになります。

 先立たれることもあるし、自分が先に別れて行くこともあります。そういう事になったとき、自分が悲しまないよう、どのように心に収めて対処したらいいでしょうか。 泣いてばかりいても仕方ありません。 そういう事にならないように、それに対処できるように、セヤドーはミャンマーから来て教えています。ですから、みなさんも頑張ってください。セヤドーは遠い所からきていて、こちらとは季節が逆で今ミャンマーは暑い時期です。今、ミャンマーの気温は42度で、ここは15度。ずいぶん差があります。セヤドーはもう歳ですが頑張ってきています。皆さんは10日間だけの合宿なのですから、がんばってください。

 今セヤドーがお話ししていることは悲しい時、嬉しい時、その感情が出てくる時に智慧で見ることです。智慧で見ることができれば、感情に対処できる。そうでないと多分みなさんは嬉しい時、悲しい時、動揺して感情が現れるんですね。しかし、そういう(ヴィパッサナーの)レベルに行ってる方だけが、嬉しい事もないし、悲しいこともないのです。そういう風にできるのです。

 智慧で、「無常、苦、無我」を見ることができるのです。身体を智慧で見ると、身体がなくなってカラーパ(微粒子)だけが見えます。身体として見ないでカラーパだけが見える。その中で「地、水、火、風」、4つだけの要素として見えるのです。カラーパの中に8種類あります。「地、水、火、風、色、臭い、味、栄養素」で8種類。もし透明の要素(浄色)を入れたら9種類。命根を入れたら全部で10になります。それを見て、「アニッチャ、アニッチャ(無常、無常)」と集中します。それを見てから、「ドゥッカ、ドゥッカ、(苦しみ、苦しみ)」を見ます。それを智慧で見て、「アナッター、アナッター(無我、無我)、私がない」と見ます。そういう風に見えるなら、さっき言った好きなことや、好きなものとか本当に無いと分ってくるのです。自分が好きな人、物、そういうものは壊れます。指さす間に生じて、すぐになくなるのです。今、目で見えないですけど、カラーパとかもそうです。「生じて壊れて、生じて壊れて」。ですから、私達が好きな物でも好きな人でも、そういう人も、生じて壊れて、生じて壊れているのです。私達が好きな人とか、好きなものとかは本当は無いのです。「無常、苦、無我」を見れば今の私達が好きな人とか、好きな物とかに執着することはないのです。

 私達はまだそういう力がないから何でも欲張りで、何でも欲しがります。何でも欲しがる気持ちが出てくる。智慧で見る方達は、何も欲しくないし、何者にもならない。ヴィパッサナーのレベルまで行くと、今までは悲しく別れる物でも人でも、別れる時悲しさ嬉しさを感じなくなります。ヴィパッサナーまで行ってない人は、今までみたいなことが感じられます。悲しい時は悲しくなり、嬉しい時は嬉しい気持ちが出て感情的になります。ヴィパッサナーの智慧のない人達は、こういう別れに出会ったら、怖れて動揺します。どうしたらいいか、わからなくなるのでセヤドーはヴィパッサナーができるまで教えてあげたいのです。

  皆さんは、好きな人、好きなものと別れなくてはならない場合に動揺しますか? 悲しくなったり落ち込んだりしますか?  ヴィパッサナーの智慧がある人は悲しくなったり落ち込んだりしません。ヴィパッサナーまでできる人は動揺するものがないので自分が強くいられます。ヴィパッサナーの智慧まで行かない人は来世、再来世もあって、悲しいこと落ち込むことが必ず出てきます。その時は毎回毎回繰り返しになります。私達が悲しい時、落ち込んだりした時、涙が出ますよね。その出てきた涙の量は海より多いのです。今世だけではなく、私達の生きてきた過去から流した涙は海より多いのです。そういう涙が出ないようにセヤドーが一生懸命教えています。ですから眠ったり、妄想とか出ないように、しっかり集中してやってください。セヤドーも歳をとりました。セヤドーが歳をとって来れなくなったらどうしますか。みなさんミャンマーに来きますね。しかし、今の10日間だけでも頑張れなければミャンマーに来てもムダです。明日から悲しいことがあっても涙が出ないように、みなさん集中して頑張ってください。今日はここまでです。

        サードゥ!  サードゥ!  サードゥ!

            (2019年4月29日  みなかみ合宿での法話)

2019年12月10日 (火)

クムダセヤドー 法話(8)

2019年5月、来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。

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会場付近の風景

村娘ペーターオリの話
 今日は、ペーターオリという女性のお話です。カッサパ仏陀の入滅後にパゴダを建てていました。ペーターオリは母親と連れ立って歩いていて、建設中のパゴダを見て母親に「これは何をしているんですか」とたずねました。母親は、「お釈迦様の金や銀の舎利(お骨)を中に入れてパゴダを作っているんですよ」と答えました。すると彼女は、「それでは、私が今身に着けているネックレスもお布施したいのだけど、いいですか」と言い、パゴダを作っている方にお願いしてお布施をしました。そのパゴダの場所は、昔の名前で「ナーラカ」といいます。それが今でもまだインドにあります。セヤドーもそこに行ったことがあります。昔大きな大学があった「ナーランダ」というところです。その大学の遺跡は現在もあります。ペーターオリはこのお布施をしたおかげで、何度も天界へ生まれ変わりました。彼女は、お釈迦様の時代にまた人間となってこの村に生まれ変わりました。

 母親はいつもの店へ彼女をお使いに行かせました。その店は代々お金持ちの家でしたが、親が亡くなり息子の代になると、財産が石や割れた瀬戸物などになってしまいました。それは、息子の前世の悪業の影響だったのです。彼は、その石や割れた瀬戸物などを店の前に出していました。ペーターオリは油を買いに来たのですが、店の人が金や銀をお店の前に置いているのを見て、「なぜ金や銀を家の中に置かないで、店の前に出しているのですか?」とたずねました。彼女には、その石や割れた瀬戸物が金や銀に見えたのです。店の主人は、そのことに驚いて、きっと彼女はとてもパワーがある人だと思いました。そして、自分の息子とこの娘さんを結婚させたいと思いました。主人は、娘の親に結婚の許可をもらうために、「この金や銀をさしあげますので、自分の息子と結婚させてください」とお願いしました。そして、息子と結婚させ、ペーターオリを家に一緒に住まわせました。石や割れた瀬戸物で一杯の部屋を彼女に見せると、「金や銀などの宝物ばかりですね」と言いました。店の親は、「あなたのパワーで財産に見えるようだから、すべてあげますよ。そして、あなたがくれるものだけで、私たちは生活します」と言いました。

 セヤドーもこのような経験をしたことがあります。セヤドーが生まれたところはミャンマーのちょっと上(北)のところです。そこは、内戦していたところなので、人々は自分達の財産が盗まれてしまうから土の中に埋めました。そして内戦であちこち逃げたり死んでしまった人もいて、埋めていたところが分からなくなってしまった人もいました。ミャンマーではそういうことがたくさんあります。セヤドーはその時10歳くらいで、お金持ちの親戚がいました。彼らは子ども達に財産をどこに埋めたか教えていたようでした。その子ども達は、内戦が終わり財産を掘り返すことにしました。セヤドーも土を掘るのを見ていました。しかし運がよくなかったようで、金や銀は何も出てきませんでした。すべて炭だけでした。他にも、目印をつけて財産の場所を覚えていた人が、内戦が終わり戻って掘ってみてましたが、何もなくて本当に土だけだったということもあったようです。

 そして、セヤドーは大きくなりお坊さんになって、マンダレーへ勉強しに行きました。セヤドーの生まれた村は火事で全部焼けてしまっていました。新しい村ができ、もとの焼けた村の辺りは田畑になっていました。運のよい人達が何気なく畑の土を掘った時、金や銀が出てきました。ミャンマーでは、昔のイギリスの金貨や銀貨を使っていました。それが出てきたのです。昔はその金貨や銀貨で商売をやっていました。ちなみに、その金貨や銀貨も良いものと悪いものがあります。投げて地面に落ちた時の音が違います。いい金貨は、チーンと鳴る。悪い金貨はギャーンと鳴る。カンマのいい人は、何もしなくても運が良いのです。他の人が石や割れ物に見えても、自分には金や銀に見える。本当にカンマが悪い人は、自分のものだけど炭とかになってしまう。なので、カンマがいい人は掘るだけでも金や銀が出てきますね。

 先ほどの話を続けます。ペーターオリは「ナーラカ(現ナーランダ)」に生まれ変わっていました。そして店の人と結婚して、商売は彼女が全部指示して仕切るようになりました。サーリプッタ尊者もこの村出身です。尊者は自分が死ぬ時、生まれ育った「ナーラカ」に戻りたいと思い、お母さんの家に帰りました。お母さんがソタパナ(預流道)に悟るようにさせて、尊者はその村で死んでしまいました。尊者の遺体を燃やすために、香木を使いました。みんな尊者のお棺のところに集まってきました。彼女も、尊者がお釈迦様の弟子であることを知っていて見に行きたくなり、義理の父母に許可をもらおうとしました。金箔でできた花を持って行こうとしていました。義理の父母は人がたくさん集まっていて危ないからと止めましたが、彼女はどうしてもお布施をしたくて出かけて行きました。サーリプッタ尊者は有名だったので、王族たちも見に来ていました。昔の王様達は象に乗るので象もいました。ある象は気が立っていて危ない状況になっていましたが、大勢の人がいるので捕まえることができません。象は怒って暴れるので、大勢の人があちこち逃げまどいました。ペーターオリは、雑踏にのなかに倒れ、皆に踏まれてその場で亡くなってしまいました。

 そして彼女は天界に生まれ変わり、千人の天女の弟子のいる天女となりました。そこで、彼女はなぜ自分が天国に来たのか知りたくなり、いろいろ調べて分かりました。前世でサーリプッタ尊者の葬儀に金箔のお花や香木をお布施したからです。彼女は、天国にきて千人の弟子の天女たちと一緒にいること、自分が財産を多く持っていることが嬉しくて、もっとお布施したい、良いことをしたいと思うようになりました。その頃人間界にお釈迦様がいらっしゃいました。彼女は、弟子の天女たちと一緒にお釈迦さまのところへ降りていきました。お釈迦様のお世話係、ワンギーサ長老は、天女を見ることができました。ワンギーサ長老は、なぜそんなに財産がある天女になれたのか質問したくなり、お釈迦様に許可を得て聞きました。彼女は、「私がなぜこのように美しく善い天界で、千人の弟子の天女を持っているかというと、前世でサーリプッタ尊者の葬儀に金箔の花と香木をお布施したからです」と答えました。

楽を探して、苦ばかり集めている
 この話で言いたいことは、自分が持っている物(金や銀など)は、本当は自分の物ではないということです。「ルーパ(物質)は、自分のものではない」。ルーパは全部、私達のものではないのです。なので、そのルーパを、こだわらずにそれを捨てなさい、ということを言いたいのです。
 さきほどの話の中で、高価な金や銀はルーパですね。そのルーパを自分達は好きになっているのです。好きになっていること自体が苦(ドゥッカ)なのです。苦を好きになっているのです。ルーパ(物質)は本当は自分のものではないのに、自分たちのものとして好きになっていること自体が苦です。私たちの体もルーパ、私たちの持ち物もルーパですね。そのルーパを全部好きになったら、苦になってしまうのです。苦を好きになったら、苦から逃げられません。私たちはこのようになっているのです。自分の体というルーパ、自分の物というルーパ、全部好きになっているのです。そういう苦から抜け出せないのです。ですから、苦を好きになる限り、私たちはその苦から全く抜け出せないのです。ヴィパッサナー瞑想まで行かないと、苦から抜け出せません。

 私たちは今、仕事をして財産を集めたりしていますね、それもルーパです。そのルーパを好きになっていることが苦だと言いました。その苦から抜け出せないのは、私たちはまだヴィパッサナー瞑想をしていないから、苦ばかり集めているのです。苦ばかり集めていると、苦から抜け出せなくて、楽(スカ)にならないのです。本当は私たちは楽(スカ)を探しています。しかし、楽を探しても見つからないのです。

セヤドー(参加者に):Aさん、楽(スカ)は見つかりましたか?
参加者:この合宿に来ていますので、スカです(笑)。・・・スカは一瞬で、後は苦ばかりです。

 私たちは本当は「楽(スカ)」を探しているんですが、見つからなくて苦ばかり集めて苦ばかりになっています。ある比丘尼が言っている言葉があります。「自分たちは本当は楽(スカ)を探しているのに、苦(ドゥッカ)だけもらって後は自分達には何も残っていない」のです。この意味はちょっと深いのです。苦が生まれて、苦が壊れて、そして苦以外は何もないのです。苦がやってきて、苦がなくなって、あと自分達には苦しか残っていないのです。

参加者:「苦はなくなったのではないですか?」

楽(スカ)は無いのです。なので、苦だけが残っているのです。苦が生まれ、苦が壊れて(それが繰り返されて)、楽(スカ)がない。私たちには苦しか残っていないのです。

楽を見つけるにはヴィパッサナー
セヤドー:阿羅漢になりたいですか?
参加者:なりたいです(笑)
 皆さん考えてください。楽(スカ)の時間って本当にわずかではないですか。あまりないじゃないですか。自分が幸せだな、と思う瞬間が本当にありますか? それはいつまでもない。楽(スカ)は。皆さんが生まれてきてから、大きくなって朝起きて目を開けてから楽(スカ)を探しているんですね。探すのは、死ぬまで探し続けています。だけど私たちはまだ楽(スカ)の時間が見つかっていない。楽(スカ)の時間を本当に見つけるためには、ヴィパッサナー瞑想をしないと見つからない。ヴィパッサナー瞑想をしていると、涅槃を見ることができるのです。涅槃を見ることができたら、本当の幸せはこれだな、と分かってくるのです。だからヴィパッサナーができない限りは、涅槃も見ることができないし、幸せはないから、楽(スカ)ではない。そしてヴィパッサナーができるためには、毎日やらないといけないですね。その積み重ねで、毎日やることが大事です。

 今私たちが探しているダンマは、本当に深くて重いから中々見つけるのは難しい。簡単にはできない。私たちは今ダンマを探しているのです。幸せになりたい。そのダンマを探すために、譬えでセヤドーがおっしゃっているのは、「エベレストのように大きな山のふもとにある小さな種を探すのは難しい」ということ。そのように、私たちが探しているダンマは、とても難しくて意味も深くて中々見つかり難いものです。10日間では足りないです。それを今セヤドーがたとえで話しています。難しいので、長い目でみてやらないといけません。セヤドーが今話していることを皆さんが少しでも分かるだけでも波羅蜜になります。皆さんは他の人よりは波羅蜜がある方々なので、分かるのです。今の話は、他の人(普通の人)に言ってもあまり分からない話なのです。私たちは今聞けること、理解するだけでも、波羅蜜があります。しかし、皆さんが怠けものなので・・・(笑)。皆さんがんばってください。今日はここまでです。

   サードゥ!  サードゥ!  サードゥ!

(2019年4月30日  みなかみ合宿での法話)

2019年12月 9日 (月)

12月自主瞑想会のおしらせ

12月自主瞑想会のおしらせ
(この会は有志により開催されています)

だれでも自由に坐れる場を提供したい、ということから始めた瞑想会です。
どうぞお気軽にご参加ください。
日時:12月21日(土)13:00~17:00
会場:板橋区中台2丁目集会所2階和室 都営三田線志村三丁目駅より徒歩7分(地図参照)
住所:住所:板橋区中台2丁目43-20(https://www.navitime.co.jp/poi?spt=02300.1013281)
参加費:無料
会場費のお布施を受け付けています。

予約は必要ありません。
座布団はあります。瞑想しやすい服装でおいでください。

注意事項

・会場内では「沈黙行」をお守りください。お話したい方は室外にてお話し下さい。
・途中での出入りは自由です。受付名簿に記入し、坐っている方の迷惑にならぬよう静かに出入りしてください。
・瞑想指導はありません。各自で、自分の行なっている瞑想をなさってください。
・瞑想会終了後に1時間ほどの「懇親会」を持ちます(自由参加です)。

およその時間割(当日の状況で多少変わることもあります)

13:00    受付開始
13:20-13:30 読経(慈経)
13:30-14:30 瞑想
14:30-14:45 休憩 
14:45-15:45 瞑想
15:45-16:00 休憩
16:00-17:00 瞑想、回向
17:00-  懇親会(1時間くらい)

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次回の予定
1月23日(土)板橋区新河岸1丁目集会所和室

主催:静寂瞑想の会

12月経典学習会のお知らせ

12月の経典学習会は、12月22日(日)に開催予定です。

 

12月22日(日)13:30~17:00 
中板橋 MCWA
(今回は中板橋ですのでお間違いなく)

 

予定

 

13:30より自主瞑想(法話は14時からですが、それまで自主的に瞑想しています)
14:00より経典の解説
16:00より質疑応答
17:00ころ終了

 

参加費無料
予約の必要はありません

 

内容: トゥ・ミンガラ比丘(Thu Mingala Bikkhu)によるダンマパダ(法句経)の解説です。
ダンマパダ(法句教)170,173偈
「世の中は泡沫(うたかた)のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王も彼を見ることがない。」
「以前には悪い行ないをなした人でものちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす――雲を離れた月のように。」
(岩波文庫「真理の言葉 感興のことば」中村元訳 より)
参加される方はテキストをプリントしてご持参ください

 

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1月の予定 1月19日(日)和光市、新精舎にて
オバサ・セヤドー 念住経の解説

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テキスト

ダンマパダ170偈
Yathā bubbulakaṃ passe yathā passe marīcikaṃ 
Evaṃ lokaṃ avekkhantaṃ maccurājā na passati.
「世の中は泡沫(うたかた)のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王も彼を見ることがない。」

 

500人の比丘の物語
祇園精舎に滞在しているとき、ブッダは500人の比丘に関してこの偈を読みました。
ある時、五百人の比丘たちは、ブッダから瞑想の主題を与えれれた後に、それを実践するために森に行きました。 しかし、彼らはほとんど進歩しませんでした。 そこで彼らはもっと自分に合った瞑想の主題を与えてもらうようブッダのところに戻っていきました。ブッダのところへ向かう途中、彼らは蜃気楼を見たので、それについて瞑想しました。彼らが僧院の敷地に入るとすぐに、嵐がやってきました。 大粒の雨が降り、地面に泡ができ、すぐに消えました。それらの泡を見て、比丘たちは、「私たちの体は、泡のように壊れやすいものだ」と熟考しました。そして、五蘊の無常である本性を認識しました。ブッダは香りの部屋から比丘たちを見て、力を送り、彼らのイメージの中に現れました。

 

そして、次のような偈を読みました。
「世の中は泡沫(うたかた)のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王も彼を見ることがない。」
説法の後、500人の比丘たちは阿羅漢道を得ました。

 

ダンマパダ173偈
Yassa pāsaṃ kataṃ kammaṃ kusalena pithīyati 
So imaṃ lokaṃ pabhāseti abbhā mutto'va candimā. 
「以前には悪い行ないをなした人でものちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす――雲を離れた月のように。」 

 

アングリマーラ長老の物語 
 祇園精舎に滞在しているとき、ブッダはアングリマーラ長老に関してこの偈を読みました。
アングリマーラは、コーサラ国のパセナディ王の宮廷で、司祭長の息子でした。 彼の名前はアヒムサカといいました。年齢になると、有名な大学町であるタキシラに送られました。 アヒムサカは賢く、先生にも従順でした。 それで彼は先生とその奥さんに好かれました。 その結果、他の生徒は彼に嫉妬しました。 そこで、彼らは教師のところへ行き、アヒムサカが先生の奥さんと関係があるとウソの報告をしました。 最初、教師はそれを信じませんでしたが、何度も言われるので、信じるようになりました。 そして彼は少年に復讐することを誓いました。 少年を殺せば後で後悔することになるでしょう。 それで彼は殺人よりも悪い計画を考えました。 彼はアヒムサカに1000人の男か女を殺すように言い、その見返りに貴重な知識を与えると約束しました。 少年はこの知識をほしいと思いましたが、命を奪うことについてはとても気が進みませんでした。 しかし、彼は言われたとおりに行うことに同意しました。

 

 このようにして、彼は人々を殺し続けました。そして、その数を忘れないために、殺した人の指を糸に通し、首に花輪のようにして掛けました。 それで、彼は「アングリマーラ」として知られ、その地方の人々の恐怖の的になりました。 王はアングリマラの悪業について知り、彼を捕まえる準備をしました。 アングリマーラの母であるマンタニは、王の意向を聞いて、息子への愛から彼を救おうと必死で森に入りました。 この時までに、アングリマラの首の輪には990本の指があり、1000本に1本足りませんでした。その日の早朝、ブッダは洞察力でアングリマーラを見ました。ブッダが止めなければ、1000人目の最後の人を探していたアングリマーラが母親を見て殺すかもしれないと考えました 。 そうなれば、アングリマーラは無限に地獄でに苦しむことになります。 慈悲の思いから、ブッダはアングリマラがいる森に向かいましました。

 

 アングリマーラは、多くの眠れぬ日夜を過ごした後、とても疲れ、消耗していました。 同時に、最後の1人を殺して千人の目標を達成しその仕事を完了させることをとても気にかけていました。 彼は出会った最初の人を殺そうと決心しました。 そのとき、彼は外を見ていてブッダを見つけ、ナイフ起こして追いかけました。 しかし、彼がへとへとになるまで追っても、ブッダには追い付きませんでした。そして、ブッダを見て彼は叫びました。「おい比丘よ、止れ、止れ」。ブッダは答えました。「私はすでに止っている。ただあなたが止っていないだけだ」。 アングリマーラはブッダの言葉の意味が分からずに尋ねました。「比丘よ、あなたが止っていて、私が止っていないと言うのはなぜなのか?」。

 

 ブッダは彼に言いました。「私は止っていると言った。それは、私は、すべての生き物を殺すことを止め、すべての生き物を虐待することを止めたからだ。そして内省を通して普遍的な愛と忍耐、そして智恵を確立したからだ。 しかし、あなたは他人を殺したり虐待したりすることをあきらめておらず、まだ普遍的な愛と忍耐を確立していない。だから、あなたは止まっていない人なのだ」。ブッダの口からこれらの言葉を聞いて、アングリマーラは深く考えた。「これは賢い人の言葉だ。この比丘はとても賢く、とても勇敢だ。彼は比丘たちの指導者に違いない。確かに彼は、ブッダ(覚者)その人に違いない。そして彼は私に光を見せるために特別にここに来たに違いない」 。そのように考えて、彼は武器を捨て、ブッダに比丘になることを認めてくれるよう頼みました。 そこで、ブッダは彼を比丘にしました。

 

 アングリマーラの母親は、森のいたるところで息子の名前を叫びましたが、彼を見つけることができずに家に帰りました。 王と彼の家来がアングリマーラを捕らえるために来たとき、ブッダの僧院にいる彼を見つけました。 アングリマーラが悪の道をあきらめ、比丘になったことを知ると、王とその家来たちは宮殿に帰りました。 僧院に滞在中、アングリマーラは熱心に、そして勤勉に瞑想を実践し、すぐに阿羅漢道を達成しました。

 

 その後のある日、彼は托鉢をしているときに、幾人かの人がけんかをしている場所に来ました。 彼らがお互いに石を投げあっているとき、飛んできたいくつかの石がアングリマーラ長老の頭に当たり、彼は重傷を負いました。 しかし、彼はなんとかブッダのもとに戻ってきました。ブッダは彼に言いました。「わが息子、アングリマーラよ、あなたは悪を止めた。忍耐しなさい。あなたは自分の行った行為のツケを、今の存在で支払っている。これらの行ないは、地獄で無限の歳月あなたを苦しめたであろうものなのだ。その後まもなく、アングリマーラは平安のうちに亡くなりました。 彼はパリニッバーナ(般涅槃)を実現しました。

 

 他の比丘たちはブッダに、アングリマーラがどこに生まれ変わったかを尋ねました。ブッダが、「私の息子はパリニッバーナを実現しました」と答えたとき、彼らはそれをほとんど信じることができませんでした。 それで彼らはブッダに、あれほど多くの人を殺した男がパリニッバーナを実現することが可能なのか尋ねました。 この問いに対して、ブッダは答えました。「比丘たちよ、アングリマーラには善友がいなかったので、多くの悪事をなしました。しかし、後に彼は善友を見つけました。 善友の助けと良いアドバイスによって、彼はダンマの実践において不動でありそしてマインドフルでありました。 したがって、彼の邪悪な行為は、善によってのり越えられました(すなわち、阿羅漢道)。

 

 そしてブッダは次の偈を読みました。
「以前には悪い行ないをなした人でものちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす――雲を離れた月のように。」

 

 

 

クムダセヤドー 法話(7)  

2019年5月、来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。

 

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会場付近の風景

 

自分を支える「波羅蜜」  

  お釈迦様が、ヤジャ城の町でウェンルーオンというお寺におられたときに、天界のタウリンサ(三十三天)にいる弟子が象に乗ってお釈迦様に会いに来ました。その時、ワンギーサというお坊さんが、その弟子に「なぜ三十三天に生まれ変わったのですか?」とたずねました。弟子は、「人間だった時に、五戒を守って三宝に帰依したからです」と答えました。五戒とは、「殺生をしない。盗みをしない。不倫をしない。嘘をつかない。お酒や麻薬などをやらない」ですね。三宝とは、仏・法・僧です。仏法僧への帰依です。それが原因で三十三天に生まれ変わりました。

 

なぜセヤドーがこの話をしたかというと、皆さんは今、三法への帰依と八戒を守っていますね。これは三十三天に生まれることができるような大きな波羅蜜なので、自分が戒を守ったことを喜び、大事にしてください。いつも、このことを思い出して、心に喜びをつくってください。死ぬときも、八戒を守ったことを思い出せば、地獄など四悪趣には行きません。間違いなく天界に行けます。ですから、毎日、寝るときにでも、「私は今日、八戒を守った」と思い出してください。自分のした功徳を忘れないようにしてください。

 

 この功徳は、家族よりも自分を支えてくれます。自分の人生にとってとても良い波羅密になります。お金とか、財産とかあっても、死ぬ時には全然支になりません。しかし、この功徳は大きなものです。車とか財産とか、家と、それはあまり支えてくれません。家族、娘、息子、旦那さん、奥さんとか、それより今の功徳はもっと自分を支える力になります。
このことを忘れないで、いつも思い出してください。

 

 戒律を守ること、お布施をすること。いつもそれを思い出すときに、功徳になっています。稲妻が光る一瞬の時間でも、このような功徳の心を持てば、それは大きな力になります。それは良いチェタシーカ(心所)がたくさん生じているからです。それが支えてくれます。今生だけでなく、来世以降もその功徳のときに生じたチェタシーカ(心所)が支えてくれます。

 

 戒律(シーラ)や、布施(ダーナ)だけではなく今皆さんはアナパナ瞑想をやっていますが、それも功徳です。それもいろいろの良い結果をもたらします。たった一分だけでもアナパナをすることは、大きな力になる功徳になります。はるか昔、今の宇宙ではなく、一万くらい前の宇宙で、ある弟子が、自分だけではなく他の人に、灯明のお布施を薦めました。そして言われた人たちは皆、布施をしました。その功徳で、その弟子はとても長い間、何度も三十三天に生まれました。自分がしたことだけではなく、他の人に善いことをすすめることも大きな功徳になります。

 

 ですから、功徳は小さくても忘れないように。小さな功徳でも、例えば今の弟子の話のように、ずっと以前に、周りの人に働きかけただけでも、良い世界に生まれ変わっているのですから、自分の功徳も、少ないとか言わないで、忘れないように。いつも思い出して喜んでください。今日は皆さん、セヤドーに食事のお布施をしましたね、瞑想修行もしましたね。それはすごいことです。それを「少ない」と思わないでください。それを忘れないで大事にしてください。それをいつも思い出していれば、いつか良い結果が出てきます。

 

 お坊さんに会うことや、戒を守ること、お布施をすること、瞑想をすること、これは簡単にできることではない。なかなか難しいのです。皆さんのいままでの功徳の結果で、こういう場所に出会えています。日本にも色々な場所があり、世界も色々な場所があるでしょう。でもこういう場所は少ないでしょう。このように瞑想したり、お坊さんに会ったりする場所は、世界どこにでもあるわけではないでしょう。それはすごい功徳なのです

 

原因があって結果がある

  セヤドー一人でこういう会を開くことは困難です。組織する人たちがいなければ難しい。だから、なかなかつくることができない貴重な功徳を皆さんは作っているのです。原因がなければ結果は出ない。セヤドーが日本に来始めたのは40代からのことで、今セヤドーは60歳になりました。日本に16回くらい来ています。だから皆さんの功徳がいっぱいになっています(笑)。 それは皆にいい結果と功徳ををもたらしています。しかし、セヤドーは歳をとっていくから、これからいつ日本に来られなくなるかわかりません。

 

 鈴木一生さんも、一昨年亡くなってしまいました。とてもダンマを欲する人で、功徳を積んだ方でしたが、病気になってしまいました。しかし、日本にこのテーラワーダ仏教を伝えたいと一生懸命努力されたな方でした。「ビルマ人に生まれ変わりたい」と、死ぬ前におっしゃっていました。ビルマ人じゃなくてもいいんじゃないですか。、ビルマにも瞑想できない人は一杯いるから、ビルマ人じゃなくてもいいんじゃないですかと聞きましたが、今生は、早く亡くなって、ビルマ人に生まれ変わりたいと、とても強く希望していました。亡くなったあと、その骨の一部はセヤドーの僧院に送られました。セヤドーはその骨をパゴダの隣に収めたそうです。鈴木さんは、心では修行をとてもやりたがっていましたが、亡くなってしまいました。皆さんはまだ生きているのですから頑張ってください。

 

 鈴木さんは生前、クティという修行者の宿舎をたくさんお布施しました。鈴木さんが、一番最初に、他の人たちを誘ってクティを建てたのです。そして鈴木さんは自分が布施したクティに、亡くなった後に来たみたいです。今はもう出てきません。人間に生まれ変わっているそうです。だから、自分の心は、死ぬ時に、良いことを思わないとダメなのです。自分自身で心をコントロールしないとダメなのです。アナパナで自分の心をコントロールできるようにしてください。

 

 どの瞑想でも、自分の心をどこに置いたかが問題で、サマーディはそういうことです。自分の心をコントロール出来ないと、心はばらばらになってしまいます。行きたくない世界に生まれ変わってしまいます。例えば動物界とか。ですから、アナパナ瞑想をして、サマーディを作って心をコントロール出来るように。心は飛んじゃうでしょ。アナパナ瞑想でそこをコントロール出来るように訓練して、練習してください。自分の心をコントロール出来ないと他へ飛んじゃうから。鈴木さんは、人間に生まれて、お坊さんになって、ここに来るかもしれない(笑)。 鈴木さんの思いは、日本にミャンマーのようなお寺を作ることでした。ですから、これからお坊さんになって日本でお寺を作ることになるかも知れませんね。

 

 今機会ががあるうちにお布施・戒・定・ヴィパッサナー瞑想をがんばれば、それが自分の力になる。自分を支える。その功徳で自分を支えてください。ヴィパッサナー瞑想ができるまで頑張ってください。ヴィパッサナーができないとなかなか難しいですね。セヤドーは16年日本に来ていますが、瞑想が最後までできたのは6人ぐらいでした。セヤドーはもっとたくさんの人に最後までできてほしいと思っています。昔の人たちは一生懸命やっていましたが、今の日本の方は難しいようでなかなか進みません。前に瞑想会に来ていた人たちは一生懸命やっていました。

 

人間では、悪いことをして人生を終える人の方が多い。戒を護らない人が多い。だから、地獄にいく人が多い。ですから、善いことをして功徳を積んでください。

 

質疑応答

 参加者:今、モービ僧院の日本人の瞑想レベルが低くなっているのはなぜででしょうか?

 

セヤドー:それは、過去の生で悪いカルマを作っていて、その心が出てきて修行に集中できないとか、良い原因をあまり作っていないので、良い結果がでないということですね。良い波羅蜜を作っていないということ。前のカルマのせいで、心も体も楽しいというような状態にならない。だから、頑張ることが難しくなっている。人生が大変になっている。元気が出ないとか、疲れていて修行がたいへんなようです。カルマのせいで、頑張りたくても、仕事や家族のことなどで帰らなければならないこともあります。

 

私(通訳)も同じです。ミャンマーへお坊さんになりたくて帰ったけれど、家族のため、家を作らなくてはならなくなったり、あまりお寺へ行けなくなっている。セヤドーは、あなたも同じだね、とおっしゃっている(笑)。

 

まだ時間がある、後ですることができると思っているのは間違っています。時間はあまりない。後でやるよと、そんな風に考えているうちに、人生が終わってしまいます。功徳を積むことを急いでください。早めにやるのが良いのです。涅槃にいきたければ、急いでやってください。

 

参加者:今まで悪い業をいっぱいつくってきたと思うのです。反省することが一杯あります。来世を良い人生にしたいのですが、悪い業は消せないので、善い業をつくるしか前向きに進むことはできないのでしょうか?

 

セヤドー:だれでも悪いことをしない人はいないですからね。これから4つの方法を教えます。
1. 今までしていない悪い行ないを、これからもしないようにする。
2. すでにしてしまった悪い行ないを、二度としないようにする。(また、そのことについて、後悔したり、考えたり、思い出したりしない)
3. 今までしていない善い行いを、するようにする。(他に人のために良いことをするとか)
4. やったことのある善いことを、続けてやるようにする。(そのことを考えたり、思い出したりすることも、善いことをすることにあたります。)

 

この4つができれば、いい人生になり、来世も良いことになります。この四つは自分を支えることになります。今日はここまでです。

 

     サードゥ!  サードゥ!  サードゥ!

 

           (2019年4月28日  みなかみ合宿での法話)

 

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