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2019年10月 4日 (金)

10月経典学習会のお知らせ

10月の経典学習会は、10月20日(日)に開催予定です。

10月20日(日)13:30~17:00 
和光市、新精舎にて
住所 和光市新倉2丁目27-18  
和光市駅から徒歩20分くらい。バス:北口より新倉小学校下車3分。

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予定
13:30より自主瞑想(法話は14時からですが、それまで自主的に瞑想しています)
14:00より経典の解説
16:00より質疑応答
17:00ころ終了

参加費無料
予約の必要はありません

内容: オバサ・セヤドー念住経の解説 「心の随観」、法に関する随観「障害の部」

11月の予定 11月17日(日)和光市、新精舎にて
トゥ・ミンガラ比丘(Thu Mingala Bikkhu)によるダンマパダ(法句経)の解説です。
ダンマパダ(法句教)158,165偈
「先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。」
「みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることはできない。」
(岩波文庫「真理の言葉 感興のことば」中村元訳 より)

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Dhammānupassanā 法に関する随観
A. Nīvaraṇapabbaṃ 障害の部

Kathaṃ ca pana, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati?
Idha, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati - pañcasu nīvaraṇesu.
Kathaṃ ca pana, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati - pañcasu nīvaraṇesu?
Idha, bhikkhave, bhikkhu santaṃ vā ajjhattaṃ kāmacchandaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ kāmacchando’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ kāmacchandaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ kāmacchando’ ti pajānāti, yathā ca anuppannassa kāmacchandassa uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannassa kāmacchandassa pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnassa kāmacchandassa āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

比丘たちよ、また比丘はどのようにして法において法を随観し続けるのか。ここに比丘たちよ。比丘は五つの障害の法において(五つの障害の)法を随観し続けるのである。では比丘たちよ。比丘はどのようにして五つの障害の法において(五つの障害の)法を随観し続けるのか。
  ここに比丘たちよ。比丘は内に貪欲(欲貪)があれば「私の内に貪欲がある」と知り、あるいは内に貪欲がなければ「私の内に貪欲がない」と知る。また、未だ生じない貪欲がどのように生じるかを知り、すでに生じた貪欲がどのようにして捨断されるかを知り、捨断された貪欲が将来どのようにして生じないかを知る。

Santaṃ vā ajjhattaṃ byāpādaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ byāpādo’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ byāpādaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ byāpādo’ ti pajānāti, yathā ca anuppannassa byāpādassa uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannassa byāpādassa pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnassa byāpādassa āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

次に内に怒りがあれば「私の内に怒りがある」と知り、あるいは内に怒りがなければ「私の内に怒りがない」と知る。また。未だ生じない怒りがどのように生じるかを知り、すでに生じた怒りがどのようにして捨断されるかを知り、捨断された怒りが将来どのようにして生じない かを知る。
      
Santaṃ vā ajjhattaṃ thinamiddhaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ thinamiddhaṃ’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ thinamiddhaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ thinamiddhaṃ’ ti pajānāti, yathā ca anuppannassa thinamiddhassa uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannassa thinamiddhassa pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnassa thinamiddhassa āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

あるいは内に惛沈・睡眠があれば「私の内に惛沈・睡眠がある」と知り、あるいは内に惛沈・睡眠がなければ「私の内に惛沈・睡眠がない」と知る。また、未だ生じない惛沈・睡眠がどのようにして生じるかを知り。すでに生じた惛沈・睡眠がどのように捨断されるかを知り、捨断された惛沈・睡眠が将来どのようにして生じないかを知る。

Santaṃ vā ajjhattaṃ uddhaccakukkuccaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ uddhaccakukkuccaṃ’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ uddhaccakukkuccaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ uddhaccakukkuccaṃ’ ti pajānāti, yathā ca anuppannassa uddhaccakukkuccassa uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannassa uddhaccakukkuccassa pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnassa uddhaccakukkuccassa āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

 あるいは内に落ち着きのなさ。後悔があれば。「私の内に落ち着きのなさ。後悔がある」と知り、あるいは内に落ち着きのなさ、後悔がなければ「私の内に落ち着きのなさ、後悔がない」と知る。また、未だ生じない落ち着きのなさ、後悔がどのように生じるかを知り。すでに生じた落ち着きのなさ、後悔がどのようにして捨断されるかを知り、捨断された落ち着きのなさ。後悔が将来どのようにして生じないかを知る。

Santaṃ vā ajjhattaṃ vicikicchaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ vicikicchā’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ vicikicchaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ vicikicchā’ ti pajānāti, yathā ca anuppannāya vicikicchāya uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannāya vicikicchāya pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnāya vicikicchāya āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

あるいは内に疑いがあれば「私の内に疑いがある」と知り。あるいは内に疑いがなければ「私の内に疑いがない」と知る。また、未だ生じない疑いがどのようにして生じるかを知り、すでに生じた疑いがどのように捨断されるかを知り、捨断された疑いが将来どのようにして生じないかを知る。

Iti ajjhattaṃ vā dhammesu dhammānupassī viharati, bahiddhā vā dhammesu dhammānupassī viharati, ajjhattabahiddhā vā dhammesu dhammānupassī viharati, samudayadhammānupassī vā dhammesu viharati, vayadhammānupassī vā dhammesu viharati, samudayavayadhammānupassī vā dhammesu viharati, ‘atthi dhammā’ ti vā panassa sati paccupaṭṭhitā hoti. Yāvadeva ñāṇamattāya paṭissatimattāya anissito ca viharati, na ca kiñci loke upādiyati. Evaṃ pi kho, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati pañcasu nīvaraṇesu.

このように自己の法において法を随観し続け、あるいは他の法において法を随観し続け。あるいは自他の法において法を随観し続ける。また法において(法を)生法なりと随観し続ける。
 あるいは法において滅法なりと随観し続け、あるいは法において生滅の法なりと随観し続ける。
 そこで「法のみあり」との念が彼に起こる。それこそは智慧の(増大の)ため、念の(増大の)ためになる。彼は(愛着・誤った考えに)よることなく(随観し)続け、世の何ものにも執着しない。比丘たちよ。比丘はこのように五つの障害の法において法を随観し続けるのである。
                                    
 障害の部終り

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