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2019年10月

2019年10月22日 (火)

11月経典学習会(日時、場所変更)のお知らせ

11月の経典学習会の日時、場所を下記のとおり変更いたします。

11月24日(日)13:30~17:00 
中板橋MCWA事務所
住所 板橋区仲町39-1 電話03-3973-3348 

 

 

予定

 

13:30より自主瞑想(法話は14時からですが、それまで自主的に瞑想しています)
14:00より経典の解説
16:00より質疑応答
17:00ころ終了

 

参加費無料
予約の必要はありません

 

内容: トゥ・ミンガラ比丘(Thu Mingala Bikkhu)によるダンマパダ(法句経)の解説です。
ダンマパダ(法句教)158,165偈
「先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。」
「みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることはできない。」
(岩波文庫「真理の言葉 感興のことば」中村元訳 より)

 

12月の予定 12月15日(日)和光市、新精舎にて
オバサ・セヤドーがミャンマーへ帰国されるため、引き続きトゥ・ミンガラ比丘にダンマパダの解説をしていただきます。

 

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Dhammapada 158

 

先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。
Attanameva pathamam patirupe nivesaye
athannamanusaseyya na kilisseyya pandito.

 

釈迦族の人、ウパナンダ長老の物語
祇園精舎に滞在するとき、ブッダは釈迦族のウパナンダ長老に関してこの偈を唱えました。
ウパナンダはとても雄弁な説教者でした。 彼は、貪欲などもたず、ほんのわずかな物しか持たないように説教し、自足と質素、および厳しい実践の価値について雄弁に語っていました。 しかし、彼は自分が教えたようには実践せず、他の人が断念した衣やその他の必需品を自分のために取っておきました。

 

ある時、ウパナンダは雨安居(ワサ)の直前に村の僧院に行きました。 彼の雄弁さに感銘を受けた若い比丘たちは、僧院でワサを過ごすように頼みました。 彼は、僧院ではワサのときにお布施として何着の衣が受け取れるのか、と聞きました。いつもは1着の衣を受け取ると比丘たちは答えました。 そこで彼はその僧院には滞在しませんでしたが、スリッパを僧院に置いて行きました。

 

次の僧院では2着の衣を受け取ることを知りました。 そこで彼は杖を置いて行きました。 次の僧院では、3着の衣をワサのお布施として受け取ります。 そこで彼は水筒を置いて行きました。 最後に、4着の衣を受け取る僧院で、彼はワサを過ごすことにしました。

 

ワサの終わりに、彼は自分の持ち物を置いておいた僧院に衣の受け取りを求めました。 その後、彼はすべてのものを手押し車に乗せて、昔からいる僧院に戻りました。 途中で、彼は2人の若い比丘に会いました。彼らは、2着の衣と、高価な1枚のベルベット毛布の分配について争っていました。 彼らは友好的に解決することができなかったので、ウパナンダに仲裁を依頼しました。 ウパナンダは彼らにそれぞれ一着の衣を与え、仲裁人として高価なベルベットの毛布を取りました。

 

2人の比丘はこの決定に不満足でしたが、どうすることもできませんでした。 不満と落胆の気持ちから、彼らはブッダのところへ行き、この問題を報告しました。 それに対してブッダは、「他の人を教える者は、まず自分自身を教え、教えたとおりに行動するべきだ」と言いました。

 

それからブッダはつぎの偈を唱えました。
「先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。」
この説法が終わったとき、2人の若い比丘は預流果を得ることができました。

 

Dhammapada 165

 

みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることはできない。
Attana hi katam pipam attana samkilissati
attana akatam papam attanava visujjhati
suddhi asuddhi paccattam nanno annanam visodhaye.

 

在家の弟子チュラカラの物語
祇園精舎に滞在しているときに、ブッダは在家の弟子であるチュラカラに関してこの偈を読みました。
在家の弟子であるチュラカラは、ある安息日、ウポサタの戒律を守り、一晩中宗教的な説法を聞きながら、祇園精舎で過ごしました。 朝早く、修道院の近くの池で顔を洗っていると、泥棒たちが彼の近くに束を投げ込みました。 盗まれた財産のそばにいる彼を見た所有者は、彼を泥棒と思って激しくたたきました。 幸いなことに、水を汲みに来た奴隷の少女たちが、彼を知っていて、泥棒ではないことを証言しました。 それで、チュラカラは解放されました。

 

ブッダがそのことについて言及したとき、チュラカラに言いました。「奴隷の少女たちが証言したからだけでなく、あなたが泥棒ではなく、盗みもしていないので、無実だから、あなたは解放されたのです。 悪を行う者はニラヤ(地獄)に行き、善を行う者はデーヴァの世界で生まれ変わるか、涅槃を実現します」。

 

そしてブッダは次の偈を唱えました。
「みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることはできない」
法話を聞いたチュラカラは預流果を得ました。

2019年10月 4日 (金)

10月経典学習会のお知らせ

10月の経典学習会は、10月20日(日)に開催予定です。

10月20日(日)13:30~17:00 
和光市、新精舎にて
住所 和光市新倉2丁目27-18  
和光市駅から徒歩20分くらい。バス:北口より新倉小学校下車3分。

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予定
13:30より自主瞑想(法話は14時からですが、それまで自主的に瞑想しています)
14:00より経典の解説
16:00より質疑応答
17:00ころ終了

参加費無料
予約の必要はありません

内容: オバサ・セヤドー念住経の解説 「心の随観」、法に関する随観「障害の部」

11月の予定 11月17日(日)和光市、新精舎にて
トゥ・ミンガラ比丘(Thu Mingala Bikkhu)によるダンマパダ(法句経)の解説です。
ダンマパダ(法句教)158,165偈
「先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。」
「みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることはできない。」
(岩波文庫「真理の言葉 感興のことば」中村元訳 より)

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Dhammānupassanā 法に関する随観
A. Nīvaraṇapabbaṃ 障害の部

Kathaṃ ca pana, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati?
Idha, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati - pañcasu nīvaraṇesu.
Kathaṃ ca pana, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati - pañcasu nīvaraṇesu?
Idha, bhikkhave, bhikkhu santaṃ vā ajjhattaṃ kāmacchandaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ kāmacchando’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ kāmacchandaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ kāmacchando’ ti pajānāti, yathā ca anuppannassa kāmacchandassa uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannassa kāmacchandassa pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnassa kāmacchandassa āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

比丘たちよ、また比丘はどのようにして法において法を随観し続けるのか。ここに比丘たちよ。比丘は五つの障害の法において(五つの障害の)法を随観し続けるのである。では比丘たちよ。比丘はどのようにして五つの障害の法において(五つの障害の)法を随観し続けるのか。
  ここに比丘たちよ。比丘は内に貪欲(欲貪)があれば「私の内に貪欲がある」と知り、あるいは内に貪欲がなければ「私の内に貪欲がない」と知る。また、未だ生じない貪欲がどのように生じるかを知り、すでに生じた貪欲がどのようにして捨断されるかを知り、捨断された貪欲が将来どのようにして生じないかを知る。

Santaṃ vā ajjhattaṃ byāpādaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ byāpādo’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ byāpādaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ byāpādo’ ti pajānāti, yathā ca anuppannassa byāpādassa uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannassa byāpādassa pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnassa byāpādassa āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

次に内に怒りがあれば「私の内に怒りがある」と知り、あるいは内に怒りがなければ「私の内に怒りがない」と知る。また。未だ生じない怒りがどのように生じるかを知り、すでに生じた怒りがどのようにして捨断されるかを知り、捨断された怒りが将来どのようにして生じない かを知る。
      
Santaṃ vā ajjhattaṃ thinamiddhaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ thinamiddhaṃ’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ thinamiddhaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ thinamiddhaṃ’ ti pajānāti, yathā ca anuppannassa thinamiddhassa uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannassa thinamiddhassa pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnassa thinamiddhassa āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

あるいは内に惛沈・睡眠があれば「私の内に惛沈・睡眠がある」と知り、あるいは内に惛沈・睡眠がなければ「私の内に惛沈・睡眠がない」と知る。また、未だ生じない惛沈・睡眠がどのようにして生じるかを知り。すでに生じた惛沈・睡眠がどのように捨断されるかを知り、捨断された惛沈・睡眠が将来どのようにして生じないかを知る。

Santaṃ vā ajjhattaṃ uddhaccakukkuccaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ uddhaccakukkuccaṃ’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ uddhaccakukkuccaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ uddhaccakukkuccaṃ’ ti pajānāti, yathā ca anuppannassa uddhaccakukkuccassa uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannassa uddhaccakukkuccassa pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnassa uddhaccakukkuccassa āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

 あるいは内に落ち着きのなさ。後悔があれば。「私の内に落ち着きのなさ。後悔がある」と知り、あるいは内に落ち着きのなさ、後悔がなければ「私の内に落ち着きのなさ、後悔がない」と知る。また、未だ生じない落ち着きのなさ、後悔がどのように生じるかを知り。すでに生じた落ち着きのなさ、後悔がどのようにして捨断されるかを知り、捨断された落ち着きのなさ。後悔が将来どのようにして生じないかを知る。

Santaṃ vā ajjhattaṃ vicikicchaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ vicikicchā’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ vicikicchaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ vicikicchā’ ti pajānāti, yathā ca anuppannāya vicikicchāya uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannāya vicikicchāya pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnāya vicikicchāya āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

あるいは内に疑いがあれば「私の内に疑いがある」と知り。あるいは内に疑いがなければ「私の内に疑いがない」と知る。また、未だ生じない疑いがどのようにして生じるかを知り、すでに生じた疑いがどのように捨断されるかを知り、捨断された疑いが将来どのようにして生じないかを知る。

Iti ajjhattaṃ vā dhammesu dhammānupassī viharati, bahiddhā vā dhammesu dhammānupassī viharati, ajjhattabahiddhā vā dhammesu dhammānupassī viharati, samudayadhammānupassī vā dhammesu viharati, vayadhammānupassī vā dhammesu viharati, samudayavayadhammānupassī vā dhammesu viharati, ‘atthi dhammā’ ti vā panassa sati paccupaṭṭhitā hoti. Yāvadeva ñāṇamattāya paṭissatimattāya anissito ca viharati, na ca kiñci loke upādiyati. Evaṃ pi kho, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati pañcasu nīvaraṇesu.

このように自己の法において法を随観し続け、あるいは他の法において法を随観し続け。あるいは自他の法において法を随観し続ける。また法において(法を)生法なりと随観し続ける。
 あるいは法において滅法なりと随観し続け、あるいは法において生滅の法なりと随観し続ける。
 そこで「法のみあり」との念が彼に起こる。それこそは智慧の(増大の)ため、念の(増大の)ためになる。彼は(愛着・誤った考えに)よることなく(随観し)続け、世の何ものにも執着しない。比丘たちよ。比丘はこのように五つの障害の法において法を随観し続けるのである。
                                    
 障害の部終り

10月自主瞑想会(中止)のおしらせ

10月12日自主瞑想会中止のおしらせ

予定されておりました以下の瞑想会は、台風襲来のため中止とさせていただきます。

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(この会は有志により開催されています)

だれでも自由に坐れる場を提供したい、ということから始めた瞑想会です。
どうぞお気軽にご参加ください。
日時:10月12日(土)13:00~17:00
会場:板橋区見次公園集会所2階和室 都営三田線志村坂上駅より徒歩7分(地図参照)
住所:板橋区前野町4-59-1(https://map.goo.ne.jp/place/13002641886/map/)
参加費:無料
会場費のお布施を受け付けています。

 

予約は必要ありません。
座布団はあります。瞑想しやすい服装でおいでください。

 

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注意事項

 

・会場内では「沈黙行」をお守りください。お話したい方は室外にてお話し下さい。
・途中での出入りは自由です。受付名簿に記入し、坐っている方の迷惑にならぬよう静かに出入りしてください。
・瞑想指導はありません。各自で、自分の行なっている瞑想をなさってください。
・瞑想会終了後に1時間ほどの「懇親会」を持ちます(自由参加です)。

 

およその時間割(当日の状況で多少変わることもあります)

 

13:00    受付開始
13:20-13:30 読経(慈経)
13:30-14:30 瞑想
14:30-14:45 休憩 
14:45-15:45 瞑想
15:45-16:00 休憩
16:00-17:00 瞑想、回向
17:00-  懇親会(1時間くらい)

 

次回の予定
11月30日(土)板橋区見次公園集会所2階和室

 

主催:静寂瞑想の会

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2012/8 宝台樹高原

  • 6
    8月に合宿の行われたみなかみ町藤原は宝台樹山のふもとにあり、冬はスキー場になる高原風ののどかな村です。

2009年クムダ・セヤドーのお寺 

  • 10 セヤドーのお話を聞く
    ミャンマー・ヤンゴン市郊外モービにあるクムダ・セヤドーの瞑想センターを訪ねた方が写真を送ってくださいました。 シーマホールも完成し、そこには富士山をバックにした仏像がまつられています。

2008/8 水上合宿

  • 雨上がり
    8月に合宿の行われた水上町藤原はまさに水の里。民宿周辺の風景をお届けします。

2008 夏の風景

  • 朝霧の沢
    夏の暑い日、川の源流では入道雲が湧き、山や木々は様々な表情を見せていました。

2008/7 関西合宿・瞑想会

  • 延命寺三門にて
    大阪、河内長野市にある延命寺は弘法大師空海が開基と伝えられ、市の紅葉名所にもなっている美しいお寺です。 ここで7月、クムダ・セヤドーをお招きして一週間の瞑想合宿が開かれました。
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