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2019年9月15日 (日)

クムダ・セヤドー 法話(6)

2019年5月に来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。 

 

4 民宿前の桜の木

 

恩を忘れないこと  今日は、わかりやすい法話をします。輪廻している中で大切なこととして、「立派な人や目上の人には悪心を抱かない」ということがあります。「悪いことをしないこと。悪い言葉も言わないこと。心の中で悪く思ったりもしないこと」です。目上の立派な方は、いい影響を与えている方たちです。そういう人達には、親や、祖父母、目上の兄弟達がいます。また自分の世話をしてくれた人たちです。こうしたお世話になった人には、悪いことをしない、悪いことも言わない、心でも悪く思わないこと。

 

 こんな話がありました。池にいる白鳥が魚を獲っていました。獲った魚を空中に放り投げ、落ちてきたところを上手くくわえて食べています。ある男がそれを見ていて、「自分も真似してみよう」と思いました。棒を空中に放り投げ、落ちてきたところを口で捕まえました。これをしていたところ有名人になり、みんなの前で披露することになりました。みんなは、「どうやって練習したんですか?」と聞きました。男は、「教わる人がいないので自分で練習しました」と言いました。そして、棒を放り投げて口にくわえようとしたとき、棒が口に突き刺さって死んでしまいました。  教えてもらった人やお世話をしてもらった人への恩を忘れないこと。いつも憶えていることが大切です。

 

 

菩薩コピダの話  お釈迦さまが「コピダ」という菩薩だった時代の話しをします。バラナシにコピダという人がいました。コピダは竪琴が上手だったので、竪琴を弾いて生計を立てて生活をしていました。コピダの竪琴は有名でした。この町にはムティアという人もおり、やはり竪琴が上手でした。しかしコピダほど上手くはありません。ムティアは、コピダの所に習いに来ました。もっと上手くなりたいので教えてくださいといってやってきました。コピダは人相を見ることもできたので見てみると、ムティアはお世話になった人を裏切り、逆らう人相をしていました。それで、竪琴を教えることは断りました。

 

 ところで、コピダの親は目が見えませんでした。ムティアは、コピダの親の世話をして、恩を売って、コピダの弟子にしてもらうように、その親に頼み込みました。コピダは、親から言われたので仕方なく、ムティアを弟子にすることにしました。そうして竪琴の弾き方を教えることになり、コピダは、ムディアに竪琴の全てを教えました。竪琴の全てを教わったムディアはうまくなって、先生のようになりました。ムディアは、バラナシで自分が一番上手いと自慢するようになり、教わった先生よりも優れていると鼻高々になってしまいました。
 あるとき、ムティアは王様に竪琴を披露したいと思いました。そして王様を紹介して欲しいとお願いしました。コピタは王様の前で竪琴を演奏するときに、弟子達も連れて行き、紹介しました。

 

 王様はムティアの竪琴の腕前を知りたくなりました。そして、ムティアの竪琴を聞いた王様は、ムティアが気に入り、彼は王様のお抱えになりました。ムティアは王様のために竪琴を奏でるようになり、王様は給料を出すことにしました。しかし王様は、「ムティアはコピダの弟子なので、弟子としての給与しか出せない」と言いました。たとえば先生が1000円なら、弟子は500円です。けれどもムティアは反発しました。自分には先生と同じくらいの実力があるのに給与は弟子の金額というのはおかしい。王様は、「ムティアよ、あなたは先生より腕前が上かもしれないが、そのことは言わないように」と言いました。ムティアは納得がいきません。自分の竪琴の技術は先生と同じなのに、どうして弟子並の金額しかもらえないのか。そこでムティアは、王様と国民達の前で、竪琴を披露して、先生のコピダと自分の竪琴の、どちらが上手いかを見てもらいたいと言い出しました。

 

 これを聞いたコピダは、ムティアと勝負して、もし負けたらどうしようかと思い、つらくなりました。先生が負けるのは恥ずかしい。竪琴で勝負することを考えると、つらくなって、死にたくなりました。コピダは、森の中に入って自殺しようとしました。しかし死ぬのは怖くて戻ってきました。何度も自殺を考えて森へ入り、思い直して森から戻るということを繰り返しているうちに、コピダが歩いた跡が道になってしまったくらい、何度も逡巡しました。実際のところ、先生のコビダよりも、ムティアのほうが実力があったのです。

 

 そのときデーヴァ(天人)が、それを見ていました。デーヴァは事情がわかっていたのでコビダに対して「何かお手伝いしましょうか」と言いました。コピダは、「ムティアが竪琴を披露しあって勝負しようと言い出した。どうしたらいいものか」と言いました。それを聞いたデーヴァは、「コビダさんを助けますよ。だからあなたは落ち込まないで、負けないで」と言いました。「コビダさん、あなたが勝ちます。7日後に行われる竪琴の勝負のときに、天界から降りてきてあなたを助けます」と、デーヴァは言いました。

 

 7日後、竪琴の勝負が行われました。デーヴァはやってきました。竪琴の披露では、先生であるコピダが先に弾きました。その演奏は綺麗な音だった。竪琴には7本の糸があるけれど、コピダは、1本の糸を切って、6本で弾き始めました。しかしまるで7本の糸で弾いているかのように綺麗な演奏でした。次にまた1本切って、5本の糸で演奏を始めた。またもや7本の糸で弾いているかのように綺麗な音でした。そうして、また1本切って4本。3本。2本。1本。とうとう7本全部切って、糸が無い状態で演奏しても、綺麗な竪琴の音が響き渡りました。糸が無くても綺麗に聞こえたのです。
 実はこれらはデーヴァが全て助けてくれたことでした。しかしデーヴァの姿は、みんなには見えません。この様子を見ていたムティアは驚いて負けを覚悟しました。ムティアはショックのあまりに竪琴が弾けなくなってしまいました。そうして観衆から、「あなたは何故、先生と勝負すると言ったのですか?」と問われました。ムティアは答えることができず、出て行こうとしたところ、観衆から石や棒を投げつけられて、その場で亡くなりました。

 

 この話しのポイントは、お世話になった人に対して文句を言ったり争いをしてはいけないということ。セヤドーは今年60才です。60年生きてくると、いろんな先生やお世話になった方々がいらっしゃいます。そういうお世話になった人達に、争いごとを持ちかけたり、文句や不満を言ったり思ったりすることもよくないことです。このことには注意したほうがいいでしょう。
若い時は一生懸命に働きます。その甲斐ががあって年齢を重ねると地位を得たり偉くなることがあります。けれども鼻が高くなって慢心が強くなることもあります。でも、そういうふうになってはいけません。お世話になった人のことを忘れてはいけません。この話しは、輪廻して生き続けている中で、気をつけないといけないことです。

 

 

お布施と天界  ところで竪琴の勝負が終わった頃、天界では、天女達が、「デーヴァはどこへ行ったのか?」と探して、デーヴァが戻ってくるのを待っていました。デーヴァは、「人間のコピダのところへ行っていた」と言って事情を説明した。すると天女達は、「コピダの演奏を聞きたい」と言いました。そこで使いの神をコピダの元に行かせて、天界に招待しました。
 ちなみに生きている間に天界へ行った者は三人いました。一人は、コピダ。二人目は、雌の白鳥。三人目は、王様のメーミです。この3人は、生きながら天界へ行った者たちです。3人ともデーヴァから招待されて天界へ行きました。雌の白鳥は、前世ではデーヴァの奥さんでした。けれども善いことは何もしていなかった。着飾ったり、化粧したりして自分を美しくすることばかりしていました。そして、いつも綺麗になりたいと言っていました。それで次の生は白鳥に生まれ変わったそうです。

 

 さて、天界に招かれたコピダは天女達の前で竪琴を披露しようとしました。コピダは、「竪琴を弾く場合はお金をいただいて披露しています。お金をいただけないなら竪琴の披露はできません」といいました。天女たちは、「コピダさん、お金の代わりに何が欲しいですか?」と聞くと、コピダは、「天女の皆さんは、どうして天界にいるのですか?何をして天女に生まれ変わったのですか?それを教えてください」と言いました。
 それで、天女たちは、前世で何をしたのかをコピダに話し始めました。天女は36人いました。天女たちは、「そんなに大したことはしていません、けれども、カッサパ仏の時代に、お布施をしました」と言いました。「お布施したものは、『花・よい香りのするもの・服(布)・果物・燈明・食べ物』。こういうものをカッサパ仏へ施しをしただけです。それで天女に生まれ変わりました」と言いました。

 

 36人の天女のうち「ご飯(食事)」をお布施した人が多かった。戒律を守っていた天女もいました。天女になったのは、カッサパ仏にお布施した功徳でした。お布施をして、戒律を守っているならば、かならず天界へ行くし、天女にもなれる。天女が持っている財産、食べているもの、その他諸々のすべては「ルーパ(物質)」です。前世で善行をし、施しをしていたので、財産、物といった「ルーパ(物質)」に恵まれるようになりました。気持ちや心は「ナーマ(心)」です。所有物は「ルーパ(物質)」です。

 

 

ナーマとルーパも自分のものではない  ところで私たちは、前世で善いことをしたので、今、現世で人間になっています。人間が持っているものは「ルーパ(物質)」と「ナーマ(心)」です。天人にも「ルーパ(物質)」「ナーマ(心)」があります。けれども「ルーパ(物質)」、「ナーマ(心)」は自分のものではない。もし、「ルーパ(物質)」や「ナーマ(心)」が自分のものであるならば、自分でコントロールすることができるし、思っている通りにすることができます。
 自分の髪の毛が白くなったら黒くするこができますか?それはできないでしょう。なぜなら髪の毛は自分のものではないからです。自分のものであるならば、綺麗にしようとすれば、綺麗にできる。若くなろうと思えば若くなれる。けれども実際はできない。これは「ルーパ(物質)」や「ナーマ(心)」は自分のものではないからです。

 

 「ルーパ(物質)」や「ナーマ(心)」は、変化し壊れる性質がある。「ナーマ(心)」もいつも動いている。変わり続けている。なので「ルーパ(物質)」や「ナーマ(心)」は自分のものとは言えない。お金や財産も「ルーパ(物質)」で、自分のものではない。配偶者や子どももそうだし、自分の身体もそうです。死んでしまったら、その死体は自分のものと言えるでしょうか。そのときには、地・水・火・風・色・味・香・栄養素の8種の要素だけが残ります。その8種の要素は自分のものといえるでしょうか。自分の体といえるでしょうか。自分の所有物といえるでしょうか。
 ですから、ヴィパサナーまで頑張ってください。ヴィパサナーができるようになると、カラーパ(微粒子の集合)もわかります。要素も全部わかるようになります。これは本当に大事なポイントです。私たちにとって大事なことは、「(これは)自分でないし、(これは)自分のものではない」ということです。

 

 セヤドーのお寺でも、ここにある木でもそうですが、枯れて下に落ちる枯れ葉があります。この枯れ葉を、拾って持って行っても、誰もなんとも思いません。枯れ葉を燃やしても誰もなんとも思いません。どうしてでしょうか?  その枯れ葉は、自分のものではないからです。だから全然気にしない。財産、身体も、この枯れ葉と同じです。本当は自分のものではありません。枯れ葉と同じで、いつか燃やされてしまうものです。枯れ葉と同じで、亡くなったら私たちの体も燃やされてしまいます。だから自分の体、自分の物と思わないでください。誰も何も持っていません。

 

 ヴィサパナーまでできるように頑張ってください。ヴィサパナーまでできなくても、ダーナ(布施)とシーラ(戒律)を行う。ダーナ、シーラを守る。これがいつか身につくようになります。ヴィサパナーができるようになれば最高です。ヴィサパナーができれば本当のしあわせになれます。涅槃まで行けます。苦しいことも悲しいこともなくなります。   今日はここまでです。

 

   サードゥ!  サードゥ!   サードゥ!

 

                   (2019年5月1日  みなかみ合宿での法話)

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