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2019年7月18日 (木)

クムダ・セヤドー 法話(4)

2019年5月、来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。  

 

Photo_20190718143601 水仙の咲く道

 

 

今日は、 「慈悲喜捨」(四無量心)と随念のお話をします。

 

カルナー(karuṇā 悲) 「慈悲喜捨」の二番目、「悲」のお話から始めます。パーリ語でカルナー(karuṇā)と言います。例えば、足を失ったり、足が折れたりとか、そういう人を見て「かわいそう」と思う気持ちがカルナーです。その気持ちを心身が不自由な人たちなどにを送ります。苦しんでいる情況を思い浮かべ、そこから抜け出せるようにカルナーを送ってください。カルナーを送る時にお唱えするパーリ語はメッターの場合と違って一つだけです。
「この善なる人が、苦痛から解放されますよように」
ayaṃ sappuriso dukkhā muccatu(アヤン サップリソ ドゥッカー ムッチャトゥ)

 

心身が不自由な人だけでなく、お年寄りや、元気がない人、死にかけている人、そういう人たちにもカルナーを送ってください。最近は人を殺したり虐待する事件が多くありますが、そのような事が起こるのはカルナーがないからです。カルナーがあれば、人を苦しませるような事件は起きません。

 

参加者:「死にかけている人」というのは自殺しそうな人のことですか?
セヤドー:死や病、つまり「生老病死」の事です。

 

生老病死でに苦しんでいる人にカルナーを送ってください。人々がお互いを殺しあったり、国家間の紛争などありますが、それはカルナーがないからです。この世界に生きている限り、慈(mettā メッター)・悲(karuṇā カルナー)・喜(muditā ムディター)・捨(upekkhā ウペッカー)が必要です。私たちが、慈・悲・喜・捨の四無量心を失うと、世界は滅びます。今、世界に起きている苦はこれら四無量心が失われつつあるからです。世界は広すぎるので四無量心を送ることが難しいとしても、家族や友人、自分の身の回りにいる人々などに必ず送るようにしてください。

 

 

ムディター(muditā 喜) 三番目はムディター、喜です。先ほど説明したカルナー(悲)が二番目、昨日話したメッター(慈)が一番目でした。ムディターとは、うれしいこと、よろこびです。たとえばお金持ちを見たときに起きる、喜びの気持ちです。
パーリ語で、
「ayaṁ sappuriso yathāladdha-sampattito māvigacchatu(アヤン サップリソ ヤターラッダ サンパティト マーヴィガッチャト)」
と唱えます。「この善き人がみずから得たものを失いませんように」という意味です。

 

ムディターの回向の偈はカルナーと同じくこの一つだけです。人を困らせたり、人の物を壊したり、人の仕事や物を奪ったりなどするのはムディターがないからです。相手を嫉妬せず、喜ぶことです。「あぁ、この人がお金持ちになってうれしいな、自分もうれしいな」という気持ちがムディターです。ムディターがないと他人や物を破壊してしまいます。友人がお金持ちになっても嫉妬しないでムディターの気持ちをもってください。日本は縦社会ですけれど、自分の後輩や同僚が出世しても嫉妬しないでください。その人のカルマによって出世したことなので、そのことに嫉妬せずにムディターの気持ちを持つことが大事です。

 

参加者:お金とか、地位とか、その人が持っている能力、才能とかも同じですか?
セヤドー:そうです。ムディターで接してください。

 

自分より能力や才能が優れた人にムディターで接しないと、その人が持っているものを破壊したくなるのです。わたしたちが今住んでいる世界も同様です。たとえば、アラビア諸国は石油のおかげでとても裕福ですが、周辺国から嫉妬されて争いが一年中絶えません。ムディターがないから戦争が起こるのです。自分より生活が上であることに嫉妬するからです。お金を持っている国、アメリカなどは貧しい国に対してかわいそうと思うカルナーがありません。殺そうとさえします。カルナーがないといじめてしまうのです。力を使って弱者を苦しめます。ですから、メッター、カルナー、ムディターを必ず持ってください。

 

 

ウペッカー(upekkhā 捨) 次はウペッカーです。日本語で「捨(しゃ)」と訳されています。
1.すべての生き物に平等に接することです。
2.まず最初に、嫌いでも好きでもない同性の人を思い浮かべてメッターを送ります。
3.充分にメッターを送ったことで自分の心が落ち着いたらウペッカーを送ります。

 

パーリ語で、
「Ayaṁ sappuriso kammassako(アヤン サップリソ カンマサッコ)」と念じます。
「この善き人が為したカルマはその人のものです」という意味です。

 

ある人がお金持ちだとすると「そのカルマによってお金持ちだ」と思ってください。自分より貧しい人には「そのカルマによって貧しい」など(先入観を捨てて)と思ってください。ある人がよい仕事をしているとき、嫉妬をせずに「そのカルマによってよい仕事をしているなぁ」と思ってください。

 

この四つの無量心は、この世界に住んでいる限り、絶対になくしてはいけません。仏教、キリスト教、イスラム敎など関係なく必ずその四無量心を持つようにしてください。この四つが世界にないと、人として生きてゆくことが難しくなります。たとえば、アメリカとウサマ・ビン・ラディンの場合はこれに当てはまります。四つの無量心がないのであのように殺し合ったりするのです。アメリカが攻撃されたり、ビン・ラディンが殺されたり、結局お互いにとってよいことがありません。国どうしで戦争したり、殺し合ったりするのです。たとえば、日本と北朝鮮の関係が悪化しているのは、お互い四無量心がないから争っているのです。これを理解してほしいのです。本質はもっと深く難しいので喩えとしてお話しています。

 

四つの無量心がこの世にあるかないかを省みて、この世から離れるべきかか、留まるべきかをよく見極めてください。世界に四無量があるかないかを見て、人間界に残るか、涅槃を目指すかを自分で決めてください。世界が苦であるとみて、瞑想修行をして涅槃に行く努力をしてください。

 

 

仏随念(Buddhanussati ブッダヌッサティ) 次は、仏の九徳を随念する仏随念です。九徳を念ずる修行は、自分の好きな仏像、例えば鎌倉大仏でもいいですし、牛久の大仏でもいいです。自分の家に仏像があるならばそれでもいいです。仏の姿を思い浮かべて九徳の一つを選びます。一つまたは九徳全部を選んでもよいです。たとえばアラハンを選んだら、「アラハン、アラハン…」と唱えます。この九徳を心を込めて唱えると、心が安らかになり、それが自分を護ります。この徳を何回も唱えます。そうすると自分の意思をコントロールできるようになります。

 

(通訳の体験)
私が小さい時の事です。母親に隠れて映画を見に行きました。しかし、帰りが遅くなり、母親から怒られるのではと怖くなりました。そこで仏の九徳を唱えながら帰りました。家に着くと母親に笑顔で迎えられ怒られなかったのです。私はびっくりしました。ミャンマーの親はとても厳しいので普通は子どもの帰りが遅いと当然怒られます。私は普段と違う反応にとまどいましたが、九徳を唱えたことを親には黙っていました。〔笑〕
これは私の実体験です。九徳を唱えるとよい結果を得るので、何回もやったことがあります。自分が何事かを実現したいとき、九徳を使うとうまくゆきます。

 

もしも、自分の力(power)を強くしたいならばこれを毎日唱えてください。

 

仏の九徳(Buddhaguṇa ブッダグナ)
Itipi so Bhagavā(イティピソー バガワー)
①Arahaṁ(アラハン)=阿羅漢(あらかん)
②Sammāsambuddho(サンマーサンブッドー)=正自覚者(しょうじかくしゃ)
③Vijjācaraṇasampanno(ヴィッジャーチャラナ サンパンノー)=明行足者(みょうぎょうそくしゃ)
④Sugato(スガトー)=善逝(ぜんぜい)
⑤Lokavidū(ローカヴィドゥー)=世間解(せけんげ)
⑥Anuttaropurisa-dammasārathi(アヌッタロプリサ+ダマサーラティ)=無上士(むじょうし)+調御丈夫( じょうごじょうぶ)
⑦Satthādevamanussānaṁ(サッター デーワ マヌッサーナン)=天人師(てんにんし)
⑧Buddho(ブッドー)= 仏陀(ブッダ)
⑨Bhagavā ti(バガワーティ)=世尊(せそん)

 

これをお唱えすると自分のパワーが強くなります。

 

 

アスバ瞑想(Asubha bhāvanā 不浄観) 仏随念の次はアスバ瞑想です。ラーガ(rāga 貪欲)、執著が強い場合はアスバ瞑想をします。アスバ瞑想をするときは、同性の死体をイメージします。異性で行ってはいけません。目の前に死体がない場合は、智慧によってはっきりと死体を観想します。そして「paṭikūla、paṭikūla(パティクーラ、嫌悪)」と唱えます。この瞑想の目的は、ラーガをなくすためです。ミャンマーではお墓にいって死体の眼前でアスバ瞑想をします。日本のお墓は、火葬なので死体はありませんね。ミャンマーも火葬ですが、アスバ瞑想のための死体置き場があります。人が亡くなると新聞や伝言などでアスバ瞑想者に告知します。

 

参加者:亡くなって何日ぐらい瞑想しているのですか?
セヤドー:二三日ぐらいです。昔は土葬でしたので虫がわいたり、腐って臭う死体が朽ち果てるまで瞑想していました。
参加者:ミャンマーは暑いので三日ぐらいで結構臭いそうですね。
セヤドー:そうです。臭くなります。私たちの身体も臭くなります。生きていても体臭があります。
参加者:今でも(実際の)死体で行うアスバ瞑想をやられているんですね。
セヤドー:人が亡くなると比丘を呼んでアスバ瞑想の場を設ける伝統があります。
参加者:日本人はぜんぜん死体を見なくなったのでよくないですね。

 

死随念(maraṇānussati マラナヌッサティ) 次は死随念です。まず、死随念に入る前にアスバ瞑想を30分ぐらい行います。アスバ瞑想で見た死体のように、自分もいつか死体になります。死から逃れることはできません。自分は必ず死にます。死随念では自分が死ぬことを随念します。

 

①私は必ず死ぬ。私の命は無常だ。
(maraṇaṁ me dhuvaṁ, jīvitaṁ me adhuvaṁ マラナン メー ドゥヴァン、ジーヴィタン メー アドゥヴァン)
②私はいつか死ぬだろう。
(maraṇaṁ me bhavissati マラナン メー バヴィッサティ)
③私の命は死によって終わる。
(maraṇapariyosānaṁ me jīvitaṁ マラナパリヨーサーナン メー ジーヴィタン)
④死。死。
(maraṇaṁ maraṇaṁ マラナン、マラナン)

 

これをsaṃvega(サンヴェーガ)を持って行います。
通訳:saṃvegaは日本語で何といいますか。後悔?
参加者:切迫感、自分の身に迫ってくるという…。

 

切迫感を持って、自分の死や死んでいる姿を思い浮かべて瞑想します。これが終わるとサマタ瞑想の修習が終わります。さらにレベルの高い瞑想がありますが今はおおまかな説明だけ終わります。

 

    サードゥ! サードゥ! サードゥ!

 

                 (2019年5月5日  みなかみ合宿での法話)

 

 

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