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2019年7月

2019年7月28日 (日)

8月経典学習会のお知らせ

8月の経典学習会は、8月18日(日)に開催予定です。

8月18日(日)13:30~17:00 
和光市、新精舎にて
住所 和光市新倉2丁目27-18  
和光市駅から徒歩20分くらい。バス:北口より新倉小学校下車3分。
(地図参照)
Photo_20190728204401

予定

13:30より自主瞑想(法話は14時からですが、それまで自主的に瞑想しています)
14:00より経典の解説
16:00より質疑応答
17:00ころ終了

参加費無料
予約の必要はありません

内容: オバサ・セヤドー念住経の解説 「心の随観」
テキストは、ブログ「3月経典学習会のお知らせ」をご参照ください。
http://parami-library.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/3-3bde.html

9月の予定 9月22日(日)中板橋MCWAにて
トゥ・ミンガラ比丘(Thu Mingala Bikkhu)によるダンマパダ(法句経)の解説です。
ダンマパダ(法句教)146,147偈
「何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?―世間は燃え立っているのに―。汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか?」
「見よ、粉飾された形態を!(それは)傷だらけの身体であって、いろいろのものが集まっただけである。病に悩み、意欲ばかり多くて、堅固でなく、安住していない。」
(岩波文庫「真理の言葉 感興のことば」中村元訳 より)

2019年7月18日 (木)

クムダ・セヤドー 法話(5)

2019年5月に来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。 

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会場付近の民家

戒律を守った天人
今日は、シッダ・ダタという名の天人の話です。その天人は三十三天(帝釈天がいるところ)にいました。モッガラーナ長老がシッダ・ダタに、なぜあなたは今の生でここに生まれ来たのか質問しました。天人の前世は人間でした。結婚しないで親の世話をして、戒律を守って生活をしていました。モッガラーナ長老は、なぜ結婚しなかったのか尋ねました。シッダ・ダタは、結婚しても、奥さんが親の世話をしてくれるとは限らないからだと答えました。そして彼は親の世話をしながら、戒律を守って生活をしをしたため、次の生で天人に生まれ変わりました。

戒律を守る人は、自分がかなえたいことを実現することができます。ですから皆さんも戒律を守っていれば、自分の欲しいものが手に入ったり、望む状態が得られたりします。
1番目に、戒律を守れば心が穏やかになります。心が穏やかになると、心が綺麗になります。
2番目に、戒律を守れば戒律が好きになってきます。
3番目に、身体も心も穏やかになっていきます。そして悲しんだり落ち込むことがなくなってきます。
4番目に、身体と心が楽になります。

皆さんも戒律を守るようにしてください。3番目に言ったのは自分の身体と心が穏やかになる、ということです。悪いことをしないし、悪いことを思っていなから心が穏やかになって、楽(スカ)になります。悪いことをすると、楽しくないし、楽(スカ)にはならないですね。4番目までいってさらにサティとヴィリア(精進)をちゃんと持てば、瞑想につながります。それをちゃんとやればサマーディになります。私たちは戒律をちゃんと守っているのですから、4つの要素をもっていて、さらにサティとヴィリアを足したら、サマーディになります。

今私達がサマーディに入れないのは、ちゃんと戒律を守っていないからかもしれないと、セヤドーはおっしゃっています。
お酒を飲んだら絶対にサマーディには入れません。
お酒を飲んでいる方はいらっしゃいますか?
参加者:(手を挙げる人なし)

自分が戒律を守らないと、なかなかサマーディには入れません。私たちは昔、戒律を守っていなかったので、今こうして良いことをしていても、なかなかサマーディには入れません。気持ちが前のことに戻って、そこにいってしまうのです。前のところに気持ちが行ってしまうから、サマーディになかなか入れません。ですから、前戻りしないほうがいいのです。自分たちが昔していたこと、たとえば飲酒で戒律を守ってなかったとか。そういうことを以前していたので、今良いことをしても、前に少し悪いことをしたことを思い出して、そこに気持ちがいってしまいます。前にもどらないように、とは後悔しないことです。

戒律をちゃんと守って、行ないをちゃんとすれば、サマーディも高まるし、あとは正しいことが観えてきます。自分の身体を観ると、32身分が観えます。私達はサマーディがないので、32身分も観えません。サマーディのある人が自分の身体を32身分で観ると、カラーパ(微粒子)が観えます。そしてそのカラーパから8要素が見れます。サマーディができたら、そのサマーディで全部観えます。どこを観ていても、全部カラーパに観えます。どこを観ても、雪のように観え、その雪のように観えるカラーパの中に8つの要素が観えます。そこまでできたらヴィパッサナーができます。ルーパ(物質)まで観えるようになります。

ルーパが観えるようになると、自分の身体や他人の身体が全部カラーパに観えます。そこまで観えるようになるのはちょっと難しいのです。でもそこまでできるようになったら椅子を見てても観えるようになるのです。全部がカラーパに観えています。夜中に起きても観ようと思えばそれが観えます。全てがカラーパに。私達は、まだできてないから、観えませんが、もしできるようになったらいつでもカラーパが観えます。

そして、自分の身体を観ていると、いつもカラーパが生まれては代わるので、存在してないということ、「無常」ということがわかります。そこまでできるようになると、他の人が「この身体は存在します」と言っても、存在しないと答えてしまうのです。生まれては代わる、生まれては代わる、そういうものを、「それが存在するか、存在しないか」と質問されたらどう答えますか? 皆さん。
私達が「存在する」と思っても存在しないんですね。 これがスニャータ「空」です。

(参加者が補足説明)
ニッチャは「常」で、「ア」が付くと否定なのでアニッチャは「無常」ですね。「無常」が分かれば、常に存在するものはありません。そういう状態を「空」という、そういうご説明でした。

もしドゥッカ(苦)が観えたら、スカ(楽)がない。アナッタ(無我)が観えたら我がない。これは修行した人じゃないとなかなか分からないとセヤドーはおっしゃってます。
カラーパの中に、良い匂いとか良い味とか綺麗な色とかが混じっています。綺麗でないカラーパはアスバ(不浄)です。アスバが観えたらスバ(浄)はありません。ここまでいくと涅槃は近いです。

参加者:理屈で理解するのと、実際体験するのとでは、どれくらいの差がありますか?
セヤドー:理屈で理解するのと、実際体験するのとは全く違います。実際体験した人と知識だけの人を比較すると、頭のいい人と馬鹿な人ぐらいの違いがあります。だから実際に体験できるようにがんばってください。

こういうことを全て体験すると人生に飽きてきます。もっと分かりやすく言うと、生きていることが楽しくないのです。遊びに興味がなくなり、瞑想することが幸せになります。

参加者:仏教を学んで瞑想をしていて、遊びに興味がなくなるのは良いことですか?
セヤドー:良いことです。サマーディに入っていなくて何も観えてなくても、遊びに興味がなくなってくる。人と会いたくなくなってきます。そういう方でも一人で瞑想やり続けています。そういうふうにやればその人は必ず涅槃に入れるようになります。

サマディで全て観えるようになると人生に全て飽きてきます。私達が守っている戒律にプラス、サティとヴィリアがあればサマーディになって、サマーディになったら涅槃に行けます。今私達が瞑想をして3~4日目で身体の痛みが消えてきました。そしてだんだん呼吸に馴染み、サマーディが高くなって、サマディが高くなると難しいところまで行けます。私達はまだ期間が短いのでそこまで行っていないだけです。戒律が良いところまで行けるようにサポートします。涅槃に行けなくても、ちゃんと戒律を守っていれば天界に行けます。ですから戒律だけはきちんと守ってください。八戒が守れなければ、せめて五戒だけでも守ってください。戒律を守ることで、自分の人生に頼ることができます。

私達人間は一年365日で、もし100年生きるとしたら、365X100で36,500日しかありません。 しかしこの中では100歳まで生きる人は誰もいない。もし80歳まで生きるとしたら29,200日、大体30,000日ですね。そこから50歳を引くとすると、10,950日。セヤドーはもう60をこえているので、10,000日もないのです。
だから残っている時間、良いことをして幸せになるか、悪いことをして不幸せになるか。皆さんそういう計算をしたことがありますか?

人生は本当に短いです。あっという間です。ですので悪いことをして時間を消費しないでください。長いと思わないでください。今のように計算すると、人生は本当に短いとわかってきます。残りの日にちは良いことばかりやりましょう。

私達は今瞑想をしていますが、その中に妄想がどれくらい入っていますか?相当入っているでしょう?
それでも私たちは今いいことをしています。しかしその中でもアクサラ(不善)が沢山入っています。死ぬ前の気持ちは今のような気持ちです。死ぬ前は今のように、悪いことばかり思い出すのです。今の私達が瞑想をしていても、悪い妄想を沢山しますね。臨終のとき同じように悪い妄想をすると、地獄に行くことになります。

私達はこんな良いことをやっている最中にも悪い妄想が沢山入ってくるのに、良いことをやっていない普段の生活では、話になりません。ですから、なにを頼りにしたら良いでしょうか?
ちゃんと残りの時間を計算してみてください。そして瞑想をしっかりやってください。

    サードゥ!  サードゥ!   サードゥ!
                           (2019年5月2日  みなかみ合宿での法話)

クムダ・セヤドー 法話(4)

2019年5月、来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。  

 

Photo_20190718143601 水仙の咲く道

 

 

今日は、 「慈悲喜捨」(四無量心)と随念のお話をします。

 

カルナー(karuṇā 悲) 「慈悲喜捨」の二番目、「悲」のお話から始めます。パーリ語でカルナー(karuṇā)と言います。例えば、足を失ったり、足が折れたりとか、そういう人を見て「かわいそう」と思う気持ちがカルナーです。その気持ちを心身が不自由な人たちなどにを送ります。苦しんでいる情況を思い浮かべ、そこから抜け出せるようにカルナーを送ってください。カルナーを送る時にお唱えするパーリ語はメッターの場合と違って一つだけです。
「この善なる人が、苦痛から解放されますよように」
ayaṃ sappuriso dukkhā muccatu(アヤン サップリソ ドゥッカー ムッチャトゥ)

 

心身が不自由な人だけでなく、お年寄りや、元気がない人、死にかけている人、そういう人たちにもカルナーを送ってください。最近は人を殺したり虐待する事件が多くありますが、そのような事が起こるのはカルナーがないからです。カルナーがあれば、人を苦しませるような事件は起きません。

 

参加者:「死にかけている人」というのは自殺しそうな人のことですか?
セヤドー:死や病、つまり「生老病死」の事です。

 

生老病死でに苦しんでいる人にカルナーを送ってください。人々がお互いを殺しあったり、国家間の紛争などありますが、それはカルナーがないからです。この世界に生きている限り、慈(mettā メッター)・悲(karuṇā カルナー)・喜(muditā ムディター)・捨(upekkhā ウペッカー)が必要です。私たちが、慈・悲・喜・捨の四無量心を失うと、世界は滅びます。今、世界に起きている苦はこれら四無量心が失われつつあるからです。世界は広すぎるので四無量心を送ることが難しいとしても、家族や友人、自分の身の回りにいる人々などに必ず送るようにしてください。

 

 

ムディター(muditā 喜) 三番目はムディター、喜です。先ほど説明したカルナー(悲)が二番目、昨日話したメッター(慈)が一番目でした。ムディターとは、うれしいこと、よろこびです。たとえばお金持ちを見たときに起きる、喜びの気持ちです。
パーリ語で、
「ayaṁ sappuriso yathāladdha-sampattito māvigacchatu(アヤン サップリソ ヤターラッダ サンパティト マーヴィガッチャト)」
と唱えます。「この善き人がみずから得たものを失いませんように」という意味です。

 

ムディターの回向の偈はカルナーと同じくこの一つだけです。人を困らせたり、人の物を壊したり、人の仕事や物を奪ったりなどするのはムディターがないからです。相手を嫉妬せず、喜ぶことです。「あぁ、この人がお金持ちになってうれしいな、自分もうれしいな」という気持ちがムディターです。ムディターがないと他人や物を破壊してしまいます。友人がお金持ちになっても嫉妬しないでムディターの気持ちをもってください。日本は縦社会ですけれど、自分の後輩や同僚が出世しても嫉妬しないでください。その人のカルマによって出世したことなので、そのことに嫉妬せずにムディターの気持ちを持つことが大事です。

 

参加者:お金とか、地位とか、その人が持っている能力、才能とかも同じですか?
セヤドー:そうです。ムディターで接してください。

 

自分より能力や才能が優れた人にムディターで接しないと、その人が持っているものを破壊したくなるのです。わたしたちが今住んでいる世界も同様です。たとえば、アラビア諸国は石油のおかげでとても裕福ですが、周辺国から嫉妬されて争いが一年中絶えません。ムディターがないから戦争が起こるのです。自分より生活が上であることに嫉妬するからです。お金を持っている国、アメリカなどは貧しい国に対してかわいそうと思うカルナーがありません。殺そうとさえします。カルナーがないといじめてしまうのです。力を使って弱者を苦しめます。ですから、メッター、カルナー、ムディターを必ず持ってください。

 

 

ウペッカー(upekkhā 捨) 次はウペッカーです。日本語で「捨(しゃ)」と訳されています。
1.すべての生き物に平等に接することです。
2.まず最初に、嫌いでも好きでもない同性の人を思い浮かべてメッターを送ります。
3.充分にメッターを送ったことで自分の心が落ち着いたらウペッカーを送ります。

 

パーリ語で、
「Ayaṁ sappuriso kammassako(アヤン サップリソ カンマサッコ)」と念じます。
「この善き人が為したカルマはその人のものです」という意味です。

 

ある人がお金持ちだとすると「そのカルマによってお金持ちだ」と思ってください。自分より貧しい人には「そのカルマによって貧しい」など(先入観を捨てて)と思ってください。ある人がよい仕事をしているとき、嫉妬をせずに「そのカルマによってよい仕事をしているなぁ」と思ってください。

 

この四つの無量心は、この世界に住んでいる限り、絶対になくしてはいけません。仏教、キリスト教、イスラム敎など関係なく必ずその四無量心を持つようにしてください。この四つが世界にないと、人として生きてゆくことが難しくなります。たとえば、アメリカとウサマ・ビン・ラディンの場合はこれに当てはまります。四つの無量心がないのであのように殺し合ったりするのです。アメリカが攻撃されたり、ビン・ラディンが殺されたり、結局お互いにとってよいことがありません。国どうしで戦争したり、殺し合ったりするのです。たとえば、日本と北朝鮮の関係が悪化しているのは、お互い四無量心がないから争っているのです。これを理解してほしいのです。本質はもっと深く難しいので喩えとしてお話しています。

 

四つの無量心がこの世にあるかないかを省みて、この世から離れるべきかか、留まるべきかをよく見極めてください。世界に四無量があるかないかを見て、人間界に残るか、涅槃を目指すかを自分で決めてください。世界が苦であるとみて、瞑想修行をして涅槃に行く努力をしてください。

 

 

仏随念(Buddhanussati ブッダヌッサティ) 次は、仏の九徳を随念する仏随念です。九徳を念ずる修行は、自分の好きな仏像、例えば鎌倉大仏でもいいですし、牛久の大仏でもいいです。自分の家に仏像があるならばそれでもいいです。仏の姿を思い浮かべて九徳の一つを選びます。一つまたは九徳全部を選んでもよいです。たとえばアラハンを選んだら、「アラハン、アラハン…」と唱えます。この九徳を心を込めて唱えると、心が安らかになり、それが自分を護ります。この徳を何回も唱えます。そうすると自分の意思をコントロールできるようになります。

 

(通訳の体験)
私が小さい時の事です。母親に隠れて映画を見に行きました。しかし、帰りが遅くなり、母親から怒られるのではと怖くなりました。そこで仏の九徳を唱えながら帰りました。家に着くと母親に笑顔で迎えられ怒られなかったのです。私はびっくりしました。ミャンマーの親はとても厳しいので普通は子どもの帰りが遅いと当然怒られます。私は普段と違う反応にとまどいましたが、九徳を唱えたことを親には黙っていました。〔笑〕
これは私の実体験です。九徳を唱えるとよい結果を得るので、何回もやったことがあります。自分が何事かを実現したいとき、九徳を使うとうまくゆきます。

 

もしも、自分の力(power)を強くしたいならばこれを毎日唱えてください。

 

仏の九徳(Buddhaguṇa ブッダグナ)
Itipi so Bhagavā(イティピソー バガワー)
①Arahaṁ(アラハン)=阿羅漢(あらかん)
②Sammāsambuddho(サンマーサンブッドー)=正自覚者(しょうじかくしゃ)
③Vijjācaraṇasampanno(ヴィッジャーチャラナ サンパンノー)=明行足者(みょうぎょうそくしゃ)
④Sugato(スガトー)=善逝(ぜんぜい)
⑤Lokavidū(ローカヴィドゥー)=世間解(せけんげ)
⑥Anuttaropurisa-dammasārathi(アヌッタロプリサ+ダマサーラティ)=無上士(むじょうし)+調御丈夫( じょうごじょうぶ)
⑦Satthādevamanussānaṁ(サッター デーワ マヌッサーナン)=天人師(てんにんし)
⑧Buddho(ブッドー)= 仏陀(ブッダ)
⑨Bhagavā ti(バガワーティ)=世尊(せそん)

 

これをお唱えすると自分のパワーが強くなります。

 

 

アスバ瞑想(Asubha bhāvanā 不浄観) 仏随念の次はアスバ瞑想です。ラーガ(rāga 貪欲)、執著が強い場合はアスバ瞑想をします。アスバ瞑想をするときは、同性の死体をイメージします。異性で行ってはいけません。目の前に死体がない場合は、智慧によってはっきりと死体を観想します。そして「paṭikūla、paṭikūla(パティクーラ、嫌悪)」と唱えます。この瞑想の目的は、ラーガをなくすためです。ミャンマーではお墓にいって死体の眼前でアスバ瞑想をします。日本のお墓は、火葬なので死体はありませんね。ミャンマーも火葬ですが、アスバ瞑想のための死体置き場があります。人が亡くなると新聞や伝言などでアスバ瞑想者に告知します。

 

参加者:亡くなって何日ぐらい瞑想しているのですか?
セヤドー:二三日ぐらいです。昔は土葬でしたので虫がわいたり、腐って臭う死体が朽ち果てるまで瞑想していました。
参加者:ミャンマーは暑いので三日ぐらいで結構臭いそうですね。
セヤドー:そうです。臭くなります。私たちの身体も臭くなります。生きていても体臭があります。
参加者:今でも(実際の)死体で行うアスバ瞑想をやられているんですね。
セヤドー:人が亡くなると比丘を呼んでアスバ瞑想の場を設ける伝統があります。
参加者:日本人はぜんぜん死体を見なくなったのでよくないですね。

 

死随念(maraṇānussati マラナヌッサティ) 次は死随念です。まず、死随念に入る前にアスバ瞑想を30分ぐらい行います。アスバ瞑想で見た死体のように、自分もいつか死体になります。死から逃れることはできません。自分は必ず死にます。死随念では自分が死ぬことを随念します。

 

①私は必ず死ぬ。私の命は無常だ。
(maraṇaṁ me dhuvaṁ, jīvitaṁ me adhuvaṁ マラナン メー ドゥヴァン、ジーヴィタン メー アドゥヴァン)
②私はいつか死ぬだろう。
(maraṇaṁ me bhavissati マラナン メー バヴィッサティ)
③私の命は死によって終わる。
(maraṇapariyosānaṁ me jīvitaṁ マラナパリヨーサーナン メー ジーヴィタン)
④死。死。
(maraṇaṁ maraṇaṁ マラナン、マラナン)

 

これをsaṃvega(サンヴェーガ)を持って行います。
通訳:saṃvegaは日本語で何といいますか。後悔?
参加者:切迫感、自分の身に迫ってくるという…。

 

切迫感を持って、自分の死や死んでいる姿を思い浮かべて瞑想します。これが終わるとサマタ瞑想の修習が終わります。さらにレベルの高い瞑想がありますが今はおおまかな説明だけ終わります。

 

    サードゥ! サードゥ! サードゥ!

 

                 (2019年5月5日  みなかみ合宿での法話)

 

 

2019年7月16日 (火)

7月自主瞑想会のおしらせ

7月自主瞑想会のおしらせ
(この会は有志により開催されています)

だれでも自由に坐れる場を提供したい、ということから始めた瞑想会です。
どうぞお気軽にご参加ください。
日時:7月27日(土)13:00~17:00
会場:板橋区見次公園集会所2階和室 都営三田線志村坂上駅より徒歩7分(地図参照)
住所:板橋区前野町4-59-1(https://map.goo.ne.jp/place/13002641886/map/)
参加費:無料
会場費のお布施を受け付けています。

予約は必要ありません。
座布団はあります。瞑想しやすい服装でおいでください。

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注意事項

・会場内では「沈黙行」をお守りください。お話したい方は室外にてお話し下さい。
・途中での出入りは自由です。受付名簿に記入し、坐っている方の迷惑にならぬよう静かに出入りしてください。
・瞑想指導はありません。各自で、自分の行なっている瞑想をなさってください。
・瞑想会終了後に1時間ほどの「懇親会」を持ちます(自由参加です)。

およその時間割(当日の状況で多少変わることもあります)

13:00    受付開始
13:20-13:30 読経(慈経)
13:30-14:30 瞑想
14:30-14:45 休憩 
14:45-15:45 瞑想
15:45-16:00 休憩
16:00-17:00 瞑想、回向
17:00-  懇親会(1時間くらい)

次回の予定
8月25日(日)板橋区見次公園集会所2階和室

主催:静寂瞑想の会

7月経典学習会(日時変更)のお知らせ

7月21(日)に開催予定の経典学習会は都合により7月28日(日)に変更しました。

 

7月28(日)13:30~17:00 
中板橋MCWA事務所
住所 板橋区仲町39-1 電話03-3973-3348 

予定

 

13:30より自主瞑想(法話は14時からですが、それまで自主的に瞑想しています)
14:00より経典の解説
16:00より質疑応答
17:00ころ終了

 

参加費無料
予約の必要はありません

 

内容:
トゥ・ミンガラ比丘(Thu Mingala Bikkhu)によるダンマパダ(法句経)の解説です。
ダンマパダ(法句教)133,134偈、136偈
「荒々しいことばを言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。こわれた鐘のように、声をあららげないならば、汝は安らぎに達している。汝はもはや怒り罵ることがないからである。」
「しかし愚かな者は、悪い行ないをしておきながら、気がつかない。浅はかな愚者は自分自身のしたことによって悩まされる。―火に焼きこがされた人のように。」
(岩波文庫「真理の言葉 感興のことば」中村元訳 より)

 

8月の予定:8月18日(日)和光市、新精舎にて オバサ・セヤドー念住経の解説 「心の随観」

 

3a

 

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ダンマパダ 133,134
Mavoca pharusam kanci vutta pativadeyyu tam
dukkha hi sarambkakatha patidanda phuseyyu tam.
Sace neresi attanam kamso upahato yatha
esa pattosi nibbanam sarambho te na vijjati.

 

コンダーナ長老の物語
祇園精舎に滞在しているときブッダはコンダーナ長老に関してこの偈を詠みました。
コンダーナがサンガに入った時以来、女性の影が彼に付きまといました。この影は他の人には見えましたが、コンダーナ自身には見えず、彼はそれに気づきませんでした。托鉢に行くと人々は、しゃもじで2杯分入れてこう言いました。「尊者、これはあなたの分です。そしてこちらは一緒にいる女性の分です」。比丘が女性と一緒に歩くのを見て人々はコーサラ国のパセナディ王にこの2人のことを報告しました。彼らは王様にこういいました。「王様、あの道徳に欠けた比丘を王国から追放してください」。

 

そこで王は比丘の滞在する僧院を部下に包囲させました。騒音と声を聞いて、その比丘は出てきてドアのところに立ちました。そして女性の影もそこから遠くないところにありました。王が来たことを知って、比丘は彼を待つために部屋に入りました。王が部屋に入ると、女性の影はありませんでした。王は女性がどこにいるか比丘に尋ねました。比丘は、女性など見ないと答えました。王は確かめようと思い、比丘ににしばらく部屋を出るように言いました。比丘は部屋から出ました。王が見ると、再び比丘の近くに女性がいるのが見えました。しかし、比丘が部屋に戻ると、女性はどこにも見当たりません。王は、女性は実在の物ではないと結論しました。比丘は無実ということになりました。そして、王は比丘に毎日、托鉢のため宮殿に来るよう招待しました。

 

他の比丘たちはこの話を聞き、戸惑って比丘に言いました。「不道徳な比丘よ、王は国から追い出すのでなく、宮殿に托鉢に来るように招いた。何たる運命だろうか」。一方の比丘は、「あなたたちこそ道徳に欠けている。あなたたちは女性とつき合うよう運命づけられている」と反論しました。比丘たちはブッダにこの件を報告しました。

 

ブッダはコンダーナに人を遣わしてこう言いました。「我が息子よ、皆があなたに話しているように、他の比丘たちが女性と共にいるのを見たことがあるか。他の比丘たちは君のそばに女性がいるのを見るけれど、あなたは他の比丘たちのそばに女性の影を見ない。あなたが過去世でなした不善な行いの結果をあなたは知らない。今、なぜ女性の影があなたに付きまとうのかをお話ししよう。あなたは前の過去世でデーヴァだった。そのとき、互いにとても愛着がある2人の比丘がいました。しかし、あなたは女性に成りすまして比丘の一人に付きまとうことで2人の間にトラブルを起こそうとしました。その不善な行いのため今女性の影に付きまとわれているのです。私の息子よ、これからはもう他の比丘と論争しないように。ふちの割れた鐘のように沈黙を守りなさい。そうすれば涅槃を実現できるでしょう」。そしてブッダは次の偈を詠みました。
「荒々しいことばを言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。こわれた鐘のように、声をあららげないならば、汝は安らぎに達している。汝はもはや怒り罵ることがないからである。」

 

ダンマパダ 136
Atha papani kammani karam balo na bujjhati
sehi kammehi dummedho aggidaddhova tappati.

 

大蛇のペータの物語
祇園精舎に滞在しているときブッダは大蛇のペータ(餓鬼)に関してこの偈を詠みました。
モッガラーナ大長老がラッカナ長老と共に霊鷲山を下っていた時、大蛇のペータを見て微笑みましたが何も言いません。祇園精舎に戻ったとき、モッガラーナ大長老はブッダの前で胴体が燃えている大蛇のペータのことをラッカナ長老に話しました。ブッダは、悟りを開いたすぐ後にそのペータを見たが、それを話しても人々は信じないだろう。そうするとブッダに対して不善をすることになるので慈悲の思いから沈黙していた、と言いました。そして、今モッガラーナもそれを見たのだからこのペータについて話そう、と言いました。

 

このペータはカッサパ・ブッダの時代に泥棒であった。泥棒として、冷酷な心を持っていた彼は7回にわたり、ある金持ちの家に火をつけました。それだけでは満足せず、カッサパブッダが托鉢に行っている間、この金持ちがブッダにお布施したホールにも火を放ちました。この不善な行いの結果、彼は長いこと地獄で苦しむことになりました。いま彼はペータとしてその長い胴体を端から端まで炎で焼かれているのです。比丘たちよ、愚者は悪い行ないをしてもそれが悪だと分からない。しかしその結果からは逃れられない。そしてブッダは次の偈を詠みました。
「しかし愚かな者は、悪い行ないをしておきながら、気がつかない。浅はかな愚者は自分自身のしたことによって悩まされる。―火に焼きこがされた人のように。」

 

 

2019年7月 2日 (火)

クムダ・セヤドー 法話(3)

2019年5月、来日されたクムダ・セヤドーの法話を文章にして順次掲載しています。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。  

 

P6

 

 今日は瞑想の方法3種類を教えます。セヤドーが他のセヤドーたちに教えてもらった瞑想方法です。

 

アーナパーナサティ

 入息出息に集中できない時、やるべき方法は3つあります。まず1番目は、皆さんもご存知の数字を数える方法です。1から8までです。もう一つは1から10までです。まず8まで数えるという方法ですが、8までというのは八正道から来ており、10というのは仏陀の智慧が10あるのでそこから来ています。
 もう一つの方法は、まず1から5まで数えて、次は1から6まで、次は1から7まで、と最終的には1から10まで数える方法です。そういう時に1から5までで止めてしまうと心が彷徨って、牛が囲いのなかで彷徨ってしまうようになります。また10以上に大きく数えてはいけません。それは10以上に数えると、数字が大きくなって、数字の方に気がいってしまうからです。上の方法は心が彷徨う時にやる方法です。それは数字で数える方法です。

 

 もう一つの方法は入息の時に「1、1、1」、出息の時に「1、1、1」と3回数える方法です。これを1から8までやります。数字一つを3回ですね。どうしても先ほどの方法で心が彷徨ってしまう時にはこの方法でやります。
 もう一つの最後の方法は、舌を口の中でつける方法です。それで出来ない場合はもう方法はありません(笑)。ですから心が彷徨ってしまう場合はこの中から好きなものを選んでやって下さい。5つの方法がありますので、覚えておいて下さい。

 

 そういう風に心が落ち着いてきて、集中できるようになってきたら、出息入息に集中できるようになってきて、グレーなものが見えてきます。そして心がもっと落ち着いて、集中できるようになってきたら、雲のようになってきます。
 さらに集中できるようになったら、明るい光になってきます。最初に光る時は広い光になります。もっと集中できるようになってきたら、その光が太陽の光とか月の光みたいに丸い光になってきます。

 

 そういう風に心が集中できるようになってきたら、体もじーっと座れるようになってきます。2、3時間ずっと座っていても痛みを感じなくなります。そうやっていくと入息出息に集中するアーナパーナサティが好きになってきます。
 そうして毎回座るたびに先ほどの光が出てくるようになってきたら、今度は入息出息ではなくて光を対象にします。そうしているうちに先ほどのニミッタ、つまり光が消えてきたら、また入息出息から始めます。入息出息をしてまた光が現れたら、光を対象にします。

 

 ニミッタをずっと1時間くらい見られるようになってきたら、体の中の心臓のところを見ることになります。そうやって見てみると、心臓の動きが入息出息と同じように見えてきます。それはなぜかというと、心の中にアーナパーナサティがはっきりと固定できているからです。それを例えると、満月の時には水の中でも月が光っているようなもので、それと似ています。
 そこまでできるようになってきたら、ニミッタの方を1時間くらい見るようにします。可能であれば2時間、3時間見るようにして下さい。もし2時間、3時間とか瞑想できるようになったら、サマーディ、定が安定してきます。

 

五禅支

 基本的に1時間くらい見られるようになったら、セヤドーがその先を教えます。それが次のステップで、そこまでできるようになってきたら、先ほど見た心臓の中の透明なところを観察して、他の臓器とかを見るようにします。そうしていくと禅定になっていくので、禅定の機能として尋・伺・喜・楽・一境性の五禅支が出てきます。

 

 その1番目の「尋」は、アーナパーナサティをしているとき入息出息に常に注意がいくようにする能力です。次に「伺」は、意識上にずっとアーナパーナサティがいるように支えてくれる能力です。次の「喜」は、アーナパーナサティをすることに喜びを感じるということです。次の「楽」は、アーナパーナサティで幸せな気分になることです。最後の「一境性」は、ずっと心がアーナパーナサティだけにくっついているという能力です。それは禅定の5つの機能、能力です。

 

 ニミッタを集中して見られるようになってくる時は、先ほどの5つの機能が同時に感じられます。それをまとめると、心がアーナパーナサティにくっついていて、そこにずっといられるように支えられていて、そういうことが喜び、幸せであって、ずっとアーナパーナサティをしていられるような状況です。ニミッタに注目してみる時には、常にニミッタに注目しながらも、先ほどの5つの禅定の機能を見ながらニミッタを見るようになります。

 

五自在

 次のステップは五自在を練習することです。1番目は第一禅定の機能を、再度観察することです。2番目は目標を決めて、目標通りに禅定に入ることです。3番目は自分で目標の時間を決めて、その目標通りに修行を行うことです。例えば1時間と決めて1時間、2時間と決めて2時間、と修行することです。4番目は禅定から好きな時に普通の状態に戻せることです。最後の5番目は1番目と似ています。禅定になる時に最後にその禅定の機能をもう一度観察することです。そこまで出来るようになったら、さっきまでは第一禅定だったので、次の第二禅定、第三禅定、第四禅定のやり方をまた教えます。

 

三十二身分

 最後の第四禅定まで出来るようになってきたら、次のステップとしては、毎回第四禅定に入るようにして、その状態で身体の三十二の部位を観るようにします。三十二の身体の部位を観る時、例えば心臓を観る時に、心臓には部屋が何個ついているか、どんな色か、身体のどこにあるのか、そういうのを観ます。それを教える時には、基本的に一日五個観るようにします。最初は、毛髪、毛、歯、爪、皮膚の5つを観るようにします。

 

参加者:それは見るのですか?感じるのですか?
セヤドー:智慧で観ます。例えば自分の両親がいるでしょう。その両親を心の中で観るという感じです。
参加者:それは、イメージするということですか?
セヤドー:智慧で観るというのはイメージするというのとは少し違うと思います。
参加者:観察するということですか?
セヤドー:観察するんですね。何か対象があるとしたら、基本的に人間は五感で感じて心で何かがわかるのですが、今回は五感ではなくて、智慧で観るのです。例えば、心の中に親がいるとしたら、イメージして次のステップで智慧でばっと観えてくる。ちょっと分からないですかね(笑)。
参加者:アナパナをやっていたら智慧がついてくるのですか?
セヤドー:そうですね。アナパナと次のニミッタで、第一禅定、第二禅定・・・と禅定に入れば、智慧がついてきます。ですから、毎回そういう身体を観察しようとしたら、最初に第四禅定になるまでやって、身体が禅定の状態になるようにしてから観察します。

 

 次はまた5つで、肉・筋・骨・骨髄・腎臓です。その5つの中で一番むつかしいのは骨髄です。骨髄を観る時には、骨の中までつっこんで観ることです。お医者さんでも骨髄までははっきり分からなくて、色などもはっきりとは分かりません。それは、白っぽいクリーム色をしています。そういう色まで観察します。それは禅定があるからこそ観ることができるのです。例えば、腎臓を観る時にも腎臓がどんな形をしていて、身体のどの部分にあってとか、そういうことまで分かるようになります。

 

 次の五個は、心臓・肝臓・肋膜・脾臓・肺臓です。その中では心臓が難しいです。心臓のそれぞれの部屋を観るのが難しいのです。4つありますが、皆さん知識ではわかっていると思いますが、そこを観るのが難しいです。他は難しくないです。心臓が一番難しいです。

 

参加者:観る時に心臓の中から観るのか、外から観るのか、どっちですか?
セヤドー:外から観ると心臓の形だけが見えてきます。ですから、心臓の中まで入って、心臓の中身まで全部観ます。

 

 次の5つは、胃・腸・胃の中の食べ物・大便・脳です。腸を観るのが難しいです。腸も心臓と似たような感じで、大事な部分でもあって、難しいです。腸は他の臓器とも繋がっていて、観るのが難しいです。そこも身体の中でも大事な部分です。胃の中の食べ物と大便と何が違うのか。身体の部位としては腸に入ってきてはいるのですが、腸の中でもそれぞれ分かれています。

 

参加者:胃とか胃の中とか腸の中というのは、実際にある自分の胃とかなのですか、それともイメージなのですか?
セヤドー:自分の身体です。
参加者:例えばポリープとか観えるのですか?
セヤドー:基本的には三十二の部位だけ、誰にでもある身体の三十二の部位だけが観えます。

 

 次は6つですね。胆汁・痰・膿汁・血・汗・脂肪です。これはそんなに難しくないと思います。ただ、その中の膿汁は、今は無かったとしても、過去にあった時があれば、観えます。最後は、涙・皮脂・唾・鼻汁・関節液・小便です。その中で一番難しいのは皮脂ですね。皮脂をどう観るかというと、分かりやすいのは顔の上に脂がのっているとかそういう時です。それを見ます。もう一つ難しいのは、関節液なのですが、骨の関節のところとか、筋肉と皮の間とか、そういう部分を観ます。のりみたいに白いものです。その2つが難しいです。
 実際、人間の身体の中にはその三十二の部位だけがあって、私たちが男だとか女だとか色々ありますが、その三十二の部分は誰でも同じです。皆さんは私とかあなたとか分けて、私がなんであるとか、あなたがなんであるとか言っていますが、実際は同じで人間は皆その三十二の部分で出来ています。実際に観えるのは、きれいな私とかではなくて、中にあるとても不潔なものです。上の皮で隠れているので、形が整っていますが、もしその皮がないと、とても醜いものです。そこまで観えてきたら、かなり上の段階までいっています。

 

四界分別(地水火風、ルーパ)

 さらにその禅定が上のレベルになってきたら、それぞれの三十二の部分の形ではなくて、粒子の状態で見えてきます。すべて周りの建物とかでも、その粒子が集まって出来ています。その粒子が集まって形になっているのですが、その粒が無ければ形もありません。そこまで見えるようになってきて、禅定があるレベルまで来たら、そこの部分を詳しく教えます。

 

 身体の部分を観るにしても、身体の部分を地水火風で観るとしたら、身体が粒子で出来ているのが観えてきます。その粒子も素早く生じては滅しているという繰り返しをしています。例えばテレビとかで映像が見えますが、停電とかで映像が壊れると粉々になったりします。なのでテレビの映像も粒子で出来ています。自分の身体も同じです。
 その粒子を身体の中で見ていると、透明なものと透明でないものがあります。その粒子の中にはある程度、固いものもあります。鉄みたいに固いのではなく、ざらざらしているような固い部分もあります。それが地ですね。粒子を形にしているものがあります。粒子と粒子を繋げるものが水です。なぜ繋げるために水があるかというと、本来であれば流れているというイメージをすると思うのですが、とても小さいので水は繋げる役割をします。

 

 さらに熱いとか寒いとか、そういうものが火です。すべて暑さも寒さも燃やすということをするので、二つとも火です。ミャンマーでは、夏になると木は葉っぱが落ちて枝だけになってしまいます。日本では冬に葉っぱが落ちて枝だけになってしまいます。でも両方とも同じですね。暑さと寒さで燃やすということです。ですから、暑さと寒さは両方とも火です。最後は、それぞれの粒子が活発に動いているのが風です。
 あとは色、匂い、味、栄養素もあります。そこまで見えるようになったらルーパ(物質)が分かるようになります。それがルーパの機能です。その中に命もあるとして、9つあるという考え方もあります。さらに言うとしたら透明という機能もあります。なので、色々な言い方があって、8個あるとか、9個あるとか、10個あるとか言います。

 

 それがすべて分かるようになったらルーパが分かるようになったことになります。それぞれの機能は科学的にもはっきりと分かっていない部分があります。粒子までは分かっていますが、それ以上はまだ分かっていません。

 

参加者:さっき内臓を観るときに中から観ていったのですが、地とか水なんかも中から観ていくのでしょうか?
セヤドー:智慧で観ていきます。粒子の状態は中に入らなくても観えます。この中でも栄養素はルーパの中の栄養素の部分まで入って中から観ます。栄養素の一種の油です。そこまで分かったらルーパをすべて分かることになります。

 

無常、苦、無我

 次にヴィパッサナーの方法で観るとしたら、すべてのルーパの機能は、生じては滅すると繰り返しであることを見ていきます。そういう風に見て、すべてのルーパの機能が粉々のものが生じては滅して、生じては滅しての繰り返しであることが分かったら、それらはすべて無常であるということがわかります。

 

 すべてが生じてはすぐに滅する繰り返しなので、すべてのルーパが無常であり、無常であるから怖い、そして苦だと見ます。もう一つは、先ほどは無常であるから、今回は生じて滅しての繰り返しだから怖いと思います。なので、苦なのです。
 そういうことを観て、すべてが生じて滅して、最後に何も残らない。だから、それが無我である、と見ます。それを智慧で観るということです。皆さん、そこまで出来るようになったら詳しく教えます。

 

参加者:そこまで出来る自信がありません・・・。
セヤドー:一日二日とか頑張っただけではそこまでいかないと思います。十年くらいずっと瞑想している人もいます。セヤドーはまだ会ったことがない人で、電話で話してこの段階までいっている人もいます。その方はセヤドーのところまで瞑想しに来たことはないですが、毎日瞑想しているそうです。なので皆さんも頑張ってください。
参加者:先ほどセヤドーと三十二身分についてミャンマー語で話している方がいましたが、あの方は見えるのですか?
セヤドー:あの方は見えませんが、医者なので物理的に肉眼で見ることができます。智慧では観たことはないですが、目で見たことはあるので、お医者さんはイメージしやすいと思います。戒律を守って禅定にならないと観えないですが。
参加者:自分のものよりほかの人のほうが観にくいというのは本当ですか?
セヤドー:そうですね。ですから、自分の身体を観てから、ほかの人の身体を観ます。頑張ってください。
参加者:ルーパとかは、高いレベルまで行っている人は普段から観えるのでしょうか?
セヤドー:基本的には禅定になってから観察します。高いレベルになってくると普通に観えるようになります。すべて観えると、生きたくないと思うようになり、涅槃にいくまで頑張ろうという気持ちになります。そういうのが観えないから、お互いに好きになったりしますが、そこまで観えるようになったらそういう気持ちにはなりません。

 

 皆さんは自分の仕事を終えてから来世とか思っていますが、自分の仕事が終わらないうちに死んでしまうので、早く修行するようにしてください。忙しい毎日の中でも瞑想の時間を作って頑張ってください。なぜかというと、自分の求めている財産とかは全部なくなってしまいますから。
 自分たちが求めているものは、すべて壊れてしまいます。そのことを覚えておいてください。壊れるものばかり探して、求めても意味がないので、時間をとって修行、瞑想をしてください。そういうことをしていくうちに、老いて、病気になって死んでいきます。そうして来世、来世と続いていきます。

 

 そうやって、修行をしてこなかったから、まだ私たちはこの輪廻から逃れられていません。だから、この地球では何回もブッダが生まれてきていますが、私たちは今まで出会わずにここにいます。ですから、ヴィッパサナー瞑想を頑張ってください。

 

参加者:ヴィパッサナーの前に禅定が必要なのですよね?
セヤドー:戒律、禅定、智慧が必要です。

 

      サードゥ!  サードゥ!  サードゥ!

 

              (2019年5月25日 福岡合宿での法話)

 

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