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2019年6月 3日 (月)

6月経典学習会のお知らせ

6月の経典学習会は、6月9(日)に開催予定です。

6月9(日)13:30~17:00 
中板橋MCWA事務所
住所 板橋区仲町39-1 電話03-3973-3348 

予定

13:30より自主瞑想(法話は14時からですが、それまで自主的に瞑想しています)
14:00より経典の解説
16:00より質疑応答
17:00ころ終了

参加費無料
予約の必要はありません

内容:
トゥ・ミンガラ比丘(Thu Mingala Bikkhu)によるダンマパダ(法句経)の解説です。
ダンマパダ(法句教)119,120偈、121、122偈

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ダンマパダ(法句教)119,120偈、121、122偈
「まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う」
「まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遇うことがある。しかし善の報いが熟したときには、善人は幸福に遇う」
「『その報いはわたしには来ないだろう』とおもって、善を軽るんずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて幸福にみたされる。」
「『その報いはわたしには来ないだろう』とおもって、善を軽るんずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて幸福にみたされる。」
(岩波文庫「真理の言葉 感興のことば」中村元訳 より)

119,120偈
Papopi passati bhadram yava papam na paccati
yada ca paccati papam atha papo papam passati.
Bhadropi passati papam yava bhadram na paccati
yada ca paccati bhadram atha bhadro bhadrani passati.
「まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う」
「まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遇うことがある。しかし善の報いが熟したときには、善人は幸福に遇う」

アナータピンディカの物語
祇園精舎に滞在している時、ブッダはサーヴァッティの有名な長者であるアナータピンディカに関してこの偈を唱えました。
アナータピンディカは祇園精舎のお布施者でした。精舎は、54クロー(1000万)の費用で建設されました。彼は寛大だっただけでなく、真にブッダに帰依していました。毎日3回祇園精舎に行き、ブッダに礼拝します。朝は粥を持って行き、昼は豊富な食べ物や薬を、夜には花や香を持って行きました。しばらくしてアナタピンディカは貧乏になってしまいましたが、預流果であったので不幸に悩まされることはなく、日々のお布施を続けました。ある夜、アナータピンディカの家への門を守っている神霊が人の姿で彼に現れ、言いました。「私はあなたの門の守護神です。あなたは、将来について何も考えずに自分の財産を沙門ゴータマに布施してきました。だから今貧しい人になってしまったのです。 したがって、あなたは沙門ゴータマにこれ以上の布施をしないで、自分の商売に向けるべきです。そうすれば再び金持ちになれるでしょう」。

アナータピンディカはそんなことを言った門の守護神を追い出しました。アナータピンディカは預流果であったので守護神は彼に抗することができず、家を去らねばなりませんでした。彼はどこにも行くところがなく、戻りたかったのですが、アナータピンディカを恐れていました。彼はデーヴァの王である帝釈天の所へ行きました。 帝釈天はまずアナータピンディカに良い行ないをすることを勧めました。それから彼の許しを請うようにと。さらに帝釈天は言いました、「まだアナタピンディカに返済されていない貿易業者のローンが18クローあり、アナータピンディカの祖先が埋めて、海に流された18クローがある。さらに誰のものでもない18クローがあるところに埋められている。あなたの神通力によってこれらの富を回復し、アナータピンディカの部屋をいっぱいにしてあげなさい。そうすることで、彼の許しを得ることができます」。
守護神は帝釈天の指示通りに働き、アナータピンディカは再び豊かになりました。

守護神が帝釈天から聞いた情報と指示について、土の下、海の中、そして債務者からの富の回復について語ったとき、アナータピンディカは畏敬の念を抱きました。そして守護神をブッダのところに連れて行きました。ブッダは二人に言いました、「善行の恩恵を長い間享受することはできないし、悪行の結果で長期にわたって苦しむことはない。しかし、善い行い、あるいは悪い行いが実を結び熟するときは必ず来る」と。
それからブッダは次の偈を唱えました:
「まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う」
「まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遇うことがある。しかし善の報いが熟したときには、善人は幸福に遇う」

121偈
Mavamannetha papassa na mandam agamissati
udabindu nipatena udakumbhopi purati
balo purati papassa thokam thokampi acinam.
「『その報いはわたしには来ないだろう』とおもって、悪を軽るんずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいにみたされる。」

不注意な比丘の物語
祇園精舎に滞在している時、ブッダは僧院の家具を不注意に使った比丘に関してこの偈を唱えました。
この比丘は、僧院の寝台、ベンチや椅子などの家具を使った後、境内に置きっぱなしにしたので、雨や太陽、そして白アリにさらされました。 他の比丘がその無責任な行動について責めたとき、彼は、「私は壊そうとする意志は持っていないし、結局のところ、とてもわずかな損害しか与えていない」などと反論しました。 そして彼は同じように振る舞いつづけました。 ブッダががこれを知るようになったとき、人を送ってその比丘に言いました、「比丘よ、あなたはこのように振る舞うべきではありません。あなたは悪を軽く考えてはいけません。 たとえ小さなものでも、それが習慣的になれば大きくなるからです」
それからブッダは次の偈を唱えました:
「『その報いはわたしには来ないだろう』とおもって、悪を軽るんずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいにみたされる。」

122偈
Mavamannetha punnassa na mandam agamissati
udabindunipatena udakumbhopi purati
dhiro purati punnassa thokam thokampi acinam.
「『その報いはわたしには来ないだろう』とおもって、善を軽るんずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて幸福にみたされる。」

ビララパダカの物語
祇園精舎に滞在している時、ブッダは長者ビラパダカに関してこの偈を唱えました。
サーヴァッティ出身のある男が、ブッダの説法を聞いて非常に感銘を受け、教えられたことを実践しようと決心しました。自分だけでなく他の人たちにもお布施をすることを勧めました。
そうすることによって多くの功徳を得て、次の生で多くの従者を持つことになります。それで、その男は翌日、僧院にいるブッダとすべての滞在比丘を食事に招待しました。

それから彼は家々を回り、翌日彼がブッダと比丘たちに供養するので、皆もそれぞれの思いにしたがってお布施しようと住民に知らせました。
金持ちビララパダカは、男が家から家へと回って行くのを見て、その行動に嫌悪感を抱き、つぶやきました。「このいやな男よ、自分が布施できるだけの比丘を招待するにとどまらず、なぜ他の人のところを回って強要するのか」と。

それで彼はその男に鉢を持って来るように頼み、その鉢の中に、ほんの少しのご飯と、ほんの少しのバター、ほんの少しの糖蜜しか入れませんでした。この鉢は別にされ、他の人のものと混ゼることはありませんでした。金持ちは自分のものが別にされている理由を理解することができません。おそらく自分のような金持ちがほとんど布施しなかったことを他の人に知らせ、恥をかかせようとしたと考えました。それで、彼は使用人をやって調べさせました。

布施のまとめ人は、この金持ちが多くの功徳を得ることができるように、米とカレーとお菓子のいろいろな鉢に金持ちから供養された食料を少しずつ入れました。使用人は見たままを報告しました。しかしビララパダカは意味を解せず、お布施のまとめ人の意図を信じることができませんでした。翌日、彼はお布施の食べ物が供せられるところに行きました。そして、彼のような金持ちがどれほどわずかしか布施してないかを皆の前であばくならば、お布施のまとめ人を殺そうと思いナイフを持っていきました。

しかし、この布施のまとめ人はブッダに言いました、「尊者よ、このお布施は皆さん共同の捧げ物です、多いか少ないかににかかわらず、私たち一人一人が信仰と寛大さで布施しました。私たちは同じ功徳を得ます」。その言葉を聞いたとき、ビララパダカは自分が間違っていたことを知り、男を不当に扱ったことに気づき、お布施のまとめ人に許しを請わなければ、四悪趣に生まれ変わるだろうと考えました。彼は言いました、「友よ、私はあなたのことを悪く思って、あなたに大きな間違いをしました。許してください」。ブッダは金持ちが許しを求めているのを聞き、そして調べてみてその理由を知りました。それで、ブッダは言いました、「弟子よ、あなたは善い行いについて軽く考えるべきではありません、たとえ小さなものでも、それが習慣的になれば大きくなるからです」。
それからブッダは次の偈を唱えました:
「『その報いはわたしには来ないだろう』とおもって、善を軽るんずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて幸福にみたされる。」


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2012/8 宝台樹高原

  • 6
    8月に合宿の行われたみなかみ町藤原は宝台樹山のふもとにあり、冬はスキー場になる高原風ののどかな村です。

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    8月に合宿の行われた水上町藤原はまさに水の里。民宿周辺の風景をお届けします。

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    夏の暑い日、川の源流では入道雲が湧き、山や木々は様々な表情を見せていました。

2008/7 関西合宿・瞑想会

  • 延命寺三門にて
    大阪、河内長野市にある延命寺は弘法大師空海が開基と伝えられ、市の紅葉名所にもなっている美しいお寺です。 ここで7月、クムダ・セヤドーをお招きして一週間の瞑想合宿が開かれました。
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