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2010年9月

2010年9月 5日 (日)

パオセヤドー 法話 「四聖諦と悟り」

(この法話は、2010年7月17日、東京法話会でのお話をまとめたものです)

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 悟りには三つの種類があって第一に仏陀の悟り(正覚)と、第二にパッチェカブッダ(独覚仏)、すなわち自ら悟る悟りと、それから第三に、仏陀の弟子になって悟るサーヴァカボディ、「声聞」の悟りの三つがあります。

 仏陀になるには、十の波羅蜜(パーラミ)を完成する必要があります。4阿僧祇劫と10万劫に渡って、その波羅蜜を積み続けなくてはなりません。パッチェカブッダ(独覚)、になるためには2阿僧祇劫と10万劫に渡って十の波羅蜜を積まなくてはなりません。パッチェカブッダ(独覚)は、自分では悟ってはいても、他の人に対してダンマ(法)を教えることができない、という仏陀です。

 また、正覚仏陀の話を聞いて悟る人たちがいます。仏陀の弟子たちです。仏陀の弟子にも三種類あります。第一の弟子は、仏陀の二大弟子であるサーリプッタ尊者とか、モッガナーラ尊者で、一阿僧祇劫と十万劫に渡って、十の波羅蜜を積まなくてはなりません。

 次に、アーナンダ尊者であるとか、マハーカッサパ尊者であるとか、偉大な80人の弟子たちです。私たちがもしそのような偉大な弟子になりたければ、十の波羅蜜を10万劫に渡って積まなくてはなりません。もう一つは普通の弟子、普通の阿羅漢たちで、阿羅漢になりたければ、その人に応じたある数の人生に渡って波羅蜜を積むことよってなることができます。

 それでは、阿羅漢になるには一体、何が必要でしょうか。サンユッタニカーヤ(相応部経典)1114に「クタガーラ・スッタ(館経)」というお経があります。その中にはこのように書かれています。

「苦についての聖なる真理を理解するには、自らの智慧をもってありのままに見なくてはならない。
苦の原因についての聖なる真理を理解するには、自らの智慧をもってありのままに見なくてはならない。
苦の消滅についての聖なる真理を理解するには、自らの智慧をもってありのままに見なくてはならない。
苦の消滅に至る道についての聖なる真理を理解するには、自らの智慧をもってありのままに見なくてはならない。
苦の聖なる真理を理解するには、自らの智慧をもってありのままに見なくてはならない。

 涅槃について理解することができなければ、涅槃を得ることができない。それゆえに四つの聖なる真理について理解することが必要である。第一に苦についての真理、第二に苦の原因についての真理、第三に苦の消滅についての真理、第四に苦の消滅に至る道についての真理。
四つの聖なる真理について理解するには、自らの智慧をもってありのままに見なくてはならない。」

 相応部経典の「サマーディ・スッタ(定経)」にはこう書かれています。
「比丘は集中力を育成しなくてはならない。集中力を育成した比丘は真理をありのままに理解することができる。彼は何を理解するか?
苦についての聖なる真理をありのままに理解する。
苦の原因についての聖なる真理をありのままに理解する。
苦の消滅についての聖なる真理をありのままに理解する。
苦の消滅に至る道についての聖なる真理をありのままに理解する。
それゆえに比丘たちよ、集中力を育成しなければならない。心において集中力を育成した比丘は四つの聖なる真理をありのままに理解する。」

 それゆえに四つの聖なる真理を自らの直接的な智慧によって理解するには、集中力・サマーディを育てなくてはなりません。すなわちサマタ瞑想です。仏陀が教えたサマタ瞑想には40の瞑想法がありますが、そのどれを選んでも結構です。しかし次の瞑想法は習得するのに容易です。アーナパーナサティ(呼吸による瞑想)は第四禅定まで。10のカシナ瞑想により弟八禅定(無色界禅定)まで。そして四梵住(慈・悲・喜・捨の瞑想)。時間がある人にはいろいろなサマタ瞑想があります。

 集中力をつけることによって智慧の光(light of wisdom)というものが表れて、その智慧の光によって苦についての聖なる真理を理解しようとするなら、究極の物質現象、究極の精神現象を見ることができます。苦についての聖なる真理とは何か。それは究極の物質現象と究極の精神現象です。

 仏陀の教えによれば、私たちの体は、カラーパと呼ばれる物質的微粒子によって構成されています。まず、体が究極の物質で出来上がっていることを観、そして分析する必要があります。そうすると、それぞれのカラーパ(微粒子)は八つの物質性でできているのが観えます。それは、地、水、火、風、色、味、匂い、栄養素、という、八つです。カラーパを見て、それを識別することができたとき、究極の物質現象を理解することができます。これは苦についての聖なる真理の一つと言うことができます。

 次は究極の精神現象です。これは必ずグループで発生します。一つで現れるということはありません。チッタ(心、意識)とそれに伴う心所というグループです。心と心所の組み合わせをナーマ(精神現象)といいます。それは必ずグループで現れ、単独で現れることはありません。それぞれの心には少なくとも八つの心所が伴います。しかし集中力(サマーディ)がなければこの真理を見ることはできません。十分な集中力があるときにのみ、このナーマ(精神現象)を見ることができます。

 第二の聖なる真理は、苦の原因についての真理です。では苦の原因とは何か。それを知るには縁起(パティチャサムッパダ)を自らの直接的智慧で理解する必要があります。では、縁起とは何なのか。簡略に言うと、過去の原因が現在の結果として現れる。現在の原因が、未来において結果として現れる。こういう、原因と結果のつながりを、縁起といいます。十分な集中力があるなら、過去の原因が現在の結果を作り出すこと、すなわち心と体(名色)を作り出し、現在の原因が未来の心と体を作り出すことを見ることができます。

 第三の聖なる真理は、苦の消滅についての真理です。これは、さっき言った縁起について、原因がなくなれば結果がなくなるという風に見ていきます。物質現象と精神現象について、これこれの原因がなければ、結果はないということで、苦が消滅します。

 第四の聖なる真理は、苦の消滅に至る道についての真理です。それは何かというと、聖なる八正道のことです。その八つの道とは、一番目に、正しい見方、「正見」。二番目が正しい考え「正思惟」。三番目が正しい言葉「正語」。四番目が正しい行い「正業」。五番目が正しい生活、仕事の仕方、「正命」。六番目が正しい努力「正精進」。七番目が正しいサティ(気付き、マインドフルネス)、「正念」。八番目が正しいサマーディ「正定」。この八つを自らの直接的な智慧によって見なくてはなりません。

 そこで、今言った八正道をグループに分けてみると、最初は、「正語」・正しい言葉。それから次に正しい行い・「正業」。それから三つめは正しい生活の仕方・「正命」。この三つは、道徳的な訓練のグループ、戒律(シーラ)のグループです。二番目のグループはサマーディ(定)の訓練です。それは、正しい努力・「正精進」。それから、正しい気付き(マインドフルネス)・「正念」。そして、正しいサマーディ・「正定」。この三つが、サマーディ(定)のグループに入ります。

 正しいサマーディ・「正定」とは何かというと、第一禅定、第二禅定、第三禅定、第四禅定、これを正しいサマーディと呼びます。最後ですが、智慧のグループで、正しい見方・「正見」。正しい注意の向け方、あるいは正しい思考・「正思惟」。この二つの訓練が、智慧の訓練のグループに入ります。

 それで、智慧の訓練ですが、まず、「正見」とは何かというと、自らの直接的な智慧によって聖なる四つの真理を理解しているということ。これが、「正見」です。次に「正思惟」ですが、これは何かというと、四聖諦の対象について、いつも心を向けている、注意しているというのが、「正思惟」です。まとめて見ますと、最初に戒(シーラ)をしっかり守ることが大事であって、それから二番目に禅定です。禅定(ジャーナ)を得るということが大事である。というのは、集中力がなければ、如実に物事を見ることができず、四聖諦を理解できないからです。

質疑応答

質問: 大長老は「清浄道論」を基礎にして瞑想体系を作ったと聞いていますが、なぜ「清浄道論」を選択されたのでしょうか。これが、仏陀の教法だと確信されたのはどういう点でしょうか。この教法は日本で定着する可能性はあるのでしょうか。そして、我われ、日本人はどうすべきでしょうか?

答: 「清浄道論」(ビッスッディマッガ)は、ブッダゴーサ長老によってまとめられたものでが、ブッダゴーサ長老は「清浄道論」の序文において、これは、自分の考えによるものではなく、(スリランカの)マハービハーラ(大寺)僧院における伝統的教法に従ったものであると述べています。序文の中でそのように語っています。「清浄道論」を学ぶと、たくさんの経典とつながっているのが分かります。それらの経典とは仏陀の教えを述べたもので、サマタ・ヴィパッサナーの修行を体系的に説明しています。それで私たちは「清浄道論」に従って教えているのです。

 日本人は何をすればいいかと言いますと、それはまず、四聖諦を理解することです。日本人であってもビルマ人であっても、あるいは誰であってもまず、四聖諦を理解しなければ、ニッバーナ(涅槃)に至ることはできないし、阿羅漢に至ることはできません。
 では、四聖諦を理解するということはどういうことかというと、まずは戒律・道徳に関する清浄です。つまり、第一に戒の清浄が必要である。それから二番目に心の清浄が必要です。心の清浄が何によってできるかといいますと、禅定・サマタ瞑想によってこれを得ることができます。

質問: パオ・メソッドと言われていますけれども、これはパオセヤドーのオリジナルですか。それとも、アレンジなどが入っているのでしょうか。お話によると、伝統的なことをそのまま受け継いでいて、アレンジなどは無いというお話を伺っているのですが、その辺の歴史はどうなのでしょうか?

答: パーリのテキストである「清浄道論」からどこも変えているところはありません。さまざまな経や注釈により私たちが教えているのは、四聖諦の真理について理解することです。それは、「清浄道論」に基づいているものであって、私たちの考えは入っていません。パオ・メソッドと言われていますけれども、それは便宜的にそう呼んでいるので、実際はパオ・メソッドではなく、「仏陀の教え」です。

質問: マハシメソッドとかそういったものがありますが、それは20世紀になってから開発されたということですが、それ以前はいわゆるパオ・メソッドだけが、上座部仏教戒の主流だったのでしょうか。それとも、いろいろな流派の方法があったのでしょうか?

答: まず、そういう瞑想の方法について理解するためには、パーリ経典を勉強しなければなりません。それから二番目にアビダンマを理解しないと分かりません。深いところの理解は得られません。でも、それだけでも、まだ、不十分でコメンタリーという、経典とか、アビダンマについての注釈がありますが、その注釈もさらに詳しく勉強する必要があります。それでも、まだ不十分で、注釈に対する副注釈というのもあって、そこまでもしっかり読み込まないと瞑想方法について理解が深まらないでしょう。ですから、第一にパーリ経典、第二に注釈、第三に副注釈を読まないと、いわゆるパオの瞑想体系についての理解はできないのです。

質問: 20世紀になっていろいろな瞑想方法が開発されたのですが、マハシ系であったり、ゴエンカ方式だったり、なぜ、そういった方法が開発されたのだと、お考えでしょうか?

答: 私たちは仏陀の教えに従っているのであり、「パオ・メソッド」というのはありません。私たちは仏陀に従って教えているだけです。ですから、私たちはマハシ系やゴエンカ系などの他の瞑想体系についてあれこれ批評しようとは思いません。パオで教えていることについて理解したいのであれば、ダンマトーク(法話)を聞くとか、パーリ経典、注釈、副注釈を読み込んでください。これは古くからの瞑想体系であり、20世紀に生まれた新しい瞑想体系ではありません。

質問: 人間界で修行していて、次に欲の天界へ生まれ変わると、人間界でのヴィッパサナー修行、アナパナ修行の続きが、天界でできるのでしょうか?

答: それは、その人の実践のレベルによります。それで、アナパナサティで禅定まで、サマタ瞑想で言えば第四禅定まで到達していれば、天界へ行っても継続することができます。それから、ヴィッパサナーについて言えば、ウダヤバヤニャーナ(生滅智)ですね、ヴィッパサナーの智慧の段階に16ありますが、そのうちの生滅智というのがあります。生滅智の段階まで至っていれば、その続きを行うことができます。

 さらに上の行者智(サンカーラウぺッカーニャーニャ)という、智慧の段階がありますが、そこの段階まで至っていれば、さらに継続して、預流者(ソータパン)ですとか、さらに上の段階までいくことができます。ですから、人間界でがんばって努力してください。そのことについては、増支部経典(アングッタラ・ニカーヤ)の「ソータヌタカ」という経典に出ていますからそれを参考にしてください。

質問: 自分の心を見ていて、何が一番問題なのかといいますと、怒りなのです。何でこんな苦の世界に生まれてきてしまったのかという、根源的な思いがあります。悟れれば終わりなのでしょうけれども、それに対処するにはどうすれば良いのでしょうか?

答: 苦についての聖なる真理を理解するのが、ただ、唯一の道です。

質問: 業とか因縁についてお聞きします。業とか因縁とかいうのは、人生で生きているうえで、いわゆる出来事はすべて必然と思って良いのでしょうか。それとも、災害にあった場合に、それが必然だと考えるのか、それとも、偶然と考えるのか。テーラワーダのなかでも、起こったことすべてが業だと考えるのは間違いだということを聞いたことがあるのですが、それはどう考えたらいいのでしょうか?
 もう一つは、世間で生きていて、これは個人的な感じなのですけれども、生まれながらの悪人のような人がうまく生活できていて、善人のような人が意外と苦労しているということがあるのですが、それもどういう風に考えたらいいのか、お聞きしたいのです。

答: 原因というのはいろいろあって、カルマ(業)というのも一つの原因に過ぎないのです。例えば、この部屋にいて、暑いと感じるとすれば、それは、過去の業で暑いと感じるのではなく、今現在、暑いと感じています。それから、お腹が減るというのも、過去の業でお腹が減るというわけではなくて、現在の原因があるからです。ですから、そんな風にして縁起(過去の原因が現在に結果として表れている)というのを見て、今、自分に起こっているいろいろな事のなかで、一体何が過去のカルマ(業)による原因であり、現在に結果として表れているのかということを識別することです。要するに、どういうカルマ(業)が、今、現在自分に、影響しているのかということを、識別することができるということです。

 それで、重要な原因としてカルマ(業)というのがあるのですが、それをさらに支える要因というものがあります。それは一つが努力であるということ。もう一つは智慧ということです。例えばビジネスにおいて単に努力だけしていれば成功するというわけではなく、そこには、智慧も必要になってくる。

 それで、第一のケースとしてカルマ的には弱いけれど、とても一生懸命努力して、しかも、智慧もあるという場合は、ある程度の成果を得ることができるでしょう。カルマ的にもよく、つまり才能に恵まれていて、努力もして、智慧もあれば、成功は疑いが無いでしょう。

 仏陀の弟子で、大金持ちの息子の例えがあります。この人は大金持ちに生まれたのでカルマ的には良いということなのですが、努力もせずに智慧もあまりなかった。それで、友達たちと集まって歌ったり踊ったり食ったりしていたので、だんだん経済状態も傾いていった。仏陀の弟子になったけれども、教えについてもしっかりやらなかったので、結局悟ることができなかった、と言う結果になりました。

質問: 輪廻のなかに植物とか菌類は入っていないのでしょうか?

答: それを理解するには、ルーパ・カンマターナ(物質性の識別)の瞑想ができるようになってください。すべてのものは温度によって作り出されます。では温度とは何でしょうか。物質はカラーパ(微粒子の集まり)によってできていますが、このカラーパをさらに見ていくと、八つの要素があります。地・水・火・風・色・味・香り・栄養素、です。

 この八つの要素のうち、火の要素(テージョ)がすなわち温度です。そしてこの温度が次の世代を生み出します。そしてこの世代にも火の要素があり、それがまた次の世代を生み出します。このようにして世代が続いていきます。次の生命を生むためには、火の要素が必要で、それが無いと輪廻の元になる要素が生まれないということで、輪廻のシステムには入っていません。

質問: テーラワーダの仏教を教えている先生の中に、出家すると戒律をしっかり守ってきれいな生活をするので、眠っている煩悩がそのままになってしまって、かえって悟りに達しにくい。むしろ、俗世間で煩悩にまみれた生活のなかで明らかになった煩悩を断ち切る努力をするほうが大切ではないか。つまり、そんなに簡単に出家するものではない、と言う方がいたのですか、どう考えれば良いのでしょうか? 

答: まず始めに、戒律をしっかり守ることによって、心を清浄していくことが大切です。それで、在家で守る戒というのは、例えば五戒であるとか、八戒であるとか、十戒であるとかの戒なのですけれども、比丘の場合は227戒というのがあって、これは基本の戒であって、さらに守るべきものがある。そのことによって心を道徳的なところで清浄していく。さらにサマタ瞑想で禅定によって心を清浄していくことができる。さらにヴィッパサナー瞑想で清浄にしていくことができる。在家でいると、サマタ瞑想やヴィッパサナー瞑想をしている時間がなかなか取れません。出家して比丘になれば時間的にゆとりがあるわけですから、サマタ瞑想なりヴィッパサナー瞑想に専念できます。それゆえに、比丘になることを進めているのです。

質問: 煩悩もヴィッパサナーで断ち切ることができるということですか?

答: そうですね。サマタ瞑想などをして集中力が無ければ煩悩そのものも、見ることができません。

質問: パオの瞑想体系にしたがって、九冊のテキストを終了すれば阿羅漢になれるのでしょうか?

答: 九冊のテキストというは、ヴィッパサナーの仕方について書いてあって、それを修行すればヴィッパサナーをしたということであって、さらにそこから、預流果や一来果になったということではありませんい。テキストに書いてあるのは、八正道についてです。涅槃(ニッバーナ)に至る八つの実践方法について書いてあるのであって、それを実践していけばニッバーナに至る可能性がありますが、ヴィッパサナーをやったからといって本当にそこまで行っているかどうかというのは言えません。

質問: どこの家族や親族や会社でも必ず困らせる人がいるのですが、どのように考えたら良いのでしょうか。なぜ、そういうことが起きるのでしょうか。お釈迦様にデーバダッタがいたように。これをどう受けとめればよいのでしょうか?

答: それは過去の原因からきています。今のお話にある、釈迦様に敵対したデーバダッタを例にして話していきます。お釈迦様の過去である菩薩の時代においてもデーバダッタは菩薩に対しても敵対するようなことをしていました。ですから、これは一つのカルマですね。これがあるのですけれども、それだけではなく、現在における原因というのもある。それは何かというと、デーバダッタはサマタ瞑想についてはかなりの禅定を得ている人なのですが、ヴィッパサナー瞑想を全然していなかったのです。

 そのために、禅定を使って神通力というものを得て、その当時のマガダ国の国王であったアジャータサットに取り入って、仏陀に対してやサンガに対して、いろいろな誤りを犯してしまった。そのことによって彼は大地が裂けて、そこに飲み込まれてしまった。そういう結果になってしまったわけです。ですから、過去のカルマの問題と、それともう一つ、現在における行いの問題ということです。

質問: パオセヤドーも禅定へ至るまでは、苦労や困難はあったのでしょうか。もし、瞑想がうまく行かなかった時や、欲望に駆られた時にどのように克服したのでしょうか。集中力を養うことに関して、反復練習であったり、不屈の精神みたいのが重要なのでしょうか。あるいは、他の要素があるのか、瞑想上達のコツも教えていただきたいのです。

答: ある修行者にとっては、禅定に入るのが簡単で、ある修行者にとっては禅定まで行くのが難しいということが見られます。それは、どういう原因かといいますと。波羅蜜(パーラミー)というものに関係していて、例えば過去において禅定まで達していたり、ある程度まで行っていた人は、今生においても禅定までで行くのは容易である。例えば、パオの瞑想センターにおいても簡単に禅定に入っていける人もいるし、一年やっても全然進まないという人もいるわけです。ですから、それは波羅蜜(パーラミー)によります。

 修行の進め方について言いますと、八正道を、ステップバイステップで修行していくしかありません。瞑想を上達させるためのコツですけれども、それについては瞑想を妨げている五つの障害で五蓋というものがあります。一つは感覚的な欲望、例えば色であるとか、声であるとか、匂いに対しての執着、欲望がある。これが一つ目の障害です。二つ目は、怒りと嫌悪です。三つ目が後悔。後悔が心に浮かんだりする。四つ目が眠気。それから、五つ目が疑い。疑いというのは、こんなことをしていて上手く行くのだろうかという疑い。こういう五つの障害が出てくる。

 この五つの障害があるとアナパナサティで呼吸に集中しようとしても、心があちこち行ってしまって上手くいかない。この五つの障害を取り除いていけば、対象である呼吸に集中することができるようになります。ですから、この五蓋を取り除くようにしてください。

質問: 瞑想を進ませるには、派羅蜜を積むことが大切だと聞いたのですが瞑想を進めるために具体的にどのような、派羅蜜を積んでいけば良いのでしょうか?

答: 派羅蜜を積むのに一番大切なことは、戒すなわち、道徳に関しての清浄ということで、五戒をしっかり守る。生き物を殺さない、盗まない、性的な不道徳をしない、うそをつかない、酒を飲まない、ドラッグを飲まない。これが戒の清浄です。
 二番目はお布施をすること。両親に対してするべきことをする。あるいは比丘に対して、貧しい人に対して、子供に対して、与えられるものを与える。すべての財産を与える必要はありません。自分のできる限りのものを分け与える。

 三番目には瞑想です。瞑想の中でアナパナ・サティ(呼吸瞑想)が容易でしょう。五分でも鼻のところに集中することによって、マインドフルネス(サティ)を養っていくことができます。毎日このように実践することによって、マインドフルネスがだんだん強くなってきます。1時間、2時間と坐ることができ、瞑想対象に数分でも集中することができればそれは大きな成果です。このように日々積み重ねることによって、マインドフルネスが成長して行きます。そしてついには禅定を得ることができます。

 そして、禅定を基礎にしてヴィッパサナーを実践できればすばらしことです。ヴィッパサナーを実践して、行者智までにいたればさらに良いでしょう。禅定を得れば、次の生に梵天界へ生まれ変わることもできます。まとめてみると、一番重要なのは聖なる八正道です。聖なる八正道の実践とは、第一に戒の清浄すなわち五戒を守ることです。第二に禅定を得ること。そして第三がヴィパッサナーです。そしてこの生において涅槃を得ることができればそれは大変すばらしいことです。


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2012/8 宝台樹高原

  • 6
    8月に合宿の行われたみなかみ町藤原は宝台樹山のふもとにあり、冬はスキー場になる高原風ののどかな村です。

2009年クムダ・セヤドーのお寺 

  • 10 セヤドーのお話を聞く
    ミャンマー・ヤンゴン市郊外モービにあるクムダ・セヤドーの瞑想センターを訪ねた方が写真を送ってくださいました。 シーマホールも完成し、そこには富士山をバックにした仏像がまつられています。

2008/8 水上合宿

  • 雨上がり
    8月に合宿の行われた水上町藤原はまさに水の里。民宿周辺の風景をお届けします。

2008 夏の風景

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    夏の暑い日、川の源流では入道雲が湧き、山や木々は様々な表情を見せていました。

2008/7 関西合宿・瞑想会

  • 延命寺三門にて
    大阪、河内長野市にある延命寺は弘法大師空海が開基と伝えられ、市の紅葉名所にもなっている美しいお寺です。 ここで7月、クムダ・セヤドーをお招きして一週間の瞑想合宿が開かれました。
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