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2010年3月

2010年3月31日 (水)

サヤレー法話「四界分別観と体の治療」

(四界分別観の方法については「四界分別観」http://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/sayalay.shikai.htmを参照してください)

 いままで地水火風の12の性質について見てきましたが、覚えていますか。これらの要素について一通り観終わったら、全体を眺めます。上から部分部分について、「堅さ、荒さ、重さ、柔らかさ、滑らかさ、軽さという地の要素の六つの性質について順に観ていきます。さらに水の要素、火の要素、風の要素についても見ていきます。

 はじめは、性質をはっきり観るようにしますが、次第にす早く行うようにします。だんだん早くしていって、心が集中し、楽しい感覚になり、さ迷い出すことがなくなリ、痛みを感じなくなれば、四大要素のバランスが取れたということです。

 一つの要素だけを観ていると、バランスが取れてなくて、どこかに痛みなどが出てきたりします。火風の四つのバランスが取れていると、痛みなどはあまり関係なくなります。
そのようしてバランスが取れていると、集中力が良くなって身体が快適になり、平和な感覚になってきます、そうすると、アーナパーナ(呼吸瞑想)で見たような光が見えてきます。

 光は人によりいろいろな色をしていますが、最初はどんな色にも集中しないで、身体の中の地水火風を観るようにしてください。それをして行くと、光の色がだんだん明るく白っぽくなってきて、最終的には氷の塊のような透明になってきます。

 光(ニミッタ)がさらに輝きを増し、氷のような透明の光になリ、安定してきたら、四つの要素を見ていた心を、今度はニミッタの方に移して、ミニッタに一時間ぐらい留まるようにしてください。
そうすると近行定という禅定(ジャーナ)に近いところまで達することができます。四界分別観では第一禅定まで達することはできないのですが、その第一禅定に非常に近い近行定まで達することができます。

 そのように集中力を得たら、次に体の中の32の部分について観察します。アーナパーナ・サティをやって、第四禅定までいってから、その後に32の身体の部分を見るという瞑想をしますが、四界分別を終わってから32の部分を見るのと、アーナパーナで第四禅定まで行ってから身体の32の部分を見るのとではちょっと違います。アーナパーナの方が明確に見えて、四界分別の方は少し明瞭さが足りないのです。なぜ違うかというと、禅定(ジャーナ)のレベルが違うからで、アーナパーナで第四禅定まで達した方が禅定のレベルが高いので、より明瞭に見えてくるわけです。

 身体の32の部分の観察が終わったら、次は骸骨の観察瞑想をします。その骸骨の瞑想によって第一禅定にまで達することができます。次に骸骨は白いものですから、白いカシナの瞑想をやります。カシナというのは円盤です。この白い円盤の瞑想をすると、第四禅定まで達することができます。
四界分別から始めて行って、順を追っていけば、やはり第四禅定まで達することができます。

 禅定(ジャーナ)を得て、ヴィパッサナー(観察)をしますが、その時に四界分別観をやって、身体の物質的要素が粉々になるのを見ていきます。そのようなヴィパッサナーをしたかったら、10日間では無理なので、瞑想センターのリトリートへ来てください。

 この四界分別観は身体の治療とか病気への対症法として有効です。例えば、脳梗塞などで足が良く動かない時には、風の要素などが滞っていることがあって、うまく働きません。足が良く動かない場合には、風の要素である押す力が滞っているということなので、心をその滞っている箇所に集中し、風の要素である「押す力」念じます。ゆっくり「押す力」を念じていると、段々動きが出てくるようになります。風の要素の、押す力だけでなく火の要素である、熱も一緒にそこへ送るようにします。

 体のどこか一部が動かない場合、そこの部分は風の要素の押す力が滞っているだけではなく、そこが冷たくなり、血液や、熱が行かなくなっっていますから、瞑想して押す力と共に熱も一緒に心で送ってやるようにします。

 私達の人生は何が起こるか分からないわけです。ずっと病気にならないという保障はありません。何らかの障害が起こることはあり得ます。そういう時に自分で体を守る方法を知っていれば、自分で治療することができます。

 もう一つの例はガンの治療に有効であることです。ガンの場合は最初に、その部分に集中してよく見ます。最初にそこに心を集中するのがまず一番です。心には非常に大きな力があるので、まずそこの部分に心を集中し、その部分に熱を送るようにします。そうすると腫瘍の部分がとても柔らかくなってくる。それで、自分の中で決意をして、全てのバクテリアとか腫瘍などが尿となって流れ出るようにと決意します。そういうことを何度もやっていると、そこにエネルギーが働き、それらが外へ出て行ってしいまいます。

 あるいは、さっき言ったように熱をそこの部分に当てて集中していると、段々暑くなってきます。それでも続けているうちに、腫瘍の部分が次第に小さくなって、しまいには無くなります。その時に必要なのが集中力であって、集中力があれば、それが容易に出来るようになります。そんな風にして、自分の体を治療し、対処することが出来ます。このような経験を話しました。今度そのようなことが起こったら試してみてください(笑)。

 本日はこれからアーナパーナ・サティをします。ミニッタがどうしても見えない方とか、アーナパーナはあまりやりたくない人は、今言った四界分別観の瞑想をしても結構です。それでは、体を真っ直ぐ立てて集中してください。

2010年3月29日 (月)

サヤレー法話 「瞑想と心のバランス」

 みなさん、今晩は。今日は、集中の瞑想において、どういう風にして心のバランスを取るかという事について、お話したいと思います。

心をコントロールする難しさ

 今日瞑想してみて、どんなに自分の心をコントロールするのが難しいか、分かったことと思います。皆さん、心をコントロールすることは難しいでしょうか?易しいでしょうか?
(会場「難しい」との声)難しいですね。それが事実です。

 難しいですから、それを達成するよう努力しなくてはならないわけです。心というのは、実はたいへん単純なものです。例えば、一つとか二つくらいの小さい子どもの頃、心は大変純粋です。例えば小さな子どもにキャンディとかビスケットとかをあげると、子どもは大変喜んで、その後に、こうしなさい、ああしなさい、と親が教えると、すっと頭に入ります。

 子どもたちの心は、大変単純で純粋だから、そんなにいろいろ複雑なことは考えずに、すっと応答するわけです。しかし、段々歳を取るにつれて、いろいろな体験をしたり、あるいは、六門から入ってくるいろいろな刺激とかに対する執着というものができたりして、心が複雑になって来ます。それで、何かに対する執着というものが、私たちの心を常に支配して、コントロールしています。

 この2日間、瞑想してみて、自分たちが何に執着しているかということを見てきたわけですが、私たちの心は、アーナパーナ・サティ(呼吸瞑想)には執着していない。アーナパーナ・サティは、対象が呼吸で非常に単純な瞑想ですが、心は呼吸に執着しないで、その他のいろいろな考え方とか、過去の考えとかに執着している。そんなことが分かったと思います。

六つの性格

 ですから、瞑想において成功するためには、自分の心をよくよく調べてチェックしなければなりません。どんな考え、思考、思いが瞑想中に、自分の心に浮かんでくるかを見る必要があります。そのことでブッダがおっしゃっているのは、心はおおよそ六つの性格に分けられ、私たちは、その性格に従っているということです。

 一つ目のグループは、欲です。欲に支配されていて、欲に従っているグループです。この欲のタイプの人はどんなことを考えるかというと、まず六つの門から入ってくる事柄について欲を持ちます。例えば眼から入ってくる情報については、「美しい家」とか「美しい車」であるとか、あるいは耳からの情報については、「よい音楽」とかです。あるいは香り、味、とかでも、「今日のご飯は美味しかった」と言った、六つの門から入ってくる情報について欲望を持ちます。

 執着というのは自分の財産、自分の持ち物だけではなくて、他人に対する執着とか、外側に対する執着も含んでいます。それで、こういう性格を持っているタイプの人については、アーナパーナが上手く行かないとき、良い方法が一つあって、それはアスバ瞑想(不浄観)という瞑想法です。これが薦められます。

 アスバ瞑想(不浄観)というのは、死体の瞑想です。いずれ私たちは死んでしまうと、自分に属して、自分のものだと思っていた持ち物とか、親愛な家族とか、愛する人たちも手放さなくてはなりません。一緒に連れて持って行くことはできない。そういうことを瞑想して、深く見て行く。そのような瞑想がアスバ瞑想です。
その瞑想をして、自分の心が落ち着いてきてバランスが取れたら、また、アーナパーナへ戻っていく、という風にしたらよいでしょう。

 二番目のタイプの人は、瞑想して、しばらくすると、怒りの思い、怒りの感覚が湧いてくるという、怒りのタイプの人です。これは、過去に体験した、人に対する怒りとか物に対する怒りとかが湧いてくるタイプです。この人たち、このグループに対しては、アーナパーナから、「慈悲の瞑想」に切り替えると良いでしょう。

 三番目のタイプは、無知とか妄想がある。あるいは迷いと妄想で、両方併せて迷妄のタイプの人で、この人たちは、いつも眠くなってくるタイプです。
四番目のタイプは思考タイプの人で、瞑想が始まりしばらくすると、いつも、あれやこれやのことを考え出す、こういうタイプの人です。

 この三番目、四番目のタイプの人については、すなわち迷妄タイプと思考タイプの人については、アーナパーナ・サティの瞑想が一番良いでしょう。アーナパーナ・サティをやって、20分、30分集中できると非常に心が落ち着いてくるということで、アーナパーナが良いでしょうと言われています。

 五番目のタイプの人は、信が強いタイプの人です。この人たちは瞑想を始めてしばらく経つと、もう出家したいとか、あるいはミャンマーに行きたい、修行に行きたいとか、修行に関することをいろいろと考える。また、お布施がどうであるかとか、戒律を守るとか、あるいは瞑想をどうしようか、とかとても良いことを考えるのですが、こういう思考そのものは瞑想にとって、障害になるということなのです。

 六番目のタイプの人は、智慧のタイプの人で、この人たちは早く涅槃へ行こうとか、瞑想はどういう風にやるかと考えて、努力しすぎてしまう。過剰な努力をするために、空回りしてしまう感じです。このタイプの人に良い瞑想というのは四つあって、一つは「四界分別観」という瞑想法です。地水火風を見る瞑想です。さらに「涅槃の随念」で、涅槃(ニッバーナ)いつも思う瞑想です。また、「死随念」といって、自分はいずれ死ななくてはならないことを瞑想する。もう一つは「食厭観」で、食べ物を厭う瞑想というのがあります。その四つの瞑想がこの智慧のタイプの人には向いています。

 そして、信の強いタイプの人に良い瞑想というのは、ブッダ・ダンマ・サンガ(仏法僧)への随念、それから、布施(ダーナ)、戒(シーラ)、それから天界(デーヴァ)への随念です。そういう瞑想をして、心が落ち着いて幸せな気分になってきたら、またアーナパーナ・サティの瞑想を始めます。

心のバランスと楽しい感覚

 瞑想するときに大事なのが、楽しいとか、幸せな気分、感覚です。例えば、アーナパーナの瞑想を始めて、呼吸についてとても退屈であるとか、つまらないという風な思いがあると、なかなか瞑想は進まなくなってしまいます。それで瞑想が上手く進まず退屈になって、自分に対して、これじゃ駄目だ、という風に責めたりすると、一層上手く進まなくなってしまいます。ですから瞑想するときには、心が幸せになるような、楽しくなる感覚というのが大事なのです。

 今日は大変風の強い日で、外の木々が揺れています。特に竹がたくさんあって、風が強く吹くと、その方向にしなり、逆の風が吹くとまたそちら側にしなって、という風に絶えず風に従ってしなっています。心も同じように、風に抗して真直ぐに、とにかくピンと立っていようとすると、ポキッと折れてしまうわけで、流れに従って、流れに沿ってやるようにします。つまり、心の本性、自然に従ってやるようにしないと上手く進まないわけです。幸福な感覚というのがあると、その後で瞑想とても上手く進むことができます。

 もう一つ大事なのが、心のバランスです。心が上手くバランスを保つようにしなくてはなりません。そのバランスの中で大事なものの一つは信です。二番目が努力。三つ目がマインドフルであること。すなわち、気付き、サティです。四番目が集中力(定)です。五つ目が智慧。この五つが大切です。

 この五つのうち、信と智慧のバランスを上手く取らなくてはいけない。それから、精進(努力)と集中力の二つも上手くバランスを取らなくてはいけません。

 精進(努力)についてですが、最初に「この一時間は、しっかり呼吸を見よう」、と決意をします。決意はしっかりしますが、呼吸に対して過度に、意識的に作って力を入れ過ぎては良くありません。あくまで、努力というのは心において努力するのであって、呼吸そのものを力ずくでやろうという風にしては良くないのです。

 呼吸するときに、あまり強く力んで呼吸をしようとすると、身体全体が強ばり緊張して、そのうちいろいろなところで痛みが起こってきます。ですから、呼吸を見るときは、自然にします。自然な呼吸を見るのが大事なわけで、あまり禅定(ジャーナ)だとかニミッタだとか、なんとかそれを達成しようという風に、気を使わない方が良いのです。

 気付き(サティ)を持って、努力して集中していると、20分30分して集中力がだんだん高まって行き、その集中力が自然にニミッタ(集中のしるし)を作ってくれます。ニミッタというのは、そんなに難しいものではなく、容易に見えてくるものなのです。自分の心を楽しく、幸福に持って行くことができれば、とても容易なわけです。

自然な呼吸

 もう一つ大事なのが、呼吸そのものをよく観察するということです。今どんな呼吸をしているかをチェックします。短く、早い呼吸になっているか、長くゆっくりした呼吸になっているかに気付くようにします。そしてバランスを取ることが大切で、呼吸が短くなり、早くなってきたら、もう少しゆっくりして自然な呼吸に戻すようにします。

 それから、心臓をチェックするのも大切です。心臓の鼓動がどのくらい打っているかということを観察します。心臓が一分間に70回くらい打っているとして、一つの鼓動は0.9秒くらいですが、それを更によく見ると、収縮するときは0.3秒で、そこでは緊張しています。拡がるときは0.6秒で、そこではリラックスしています。

 同じように呼吸も、入ってくるときには緊張があり、出て行くときにはリラックスがあります。こんな風に自然な呼吸のあり方を観察します。自然な呼吸の循環というのをよく観察して自然な呼吸していると、幸せな感覚があらわれます。また、自然な呼吸をしていると、ソフトなやわらかい呼吸になります。呼吸が自然でなく、早く短くなってくると、心は楽しくなく、集中も上手く行きません。バランスをとることが必要です。

 ニミッタが見えてくると、それは人によって、色が違います。ニミッタが見えたとしても、ニミッタの方に集中しないで、あくまでも呼吸の方を見るようにしてください。そして、ニミッタの色がだんだん白くなってくるのが第二段階です。そんな風にしていると、ニミッタの光が、もっともっと明るくなって輝く光のように見えてきて、それがだんだん鼻の前に止まるようになります。

 いま、禅定(ジャーナ)に入るまでの過程を話していますが、そのようにニミッタが白くなって鼻の先で止まり、それが5分、10分そこに留まっていたら、今度は意識をニミッタの方に向けます。ニミッタを見ていて、それが一時間思考も浮かばず、ニミッタに心が張り付いているようになったら、禅定に入っていくことができます。ですから、呼吸を見る時には、まず幸せな楽しい感覚と、心をバランスさせるという二つがとても大事です。

心のバランスと長生き 

そしてまた、私たちの身体と私達の生活、人生とが大切です。健康で長生きするのが人生で幸せなことです。皆さん、そうではないでしょうか?いかがですか。
 健康な身体と長寿はとても大切で、長く生きられればその間に善いことができるし、又いろいろな人に会うことができます。

 今人間の寿命は段々短くなってきています。ブッダの時代に平均寿命は120歳くらいありました。現代では60~70歳、あるいはそれに少し多いくらいです。120歳まで生きられた時代の人生を半分に割って、60までを人生の第一期とし、60から120までを第二期としてみます。120歳まで生きられた時代には、60までの間に勉強や仕事をして、あるいは家庭を持って子どもを育て家族を養い、60歳を過ぎたら定年で仕事から離れてリラックスするというライフサイクルでした。60歳までは一生懸命に忙しく働いていました。

 60を過ぎたら定年で仕事を離れて、ただ自分の楽しい人生がありました。仕事に関わるいろいろな義務からは解放されて、心の自然な方向に従ってすることができました。科学者とか芸術家たちは60を過ぎてからいろいろ活躍をしたそうです。彼らは経験もあったし、そこそこの財産もあったわけで、それで自分たちの自然に従うことができたわけです。

 ところが80、90歳になるとちょっと問題が出てきます、だんだん老化が始まって、記憶等が失われることにもなります。ですから、頭をクリアーにしておくこと、身体を健康に保つということが大切で、そのためには瞑想がとても良いのです。

 私たちの時代になってくると、寿命がだんだん短くなってきて、70歳ぐらいですが、定年でリタイアするのが60くらいからです。そうすると自分たちの人生は後どれだけあるかということになります。現代は科学の進歩が激しいので、時代はどんどん変わり、新しいものが次々と出てきますので、そういう時代の流れにも付いていかなくてはならない。そうでないと、取り残されてしまいます。だからそれに付いていく大変な努力も必要となってくるのが現代です。

 時代の流れの変化が激しいために、それに付いていくために、仕事も一生懸命にしなくてはいけないし、付いていく努力もしなくてはいけないので、私達の心はストレスが一杯で、疲れてしまいます。そのために寿命がだんだん短くなって行きます。

 昔の人は太陽が出て働き始め、太陽が沈んで家に帰るというサイクルの生活をしていました。今はもう夜も昼も働き続けなければならない、夜中でも働かなければならないという生活パターンがあって、それで心は自然に疲れ、心が疲れると、身体の方も心に従って疲れてきます。そんなパターンになっています。

 それで、人生を長く生きるためには自分の心をバランスさせることが大事になってきます。一日24時間を三つに分割して、8時間は働く、8時間は家族と一緒に過ごしリラックスの時間を取るようにして、残りの8時間は睡眠を取るようにすると、心はバランスが取れ、身体もバランスが取れてゆったりできるのです。身体というのは機械みたいなものですから、あまり機械に負担をかけると壊れてしまいます。ですから、バランスを取ることが大切です。

身体に影響を与えるもの

 私達の身体を見てみると、身体にいろいろ影響を与え、作っている四つの原因があります。一つはカルマで、カルマによる原因があります。二番目は心で、今の心が身体を作る。それから温度(時節)。四番目は栄養で、栄養が身体を作る。この四つの要素によって身体が作られます。

 カルマによってある程度寿命が決まります。心が幸福でないと病気になったりします。心が楽しくて幸福であったとしても、ある種のカルマによって決まった寿命がくると、そこで寿命が尽きてしまい、亡くなるということも起こります。

 また、強いカルマがあって、心もしっかりしているのだけれども、気候が寒かったり暑かったり厳しいと、それが身体に影響を与えて、早く病気になったり、亡くなったりすることが起こります。ですからバランスを取る上で気候や温度も大事です。四番目に、カルマも、心もしっかりしていて、気候も良いとしても、四番目の栄養素、すなわち食べ物のバランスが取れていないと、食べ過ぎとか、変なものを食べたりして、病気になって早死にする原因になります。

 こんな風にして四つの要素のバランスとって行くと心は幸せになることができます。それで、集中力が良くなって、心が幸せになって行き、ヴィパッサナー(観察)に進むことができます。次の機会にヴィパッナーの細かいことについて説明したいと思います。

 ヴィパッサナーに行く前に、私達の心と身体をどのように面倒をみるか、世話をするかということについてお話します。人間は自分の人生において幸せありたいと誰でも願っています。ではどんな風にして自分の心や人生を幸せにすることができるでしょうか。

 どのように心と人生を幸せにするか、についてブッダがおっしゃっているのは、常に善いことをすると言うことです。自分に善いことをするだけではなく、他の人たちに対しても善い行いをすることが大事である。そして、バランスを取ることが大事であるとおっしゃっています。自分のことだけだと、エゴということになってバランスが欠けてしまうので、自分のためだけでなく、他の人たちのためにも善い行いをすれば、バランスが取れます。

蜜蜂から学ぶこと

 私たちは自らの自然、とか本性について学びます。サヤレーは大学にいた時に動物学をやっていたので、動物についていろいろ勉強しました。私たちは自分の身体について、仏教では32の身体の部分について見ていきます。自分の身体についても見るし、また外側の、自分ではない、例えば動物達を解剖して見ると同じく32の部分があるという風に、自分と外の身体について両方を見ていきます。

 それと同時に動物達の行動とか振る舞いも見ていく必要があります、蜜蜂たちの振る舞いとかです。動物達、蜜蜂たちはどんな能力を持っているかを観察します。蜜蜂についても、何百万年前の世代からの変化を見ることによって、どんな風にして彼らが生き延びてきたかを知ることができます。

 今蜜蜂を見てみると、心に関連する三つの特性と、身体に関連する三つの特性を持っています。心について言うと、彼らはいつも改良しようとしてきました。二番目の特性は単純化して正直に生きようとしてきました。三つ目の特性は慈悲です。改良と、単純化と正直、それから慈悲、これら心の三つの特性によって、生き延ようとしてきました。

 身体に関連する特性は、第一に自分たちを信じるということです。自分たちにとって良いもの、他のものたちにとっても良いものをしようとしてきました。二番目は自律で、自からを頼りにする。三番目は規則を守るということ。身体に関するこの三つの項目を守ることにより、生き長らえて来ました。

 心についての三つは分かりやすいと思います。身体についての三つは少し説明をする必要があるでしょう。一番目の信について、蜂の行動について話します。例えば外へ飛んで行って、花を見つけて花粉を取って来ようという時に、蜜蜂の場合は集団で行って、集団で行動をします。人間のように、自分だけ先に取ってしまおうという嫉妬のようなものがなく、お互いに信頼しあって、集団で行動して食べ物を取ってきます。そして他のものと分け合うことに喜びを感じます。善き考えを持っているのです。

 蜜蜂がハチミツなり花粉をもらうときにも非常に穏やかで、紳士的であって、いきなりパッと取るようなことはしません。まず、最初は花の周りをぐるぐる廻って、花に対しても友好的な振る舞いをします。そうすることで、花の方も、ようこそいらっしゃいました、という風に、お互いに幸せな関係になるわけです。 蜜蜂が花粉をもらうと、次の花に行った時に、受粉させるという形でお互いに、助け合って、共生関係にあるのです。

 そんな風に、お互いに利益を与え合うことによってバランスを取ることを学ぶということが大切です。集団でもう一つ大事なことは、努力ということです。花粉を運んで持って帰ってきて、唾液などと混ぜて、蜂の巣をつくる努力をします。また、蜜蜂達は絶えずハチミツを改良させようとします。より良い花を探し、より良いハチミツにしていこうと努力をしています。そのような改良があるからこそハチミツは私たち人間にとっても大変、役に立つものになり、薬にもなります。そのように自分たちの利益になり、他の利益にもなります。

 第二に自分を頼りにしていくこと、自律することです。人間では自分を大切にする反動としてエゴが出てしまうこともあります。一生懸命仕事をしてお金持ちになったりすると、「これは自分のやった仕事なのだ」「他人なんか関係ない自分の努力なのだ」とエゴが出て、高慢になってしまうこともあります。自然(本性)というのは、ある意味で「条件」ですが、条件というのはいつも変化しています。その変化に文句を言わず、自らの力で受け入れて行くことが大切です。

 三番目は規則に従うということです。人間の世界でみると国によって家の建て方もデザインも全然違っていますが、蜂が作る家というのはどこの国に行っても六角形をした同じ形です。例えば僧院なども、それぞれの国によって形が違いますが蜂の巣というのはみんな同じデザインです。外敵から防衛するときも皆一緒になって防衛します。非常に単純で正直です。

 また私たちが学ぶべきことは、慈悲です。例えば蜂というのは人間の力で掴んでしまえば殺すのはたやすいことで、ワニのようにどう猛に抵抗しませんので簡単に殺されてしまいますが、種族としては長い間、生き延びてきました。というのは彼らに慈悲の心があったからです。

 また、同時に蜂たちは鋭く優秀な知恵を持っていて、いつも蜜を改良してきたからローヤル・ゼリーのような人間の薬にも成り得るものを作ってきました。そういうところから私たちは学ぶことができます。私たちが幸福になりたければ、このようなことから学ぶ必要があります。そして、いつも「自分は人々の利益になることをして来たただろうか」と熟慮します。

分け与えること

 例えば私たちが稼いだお金を、お金に困っている人たちに物などで分け与え、彼らがそれで豊かになって喜べば、私たちの心も豊かになって幸福になります。そのようなことを学ぶことが大事です。
 そのようにして分け与える(ダーナ)ということが大切で、例えば、私は15年間、瞑想を教えていますが、最初の五年間はパオ・セヤドーからお布施(ダーナ)の大切さを学びましたので、その五年間はパオの本堂にお布施をしました。そして今、お布施した本堂で尼さんたちが育ってきているのを見てとても幸福な気持ちになります。

 次の10年間は、私が指導しているミャンマーのメイミョウにあるパオ瞑想センターで修行している人たちを見ると、とても幸福な気持ちになります。皆さんも是非、メイミョウのセンターに来てください。大歓迎します。無料ですからどうぞいらしてください。私が食事も作って、みなさんに供養します。

 昨年、ミャンマーはサイクロンに襲われましたが、その時には、私のお寺で持っている全てのお金を被災者にお布施しました。例えば学校も壊されるなどして非常に困窮した状況でしたので、お寺にお布施された物資やお金等を学校に回して再建してきました。子ども達も大変喜んでくれました。私達が寄付できた物は、それほど多くはなかったのですが、それによって人々が助かったということに対して、お互いに幸福を感じています。また瞑想を教えるということはダンマ(理法)をお布施し広げていくということで、今日までやってきています。

 二ヶ月前のことですが、私は喉に腫瘍が出来て食事も会話も大変でした。医者からは外国へ行くのを止めるよう言われましたが、外国でリトリートをしても自分のセンターに居ても、いずれにしても死ぬものは死ぬのですから、どうせなら自分で治そうと決意して四界分別観という瞑想を行い、自分の身体の中を見て患部に熱を当てたりしてみました。

 それでこの二ヶ月間は台湾へ行って100人以上の人たちに瞑想を教えたり、あるいはマレーシアへ行ったり、あるいは日本に来てという風に過ごしながら瞑想して自分で治療しているうちに腫瘍は無くなってしまいました。それはダンマの力が自分を守ってくれたのだと思っています。

 長生きというのは大切ですが、まずは長生きして善い行いをするということ、それと瞑想をするということが大事です。そしてダンマ(理法)について皆さんと分かち合うということが一番大切なことです。貧しい人たちや自分の親族にお布施することによって幸福になることができます。

男性の寿命が短い理由

 今、だんだん寿命が短くなってきていますが、特に男性のほうが女性よりも寿命が短くなっています。
なぜだか分かりますか?
 中国では男性の方が女性より4歳ほど平均寿命が短いそうです。日本では6歳違います(笑)。ロシアでは13歳違います。それぞれ違いますが、それぞれの国によってプレッシャーが違うからです。

 男性が短命なのは4つの理由があります。
 一つ目の理由は男性が泣かないからです(笑)。男性は泣くことが出来ずに、涙をコントロールしようとします。二つ目の理由は男性が単純に喋らないで、コントロールしようとするからです。

 三つ目の理由は、体調が悪くてもすぐに医者に見せないで自分で治そうとして、本当に痛くてどうしようもなくなったときに初めて医者に行くことです。四つ目の理由は、家族を持っている人は仕事が終わってもすぐに帰宅しようとせず、どこかに寄ってしまうからです。

 男性が涙をコントロールしてしまうというのは、男性は女性に比べて強いという意識を持っているので、涙をコントロールしてしまうのです。女性は悲しいことがあればすぐ泣くことが出来ますから、周囲の人々も慰めてくれるのです。男性が泣くと見下されますが、女性が泣くと慰めてもらえます。

 心が動揺して不幸なときには泣くものですが、男性はそれをコントロールしてしまいます。ですからストレスも多く溜まってしまいます。いつも抑えよう、抑えようとしているから身体も不幸になってしまうのです。いろいろな不幸に出会ったときには泣いてしまえば感情が外に出て、その後は善くなっていきます。

 二つ目は、単純に自分の思っていることを喋ったら見下されるのではないだろうか、少しレベルの高いことを話さないといけないのでは、と思っているからです。だから感情を出すときにはビール等のアルコールを飲んだり、タバコを吸ったりしながら吐き出します。ですから悩み苦しみ、心の葛藤がいつも心の中に溜まっていて外に出ることがないのです。涙をこらえて飲み込み、胃の中に入ってしまいます。

 多少の痛みでしたら、たいしたことは無いと思ってしまうし、家族を持っている人でしたら、働かないといけませんので、多少の病気、痛みというのはこらえてしまいます。だから長く病院に行かないと、それがドンドン溜まっていってしまうのです。

 女性の場合はちょっと痛みがあると大変だということで、すぐに診てもらいます。腫瘍についても男性のほうが女性よりも40%多いそうです。ですからいくら一生懸命、お金を稼いでも早く病院に行かないために病気がさらに悪化して亡くなってしまえば、自分の問題だけではなく家族の悲しみにもなります。

 死ぬことに関しては三つのケースがありまして、一つ目は非常に若い時、幼い頃に父親が亡くなったりしますと、それが大きな苦しみになります。次の段階で、例えば結婚していて、夫婦のどちらかが先に亡くなった場合は、残された方が非常な悲しみに襲われます。また高齢になってから子どもたちに頼らざるを得なくなった場合、その子ども達が先に亡くなる場合も大きな悲しみに襲われます。これら三つの失う苦しみがあります。

 仮に平均寿命が70歳だとしても、四つの理由により若くしても、いつでも亡くなる可能性があります。四つの理由というのはカルマ、心、温度、栄養素です。ですから私達が幸福な人生を送るためには知恵とマインドフル(気づき)を持っていることが大事です。瞑想が重要な理由は、瞑想によって集中力と理解力、洞察力を得て、善いカルマ(業)を作ることが出来るので、それが自分自身の人生の支えになります。

 という訳で私達は瞑想をしていますが、瞑想して集中力が良くなり禅定を得ることが出来れば、不善すなわち不幸な感覚というのは無くなってしまいます。そして五戒を守ること、さらには慈悲の瞑想をすることが大切です。ですから皆さん頑張って瞑想してください。
ありがとうございました。

サードゥ! サードゥ! サードゥ!

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2012/8 宝台樹高原

  • 6
    8月に合宿の行われたみなかみ町藤原は宝台樹山のふもとにあり、冬はスキー場になる高原風ののどかな村です。

2009年クムダ・セヤドーのお寺 

  • 10 セヤドーのお話を聞く
    ミャンマー・ヤンゴン市郊外モービにあるクムダ・セヤドーの瞑想センターを訪ねた方が写真を送ってくださいました。 シーマホールも完成し、そこには富士山をバックにした仏像がまつられています。

2008/8 水上合宿

  • 雨上がり
    8月に合宿の行われた水上町藤原はまさに水の里。民宿周辺の風景をお届けします。

2008 夏の風景

  • 朝霧の沢
    夏の暑い日、川の源流では入道雲が湧き、山や木々は様々な表情を見せていました。

2008/7 関西合宿・瞑想会

  • 延命寺三門にて
    大阪、河内長野市にある延命寺は弘法大師空海が開基と伝えられ、市の紅葉名所にもなっている美しいお寺です。 ここで7月、クムダ・セヤドーをお招きして一週間の瞑想合宿が開かれました。
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