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2010年2月 3日 (水)

サヤレー法話「苦の循環・呼吸への気付き」 (2009年12月29日)

みなさん、今晩は。
 今は瞑想するのに大変ふさわしい時です。というのはもうすぐ新年を迎えますが、古いものが終わって、新しいものが生まれるというのがこの世界の本性であり、サイクル(循環)であります。これから世間では休暇に入り、海や山や温泉に遊びに行くことと思いますが、そんな中、瞑想したり法話を聞くためにここに集まったということは大変素晴らしいことです。ここに集まってくださった皆さんを尊敬します。

 新しい年を迎えると一つ歳をとります。そこで私達がここに来た目的が大変重要になります。合宿は休日の遊びではなく、自分たちの心の汚れと戦うための場所です。瞑想するといろいろな苦しみが出てきます。普段、仕事をしているでしょうから疲れが出たり眠くなったりすると思いますが、それらと戦うことが大事です。

比丘への質問

 仏教徒はカルマ(業)というものを信じます。善い行い、善い瞑想して、善いカルマを作っていくということを信じます。苦から解放されて涅槃へ到達することを信じます。一週間で涅槃へ到達することは難しいですが、それでも集中力を高めて努力を積み上げていくことが大切です。

 ブッダの時代のお話をしたいと思います。
ブッダは25回目の雨安居(ワサ)のとき、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ林にある祇園精舎にて数多くの法話をなさいました。マハーサティパッターナ・スッタ(大念住経)がとても有名ですが、クル国で説かれたお話も重要です。

 クル国の人々は優れた知恵をもっていたのでブッダは彼らに話しました。ラッタパーラという男性が法話に感銘を受け、ブッダへの信をもち出家したいと申し出ました。出家したいなら両親の許可を得るようにと、ブッダに言われたので、ラッタパーラは家へ戻り両親にお願いしました。しかし、彼の家は長者の家で、しかも一人息子だったために両親は出家を許しませんでした。そこで彼はハンガーストライキ(断食)をして、次第に衰弱して行きました。そんな彼を見た両親は死ぬよりはマシだろうと出家を許すことにしました。

 そして彼はブッダのもとで出家して、短い期間で阿羅漢に達しました。それから彼は両親にも善いカルマを積んでもらうために家へと戻って、両親からの供養を受けることにしました。そのとき家の中に入らず、家の外に立っていました。外に立っている比丘が我が子だと気づかなかった父親は供養するものは何もないから、早く門前から立ち去るように言いました。
 すると召使の女性が残飯を捨てるために表に出てきました。それを見たラッタパーラは「どうせ捨てる飯なら私にください」と言いました。すると召使は彼がラッタパーラであることに気づき、彼を家の中に招き入れ、両親にこの比丘がラッタパーラであることを告げました。

 両親は彼の前に宝石を積み、さらに10人の美しい女性を並べて、どれでも好きなものを選ぶよう、そして還俗するよう頼みました。普通の比丘ならば、そこで心が動揺するところですが、彼はすでに阿羅漢だったので心が動揺することなくその場を離れ、僧院に戻り、樹の下で瞑想して、「両親の心に無知があるため本当のことが見えなくなっている。人々は無知によって眼が閉ざされている」と感じました。

 このとき僧院にコーラヴィア国王が訪ねてきました。付き人から一人の比丘が庭で瞑想していることを伝えられた国王は、ぜひその比丘に会ってみたいと興味を示しました。そして国王は彼に一つ目の質問をしました。「あなたはお幾つですか?」。比丘は「20歳です」と答えました。国王は驚き、「20歳とは、まだ若いですね。普通の人は高齢になってから出家するものですが、なぜその若さで出家したのですか? あなたのご両親は誰ですか?」と二つ目の質問をしました。

 そこでラッタパーラは、これまでの経緯を国王に話しました。すると国王は、「あなたはお金持ちの家の息子ですね。普通は貧乏だから出家するものです。なぜ財産もあるあなたが出家したのですか? あなたは病気なのですか?」と三つ目の質問をしました。これに対してラッタパーラは、「私には病気もなく健康です」と答えました。すると国王は、「普通は病気で不幸だから出家するものです。あなたには親類縁者はいますか?」と四つ目の質問をしました。これに対してラッタパーラは「私には親類縁者があります」と答えました。すると国王は「普通は孤独になったから出家するものです。あなたは孤独ではないのに、なぜ出家したのですか?」と質問しました。

苦しみの循環

 国王が質問した四つのこと、それは世間一般の人が出家する動機となるものですが、ブッダの時代も同じでした。そして彼は一つ目の質問から答えはじめました。

「私達は苦しみの循環の中にいます。母親のお腹の中に入って生まれてくるという循環の中にいます。そして生まれてくると、20歳、30歳と歳をとって行きます。つまり生まれることは年老いて行くことと結びついています。年老いて行くと誰でも病気に罹ります。そして次に死がやって来ます。この四つは真実です。生まれ、年を取り、病になって、死んで行きます。

 しかし死が終わりではなく、そこからまた次の生へとつながっていきます。馬を飼っている人が毎日、毎日、餌をやるために馬を柵の中から連れ出し、また柵の中に連れ戻すように生、老、病、死の循環が終わることなく延々と続いて行きます。人生というものも循環(サイクル)で、繰り返し、繰り返し、終わることなく続いていることを考えて私は出家したのです」とラッタパーラは国王に答えました。

 二つ目の問いは財産についてでした。家、自動車、財産を持っていれば「これは私の物である」という気持ちになります。しかし死んでしまえば自分の物は一つもなく、全て残していかなくてはなりません。自動車、家・・等は、自分の本当の持ち物ではありません。ラッタパーラは、「ブッダ、ダンマ、サンガ、そして布施、戒を守ること、瞑想することによって得られる善いカルマだけが唯一、自分の財産です」と答えました。これが私達の本当の財産になるのです。

 また三つ目の質問にこう答えました。「私達はいつも誰かに頼っています。仏教徒ならブッダ、ダンマ、サンガ(仏・法・僧)に頼りますし、一般の人ならば親類縁者に頼ります」。ラッタパーラは国王に「貴方には何人の奥様をお持ちですか?」と、逆に質問しました。「私には14,000人の妻がいます」と国王は答えました。すると「貴方には大勢の奥様がいらっしゃいますが、貴方が病気になったときに、その苦しみを分担してくれる人はどれくらいいらっしゃいますか?」と聞きました。

 家族、親類、愛している人が居たとしても、自分が病気になったときに自分の苦しみを半分でも分担できる人がいるでしょうか?みなさんどう思いますか? これは重要なことですが、自分が病気になったら、その苦しみは自分ひとりで受け持たなくてはなりません。沢山の自動車、山ほどの食べ物を持っていたとしたら、それは皆で分けることが出来ますが、でも、それらは頼りにはなりません。

 布施、戒を守ること、瞑想するという三つの行いが善いカルマになり自分の頼りとなります。
ラッタパーラは、「自分の善き未来、善き生のためには善いカルマを作ることが大切で、それのみが自分の頼りとなります。だから私は出家したのです」と答えました。

 四つ目の質問に関してですが、この世界の人々の心は皆「渇愛(タンハー)」の支配下にあります。渇愛により人々は、見たい、聞きたい、味わいたいなどの感覚器官から来る欲望を喚起されます。例えば子どもの頃はいつもお腹がすいて、食べても、食べても満足できません。渇愛に支配されると、死ぬまで満足することがありません。眠い人は、いくら長く寝ても満足せず、「良く寝た」と思う事がありません。

 人々は車が欲しいとか、家が欲しいとか、財が欲しいとかいうために一生懸命働くわけですが、そのために寝る暇もなく、体を壊し、それでも満たされる事がなく働き続けます。人々は、「私はこれが欲しい」とか、「私はこれを愛している」とか「私はあれが好きである」とかいう風に何かを探し求めています。そういう風に考えます。しかし、死ぬまで満たされる事がありません。

 14,000人の奥さんが居ても、更に美しい女性が居たら、「まだ欲しい」と思います。「周りにいろいろな国がありますが、その国と戦って簡単に自分の領土にする事が出来るとすれば、王様はそうしますか?」と阿羅漢が聞きました。王様は、「それが簡単に出来るのだったら、私は国をもっと大きくしたい。隣の国も占領したい」と答えました。
 何故人々がそんな風にするかというと、それは執着、大きな欲望と執着があるからそういう行動に走るわけです。そうする事によって忙しくしているのです。どうですか、それが事実ではないでしょうか?

 1人の奥さんだったらそんなに問題はありませんが、3人も奥さんが居るといろいろ問題が起きてきます(笑)。どうですか、それが事実ではないですか?奥さんも夫も居なければ、それが一番良い事です。なぜなら自分の面倒をみれば良いだけですので、さらに他人の面倒もみてあげれば良いという事です。 自分一人なら、一人のことだけで済んでしまいますが、もう一人いれば、例えば奥さんの事も心配しなくてはならない。自分以外にも面倒を見なくてはいけない、面倒が増えてしまいます。

 ブッダは、執着のないことが一番良いことであり、自分の体にしても自分の心にしても、執着がなければ苦しむ必要がない、とおっしゃいました。それでラッタパーラは、「私は自分の執着を捨てたいために、また苦しみを捨てたいために出家しました」と答えました。

 ラッタパーラ阿羅漢の話を聞いて、王様は大変嬉しくなり、出家して比丘になりました。同じように皆さんもここに来ているわけですから、この1週間は家族の事とか、仕事の事とか、そういう事をすべて離れて、それらの事は考えないで、合宿に励んでください。今言った事は、すべての執着を切る事が善いカルマを作るという事です。もし今すぐに執着を全部断ち切って阿羅漢になる事が出来ないとしても、善いカルマを作って行く、善いカルマを積み上げて行くという事が先々の人生にとって善い結果をもたらします。

 それで皆さんここに来て、八戒を守るということは、戒を守るという事は心が幸せになるという事ですから、幸せになる事によってよいカルマ作っていくことができます。瞑想していると、いろんな 苦痛が起こってくると思いますけれども、その苦痛を乗り越えていく事によって心を成長させてください。

 王様が比丘に「あなたはいくつですか」と聞いたように、皆さんも自分に「いくつになったか」と聞いてみてください。ほとんどの人が二十以上ですが、二十代・三十代・四十代・五十代と、その間自分がどれだけ怒りとか欲とかを作ってきたかをじっと観察してみてください。その貪欲とか、怒りとか無知、そういうものがどれだけ自分の心の中にあるかをよく見てください。

 もしそういう欲とか、怒りとか、無知とかが自分の中に非常に多くあれば、それは善くないカルマを作っています。自分の中に悪いカルマを持っていると、死んだ後に例えば地獄などへ行って、長い間苦しみを受けなければならないことになります。瞑想している時の痛みというのは、ほんの僅かの苦しみ、一時の苦しみですからどうぞ乗り越えて欲しいと思います。
 短い間の痛みを乗り越え、忍耐する事によって、長く地獄へ行って苦しむという事は避けられるわけです。それでなぜこれをしたいのかという、意志(インテンション)がとても大事な事です。その意志も正しい意志でなくてはなりません。

アーナパーナ・サティ(呼吸への気付き)

 今している事に対して自信のある時に、修行はうまく進みます。八戒については、明日から八戒を守りますが、ブッダがおっしゃったのは、第一に戒を守るという事です。それから第二に集中力(コンセントレーション)を身につけるという事です。その集中力については、四十の瞑想法があって、その中から私達は呼吸を対象にする瞑想、アーナパーナ・サティをやっていきます。それで集中力がしっかりついた後に、ヴィッパサナー瞑想をする事が出来ます。

 これからアーナパーナ・サティ、呼吸瞑想をやっていくわけですけれども、それを少し説明したいと思います。アーナパーナ・サティをする時に、心をバランスさせるという事が大変重要です。瞑想をする時には、欲とか怒りとか無知からくる妄想や、嫉妬とか、そういう事はすべて横に置いて考えないようにする事が大事です。そして、絶え間ないいろいろな雑念も横に置いておく。

 それから眠気の心です。明日の朝おそらく眠くなるという事もあるでしょうけれども、それも何とか乗り越えて欲しいと思います。それらの善くない思いを切るためには、心をコントロールするという事が大事で、その為にサティ、気づき、マインドフルを持つことが大切です。

 サティ、マインドフル、気付いているという事ですが、何に気付いているかというと、吸う息と吐く息にいつも気付いていて、それをいつも覚えている。いつもそこに心を置いているという事です。もしその気付きがなくなると、簡単に妄想とか雑念とか、あるいは不善な考えがスッと入ってきます。だから気づいているという事が非常に大事なわけです。

 次に大切なのは、呼吸している時の呼吸の場所です。鼻の部分ですけれども、鼻の鼻腔の所に入ってきて、出ていくという呼吸を、タッチングエリアすなわち接触点で気付いているという事が大切です。接触点(タッチングエリア)は、空気の流れと鼻が接触している所で、これは人によって感じる所が違っていて、例えば片一方の鼻腔の所に感じる人もいるし、反対側に感じる人もいる。中央部、真ん中あたりに感じる人もいますが、いずれにしても自分の感じる所をそこにしっかり持っているという事が大事なわけです。

 ここが微妙な所ですが、接触点を見る場合、接触している皮膚の所だけを見るのではなく、空気の出入りしている領域を見る事が大切です。例えばその接触点を見ている場合、皮膚の領域だけに焦点を当てていると、段々頭が痛くなって来る事があります。

 それからその皮膚の感覚だけを見ていると、冷たいとか暖かいとか、そういう感覚のバイブレーション、波動を感じてしまう事があります。そういった、冷たいとか温かいという感覚の方に焦点を当てていくと、段々違う瞑想、すなわち四界分別観という瞑想の方に入り込んでしまうので、アーナパーナの時はそれをやらないでください。

 アーナパーナサティをする時は、呼吸しているのを分かっているという事で充分です。呼吸をする場合は、自然な呼吸というのが大事で、意識的に強く吸ったり吐いたりという風にはしないでください。また、呼吸を追って行って、頭の中に入って行くとか、肺とかお腹の中に入って行く事はしないでください。

 というのは、空気に従って入って行くというのは、風の要素を観察する瞑想になってしまいます。ですから大事な事は、自然な呼吸をする事と、自分の心をコントロールして、いつも呼吸に気付いているという二つです。

 また、心をリラックスさせ、楽しくさせる事が大切です。だいたい合宿の一日二日は、一つの対象に心を向けるのが大変難しく、心はあちこちへと散乱してしまう事がよく起こります。もっと集中しようとすると、もっとあちこちへ行ってしまうと言うような事が起こります。そういう時に、心に鞭打って、「しっかりやれ」と言っても難しいのです。

赤ん坊をあやすように

 そういう時は、鞭を打つような事はしないで逆に優しくあやすようにすることが大事です。呼吸を見る事と、赤ん坊を見る事は同じようなもので、色々むずかったり、ヤンチャな事をしている時に、叩いても上手く行かないわけで、逆にあやす様にすると上手く行くという事です。例えば、子どもをあやす時に、歌を歌ったりするでしょう。

 子どもがむずかる時に、子守唄を歌ってあげる時には、その歌っている気持ちの中に、慈悲の心があることが大事で、慈悲の気持ちなしにただ歌っているだけだと、子どもは泣き止みません。分かりますか、みなさん? 歌っている時に、よく聞くと本当に心から歌っているのかどうかが分かります。慈悲の心を持っていると、その波動が赤ん坊にも伝わり、赤ん坊にも分かるから、心が安らかになって静かになります。

 私達の心も赤ん坊と同じようなもので、心に慈悲を送ると、心が落ち着いて幸せな気分になってきます。心が静かになって、平和になってくれば、大変容易に集中を得る事が出来ます。

 そんな風にして、10分ないし15分、呼吸に集中する事が出来るようになれば、とても容易にニミッタ(集中のサイン)が現れてきます。慈悲の瞑想をするのは容易に出来ることです。何故かというと、慈悲を出そうと思えば、自分自身の心で出すことは大変容易だからです。ですから思い、あるいは自分の意志で、「災いから自由でありますように」と念じる、そういう思いを持つことはそんなに難しくありません。

 それから自分だけではなく、他の人についても、「他の人も災いから自由でありますように」という思いを持つことも大切です。最初に言ったように、「私は災いから自由でありますように」と心の中で唱えていると、心は落ち着いて、幸せな感覚が生まれてきます。

 二番目には、「私は、心の苦しみから自由でありますように」というように念じます。三番目は「私は、体の苦しみから自由でありますように」と念じます。そして四番目には「私は、健康で幸せでありますように」と念じます。最初は自分に対してその四つを念じ、それから自分以外の人にも四つの事を念じます。

 それで特に初めての方は最初に慈悲の瞑想をして、自分に対して四つの慈悲を心の中で唱えて、心が穏やかになってきたら呼吸を見るようにします。10分ないし15分慈悲の瞑想をして心が落ち着いてきたら、呼吸を見るようにしてください。

 それから座っている以外の時、例えば立っている時、歩いている時、それから横になっている時、行住坐臥ですね、そういう時も呼吸の方にに集中して、歩いていても、「歩いている」ことや足の感覚にいかないで、たえず呼吸の方に心を向けるようにしてください。呼吸と親しくなって呼吸を楽しむようになってください。

 もし眠くなってきたら、パッと目を開けたり閉じたりしてください。決意するという事がとても大事で、このリトリートは非常に短いわけですから、短いリトリートの中で私は絶対に禅定まで達するという風に決意して、一つ一つの坐禅の時間にしっかり座る事が大事です。

 それでも眠気があったら、耳をグッと引っ張ってみて、痛みで眠気に打ち勝ってみてください。また、眠気がある時にする一つの方法として、数を数えるのがあります。呼吸を吸って吐いて、それで「1」、吸って吐いて「2」、という風に数えていって、「8」まで数えたらまた「1」まで戻って繰り返します。
話が長くなりましたけれども、明日から眠気に打ち勝つよう頑張ってみてください。
ありがとうございました。

サードゥー! サードゥー! サードゥー!

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    8月に合宿の行われたみなかみ町藤原は宝台樹山のふもとにあり、冬はスキー場になる高原風ののどかな村です。

2009年クムダ・セヤドーのお寺 

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    8月に合宿の行われた水上町藤原はまさに水の里。民宿周辺の風景をお届けします。

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