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2009年3月

2009年3月 6日 (金)

サヤレー法話 「四聖諦・苦について」   (09年5月3日)


「四聖諦・苦について」   (09年5月3日)


 皆さん、こんばんは。どうぞリラックスしてください。そして集中力はそのままでお願いします。今日は苦しみの真実についてお話したいと思います。以前に聞いたことがある方も沢山いらっしゃると思いますが、今回初めての方も参加されていますのでもう一度お話いたします。

 苦しみというのは世界中どこを旅しても、どの国に行っても存在しない場所はありません。ブッダは心(ナーマ)と体(ルーパ)とがある限り、苦しみは耐えないとおっしゃっています。どの国に生まれようとも心と体があるものには苦しみが必ずあると説いています。
 ブッダご自身は6年間修行を積んだ上で解脱をされましたが、その後どうやって苦しみをなくすか、どのように苦しみを乗り越えるか、その方法を人々に説かれました。苦しみから逃れられない状況を脱出するために、体と心を手放すことが一つの条件となります。

 ブッダは解脱に到達された後、鹿野苑へ出られて、五人の比丘や他の梵天達もおられる中で説法をされました。そこではいかにして苦しみから逃れられるかという内容でお話をされました。その中で四つの聖なる真理(四聖諦)を説きました。

1. 苦しみの真理
2. 苦しみの原因(なぜ苦しみが起きるのか)
3. 苦しみの消滅
4. 苦しみを消滅させる道

そして、一番目の「苦しみの真理」には、以下の五蘊(五つの集まり)があります。
一つはルーパ(体)に関して、後の四つはナーマ(心)に関しています。
1. 体に関する集まり
2. 感覚に関する集まり
3. 知覚、想念に関する集まり
4. 心が作り出すもの(サンカーラ)の集まり
5. 意識の集まり

 このように、一つは体(ルーパ)に関すること、残りの四つは心、精神現象(ナーマ)に関するということを理解してください。
 そして、ブッダは体を知ることだけでは十分でなく、心を知ることも大切だとおっしゃいました。体が理由で、心が病んでしまうことがあります。反対に、心が病んだ状態で、体が病に陥るということもあります。みなさん理解できますか。体が痛みを覚えているときは、心も幸せな健康状態ではいられません。

体に関する真理

 体には、地・水・火・風という四つの要素が含まれています。そして体は32の部分から出来ています。これらの部分も全て体(ルーパ)の一部であるということです。さらこの32の部分を一つ一つ深く観ていくと、ルーパ・カラーパという微粒子で出来ています。微粒子のレベルで観ていく時に、初めて生滅というものが理解できます。そのことが分かって初めて、無常・苦・無我について理解ができます。

体が健康の状態ではない時は、地・水・火・風の四つの要素の中の、水の要素や風の要素が強くなってしまったなどの、要素のバランスの不調和が起きています。日本ではこの考えが受け入れられているか分かりませんが、中国の病院では四つの要素のバランスについて、例えば水の要素が足りない、風の要素が強すぎるということで漢方薬が処方されたり、鍼灸でも地・水・火・風のバランスを整えるための治療が施されたりしています。

 もう一つ、体の健康のアンバランスの理由には以下の四つの原因があります。
1,カルマ
2.心
3.温度(温度がルーパの変化に体に影響を与えます)
4.食事に含まれる栄養素

 前世で、戒律の中にある殺しという行いを積んでしまったカルマを持っていると、今世は若くして死んでしまうという影響を及ぼします。理由がなく亡くなってしまう時は、カルマが影響を及ぼしていると考えられることもあります。また、心が健康ではないと、体の健康にも影響を及ぼして、病になったり早いうちに亡くなったりということもあります。シンガポールなどで研究が行われているのですが、ガン患者は病気を知らない間は元気で過ごしていたにもかかわらず、ガンが発覚して本人が知ることによって鬱の状態に陥り、病気の進行が早まったり、治療を始めることによって寿命が短くなるというケースも多く見られます。

 この例を見ても、心の強さがいかに大切か分かると思います。心が強くなければ体も強くなりません。そして心を強くする方法としては、瞑想が一番有効ですので、いろんな意味で瞑想が体にとって一番の薬であると考えることができると思います。毎日瞑想をして心を強くして、栄養をきちんと取って、体を強くすることが大切です。やはり心が弱くなると、体の抵抗力も弱くなるのです。

 三つ目の温度は、とても暑い環境、もしくは寒い環境にいると人間の体はすぐ病気になり、結果として死に至ることもあります。四つ目の栄養素は、食事が体に影響を及ぼすということは皆さんご存知と思いますが、一人一人体のコンディションが違いますので、自分に合った食事を適量頂くということが一番大切です。例えば、肉が美味しくても自分の体には良くないと分かりながら、欲によってどんどん食べ過ぎてしまうと、その積み重ねによって体を壊すこともあります。ですから自分に合った食べ物を知り、それを適量頂くということが体の健康にとっては一番良いことです。

 以上の四つの要素が体を支えていることをよく理解して、生活に組み込んでいくことが大切です。四つのうち三つは自分達のコントロールが割りと簡単に効く要素である一方、カルマは一番コントロールが難しい要素です。しかしこのカルマの要素も、きちんと瞑想修行を積み、精進し、慈悲の心を持って良い心を常に保つことで、良いカルマが作られてきますので、今世で長く良い人生を歩むことができることに繋がります。

宇宙のサイクル

 私達が住んでいる宇宙は無常で、常に変化しています。火・水・風の3つの要素によって常に破壊され続けているのです。人間の寿命もブッダがいらした時代と今とでは大きなサイクルで変化しており、寿命が1千年を超えた時代もあれば、10年程度と短い時代もあり、無常で常に変化しています。1劫(イオン)で64宇宙が生じて滅するというサイクルの中で、人間の寿命も同じ間隔で千年に伸びたり、10年に短くなったりと変化をしています。

 寿命が1千年と長い時代には、人間は五戒をしっかり守り慈悲の心を持って生活していたのですが、反対に寿命が短い時代は五戒を全く守らず両親も敬わずに人殺しも多い世の中で、人々の心が乱れていました。ブッダがいらした時代の寿命は100年と言われていましたが、現代では70年~75年とだんだん短くなっています。今、この世の中で100歳以上生きる人に会うことは少し難しくなってきています。

 大きなサイクルの中で宇宙が破壊の時を迎えると、人殺しや殺し合いが増えて世の中は混乱に陥ります。それを上からご覧になって危険を察知した梵天達は、この状態では危険であると人々に伝え、五戒を守り、慈悲の心を持って生活をするようにと説くために、赤い衣をまとって沢山下界に降りて来られます。
 それを聞いた人々が心を改めて、五戒を守り、慈悲の瞑想や、瞑想修行を励むことによって、宇宙が破壊する時には禅定を得て梵天界に行きます。慈悲の瞑想を通して禅定に入ることで、梵天界に行くことができます。

 宇宙があと2日で破壊すると分かった時、人々は恐怖心でかなり集中力も高まります。その集中力で瞑想することですぐに禅定に入ることができます。 禅定に達すれば梵天界に行け、禅定に達しなければ地獄に落ちるという二つの選択肢の中で、人々はみんな一生懸命瞑想をします。 もし長生きをしたければ、慈悲の瞑想と瞑想修行に励んでください。瞑想のみが助けとなります。瞑想で積んだ良いカルマだけが死後の世界に持って行く事ができます。家族の愛や情はすべてこの人生で終わるものです。今皆さんが瞑想で味わっている苦しみは今一瞬のものですので、どうぞ瞑想に励んでください。瞑想修行をすれば、苦しみからも解き放たれます。

心のリラックス 

 温度に関しては一番適した温度に身を保つことが大切です、心に関してはリラックスすることが重要なことで、あまりプレッシャーを感じて頑張りすぎてしまうと心自体が弱ってしまい、弱くなった心の先にあるのが、結果として不健康な身体になってしまうこともあるので、心をリラックスさせることが大切だということを覚えておいてください。
 
 一日24時間、皆平等に与えられていますが、それを三つ、8時間、8時間、8時間と三つに分けると、8時間は仕事に費やし、8時間はリラックス、家族と一緒に過したり、自分の趣味、とかに使い、後の8時間は眠りに費やしてください。8時間眠りを取らないと身体も心も段々弱くなってしまいます。
 
 8時間以上10時間、12時間と長い時間仕事をしてしまうと、体と心に大きな悪い影響が与えますので危険な状態になります。
皆さん8時間睡眠をとっていますか?
 睡眠時間が8時間以下の場合にはまずいですし、また8時間以上10時間、12時間寝るのも怠けの心が出てしまうので、それもあまりよい状態ではありません。眠り過ぎると怠け者になって、あまり働きたくなくなってきますよね。8時間以上働いてしまうと、エネルギーの消費が大きいので、毎日毎日8時間以上働いているとエネルギーを使って、確実に寿命が短くなることを知っておいてください。
 
 サヤレーの体験 

 サヤレーご自身にも言えることで、彼女は波羅蜜で常に世界中を動き回って皆さんの為に瞑想活動をされていますが、その結果として、15年経って病気がちになったそうです。心は瞑想を通して強く保たれるのですが、身体自体は弱くなってしまいました。
 数ヶ月前台湾へ指導に行った時、100人以上の比丘尼の方々が集まって瞑想修行をされ、皆さん良いペースで精進経験をされていたので、インタビューにも全て出ていたのですが、2ヶ月間咳が止まらない状態でした。それでも無理をして続けられていましたが、やはりそれが終わった後病院へ入院しなければならない状態になってしまいました。
 
 その時、サヤレーは身体の苦しみ、痛みを始めて痛感され、強い薬を沢山飲まれたらしく、その影響で体中に発疹が出てしまい、歩くのも痛いぐらい、服を着るのも痛いくらいでした。インタビュー室へ歩いて行くのにも、心は皆さんの為になりたい気持が一杯だったのですが、身体は痛くて、痛くて仕方がないという体験をされたそうです。
 
 全てに無理をされたので最終的には集中治療室に運び込まれて、そこで強い睡眠薬を注射されました。サヤレーは、お寺に戻ってインタビューをしたい気持があったので、瞑想によって眠らないように心をコントロールしようとしました。瞑想、瞑想としていると心は覚めたり、下降したりでしたが、とにかく心を強くしようとしました。一回の投与で8時間10時間睡眠が続く薬であるのにも関わらず、30分後には目が覚めて、お寺に戻って、インタビューをしたので、お医者さんはたいそう怒っていたそうです。
 
 参加された比丘尼たちは、サヤレーがこれだけ身体に鞭打って自分達を指導してくださっていることを分かって、皆さんも精進されて、大勢の方が過去世を見ることができたそうです。
 その経験でご自身は、心と身体のバランスが必要だということを痛感されたそうです。今までのように続けていたら、身体がついていけないので段々悪い方向に行ってしまうということ気づかれたそうです。
 
 日本にいらっしゃる前に、ドイツで二つリトリート(合宿)されたそうですが、そこで始めてお茶を飲まれて、ケーキを食べ、ゆっくり眺めながらリラックスすることをされたそうです。その時心と身体がずいぶんリラックスして、良い体験だったので、こういうことも時には必要なのだと思われたそうです。
 皆様も働きづめの毎日でなくて、一日1時間、仕事から帰ってきてから1時間、夜でもいいですが、お茶を飲むなどして、自分の時間を持ち、リラックスすることをお勧めします。その時にはテレビを点けずに、本当にもう100パーセント自分のためにリラックスすることを楽しんでください。 
 
 あまり無理をしすぎると、身体の質が悪くなり、無理をして働きすぎるとパワーがなくなってしまうのでその結果として身体の一部が壊れてしまいます。身体の一部が壊れたのを放っておくと直ぐ他の身体に影響します。身体の中で一つの箇所が調子悪いなと感じられたら、そこで働きすぎるのを止めてバランスを取る生活をして、早く直すよう、バランスを取ることを心がけてください。
 
 やはり健康で幸福な心を持つことが大切で、それがあって、健康な体があるということなので、リラックスして、ハッピーな状態に心を保ってください。毎日怒りと、奮闘している心は長くは続きません。
 強い心と身体を保つにはまず瞑想、次は地・水・火・風の四大要素のバランスを保つことで、後は薬が必要である場合は薬をとって身体の健康を保つことを心がけてください。
 
 心の世話もしなくてはいけません。多くの間違った見方や考えが、不幸な感覚や怒りを作り出すとブッダはおっしゃっています。
 今までブッダは物事の真理をきちんと見るように、瞑想修行をしなさいとおっしゃっています。瞑想修行で物事の真理を見るということは、身体が四大要素からできていることとか、ルーパ・カラーパ(微粒子の集まり)でできているとか、無常のものだとか、というものが見えてきて、そうすると執着する心もなくなってしまいます。
 
 ルーパ・カラーパの真実 

 物事の真理が分かると、私達の身体は、どの部分をとっても全てルーパ・カラーパでできている。そして、全て生滅している。これが眼だとか、耳だとか、鼻だとか個別のものでなく、小さな微粒子が生滅しているだけだということを深く理解できます。
 それが分からないと、これが私のものだとか、これは私の妻だとか、これが私の子供だとかいうように執着の心が生じてしまいます。これは間違った見方、間違った捕らえ方で、最終的には間違った考え方になります。
 
 それは例えば、自分の身体が病気になることにも言えることで、なぜ私だけ病気になってしまったのか、という考え方も間違っていて、この身体が私のものでないということが分かります。常にルーパ・カラーパで、無常な状態であることが分かれば、そういう考え方もなくなります。
 他の身体に関してもそうです、私の妻とか、私の子どもだとか、に関しても実はそれを見ていけばそれも32の部分で出来上がっている身体でしかないのです。32の身体の部分も深く微粒子レベルに見ていけば、ルーパ・カラーパ(微粒子の集まり)で、無常の世界を作るわけで、そうすると、これは私の妻ですとか言う執着心も全部消えてなくなります。
 
 いとしい、愛する人に死別するとか、分かれてしまう時にも大きな苦しみが生じてきますが、それも深い瞑想をして、正しい見方、物事の真理というものが見えてくれば、身体も無常のもので、実は微粒子レベルでは、ルーパ・カラーパで、常に生滅している状態なのです。微粒子レベルで全てが生滅していることが分かれば、全ての苦しみから解き放たれます。
 それは嫌いな人にも言えることで、同じ職場でも、同じ家族の中でも嫌いな、敵対心を持っている人がいたとしても、その人も微粒子レベルでは、ルーパ・カラーパで、無常だということが見えてきたら苦しみもなくなります。
敵を持っている方はいらっしゃいますか?

 返事がないのは、いないということですね。いない方が良いのです。間違った見方を持っている故に生じる苦しみがあるので、真理を見ることができることによってこの苦しみから逃れることができます。もう全てが自然の成り行きだと、受け容れることによって悪夢のような苦しみからは逃れることができます。
 すなわち瞑想修行を重ねてジャーナ(禅定)到達して、到達した状態でヴィパッサナー修行をすることによって物事の真理を深く理解することができます。そしてヴィパッサナーで得る真理によってのみ、本当の物事の真理を知ることができます。心と身体が生滅することをヴィパッサナー瞑想で観て、始めて苦しみの真理を理解することができます。

 もし集中力があれば、ヴィパッサナーで真理を知ることはそんなに難しいことではありません。今まで頑張って努力してきましたのでそのまま続けてください。後で、苦しみの元、その原因の話をさせてもらいます。
 ですから、私たちはバランスを保つということが必要です。何事が起こってもそれを受け入れて、そして、時にはカルマの真理について熟慮してください。後30分残っていますが瞑想したいですか?
それでは、30分間瞑想しましょう。

 

サヤレー法話:四界分別、菩薩の忍耐 (08.12.30)

四十の瞑想法

 皆さん今晩は。今日は、地水火風の瞑想、四界分別観についてお話したいと思います。そして、四界分別観とアーナパーナサティとの関係についてもお話したいと思います。アーナパーナサティをこの二日間やってきたわけですけれども、うまくいく人もいるし、あまり集中を得られないという人もいると思います。瞑想がうまくいかなくても、ガッカリして家に帰らないようにしてください。瞑想は全部で四十ありますから、まだたくさんの瞑想法があります。

 この四十のうち、アーナパーナサティも一つの瞑想法ですし、もう一つ四界分別観というものもあります。今その四十の瞑想法について、ざっと説明したいと思います。十種類の、カシナという円盤を使った瞑想法があります。十種類の、アスバ・メディテーションという、不浄観があります。十種類のアヌサティ(随念)という瞑想法があります。それから四つが四梵住という梵天界の瞑想があります。その四梵住というのは、慈・悲・喜・捨の四つの瞑想法です。それから四つの無色界禅というのがあります。そして四界分別観と食べ物を厭う瞑想(食厭観)があります。

 全部合わせて四十の瞑想法になるわけですけれども、今日は四界分別観について説明したいと思います。アーナパーナサティにおいては、入ってくる息、それから出ていく息、その呼吸を見つめているわけですけれども、呼吸を追って身体の中に入って行かない。逆に出ていく呼吸を追って外の方に行かないようにします。中には無意識的に、呼吸を見つめていると、呼吸をどんどん中に追って行って、中に入って、中での感覚とか振動を感じたりするということがありますが、そこでもう一度鼻の所の呼吸に戻すようにしてください。

 二日間やってみましたが、集中が良くなって、二十分間、三十分間と呼吸に集中できるようになると、ニミッタが見えてくると思います。最初の二日ぐらいはとても難しく、山になっていて、それを越えていくと段々易しくなってきます。呼吸を見ることがとても快適に、楽しくなってきて、そのことによって心があちこち彷徨ったり、雑念が起きたりというのが少なくなって、集中が良くなって来ます。

四界分別観
 そんな風にして心をコントロールして行くわけですけれども、アーナパーナサティをやってもなかなか集中がよくない人に対して、もう一つの瞑想法を説明したいと思います。アナパナを20分くらいやっても集中をなかなか得られない人は、四界分別観をやるといいでしょう。四界分別観をやっていると、いろいろな身体の振動とか、感覚を見ていくので、それをやってまたアナパナへ戻ると、瞑想の性格が違うので、ちょっと煩わしくなるという事が起こるそうです。ですからアナパナをやって、うまくいかなくて、それで四界分別をやろうと決めたら、しばらくは四界分別でやるようにして、あれこれ変えないようにしてください。

 四界分別観をやる意義というのは二つあって、一つは四界分別観をやることによって禅定に非常に近いところに達することができます。近行定(きんぎょうじょう)といいますが、そこに達することができます。もう一つの意義は、ヴィッパサナーと関係してきます。ヴィッパサナー瞑想をやる人は、必ず四界分別の瞑想をやらなくてはいけない。それからアーナパーナサティをする目的は、第四禅定までのジャーナ(禅定)、非常に深い集中力を得ることです。ですからアナパナで、第四禅定まで到達したら、それから先はヴィッパサナー瞑想をやるわけで、そのヴィッパサナー瞑想をやるときに、また四界分別観という瞑想が入ってきます。

 数日間アーナパーナサティをやってそれから四界分別をやるというやり方もあるみたいですけれども、それではなかなか上手く行かない。それはアナパナで第四禅定までの禅定をしっかり得てないと、その次の段階に進んでも、ナーマ(精神性)とかルーパ(物質性)をしっかり見るというのはなかなか難しいということです。最初に四界分別観の瞑想をやって到達できるサマディというのは、ウパチャーラ・サマディ(近行定)という禅定にかなり近い状態だけれども、それでもまだ充分な状態ではないので、例えばナーマ、ルーパというのは、心と身体ですね、それらを見ていくには不充分なので、更に先にそれをやってからカシナ瞑想をする必要があります。

地水火風の要素

 それで四界分別は、何を対象にするかというと、地水火風という四つの要素を対象にします。地の要素を分けると更に2つのグループで、6つに分かれます。まず重さ・軽さに分けます。重さのグループは更に3つに分けられて、硬さ・粗さ・重さという3つが入ります。今度は反対の方ですけれども、硬さと反対の柔らかさ、粗さの反対の滑らかさ、重さの反対の軽さ、この3つが一つのグループです。

 地水火風の火の要素は2つあって、熱さと冷たさの2つです。三番目の風の要素ですけれども、これは押す力と支える力があります。四番目の水の要素ですけれども、流れる性質と、粘着力という、まとまろうとする力、この2つの性質に分けられます。それで全部分類したのを合計すると十二になるわけです。この十二の要素について自分の身体の中にそれぞれを見つけて、その感覚を一つ一つ確かめていくようにします。

 最初にやるのは、比較的容易な風の要素の中の、押す性質を観ていきます。この場合に使うのは、アナパナと同じように呼吸で、特に入ってくる呼吸を観ます。この場合アナパナの場合は中に入っていってはいけないという説明がありましたが、四界分別観の場合は、押す力で呼吸が入って行って、ずっと頭の所まで来る、その力を感じるようにします。それでそんな風に、呼吸が入ってきて、押していって頭の天辺までずっと入ってくるのを感じるわけでが、その時に押す力で振動しているような感覚を頭の上の部分に感じて、それを段々顔全体に広げていって、さらに身体全体に広げていくようにします。

 最初はなかなか難しいから、どちらかというとイメージの方が多いのですが、押す力によって振動しているのを感じて、それを段々全体に広げていくと、それが感覚として実感できるようになってきます。それを何度も何度も繰り返して見るようにします。

 そんなふうにして風の要素の、押す力を見ることができたら、今度は地の要素の硬い性質を見ます。二番目に硬い性質を見る場合は、歯をグッと噛みしめてみて、その時に硬いという感覚を感じてそれを全体に広げて行きます。次の粗さの感覚を見るには、舌先で歯の裏側のザラザラしている感覚を体全体にずっと広げていく、あるいは皮膚におけるザラザラした感覚があったらそれを全体に広げていく、そういうふうに見ます。次は重さの性質ですけれども、これを感じる時には両手を腿の上に置いて段々身体を傾けて、体重をかけていくと「重い、重い」という感覚が出てくると思います。その重さの感覚をまた身体全体に広げていって見るようにします。

 次は柔らかさという性質ですけれども、それを見る時は、上の歯で下唇を噛んでみると、唇だから柔らかいわけですね。この柔らかさを感じてそれを全体に広げていきます。「柔らかい、柔らかい」というふうに感覚を全体に広げていきます。次に滑らかさの感覚ですが、この場合は舌先で自分の唇の裏側を舐めてみると非常に滑らかでツルツルした感じがあります。その滑らかな感覚を顔から更に全体に広げていって「滑らか、滑らか」というふうに見ていきます。次の要素は軽さですが、これを見る時は、指を曲げ上げてみると簡単に上がる。これは軽いから上がるわけで、重さが載っていないから簡単に上がるわけです。その軽さの感覚を指から全体に広げていって、「軽い、軽い」という風に感覚を取ってみてください。

 次は風の要素のもう一つの支える性質ですが、この場合は身体を段々傾けていって、それからまた戻す。すると身体を支えている力があるからまた元に戻るわけで、その支えている力を感じることができると思います。その力、その感覚をまた見ていって全体に広げていきます。眠くなった時に、身体が段々前にかしげて、ある所まできたら飛び上ってパッと元のところまで戻りますが、それは支える力が働いているからなのです。皆さん、そういう経験ありますか?

 次は火の要素のうちの、熱ですけれども、この場合は手のひらに手の甲を当ててみると温かさ、熱を感じますけれども、この熱の感覚を、手からずっと広げて「温かい、温かい」と見ていきます。次はその反対の冷たい、涼しいという感覚ですけれども、この場合は呼吸する時の感覚を見ます。鼻に空気が入ってきて、スースーして、涼しい感覚があるわけですけれども、その涼しい感覚を見ていって「涼しい、涼しい」と、あるいは、冷たいという感覚ですね、「冷たい、冷たい」という感覚を見ていって身体全体に広げていきます。

 次に見るのは、粘着性(cohesion)という、ギュッとまとめようとする力です。水の、流れる性質とは反対の、ギュッとまとまる力、凝縮しようとする力ですが、手首をグッと握って手首がその時に、グッと絞まる感覚を見て、これを広げていきます。これが難しい時は、身体が呼吸をしていて、うまくできない時に身体が硬直して硬くなっている時の、ギュッと圧縮しているような感覚として見ていきます。それでも難しい時は、硬さと粗さと重さ、その3つを感じると、身体がギュっと締められているような感覚になると思います。圧縮されるような感覚です。

 次は流れる性質ですけれども、これは涙だとか、汗とか、血液とか、自分に一番合ったものを選んで、その流れている感覚を見て、それを広げていきます。そんなふうにして、今十二の性質についてお話ししたのですが、それらを一つ一つ見ていって、一つが終わったら次の一つを見ていくと、段々集中が良くなってきて、集中が良くなると明るい光が見えてきます。アナパナと同じようなニミッタですね、ある種の色が見えきます。これもアナパナと同じなのですが、光の色が見えたとしてもそちらの方には集中しないで、身体の地水火風の感覚の方にずっと集中し続けます。

近行定に達する

 そのうち見えている色が段々と氷の塊みたいになってきます。そのように氷の塊のみたいに見えてきたら、今度は氷の塊の方に意識を集中していって、禅定の近くまで行くことができます。こんなふうにして、四界分別の瞑想によって、近行定という禅定に近いサマディに到達することができます。

 それでこのように四界分別の瞑想から更にアナパナをやって第四禅定までいくと、その時の光をもって身体の内部の三十二の部分を見る瞑想をします。そこで瞑想の段階の話をしますけれども、三十二の身体の部分を見たら、今度は骸骨ですね、身体の中の骸骨を見る瞑想をして、それからその骸骨の色を使ってカシナの瞑想をします。カシナという円盤なのですけれども、色のついた円盤を見る瞑想をするというふうに、段々、段階を追ってやっていきます。骨は白いですから、白いカシナの瞑想をやって、それが終わったらヴィッパサナーに入っていくという、こういう段階です。

 ヴィッパサナー瞑想というのは、この塊を粉々にして、微細な粒子にしてしまうというようにやるそうです。最初は粉々じゃなくて、一つの身体としてあるのだけれども、四界分別観でその身体の地水火風で何度も何度も見ていくうちに、身体が粉々になって、粒粒になって見えるそうです。ルーパとは物質ですが、非常に細かい最小の粒であるルーパ・カラーパというのがあるのですが、ルーパ・カラーパについては次の機会に説明したいと思います。

 ですから四界分別観にしても、アーナパーナサティの四つの禅定の瞑想にしても、心をコントロールするというのが大事なわけです。で、心をコントロールして集中力を高めるという、この集中力がないと自分の身体の内側を見ることができないわけで、そのためにやっているわけです。

信・精進・気付き

 その時に必要な心の要素としては、まず「信」です。信仰の信、信頼の信、信ずるという信です。信はとても重要で、「私にはニミッタなんて見えない」、「見えるわけがない」などと信が揺らいでいると、「もうやめて帰ろうか」というような事になってしまいます。とても強い信が大切で、「私はここにニミッタを見るためにやって来たのだ」、「絶対に見てやろう」と信をもって進めることが必要です。

 リトリートに入って2日間で一番問題になるのは、眠気と、心があちこち彷徨い妄想が始まるということです。何故ならば、こんなに朝早く起きるという習慣がまずないでしょう。2・3日すればこれにも慣れてきます。2日間は大目に見ますけれども、3日目は寝ている人がいないかしっかりチェックしますから、よろしいですね。

 もう一つは、心が彷徨い出す妄想ですが、これもしっかり見ています。次に大事な心の要素としては、精進、努力です。努力がないと気付いているという力が弱くなって、それで容易に眠気や、妄想だらけになってしまうことが起こるわけで、そのためにも努力が必要です。

 努力・精進は、心に持つということであって、呼吸のところには力を入れないでください。呼吸のところで力んでしまうと、段々疲れて来るので、そこは自然な呼吸をするようにして、心に努力の力を注ぐようにしてください。信と精進(努力)と3番目がマインドフル(気付き)です。気付いている、というのは何に気付いているかというと、瞑想の対象は呼吸であるという事に絶えず気付いているとことで、これがなくなってしまうと対象がどこかに飛んで行ってしまう事が起こるわけです。絶えず瞑想の対象は呼吸である、ということに気付いていることが大切です。

忍耐

 ですからそういう気付きの力が強い時には、とても容易に集中力を作り出す事が出来ます。そんな風に集中力がしっかりしてくると、その集中力をもってヴィッパサナーをして、智慧が生まれ、洞察力が生じます。ですから禅定やヴィッパサナーを得たかったら、必要なのは忍耐の力です。パーリ語でカンティと言いますが、足が痛くても、いろいろ辛い事があっても怒らずに、忍耐をもって進んで行くことが必要です。

 30分なり1時間なり座っていると、あちこちが痛くなってくるのを感じたりするものです。どうですか、皆さんもそういうのを感じますか。あちこちに痛みとか。痛みを感じると、怒りの気持ちが出てきたりしますか。怒りというのは、瞑想には良くないわけで、痛みがあっても、心は善の心を持っていれば瞑想は進むけれど、不善の心を持っていると良くない方向に行ってしまいます。

 その最初に感じる痛みというのは、それほど大きなものではないのだけれども、それに対して怒りを持つと、その怒りによって痛みがもっともっと大きくなってしまいます。それで地獄に落ちてしまう。地獄に落ちた時の方がもっとすごい。それは日常生活においても、ちょっと不満足な事が起こると怒りを出すような習慣があるから、ちょっとした痛みでも怒りが出てきてしまう。そんな風になるわけです。どうですか、そんな風ではないですか。

菩薩の忍耐
 ブッダが菩薩だった時、すなわち、ブッダになる前の過去世で10の波羅蜜を修行していて、そのうちの一つがカンティという忍耐の波羅蜜でした。昔バナラシ国の王様にカラーブという王様が居て、この人はとても粗暴な王様でした。ブッダの時代に、デーバダッタというブッダに危害を加える人が居ますが、その人の前世がこの王様だったという事です。菩薩はとても裕福な家庭に生まれました。両親が亡くなった時に、莫大な財産がその菩薩に相続されました。菩薩は、瞑想していた時に、たとえこの莫大な財産を貰ったとしても、自分が死んでしまったら持って行くわけにはいかないと熟慮しました。どうせ財産は自分には属さないと考え、すべてをいろいろな人々にダーナ(お布施)として分け、自分自身はヒマラヤの麓で瞑想をするようになりました。

 それで森で暮らしていたのですが、その時に塩が体にとって必要なエネルギーなのでそれを求めて町へ托鉢に行きました。その時、王様の下で国を治める宰相が居て、その人はとても信仰深い人で、菩薩がその国にやって来た時に自分の家に案内して供養をしました。宰相は、菩薩を案内したのですが、その時に王様が非常に美しい庭を持っていたので、そこに案内しました。ある時王様は、従者を連れてそこの庭にやって来て、踊り子に踊らせたり音楽を楽しんだりしていました。その様子やイメージがわかりますか。

 それでいろいろなダンスを踊ったりしていたのですが、そのうち疲れて寝てしまいました。そうすると踊り子達は、王様が寝ているのだから踊っても踊らなくても良いのではないかという事で踊りをやめて、その森や美しい庭とかの散歩を始めました。踊り子たちが庭を散歩していたら、その時に先程の菩薩が沙羅双樹の木の下で瞑想していたのに出会ったわけです。それで踊り子達は、菩薩に礼拝して、「どうぞ法話をしてください」と頼みました。その時、まさに王様が目覚めて、起きたら誰もそばに居ないので、たいへんに怒りを感じました。それで王様は、「彼らはどこに行ったのか」と探し始めました。

 皆は菩薩の法話を聞いているところでした。それで王様は、菩薩が説いているのを見て、非常に腹を立て、その菩薩を殺したいと思い、「一体何の瞑想をしているのだ」と尋ねました。菩薩は、「私が主にやっているのは、忍耐波羅蜜の修行です」と答えました。 

 すると王様は、「カンティー(忍耐)というのは何なのか」と尋ねました。「忍耐というのは、誰かが謗ったり怒ったり叩いたとしても、そんなことをされても怒りを出さないのが、カンティー(忍耐)の修行です」と菩薩は答えました。王様は、「よく分かった。君が忍耐をもっているかどうか今試してやろう」と言いました。従者の中の死刑執行人を呼んで「やってみろ」と命じました。先に棘々が付いた棒で、「2千回、菩薩を叩きなさい」と命じました。2千回叩かれたので、菩薩の皮膚は破け、肉も弾けて血だらけになりました。その時に菩薩は王様に、「叩いて、私の忍耐を見つけようとしても、忍耐は筋肉や皮膚や骨のところにあるのではなく心の中にあるのです」と言いました。王様は執行人に、「それでは、両腕と両足を切ってしまえ」と命じました。その時に菩薩は、「忍耐というのは腕や足だとかにあるのではなく心にあるのです」と言ったので、王様は、「今度は耳と鼻とを切ってしまえ」と命令しました。それで残った菩薩の体は血だらけになってしまいました。

 王様は足で菩薩を蹴っ飛ばしました。王様が去った後、宰相が来て非常に恐れて菩薩に謝罪し、「王様に対して怒りを持ったとしてもそれは結構ですが、その周りの人々には怒りを持たないようにしてください」と言いました。そこで菩薩は、「たとえ私の腕や足が切られても怒りをもつという事はありません」と答えました。ひどい痛みがあったとしてもメッタ(慈悲)の心を送ることが出来るわけです。

 その後、王様は庭から出て行った時に、突然大地が裂けて地獄に真っ逆さまに落ちて行きました。その時に菩薩も同じく庭で亡くなりました。ですから慈悲の修行と忍耐の修行をしている時は、いかなる自分の痛みに対しても怒りを持つ事なく、あるいは自分を虐待した人に対しても怒りを持たないようにします。ブッダがおっしゃったのは、「我々は生まれ変わって来ているわけですが、歳をとるし、病気になると痛み苦しみが起こります。たとえ体が病気になっても、心は病まないようにしてください」ということです。心というのはとてもパワフルです。 

サヤレーの忍耐

 今度はサヤレーの話になりますが、サヤレーは少し前に台湾で1ヶ月半、病気で入院していました。インフルエンザで咳が止まらなかったという状態だったのです。その時台湾で100人以上の瞑想の指導をしていて、その人たちはかなり瞑想が進んでいて、過去世を見る段階にきていたので、瞑想指導をキャンセルするという事はとてもできなかったわけです。その時、非常に強い薬を飲んで仕事をしたのだけれども、あまりにも強かったので副作用でアレルギーが出てしまいました。救急車で病院に運ばれ、集中治療室に連れて行かれました。

 体は集中治療室に運ばれたわけですけれども、自分の心は瞑想センターにありました。20日間のリトリートだったのですが、インタビューというのはとても重要なわけです。1日1日のインタビューは非常に大事で、そのインタビューを聞いて次のステップへと進んでいくというような状態でした。ですから集中治療室にいた時にも心は瞑想センターに行きたくて、先生にも是非帰りたいと言ったのですが、先生は「それは駄目だ」と言われ、注射を打たれました。

「注射を打つと眠くなって寝てしまうので、帰る事は出来ません」と医者は言いました。本当に注射を打った後に意識が朦朧としてきて、何とか意識をしっかり保とうとしたけれども、なかなか難しかったのです。そしたらもう一つ注射を打たれた。それで体はアレルギーでとても痛かったのですが、その時瞑想している人たちの為に指導するか、自分の体を治すか二つの選択がありました。お医者さんは、「3ヵ月間は教えるのは無理です」と言いました。3ヵ月駄目だとなると、シンガポールとかインドネシアとか日本とか香港のリトリートを全部キャンセルしなければならなくなる。それで心をもっと強くして6割ぐらいは治してしまって、それでリトリートを続けているというわけです。

 インドネシアで先生(パオ・セヤドー)と一緒にリトリートをしていたわけですけれども、「もう日本には行かない方が良い」と先生に言われました。サヤレーはとても頑固だから「いや私は行きます」と来てくださったそうです。

サヤレーの気持ちとしては、いろいろな痛みとか大変なのはあるけれども、とにかく瞑想の修行を教えたいということでここに来ています。もう一つの理由としては、富士山を見るととても幸せな気持ちになって慈悲を送る事が出来る。今回富士山に行く事が出来なくても、日本に居るという事だけで非常に幸福な気持ちでいられます。膝がとても良くなくて、20分も座っていると痛みが出てきます。お医者さんがすぐ手術しなければいけないという状態ですけれども、日本に来てくださっているということです。

 ですから、皆さんが瞑想している時にいつも付き合う事が出来ないというのはそういう理由からです。そのようにして努力をしてここに来ているのですから、皆さんも簡単に諦めないで努力をして瞑想を進めるようにしてください。リトリートの期間は短いわけですが、その期間を有効に使って進めてください。インタビューの時間以外でも聞きたい事があったら来てください。宜しいですか。ですからもう一段の努力をしてみてください。

サードゥ! サードゥ! サードゥ!

サヤレー法話:縁起 (08.12.31)

 皆さんこんばんは。今日は2008年の大晦日です。年の暮れに、こうして毎日戒を守り瞑想をしているということは、たいへん素晴らしいことです。明日は新年になりますが、多くの人たちはどのように新年を過ごそうとしているでしょうか?
 元日は大体どこの国でも休日で、大抵の人達はパーティーを開いてお酒を飲んだり、バーベキューをして休日を楽しみたいと思っています。知恵を持った特別な人達だけが、このように短い休暇の中でも自分の人生に益となることをしようと瞑想に集まってきます。

 ほとんどの人達が、休日にリラックスしたり、楽しいことをしようと欲望を追いかけている中で、皆さんはこのように瞑想に来て多くの苦しみを味わっています。元日には多くの人達が朝の10時、11時くらいまでゆっくり寝ていますが、瞑想合宿では朝4:30には起きなければならず、ある意味でこれは苦しみです。
 また座っていると色々な痛みが出てきて忍耐をしなければなりません。しかし皆さんは自分にとって良いことをしようと修行に励んでいます。現在作っている原因が未来に結果として現れるのでとても重要なことです。

 皆さんはカルマを信じますか?
今このように瞑想をしていることもカルマを作っているわけで、もし今世で阿羅漢になるまで修行を積むことができるなら、今までのカルマ(原因と結果)は全て断ち切られます。しかし今世において自分の執着を断ち切ることが出来ないと、それがまた未来に結果として現れます。
 現在良い行いをしていると、未来に良い結果として現れます。現在の状態は、過去の原因が結果として現れているのです。今、私たちは人間として良い生活を送っていますが、このように人間として生まれたことも過去の良い行いが原因となって現在があるわけです。
皆さんは現在の生を受けるために、どんな良い行いやカルマを積んで来たかを覚えていますか?思い出すことができますか?

 ブッダは縁起(因縁)という教えを理解する必要があると述べました。縁起(因縁)とは、過去と現在と未来においてどのような原因があってどのような結果が生まれたかを見るという教えです。過去の原因によって現在の状態があるわけで、現在を知るためには過去を見る必要があります。過去に何をしていたのか、どんな生命だったのか、どこから来たのか、天上界にいたのか人間だったのか、動物だったのかなどを知る必要があります。

 それから次に過去において、どのような無知や無明があったのかを見ることも大切です。現在生まれてきた原因には、将来人間として生まれたい、男性、女性に生まれたいという誤った見方や無明があったのです。
 二つ目は割愛(タンハー)です。人間として、男性または女性として生まれたいという、そのような割愛があったため、人間として生まれてきたのです。
 三つ目は執着(ウパダナ)です。非常に強い思いで、掴みたいという強い執着によって、死ぬ間際に掴んだのです。無明、割愛、執着、という三つの不善な要素があったわけです。

 もう一つ、過去においてどんな良い行い(カルマ)を行ってきたのかを確認する必要があります。どのように戒を守ったか、瞑想をしたか、お布施をしたか、それらを見ることも大切です。自分達が行ってきた行動を確認する必要があるのですが、過去世はとても沢山あります。多くの過去世の中で、ある時は良い行いをし、ある時は悪い行いをして来ており、それらを見る必要があります。

 また、過去におけるサンカーラ(行:何かをしようという思い)とカルマ(業、行為:実際の行い)の二つを見る必要があります。どのような善い行いをしてきたか、布施や戒を守ることによって善い行いをして来たかをみる必要があります。無明、割愛、執着、サンカーラ(行)、カルマ(業、行い)という五つの要素を過去世において見る必要があるのです。なぜ大事なのかというと、生き物が死ぬ瞬間の意識にこれらが現れるからです。

 われわれの心、意識は止まることなく継続的に一つの生命から次の生命へと廻って行き、肉体だけが生まれては消滅して変化して行きます。例えば過去で人間であった場合、先ほどの五つの要因を調べる必要があります。
 死ぬ際に肉体が滅びて、死の次の瞬間に母親の胎内にその意識が入ったということが分かります。母親の胎内にその意識が入ると、ナーマとルーパ(心と体)が発生します。心と体が発生した数週間後に六つの感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)が生まれます。

六つの感覚器官が出来ることによって、外界との接触が生まれます。六つの感覚器官によって感覚が生まれ、そして感覚が生まれることによって執着が生まれてきます。
 この執着が、さらに未来に生を作り出す原因となります。私たちのこうした現在の行い、すなわち戒を守って瞑想をしている善いカルマは、今世のうちに結果として現れることもあり、また未来において現れる場合もあります。

 そういうわけで、カルマというのはとても大切です。また別の機会に心のプロセス、速行心とカルマとの関係について話したいと思います。今、私たちが理解すべきことは善い行いをすると未来に善い結果として現れるということです。

次に大切なことは、死ぬ瞬間の意識はとても影響力があるということです。もし皆さんが仮に瞑想中に突然亡くなったとしたら、天国に行きますから安心してください。瞑想中に突然死んだとしても心は非常に善い状態で、善いイメージの中で次の世界に行くことができます。今ちょうど年の変わり目ですが、このように今善いカルマを作っていることは、未来に善い結果として現れるのでとても重要なことです。

 自分自身に対する執着、家族や自分の所有するもの(お金、財産)に対する執着を最後の瞬間に持ちながら死ぬことはとても危険です。多くの人たちは亡くなるときに家族と別れたくないという大きな執着を持ちながらも、苦しみの中で結局は死んでいかなければなりません。
 また今世において日夜一生懸命働いて、たくさんのお金を稼いで多くの財産を持ったとしても、死ぬ時にはそれらの財産とも離れなければなりません。自分が作り上げた財産に対する執着を持っていると、来世で餓鬼や動物として生まれたり、あるいは地獄に落ちるという危険性があります。

 ですからブッダは自分自身や家族、財産に対する執着を捨てるようにと説いたのです。人はこの生が終わると次の生に行きますが、人生には生まれて老いて死ぬというサイクルがあります。生きている間には病気になるという苦しみもあります。あまり好きではない人達と一緒にいなければならないことも苦痛なことです。また愛している人達と別れなければならないことも苦しみです。親しい人、愛している人と別れるときは苦しみや悲しみ、嘆き、絶望という感情が起こります。

 ブッダの時代に、バダーチャリという有名な比丘尼がいました。
彼女は出家する前、家族の反対を押し切って自分の家の使用人と貧しいながらも一緒になりました。そして二人の子供が生まれたのですが、ある日夫と子ども達と一緒に実家に帰る途中、大きな嵐によって夫と子供も突然亡くなってしまいました。次の日に実家に到着したところ、両親も兄弟もその嵐によって亡くなっていました。
 一瞬の出来事によって家族を皆亡くしてしまい、非常に心を痛め、気が狂ってしまいました。みなさんも人生において、非常な苦しみを味わうことがあると思いますが、彼女が味わった苦しみも大変に大きいものでした。

 ある時ブッダが法話をしているところへ彼女がたまたまやって来て、説法を聞きました。彼女はその時に悟りの第一段階である預流者になりました。その後、彼女は出家して、僧院に入って修行するようになりました。
 ある時、パーティモッカ(戒律)を唱える儀式が終わった後に、彼女はクティ(居室)に戻りました。部屋の前に水が置いてあり、入る前に手足を洗うようになっています。彼女は1杯すくって、足にかけました。その時、水がサーッと地面に広がって、30㎝くらいの輪になりました。2杯目をすくってまた足にかけ流すと、さらに60㎝くらいのところまで広がって輪になりました。3杯目も同じようにして、90㎝くらいの輪になりました。
初めに流した水と、次に流した水とその次と、三つの輪になりました。彼女はじっとそれを見つめて思いました。

 私たちの人生もこんなふうに三つに区切ることが出来ます。その当時、仮に人生を60年とすると、20代くらいまでの間の青年期、次が40代くらいまでの間の中年期、それから最後が60代くらいまでの間の老年期と分けられます。この三つの人生区分において、人間というのはいつ死ぬかわからないものです。
 彼女の子供が亡くなってしまったように、若い時に死ぬかも知れない。旦那さんが亡くなってしまったように、中年期に死ぬかも知れない。また自分の両親が亡くなったように、老年期に死ぬかも知れない。そんな風なことを考えたわけです。

 そのように熟慮した後、彼女は自分の部屋に入って瞑想し始めました。ブッダはその時に、彼女が大変に智慧をつけているということを知って、彼女に光を送りました。ブッダはとても神通力を持っている方なので、彼女のクティ(居室)にそういう光を送ったわけです。
 サヤレーがもし、そういう力を持っていたら、皆さんが眠くなった時に、力を送れるのですけれども、ブッダとは違って持っていないので残念です(笑い)

 ブッダは瞑想している尼僧に、こう言いました。
「たとえ100年生きたとしても、楽しみばかりを求め、何も瞑想や修行的なことをしなかった人がいる。とても短い人生であったとしても、1日だけでも瞑想をして、死んでいった人がいる。たとえ短い人生であったとしても1日だけでも瞑想した人のほうが優れている」。
 ブッダはそんなふうにして無常・苦・無我を瞑想するように、あるいはサンカーラ(行)と無常性、この世界の無常性について瞑想するようにと教えました。それを聞いて彼女は瞑想に入って阿羅漢に達しました。

 ですから、人生を三つに分けた区分のうち、10歳から20歳までの間に亡くなる人もいます。そういう人たちがいるというのを皆さんは信じますか?
 あるいは20歳から40歳の中年期で亡くなる人もいます。人生を三つに分けてみます。今は寿命が延びているとしても、その時代に合わせて人生を60だとすると、そこに近づいている人たちもいらっしゃるわけで、そうするともう次の生に入って行くところに近づいているわけです。

 この部屋の中で100歳まで生きられるという人はいらっしゃいますか?
誰も100歳まで生きられるという保障はないわけで、ひょっとしたら明日亡くなってしまうかも知れない。
それでは、次の人生に対しての準備をしているでしょうか?
皆さん、次の人生への準備をしていますか?(笑い)
前の合宿から今回の合宿まで1年経っていますが、この1年でどんなカルマをつくり、善い、悪い、どんな行いをしてきたでしょうか?
皆さん覚えていますか?(笑)
1年の間でも覚えていませんか?

 前回の合宿が終わってから毎日毎日、瞑想するようになった人もいるでしょう。これは大変善いことです。全然、瞑想をせず、欲望を追いかけたり、あるいは怒りを出したりという人もいるかも知れませんが、それは善くないカルマを作ってしまいます。
 毎日瞑想している人は、大変に善いカルマを積んでいるのでこれはもう安心して大丈夫です。明日もし亡くなったとしても未来は大丈夫です。善い行いをしてきた人というのは、天国へのチケットを持っているようなものです。

 皆さん、そういうチケットを持っていますか?(笑い)
皆さんは、この7日間の合宿に入っているので、これは大変に善いチケットを買う、ビジネスクラスのチケットを買っているみたいなものです。ですから、善い行いをすると善いカルマを作って善い未来が出来るということを信じることが大事です。

 また別のお話です。
在家の人でナンディアという大変にお金持ちの人がいました。彼はいつもお布施をしていていましたが、ブッダとサンガに対し、建物のお布施をしました。お布施をする時、彼の心はとても嬉しい気持ちになりました。
 この人はブッダの教団(サンガ)にとても大事なお布施をして、五戒をしっかりと守っていました。彼自身も大変幸せに生活していました。

 彼が作った原因というのは、その積んだ徳のために、亡くなってからではなく、生きているその時にすぐ現れ、天界に素晴らしい建物が出来ました。彼は天界でどんなことが起こっているか知りませんでしたが、ただ人間界ではお布施をしっかりしていました。
 原因と結果という流れがあるのですが、この場合はお布施をした善きことがすぐその場で現れたという例です。

 ある時、ブッダの弟子の一人であるモッガラーナ尊者が天界のデーヴァたちにお話しに行き、天界の状態を眺めてきたことがありました。
 モッガラーナ尊者は天界へ行って、神々たちに「過去でどんな善い行いをして、今こんなふうに天界へ来たのですか。過去にどんなことをしてきたのですか?」と質問をしました。
 その時、天界でモッガラーナ尊者は大変に美しい建物を見たのですが、そこには持ち主がいませんでした。

 ところが建物には持ち主がいないけれども、その奥さんになる神々がいて、持ち主が来るのを待っているという、そういう状況でありました。(笑い)
モッガラーナ尊者がその建物で、主が来るのを待っている女神に、「これは誰の建物ですか?」と聞いたら「この持ち主はまだ来ていないのですが、今、人間界で生きています。もし、モッガラーナ尊者が人間界へ戻ったら、すぐ来るように伝えてください」と答えました。(笑い)
 モッガラーナ尊者は人間界へ戻るとそのことをブッダに話しました。ナンディアという在家のお金持ちは一生懸命功徳をして名前も知られていました。
どうでしょうか(笑い)?

 天界の暮らしというのは、動物界とか地獄界とかよりはるかに良いわけです。
しかしブッダは天界であっても人間界であっても動物界であっても、そこへ行くようにとは勧めていません。そうではなく、涅槃へ行くようにと仰っています。
 ところが涅槃に行くのは大変難しいことであります。涅槃へ行くのが何故難しいかというと、生きている人たちは、あれこれが欲しいと、いろいろな物を集めようとするのですが、涅槃へ行くということは持っているものを全部捨ててしまいます。切り捨ててしまいます。もう何も無いという状態ですから、そこへ行くというのはなかなか難しいわけです。

 皆さんは涅槃へ行きたいと思いますか?(笑い)
皆さん、家族を手放したり、あるいは自分の持っているものを手放したりということが出来ますか?(笑い)
それが出来ないと涅槃へ行くことは難しいのです。
 仮に涅槃へ行けなくても、あるいは阿羅漢になれなくても、そんなに心配することはありません。少なくとも預流者になってください。少なくとも預流者になればたいへん安全なので、預流者になってもらいたいということです。(笑い)

 預流者になるというのはそんなに難しくありません。ニミッタが見えてくれば、もうそこへの道は簡単です。
今年、メイミョーにあるサヤレーのお寺で、10人の修行者に自分の過去世を見ることが出来ました。
 自分の過去世を見た後で、彼らは自分のしている修行に対し、ブッダのダンマに対してとても自信を持ちました。ブッダの言われたことにしっかり確信を持つことが出来たそうです。
 過去世を見る修行をして、1ヶ月とか2ヶ月くらいすると、ひとつのコースが終了します。
つまり預流者になることが出来るということです。

 ですから、皆さんも是非ミャンマーのサヤレーのお寺へいらしてください。
サイクロンは来ないでしょうから。(笑い)
皆、またサイクロンが来るのではないか、と恐れていますが、もう来ないから大丈夫です。
 台湾では1年に20日リトリートをやっていますが、今まで4年間やってきて全部で80日になりました。その中で過去世を見ることのできる人が出て来ました。

 日本では7日間のリトリートです。7日間ではちょっと短いので、次は10日間をやりたいのですけれども(笑い)
2週間出来れば一番良いのです。2週間出来れば、最初のリトリートでジャーナに達して、次にナーマ・ルーパという心と体を観る瞑想が出来るわけです。次の時は、2週間のリトリートを出来るようにしたいと思います。

 自分の過去世を見ることが出来れば、最初の悟りに至らなくても、それに似たような小預流者になることが出来て、それはもう、同じ智慧を持っているから、地獄だとか餓鬼だとか、そういう悪所に堕ちることはありません。少なくとも、次の世ではそういうところに堕ちる心配はありません。
 人生は非常に短いですから、そんなに時間があるわけではありません。ですから、今、善き行いをすることが、未来に対して善い結果をもたらします。未来に、また人間に生まれ変わるか、天界に生まれ変わるか、誰も分からないわけですから、善き行いをすることが大事なわけです。

 死ぬ時に財産はついて来ないけれども、自分が積んだカルマだけが付いて来ます。
よろしいですか。
ですから一生懸命、瞑想するようにしてください。
今日はどうもありがとうございました。

サードゥ! サードゥ! サードゥ!


2009年3月 4日 (水)

サヤレー法話:ルーパ・カラパ(物質の微粒子の集まり) (09.1.3)

 リトリートは今日で終わり、皆さんは家へ帰れて嬉しいでしょう(笑い)。今日は痛みや苦しみから解放される日です。とにかく、皆さんはこの1週間良いカルマを積んできました。 この1週間、皆さんは八戒を守ってこられたと思いますが、破っていませんね。

 この1週間、戒を守って瞑想、瞑想とずっとやって来たわけですが、たとえ禅定(ジャーナ)に入れなくても心配することはありません。一つの対象に心を集中し瞑想し続け、心が幸せを感じることが良いカルマを作ります。良いことをすると心が幸せになって、良いカルマを積むことができます。良いことをしても心が幸せでなく、苦を感じていれば良いカルマとは言えず、強いカルマにはなりません。

 皆さんはこれから家へ帰りますが、起きた時や寝る前に瞑想してもらいたいと思います。1時間瞑想するのが良いのですが、それができなければ30分、それもできなければ10分(笑い)瞑想をしてください。10分間で良いですから約束して下さい。約束できますか?

 起きたときに10分間、座っても、寝たままでも結構ですから瞑想してください。慈悲の瞑想でも結構です。自分に対して、あるいは知人に対して、生きとし生けるものに対して慈悲を送れば、それも瞑想になります。その意志が大事です。夜も寝る前にそういう瞑想をすると大変良い行いになります。電車やバスに乗っている時も呼吸に集中したり慈悲の瞑想に集中することができます。

 またもう一つの瞑想法というのは、電車やバスに人がたくさん乗っている時に、その人たちを「骸骨、骸骨」と見て行くものです(笑い)。もし皆さんに波羅蜜があって過去において骸骨瞑想(白骨観)をやったことがあるなら、周りの人を、「骸骨、骸骨」と見て行くと、骸骨のイメージがパッと出でくる人がいるかも知れません。そしてそれに集中することによって第一禅定まで達することができます。

 骸骨の瞑想をして、人々を骸骨と見ていると、人はそれを好みません。皆さん、他の人に自分が骸骨だと言われて気持ちが良いでしょうか。体の中をずっと見て行くと誰もが骸骨であり、それが真実なのですけれど、それを嫌がります。

 私たちが骸骨であることは事実ですし、いつか死ぬということも事実です。私たちはいつか死ななければなりません。それでブッダは、毎日寝る前に「ある日私たちは死ななくてはならない」と熟慮するよう勧めました。死んだ時は、死体になり、骸骨になるのです。亡くなって死体になってしまうと、死体は用がなくなり捨てられてしまいます。家族や親しい人々は、生きている間はその人と一緒にいたがっていましたが、いったん死体になってしまうと、一月でも一緒にいたいとは思わなくなってしまいます(笑い)。
どうですか、それが真実ではないでしょうか。
ですからあまりみんなを信用してはいけません。自分自身の面倒は自分で見なくてはいけません。

 死ぬ前の瞬間の意識というのがとても大事で、死ぬ前にしっかり瞑想していて無常、苦、無我ということを瞑想するのが非常に大事なことです。そうではなく、周りの家族や親族に執着があって、皆と一緒にいたいという思いがあると、亡くなった後で幽霊、すなわち餓鬼の世界に転生するということが起きてしまいます。

 ブッダはいつも瞑想して、私たちのナーマとルーパすなわち心と体を観察するように説いています。そのことによって、悟りの第一段階である預流者(ソータパン)になることを勧めていますけれど、そこまでいかなくても、心と体、ナーマとルーパを観ることを続けていけば、次に悪所には生まれ変わらないようになります。

 自分たちの心と体について、ヴィパッサナー、すなわち観察の瞑想をしていると、執着を容易に切ることができるようになります。けれども、ヴィパッサナー瞑想をするのは難しいのでして、そのためには集中力が必要です。

 ですから今私たちはヴィパッサナー瞑想の前に集中力を養っています。それでヴィパッサナーをすれば、真実を貫いて観ることができるようになります。アーナパーナ・サティの瞑想をして、ニミッタが見えてくれば、そのニミッタが1時間とか、ずっと見え続けていると、容易に禅定(ジャーナ)に入ることができます。

 禅定(ジャーナ)を得て、最初にそのニミッタの光を使い、体に集中して、32の体の部分を観察するという瞑想をします。禅定で得た光で頭の辺りを照らします。そういうイメージをして、それを見ていると、心の中に、髪の毛が見えてきます。髪の毛を見ていても初めのうちははっきりしませんが、次第にはっきり見えてきます。

 はっきり見えてくると、(事実はあまり美しいものではないので)髪の毛に対してうんざりするようになる。で、髪の毛から始まって32の部分、皮膚、歯、心臓とか肝臓、内蔵という風に32の体の部分を見て行きます。血液とか汗とか、そういうものも見ていきます。

 皆さん、今体の内側に集中してみて、内臓が見えますか?
見えないのは、集中が十分ではないから見えないのであって、しっかりした集中力があれば、体の中も見えるようになります。それが最初の洞察の智慧です。

 仏陀がおっしゃったのは、最初に体そのものをはっきり見る、如実に見るというのが第一段階の洞察の智慧で、その次に体の器官を作っている物質が粉々になって、小さな微粒子の集まりであるのを見ることを教えています。ですから、体の32の部分を見る瞑想をしてから、その後に四界分別観、すなわち地水火風を観る瞑想するわけです。
以前に四界分別観については説明しましたけれど、覚えていますか?
参加者:はい、憶えています(笑)

 その話を聞いて大変うれしく思います。だいたいリトリートの最後の日には全て聞いたことを忘れてしまうからです。皆さん憶えているということなので、繰り返す必要もないかもしれませんが、体を観て、地水火風に分けて、それをずっと観て行くと、細かくなって、粉々になっていく、そういうことを体験します。

 その後に、自分の眼の中、眼球を観ていくと、例えば太陽の光が入ってきたときに塵がキラキラ見えますけれど、それと同じように眼の中に微細な粒子が見えてきます。

 その細かい粒子、物質の最小の粒子をルーパ・カラパと言います。それも2種類あって一つは透明なもの、もう一つは不透明なもの。眼球の黒目の部分は透明なルーパ・カラパでできていて、白目の部分は不透明なルーパ・カラパでできています。

 普通私たちが物を見るときに、対象から来る光を眼の黒目の部分で見ていますが、それはその中の透明なルーパ・カラパがあるから見える訳で、その透明なルーパ・カラパが壊れてしまうと見えなくなってしまう。失明してしまうということが起こります。

 眼の中にある微粒子、ルーパ・カラパを観てみると、そこには八つの要素があります。その八つのうちの四つは地水火風の要素で、それから色、香り、味、栄養素です。透明な微粒子、不透明な微粒子どちらも8つの性質があります。その両方の微粒子には八つの要素のほかに命根という要素と、透明な要素〔パサダ・ルーパ(浄色)〕というものがあります。このようにルーパ・カラパには八種類の要素があり、あるものはその他に二種類の要素をもっています。皆さん憶えられますか。

 眼球のなかを見ると、とてもたくさんのルーパ・カラパ(微粒子の集まり)がありますが、それは四つの原因から作られます。第一に黒目の部分の透明なルーパ・カラパは、ほとんどのものがカルマによって作られます。第二に不透明なルーパ・カラパは心が原因で作られるものもあります。三番目には熱(時節)によって作られるルーパ・カラパがあります。四番目は栄養素によって作られるルーパ・カラパがあり、食べ物によって作られるわけです。

 四つの原因でルーパ・カラパは作られているので、眼の中のルーパ・カラパを見た時に、どれがカルマによって、どれが心によって、どれが熱によって、どれが栄養素によって作られているか、それを1つ1つ見ることができます。
 もしルーパ・カラパそのものを見ることができなければ、ブッダが教えてくれた四つの原因を見ることは難しいでしょう。実際にルーパ・カラパをはっきり見ることができたとき、しかりと理解できるでしょう。

 もう少し詳しくお話ししましょう。カルマによってルーパ・カラパは作られますが、カルマによってできるのは三種類のルーパ・カラパです。一つはハダヤ・ルーパです。ハダヤとは心基と訳しますが心臓のところにある、心が宿っている場所と関係するルーパ・カラパです。二番目のルーパ・カラパは身体のルーパ・カラパです。三番目は男性あるいは女性というルーパ・カラパです。

 この三種類のルーパ・カラパはそれぞれ最初にお話した十種類の性質を含んでいます。これらを合計すると3掛ける10で30種のルーパがあります。つまりカルマによるルーパ・カラパは三種類で、その一つ一つは十種類の性質を持っている、ですから物質そのものは30の分類、30の性質があるということになります。

 意思によって心が動くとき、眼のなかのある種のルーパ・カラパが動くのが見えます。これが心によって作られるルーパ・カラパです。これは八つの性質を持っています。
 もう一つは熱(時節)が作り出すルーパ・カラパで、これも8つの性質があります。
食事をすると食べたものは胃の中に入りますが、今朝食べた食事を憶えていますか?
今朝は魚とご飯がありました。食事をして1時間ほど経ちましたが、食べたものはどうなったでしょうか。どこに行ったでしょうか?

 胃の中にありますが、それを見ることができますか(笑い)。イメージしてみてください。
胃の中の酸によって液状になり、熱によって消化が助けられています。胃の中で料理されているようなものです。1時間した後でどんな状態になっているでしょうか。料理されたお粥のようになっています。イメージできますか。食べる前の食べ物と食べた後の胃の中にある食べ物を連想してみて下さい。

 食べる前の食べ物が胃の中に入って行くとどんなふうになるかということを瞑想するようにと、仏陀は教えています。それが40種の瞑想のうちの“食厭観”(食べ物を厭う瞑想)です。
 このようにして食物を観察していくと、だんだん食べ物に対して執着がなくなってきます。そうするとレストランに行っても高いお金を払わなくても済みます(笑い)。そのように胃の中で火の要素である熱によって消化される訳ですが、それを地水火風の四大瞑想をすると、胃のなかで小さな粒子、ルーパ・カラパが生じてくるのが観えるようになります。

 それぞれのルーパ・カラパには八つの性質があります。一つは地水火風の四つの性質、それから色、食べ物にもいろいろな色がありますが、それに従いルーパ・カラパにも色がついています。
 また、香りという性質があります。食べる前は、とても良い香りですが、食べて胃の中に入ると、あまり良い香りではなくなります。
 味という性質があります。ときには酸っぱかったり、ときには苦かったりします。
 最後に、栄養素という性質があります。このように全部で八つの性質があります。

 このように熱が、新しいルーパ・カラパを作ります。栄養素も新しいルーパ・カラパをどんどん作っていきます。このようにして作られた栄養素のルーパ・カラパが、目や耳や鼻や体の様々なところに行きます。 食事をしたときの栄養素のエネルギーは、体の中で7日間継続します。
 眼の中にある栄養素によって作られたルーパ・カラパに、八つの性質があることを見ることができます。では、復習ですが、眼の中には、何種類のルーパがあるでしょうか?

 まずカルマによって作られるルーパ・カラパが三種類あります。それらがそれぞれ十種類の性質を持っているので、全部で30種類となります。心によってできるルーパ・カラパは、八種類の性質を持っています。温度(時節)によって作られるルーパ・カラパは、八種類の性質を持っています。

 栄養素によって作られるルーパ・カラパは、八種類の性質を持っています。従って、心、温度、栄養素によって作られるルーパ・カラパが、それぞれ8つの性質を持っているので、全部で24種類となります。最初のカルマによって作られるルーパが30種類なので、合計すると全部で54種類のルーパがあります。

 眼には六種類のルーパ・カラパがあり、物質全体で見ると54種類の性質があります。眼に54種類のルーパがあり、耳、鼻、舌にも、それぞれ54種類のルーパがあります。体には、心基(ハートベース)のルーパ・カラパがないので、54種類ではなく44種類になります。
 心基(ハートベース)に、同じく54種類のルーパがあります。これは、眼耳鼻舌身意の六門のうち意にあたるところで、心臓のところにある、心が宿っている物質的なもので、ハダヤ・ルーパ(心基色)といいます。

 そういうふうに見ていくと、体全体というのは、単なるルーパ・カラパによってできていることが分かります。そのルーパ・カラパは、全てがとても早いスピードで、生じたり滅したりを繰り返しています。そのように眼の中のルーパ・カラパが生じたり滅したりしているのをしっかり見ていくと、それらが、無常であって、苦であって、無我であるということが見えてきます。

 同じように、物質は、生じて、ある期間存在して、滅していきます。物質が存在し続けるその瞬間に、八種類の性質のうちの熱によって、次から次へと新しいルーパ・カラパが作られていきます。
 熱によって、核分裂のように、新しいルーパ・カラパが生じて、古いルーパ・カラパが滅していくということが繰り返されます。私たちの体でも、そのように絶えず新しいルーパ・カラパが生じて、古いルーパ・カラパが滅してといくということを繰り返しています。このように観察していくと、無常というものが見えてきます。

 従って、どのように物質が生じて、ある期間継続して、滅していくのかを見ていくことがとても重要です。しかし、集中力がないと見るのは大変難しいことです。それは、生滅するスピードが非常に速いからです。
 このようにして、ヴィパッサナーにより自分の眼を観察していくと、「これは自分の眼である」という見方が消えていき、「これは眼ではなくて、単にルーパ・カラパが生じて滅しているだけのものである」という見方になってきます。眼だけではなく、耳、鼻、舌、体についても同様です。自分の体という感覚ではなくて、単にルーパ・カラパが生滅しているだけだという見方になってきます。

 体全体が生じて滅していくのを見ていくと、これは自分の体であるという感覚がなくなってきます。そうすると、体に対する執着が薄れていきます。これは自分の体ではない、自分自身ではないという見方に変わっていきます。そのようにして、自分に対する執着を次第に手放していくことができます。
 執着というのは、自分に対してだけではなく、他人に対するものもあります。自分自身の内側の体だけでなく、外の他人の体に対しても、生じて滅しているのを見るようにブッダが勧めたのは、そういう理由からです。

 今日家に帰ったら、旦那さん、奥さん、子供に対しても、ルーパ・カラパに過ぎないというふうに瞑想してみてください。そうすると、執着を断ち切って、これはルーパ・カラパにすぎない、生じて滅しているだけだと見えてくると思います。
 そのようにして、ルーパ・カラパの観察をした後では、全ての物質について、これは自分の妻ではない、夫ではない、子供ではない、自分の持ち物ではないというように見てきます。そうすることによって、執着を手放すことが出来ます。もし、ルーパ・カラパの瞑想ができなければ、骸骨を見る白骨観という瞑想をすれば良いでしょう。

 そのように、観察を何度も繰り返すことにより、執着を手放して、涅槃(ニッバーナ)に到達することができます。そのために私たちは瞑想をする必要があります。
 涅槃には何もありません。誰もいないし、家も車もありません。皆さんはそこに行きたいと思いますか?

 何もないことは一番良いのです。そうすれば心配することは何もありません。たくさんの持ち物を持っていると心配事が尽きません。ですから、私たちは、徐々に執着を捨てて行くということをしています。涅槃は何もない所だと聞くと、それは退屈そうだから行きたくないと言う人がいます。そうではなく、何もないところから来る平安は、たいへんに素晴らしいもので、欲望を追いかけているのとはまた違うものなのです。
 ですから、みなさんどうぞミャンマーへ瞑想しに来てください。

質疑応答

【質問】
 ルーパ・カラパが見えたのですが、ルーパ・カラパの本質は何なのでしょうか。丸い卵みたいなものが見え、余計に興味が出てきたのですが、ルーパ・カラパには、地、水、火、風などの8種類または10種類の性質があると伺いましたが、それをならしめているものは何でしょうか。
 
【答え】
 最初に小さな微粒子みたいなものが見えます。最初は点みたいに見えます。それを見つづけていると、顕微鏡で拡大したように見えてきます。しかし、それは集中力で拡大しているだけで、本来ルーパ・カラパは小さい点にすぎません。
 ルーパ・カラパの中を見てみると、4つの要素からできています。最初は、どんなものからできているのかを見ていくわけです。先ほど言ったように、地、水、火、風、色、味、匂い、栄養素の八つの性質がその中にあります。

 そういうふうな性質がルーパ・カラパの中にありますが、ルーパ・カラパの本質は何かというと、生滅というのが本質です。生じたら消えていく、生じたら消えていく、これがルーパ・カラパの本性です。それを1分、2分と掴んでいたいと思っても、それは無理です。生じたら滅していくのがこの世界の本性です。
 ここに1週間リトリートに来て、皆さんずっといてくださいと言っても家に帰ってしまうように、無常であるから、生じたものは滅していく、来たものは帰っていきます。

【質問】
 空を見ていると、小さな金色の点々みたいなものが、すごいスピードで出てきては消えていて、それがルーパ・カラパではないかと思うのですが、それをどうやって拡大して見るのでしょうか?

【答え】
 空を見ていてチカチカと見えるものが、ルーパ・カラパであるかどうかについては何とも言えません。この世の全ての物質は、微細なルーパ・カラパから出来ています。それを目で拡大しようとしても、それはなかなかできません。
 例えば顕微鏡でバクテリアを拡大して見るように、集中力によってしか、ルーパ・カラパを拡大して見ることはできません。集中力が良くなってくると、その集中力によってルーパ・カラパを拡大して見ることができ、物質の本性を見ることができます。

 科学者達は、物質の最終粒子は何であるかを研究し、原子をさらに分割していくという研究をしています。さらに見ていくと、色の粒子とか、匂いの粒子とか・・・今の科学では、色にしても臭いにしてもどんどん分割していこうとしていますが、それだけではなく、最小の粒子の中には、地、水、火、風というものが含まれています。

 ルーパ・カラパが見えて、物質の最小構成粒子を集中力で見ることができるようになれば、日本でも科学の発展に良い影響を与えるのではないでしょうか。
 日本人は、皆さん大変頭がよいので(笑い)、ルーパ・カラパを見ることができるでしょう。それが将来の科学の発展に役に立つでしょう。

 他のアジアの国では日本を誇りに思っています。科学が進んでいるし、いろいろな点で発展しています。西洋へ行くと、なかには西洋、ヨーロッパが世界一でありアジアは今ひとつだと思っている人もいます。アジア人はそれほど賢明ではないというわけです。でも日本は、いろいろな点で欧米と肩を並べるくらい発展していて、アジアは低いと見られることもないので、私たちは日本を誇りに思っています。

 なぜ彼らが西洋をそれほど誇りにしているかというと、カルマについて理解せず、その本性を認識していないからで、この世界の本性は、すべてが無常であるということです。 物質的には進んでいますが、ダンマを理解していないと、精神的な面では貧しいということになります。ですから、私たちは、一つには仕事とか産業に役立つ教育が必要で、もう一つは心に対する教育が必要です。

 心の教育というのは、慈・悲・喜・捨を心の中に育てていくことです。それから、戒を守るということです。言葉においても、行いにおいても、戒律を守るということです。そのように、言葉や体をコントロールし、しっかり守るというのが戒なのです。

 いちばん大事なのは心なのですが、言葉と体と心をしっかり守って、コントロールできれば、善き人になることができます。そのようにして、心、言葉、体に対する行いを学ぶことが、心の教育ということです。
 またバランスが大切で、いろいろなことを学んでも、心の教育がないと、とても危険なことになります。科学が発展してもそれを人々の利益になるよう役立てるという思いがないと、核兵器を作るなどの大変危険な方向に行ってしまいます。心の教育によって、人々の福祉を考えるようになるわけです。

 仏教を教わることができるというのは、とても善いカルマです。ブッダは、何をしたら良いか、何をしたら良くないか、何が善で何が不善であるかということを教えてくれました。
 いま、アメリカや、ドイツ、イギリスなどの欧米の国でも、瞑想を修行する人が増えていますが、その点に関して言えば、アジアの方が進んでいます。私たちが修行して心の力を身につけて示せば、アジアは低く見られることもないでしょう。

 心の中で何が起こっているかを理解することが重要です。欧米では物質的な面で進んでいますが、精神的な面では、心をどのように見るかが分かりません。ですから皆さんが修行して、彼らにダンマ(理法)を教えることができます。心の力を身につけ、飛行機みたいにして飛んで行ってください(笑い)。
今日はありがとうございました。

サードゥ! サードゥ! サードゥ!

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