2020年3月17日 (火)

3月自主瞑想会の中止について

3月28日に予定されていました自主瞑想会は、施設の利用自粛要請が出されているために中止といたします。
4月につきましては、状況を見てお知らせいたします。


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   静寂瞑想の会

2020年3月 8日 (日)

クムダ・セヤドーの合宿・瞑想会、見送り

毎年5月の連休前後にクムダ・セヤドーをお招きして各地で合宿・瞑想会を開催しています。
しかし現在、コロナウィルスの感染が広がっており、収束の見通しも立っていません。
このような状況ではセヤドーをお呼びするのは難しいと判断し、本年の合宿・瞑想会の開催は見送ることにしました。
今は感染が早く収束することを願っています。

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2020年3月 3日 (火)

3月経典学習会延期のお知らせ

3月8日(日)に予定されていました経典学習会は、4月に延期いたします。
現在コロナウィルスによる感染が広がっており、人の集まる会合等は中止や延期するところが多くなっています。
学習会は、そんなに大人数が集まるわけではないですが、用心のため、セヤドーと話し合って、4月に延期することにしました。
日時については追って連絡いたします。

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2020年2月26日 (水)

関東にミャンマー式パゴダの建立予定

パゴダとは仏塔のことで、サンスクリット語ではストゥーパとも言います。それを漢字で表したのが「卒塔婆」です。もともと仏舎利を収めた塚が始まりだそうですが、日本で言うと五重塔などの搭にあたります。お寺とセットになっているもの、あるいは単独に建てられているものがあり信仰の対象になっています。

現在二か所においてミャンマー式パゴダの建立が計画されています。
一つはMCWA(ミャンマー文化福祉協会)が埼玉県和光市のお寺予定地に建設計画中のもの。
もう一つは上座仏教修道会が茨城県鉾田市に建設中のものです。

 

①MCWA
昨年和光市に土地を購入し、そこに精舎を建設する予定だそうです。MCWAのオバサ・セヤドーによりますと、ミャンマー人はパゴダが好きなので、まずパゴダ(ミャンマーではパヤーという)を先に作りたいとのことです。
そのイメージはできているとのことで、その写真を送っていただきました。
これから具体的な設計図を作り、現実化していくそうです。
お布施を集める際には連絡いたします。

 

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和光市パゴダのイメージ

 

②上座仏教修道会
茨城県鉾田市にある上座仏教修道会では、シーマー(戒壇)を建て直すとともにその上部にパゴダを建立する予定だそうです。その経緯と意義を聞いてみました。

 

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マハシ瞑想センターのパゴダが修道会パゴダのモデル


「シーマー(sīmā)」は日本語では「戒壇」(授具足戒の場)と訳されています。比丘サンガが戒律の確認を行う特別な場所のことです。このシーマーでは比丘出家儀式、新月・満月の布薩日〈ウポサタの日)に戒清浄になるための戒律の儀式、「カティナ・シーワラ」という特別な衣の儀式など、戒律に関する儀式が行われる、無くてはならない神聖な場所です。この聖なる特別な場所であるシーマー (戒壇)は条件が揃わなければ存在することが出来ません。まず比丘サンガが集まり、比丘サンガによってシーマーの土地の場所、位置、領域が決められます。そしてカンマワーチャー(羯磨儀軌)と言う特別なお経を唱えることにより完全なシーマー(戒壇)として認められます。淨心庵のシーマーは1996年7月28日(日)、ミャンマーの高僧バッダンタ・ウ・ケサラ大長老と上座仏教修道会のニャーヌッタラ大長老を含む8人の比丘サンガによって、淨心庵精舎から少し離れた場所に建築され、認定されました。

「仏塔」とは、仏舎利(お釈迦さまの遺骨)や、お釈迦さまに関係があるものを納める大切な場所です。シェーダゴンパゴダはお釈迦さまご在世の時に遡る歴史的な仏塔です。お釈迦さまが覚りを開かれてから間もなく、ミャンマーから来た商人の兄弟がお釈迦さまに出会い、お釈迦さまとお釈迦さまの説かれた法に帰依、礼拝して、布施しました。お釈迦さまはご自身の髪の毛の一部を切ってこの兄弟に渡されました。兄弟はお釈迦さまから頂いた八つの髪の毛の束をミャンマーに持ち帰り、その一部はシェーダゴンパゴダに奉納されたと伝えられています。仏塔は仏教徒がお釈迦さまの徳と恩を感じ、尊敬・合掌して礼拝する大切な場所です。特にシェーダゴンパゴダは世界中の仏教徒が訪れ、参拝する神聖な仏塔です。

上座仏教修道会淨心庵精舎のシーマー(戒壇)は2011年の大震災により付帯設備が被災し、倒壊の恐れもある危険な状態となっていました。そのため、淨心庵に近い敷地に新たな場所をシーマー(戒壇)として認定し、その場所にシーマー(戒壇)の建物とシェーダゴン形仏塔を建立することになりました。

 

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完成予想図

下記の2通りの方法でお布施を募るそうです。

 

①クラウドファンディング(3月1日公開予定)
https://readyfor.jp/projects/jpagoda
②通常の振り込み
http://jyouzabukkyo.jp/sima/ofuse/

 

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仏搭のモデルになったシェーダゴンパゴダ

 

 

 

2020年2月 9日 (日)

ディーパンカラ・サヤレー 法話(1)

2019年末より20年正月にかけて行われたディーパンカラ・サヤレーの南房総合宿での法話を文章にして順次掲載します。
文章化にあたって協力してくださった皆様に感謝申し上げます。

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合宿の様子


日本に来て20年
 今年で日本に来るのが20年目になります。私は毎年こうして皆さんが、ダンマを実践するのをサポートしています。日本の皆さんに会えるのを本当に嬉しく思います。そしてここにいることを、快適に心地よいと思っています。他の国の瞑想合宿に比べて人数はいつも少ないのですが、日本に来るのは嬉しくて、いつも皆さんに会えるのを幸せに思っています。

 私はここに皆さんとダンマを分かち合うために来ていますけれど、皆さんから学ぶことは沢山あります。日本で学んだこととして、日本人の多くはルールにきっちり従うということ、規律というものをちゃんと守ること、とても真面目に実践修行してくださることですね。私はいつも素晴らしく、いいなあと思ってますので、ミャンマーに戻ってから自分のお寺の中でも、そうしたやり方を真似するようにしています。例えば、日本の人々は物事をシステマチックに行っておりますし、食べ物にしても学ぶことが多いので、日本に来ることを本当に幸せだと思っています。 

 私にとってアジアの国々と、日本の文化は非常に居心地が良いので好きですね。私はドイツにも毎年呼ばれています。行くのは大好きなのですが、いいなと思うのは本当に家族のようになっていることです。ドイツ人もルールをしっかり守って、規律に従います。だから日本と違う国なのに、似ているところがあるんです。そのドイツのリトリートにはオーストリアとかイタリア、フランスといった近隣の国々から来るけれども、ドイツ人の様にはルールは守らなくて、すぐにベラベラと喋ったりするんですね。だから、近くの国なのにドイツに似ていないということがあります。

 実は、今年は来られないかもしれないと思っていたんです。オルガナイザーの人たちには謝罪をしていたんですけど、指導者なしで、皆さんに瞑想していただけたらと思っていたのです。私がマレーシアで、軽い脳卒中のようなことで倒れてしまったんですね。ずっと長時間療養をしてきて、治ってきていて、まだ完全ではないですど80%くらいは回復しました。私のカルマ(業)がまた皆さんと一緒に会うことにさせてくれたんだと思います。

 明日の法話では、四界分別についてお話をしたいと思います。この四界分別を理解すると、身体のどこをどうやってケアしていくかに役立ちます。そしてまたヴィパッサナーの集中力にも役に立ちます。今日はアナパナ(呼吸)瞑想についてお話をします。私は何年か前に癌になったのです。医者は手術を薦めたのですが、私はせずに瞑想していました。四界分別の瞑想をして、それで完全に治してしましました。ですから皆さんも、もし将来、同じようなことが起きた時、これを使って回復してもらえたらと思います。

アナパナ瞑想
 今日は私は多くは語りません。アナパナ瞑想、呼吸瞑想のことについてお話します。すでにご存じの方もいらっしゃいますけど、新しい方もいらっしゃるので、実際にどうやってするかについてお話します。 アナパナの瞑想には、やり方というものがあります。それには心と身体をどういう風に集中していくか、というバランスが必要です。実際のアナパナというのは、40種類の集中力をつける為の、サマタ瞑想のうちの一つですけど、その中でも一番シンプルで、一番簡単な瞑想法です。ジャーナ(禅定)にも簡単に到達できます。

 最初の1日目、2日目はとにかくリラックスして下さい。グッと力んだり、力をどこかに入れるということでなく、まず心と身体のバランスを取るようにして下さい。もう何年もやっていて全然上手くいかない人がいるんですけど、そういう人たちは大抵、力がどこかに入っていて、例えば「集中しなきゃ」みたいな感じで力が入っていると、心と身体のバランスがどちらも悪くなって、緊張が入ってしまいます。
 日本人のことを良く観察していますと、力みすぎ、頑張りすぎみたいな感じですね。そうなっているとリラックスできません。幸せな気持ちにもなれません。今あなた方(日本人)に必要なのは、幸せと思う、心の中で幸せと思う気持ちです。幸せでいてください。OKですか? みんなが笑っている笑顔が見たいです。 よろしいですか?リラックスすることが大事です。ブワッと力まない、力を入れないで下さい。とにかくリラックスして下さい、力まないでください。

海へ行って波を見る
 そしてこの坐る瞑想をしたあとは、海に行ってみて下さい。それで水を、波を見て水の本質・性質というものを眺めてください。とっても柔らかいですよね。すごくリラックスしている感じですね。波はとても柔らかく自然に動いてます。それに集中してよく見て下さい。その感じというのを、心の方にも同じように感じてみて下さい。それから身体も同じように波に乗るような感じで、波の柔らかい流れに合わせて心地よい感じで、幸せな気持ちになるように。どうですか、わかりますか。感覚・感情・フィーリングっていうものが大事なんです。ただ、呼吸をみているだけじゃなくて...そこに柔らかい気持ち、リラックスした気持ち、そういう感覚があらわれて初めて、幸せな感じになるんです。瞑想して幸せな感じになるんです。

 水を見たときに柔らかいなという、この感じを感じて下さい。どうですか、わかりますか。その水を見た時の柔らかさというのを、感じて下さい。その柔らかさを身体にも反映して下さい。それから心に関しては、波のような動きと同じように柔らかく乗っている。そういうことに集中して見るんですけれど、それをここのハートベース(心基)のところでも感じてみて...。
 誰かを好きになり始めたとき、幸せですか、幸せじゃないですか。 身体の方はどういう感じがしますか? そういう幸せな気持ちを脳で感じていますか、ハート(心)の方で感じていますか、どっちですか? 心のあたりがすごくリラックスして、幸せな気持ちになりますよね。この感じを覚えていてください――こういう感じっていうのを。 アナパナをするときすごく役に立ちます。そんな感じで波を感じているように呼吸も見て下さい。見ている感じがリラックスして幸せな感じです。決して力まないで下さい。柔らかい呼吸を波に乗っているような感じを感じて下さい。そういう風に呼吸を見て、呼吸という対象を見ていることが幸せなだなと思えるようになってください。

 これは慈悲の瞑想をするとき、メッター(慈悲)を誰かに送るときも、送りながらものすごく幸せな気持ちになっている。 どうですか、わかりますか。こういう良い感情という、良い気持ち(心)というのがとても大事です。柔らかく感じて、幸せな感じ、対象に対して柔らかく幸せになっている。こういう幸福さっていうことが凄く重要なんです。それには慈悲も凄く重要です。こういうものを積み上げていってだんだんに巧くなっていくと、アナパナも簡単になります。

 そして戒・定・慧ですね...戒律・禅定・智慧。そのために、特に瞑想合宿中は八戒(八つの戒律)を守った方が、集中力を作るためには良いとされています。皆さんもう八戒については、ご存じだと思いますので詳しい説明はしません。どうして八戒が大事かというと、心を清浄にするのに役立つからです。もっと八戒を守ろうとすればするほど、沢山の慈悲が出てきます――自分にたいして、そして他の生き物に対しても。そして慈悲、慈と悲とか良い感情というのは、汚い心を綺麗にしてくれますので、自分の心をケアすることとか、瞑想の実践にも凄く役立ちます。八戒を守っていることにも幸せを感じて欲しいです。そして心が清らかになって綺麗になっていくと、心は透明になるので、色んな対象物をしっかり観られるようになります。アナパナ瞑想の集中をするには、こういう風にやっていきましょう。

慈悲を送る
 まず、水のように柔らかく呼吸を見ること。呼吸をすることです。 もう一つは、自分自身に慈悲を送ることです。ものすごく慈悲の気持ちが柔らかくなって、自分自身が幸せになるまで...。最初のうちはシャワーみたいな感じで、自分自身に慈悲を送ります。私自身が危険な目に遇いませんように...と、自分の心が本当にリラックスして幸福になるまで送ります。自分の中で慈悲がたくさん浸透してくると、心が凄く柔らかくなりますし、身体の姿勢も真っすぐシュっとなります。皆さんもう慈悲の瞑想をどうやってやるかご存じだと思いますので、細かいことは言いません。4つ種類がありますね.....。

私が危険な目に遇いませんように。
私の心の苦しみがなくなりますように。
私に身体の苦しみがなくなりますように。
私が健やかで幸福でありますように。

 この4つをくり返して自分で幸福になるまでやります。慈悲を自分自身に送るとものすごく良いカルマ、良い心が生まれるんですね。その良い心によって生まれる、ルーパ(物質)が出てきます。身体というのは物質なので、良い心が生み出した物質というのは、身体全体に浸透していきます。
 良いカルマというのは集中力の進歩、上達もサポートしてくれます。瞑想中にも良いカルマが出ます。欲望(ローバ)、怒り(ドーサ)、他の人に対する怒りとか、身体の痛みが出てきて、嫌な怒りみたいなものが出てきます。それから、眠りたいという欲(モーハ)ですね、そういうものが出にくくなります。どうですか、わかりますか?

 呼吸を見るときは呼吸だけにしてください。他のことは考えないでください。アレコレしたいな…とか考えないでください。家族のこととか、仕事のこととかも考えないでください。ぜんぶポイっと捨てちゃってください。出来ますか、大丈夫ですか...?頑張ってください。 アナパナのことを頑張って瞑想しているのに、考えが出てきますね。そしたら、ニミッタも観れませんし、ジャーナにも行けません。そんなことしてたら時間のムダです。
すでにもうここに来てしまいましたから、この期間中にニミッタを見るか、ジャーナ(禅定)に入って欲しいなと思っております。  皆さん、大丈夫ですか、返事は...? できますね。3日だけ教えてあっという間にニミッタ観た人がいますし、禅定に入った人もいます。ここの瞑想合宿は3日以上ありますから、大丈夫ですね、自信もって! 幸せじゃない感情は見ないようにしてください。そんなこと見ないって思ってください。

皮膚の感覚でなく、空気の「流れ」を見る
 二つ教えたこと、水を見るのと、メッターを送ること。この二つのやり方で、簡単にニミッタを観たり、禅定に行けたりできると思います。心をコントロールするようにして下さい、見失わないように.....いま心がどうなっている、どこに呼吸があるかを常に観察してください。アナパナというのはとても簡単です。アナパナの呼吸というのは入ってくる呼吸と出ていく呼吸を見ることです。鼻の上の辺とか、耳とか見ることじゃありません。別に難しい瞑想法ではありません。呼吸をしっかり見ようと思わなくてもいいです。呼吸がこの辺に入ってくる、出てくる(鼻下先あたりをさし)この辺で見てください。入ってくるな、出てくるな.....という感じです。よろしいですか。

 この、ここの動きを見ます。この流れているかどうか、入っているか出ているかの「流れ」だけをこの辺りで見ます。呼吸が入ってくるとき、鼻の中まで追いかけないでください。追いかけようとすると、呼吸が固くなります。柔らかい事が大事なんです。柔らかい呼吸だけで、だからこそ心がとても重要なんです。ちゃんと観察しなければいけません。出てくる呼吸に対しても。段々呼吸が微細になってきます。見えづらくなってきます。
 最初のうちは微細な呼吸もキッチリ見えるようになれば、集中力を早く得られます。でも初心者は呼吸を明確に見なきゃとか思ってしまって微細な呼吸になかなかならなかったりするので、逆に集中力を得るのに時間がかかります。ですから初心者のうちは「フン」とか呼吸を無理やり入れたり出したりしないでください。呼吸に力を入れないでください。凄く柔らかく、タッチングエリアいう呼吸が触れる所、この辺に僅かに呼吸が当たっている感じを見てください。

 次の話しですけど、心を絶対どこにも行かないように、心を固定するんですが、ここのタッチングエリアで上に触れている空気が、「入っている、出ている」みたいな感じで、動きをあまり追いかけないでここに固定する感じです。この段階では呼吸と一緒にタッチングエリアを二つ。タッチングエリアと呼吸を二つ一緒に感じるんです。この時にこの段階だとタッチングエリアに心が集中し過ぎる危険がある。そこを気をつけてください。なぜかと言うと、タッチングエリアがあったら、その上に呼吸がある訳なんですが、つまりタッチングエリアは下にあるんですが、下の方ばかりに意識がいくと、ここは人間の体、物質なのでここに意識が行き過ぎると四界分別の瞑想の要素が出てくるんです。

 ですのでタッチングエリアにばかり集中しないでください。その上のあくまで呼吸の方、空気の方、動いている感じ、触れている方に行ってください。タッチングエリアの皮膚の方ばかりに集中していると振動、空気が揺れているとか、皮膚が揺れているとか、冷たさとか暑さとか、そういう四界分別の要素を感じてしまうので、絶対に皮膚の方には集中し過ぎないでください。
 もししてしまったら、あっという間に四界分別の感覚が出てきて、体全体に一気に広がります。ですので、感覚、つまり暑いとか触っているとか冷たい、そういう感覚的なものには絶対集中しないでください。特にその鼻の中、鼻の上にあるそういった感覚とか体の感覚とかそういったものに集中しないで、呼吸が「動いている、入ったり、出ている」、そういった呼吸の方をあくまで観察してください。

10分間の集中
 瞑想始めて最初の5分間はそういう動き、呼吸の空気の動きを観察してください。まず5分間頑張ってやってみてください。呼吸の性質みたいなものをしっかり見る、それが出来ないと集中力を失ってしまいます。5分は短いですよね。出来ます?頑張ってくださいね。
 5分頑張れたら、海辺に行って見たことを思い出してください。水を見て幸せな気持ちになったことを思い出してみてください。5分の後ですよ。今さっき5分間の内に出てきた柔らかさとか、そういったものを海で見ていて、呼吸も水のように柔らかくなっているのだと思いだしてください。

 その後の5分は呼吸をはっきり見れるようにしてみてください。その次の5分は呼吸が柔らかくなっているか見るようにしてみてください。最低10分間を集中出来るようになったら心が軽くなっているし、快適な感じになっているんですね。それでビーチに行って見てきた波のように心がフワーと流れているのを思い出してください。これが禅定に行くための近道、ショートカットの道です。それから微細な呼吸をはっきり見られる為の近道でもあります。

 瞑想では、初期の段階では最初が大事です。始めのうちは過度にリラックスしないようにしてください。リラックスしすぎるとすぐに眠気が出てきます。眠さというか心がフワフワさ迷うのが出てきたら呼吸をしっかり見るって事が出来なくなってしまいます。なので最初が肝心です。頑張ってみてください。幸せな気持ちになるように頑張ってみてください。また眠さが出ないようにしてくださいね。そしたらニミッタも早く出てきます。

 アナパナで一番大事な事は、今第四段階なんですけど微細な呼吸を見る事です。人によっては呼吸をしっかり見ようと、明確にしようと思ってそっちの方に時間をかけて、それから段々微細となっていくというやり方があるんですが、それはけっこう時間がかかります。二つ目のやり方は呼吸が微細になってきたら長さとか短さ、「長いなー」とか「短いなー」とか、そういう事を見て、それから微細な呼吸を見る事です。どうですか、分かりますか。

 その二つのやり方、どっちもちょっと長くかかるので、近道の方法教えます。近道のやり方は、先ほど言った二つの要素なんですね。慈悲と水を見に行く、それが近道なんです。まず皆さん「出来る」と自信持ってください。「出来るかな?」なんて疑わないでください。もう皆さん既に呼吸してますから、既に瞑想対象持っているって事になりますよね。それを見るんです。簡単ですよね。どうですか?難しいですか?

 心は常に呼吸と一緒に留まってくださいね。別に難しいチッタ(心)とチェターシカ(心所)のことを話しているのではありません。 私が心について今お話ししましたけど、分かりますね。心をコントロール出来ますか?コントロールしてと言った意味が分かりますか。コントロールするってどういう意味かと言うと、したくない事には従わない事です。これについて考えたくないと思ったら考えない。これ食べたくないと思ったら食べない。そういう事です。簡単ですよね。考えるのは呼吸の事だけ。私は集中したいんだ、呼吸の動きだけを集中したいんだ、10分とか20分くらい他の事がワラワラ出てきたらノーって言うんですね。「私は呼吸だけを見たいんだ」、そういう風に心をコントロール出来る人は成功します。

数を数える方法
 眠気がきたり心がフラフラいろんな事が、雑念が出てくる人は数を数えてみてください。数なんですが、「入って出て1」でワンセット、それを8回でワンセット。1から8まで数えてワンセットって感じ。それから眠気が余りにも出る人は目をちょっと開けてみるとか、立って瞑想するとかもやってみてください。頑張って自分をコントロールする事。自分自身を頑張れとやる気を出させる事、頑張ってみてください。
 浜辺を歩いている時とか、寝っ転がっている時とか、食べている時も全部心を留めてみてください。全てのポーズ(姿勢)の時にアナパナでも特に重要な事は五蓋、つまり五つの悪い思いを絶対受け入れないという事。五蓋は五つのフタと書いて一つ目は強い欲望、二つ目は怒り、三つ目は怠けたトローンとした眠気とか怠けた感情、そして四番目はざわついて落ち着かない要素とか感情、五つ目は疑いです。

 呼吸を見ているとたまに呼吸が物凄く早くなったりする時があるんですが、でも長く追いかけないようにしてください。追いかけずにずっと見続けてたら、またゆっくりに戻りますので。眠気とかが出てきて余りにも呼吸がゆっくりになって微細になってしまったら、そこで慌てなくて良いので、ゆっくり、ちょっとづつ呼吸を早めるようにしてみてください。呼吸がゆっくり過ぎたら、より良いスピードにちょっとだけ調整してみてください。「フーン」と言いながら一気にやらないでください。姿勢も大事です。真っ直ぐにして、あちこち違う方向に行かないように。姿勢が真っ直ぐですと体もやっぱり呼吸を見やすくなります。どうですか、分かりますか。今日のアナパナ瞑想について質問はありますか。

質疑応答
参加者:呼吸を普通の人より少ない回数にするとかではなく、普通の呼吸をしていけば良い訳ですか。

サヤレー:数を1分間に何回しないといけないとか、そういう事はしない、考えないでください。

参加者:熟達すると呼吸の回数が減り、その延長上に呼吸が止まってサマディに入ると思っていたんですが、そういう事ではない?

サヤレー:違います。

参加者:呼吸が長くなってもまた戻すんですね。呼吸が長くなって回数が短くなっても良い事ではないですか?

サヤレー:それは気にしなくて良いです。

参加者:先ほどの説明ではゆっくりになっていったら、早くなったら暫く追いかけないで元の呼吸に戻って、その後に段々呼吸がゆっくりに普通の速さの呼吸に戻してください、という説明だと思うんですが。要は普通の呼吸の長さをキープした方が良いと私は理解したのですが。だから早くなってきたら暫く追いかけないでおいて暫くたつと元に戻るよと説明したし、ゆっくりになってきたのも意識的に普通の呼吸の長さに戻した方が良いよと私は理解したのですが。

サヤレー:呼吸が早くなってきて心がざわつかないのであれば、そのままにして、心臓ドキドキするとか体の方で違和感を感じるのであれば、ちょっとゆっくりに自分の方で調整してみてください。呼吸が早くなるといけない事の一つは、微細な呼吸になりづらくなるということです。

参加者:私が聞きたいのは、呼吸の回数が短くなると良いという説明する人がいて、究極は呼吸が停止するって事ですね、サマディ。段々呼吸が長くゆっくりになるのが良いのではないのですね。

サヤレー:意識的に長くさせようと思わない事です。自然に長くなる分には構わないです。呼吸の回数が少なくなるという事は関係ありません。少ないから良いという訳ではない。回数は重要ではない。呼吸していて心地よさがあるか、ゆったり感はあるか。普通の状態で呼吸しているこの状態が大事。普通に呼吸しているなと感じて呼吸が微細になっている分にはよい。それを呼吸をこうさせようと、コントロールしている意図みたいなものがあるのは良くない。

サヤレーは今晩か明日、皆さんが瞑想しているのをこっそり見に来ると仰ってます(笑い)。気をつけてくださいね。みんなが居眠りしていないか、頑張っているか見に来ると仰ってます。
ありがとうございました。

サードゥ!  サードゥ!  サードゥ!

                   (2019年12月29日 南房総合宿での法話)

2020年2月 6日 (木)

2月自主瞑想会のおしらせ

2月自主瞑想会のおしらせ
(この会は有志により開催されています)

どなたでも自由に坐れる場としての自主瞑想会です。
どうぞお気軽にご参加ください。
日時:2月22日(土)13:00~17:00
会場:板橋区南常盤台1丁目集会所 東上線ときわ台駅より徒歩7分(地図参照)
住所:板橋区南常盤台1-16-8
https://www.navitime.co.jp/poi?spt=02300.1013264
参加費:無料
会場費のお布施を受け付けています。

予約は必要ありません。
座布団はあります。瞑想しやすい服装でおいでください。

注意事項

・会場内では「沈黙行」をお守りください。お話したい方は室外にてお話し下さい。
・途中での出入りは自由です。受付名簿に記入し、坐っている方の迷惑にならぬよう静かに出入りしてください。
・瞑想指導はありません。各自で、自分の行なっている瞑想をなさってください。
・瞑想会終了後に1時間ほどの「懇親会」を持ちます(自由参加です)。

およその時間割(当日の状況で多少変わることもあります)

13:00    受付開始
13:20-13:30 読経(慈経)
13:30-14:30 瞑想
14:30-14:45 休憩 
14:45-15:45 瞑想
15:45-16:00 休憩
16:00-17:00 瞑想、回向
17:00-  懇親会(1時間くらい)

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次回の予定
3月28日(土)板橋区新河岸1丁目集会所和室

主催:静寂瞑想の会

2020年1月24日 (金)

経典学習会・延期のお知らせ

2月16日(日)に予定されていました経典学習会は、トゥ・ミンガラ比丘が一時帰国されるため、延期いたします。
新たに決まりましたら、お知らせいたします。

2020年1月15日 (水)

ディーパンカラ・サヤレー南房総合宿

千葉県南房総において年末年始サヤレー合宿が行われました。
合宿の様子を紹介します。

 

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会場になった民宿「川きん」

 

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サヤレーのダンマトーク

 

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音楽用ホールを瞑想会場に

 

 

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ダンマトークは1日おきにありました

 

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正月らしい飾り付け

 

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食事風景

 

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食事はビュッフェスタイルです

 

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元日にはおせち料理が

 

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岩井海岸

 

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歩行瞑想にもよいところです

 

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夕暮時の海岸

 

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東京湾の向こうに富士が見えます

 

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伊豆半島

2020年1月 5日 (日)

1月自主瞑想会のおしらせ

1月自主瞑想会のおしらせ
(この会は有志により開催されています)

だれでも自由に坐れる場を提供したい、ということから始めた瞑想会です。
どうぞお気軽にご参加ください。
日時:1月25日(土)13:00~17:00
会場:板橋区新河岸1丁目集会所和室 都営三田線高島平駅より徒歩5分(地図参照)
住所:住所:板橋区新河岸1-3-2-102(https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1ymQx0EyAprLaC3-OasPExjfDQCk&ll=35.793849400000035%2C139.66422420000004&z=17)
参加費:無料
会場費のお布施を受け付けています。

予約は必要ありません。
座布団はあります。瞑想しやすい服装でおいでください。

注意事項

・会場内では「沈黙行」をお守りください。お話したい方は室外にてお話し下さい。
・途中での出入りは自由です。受付名簿に記入し、坐っている方の迷惑にならぬよう静かに出入りしてください。
・瞑想指導はありません。各自で、自分の行なっている瞑想をなさってください。
・瞑想会終了後に1時間ほどの「懇親会」を持ちます(自由参加です)。

およその時間割(当日の状況で多少変わることもあります)

13:00    受付開始
13:20-13:30 読経(慈経)
13:30-14:30 瞑想
14:30-14:45 休憩 
14:45-15:45 瞑想
15:45-16:00 休憩
16:00-17:00 瞑想、回向
17:00-  懇親会(1時間くらい)

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次回の予定
2月22日(土)板橋区南常盤台一丁目集会所和室

主催:静寂瞑想の会

1月経典学習会のお知らせ

1月の経典学習会は、1月19日(日)に開催予定です。

1月19日(日)13:30~17:00 
和光市、新精舎にて

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予定

13:30より自主瞑想(法話は14時からですが、それまで自主的に瞑想しています)
14:00より経典の解説
16:00より質疑応答
17:00ころ終了

参加費無料
予約の必要はありません

内容:オバサ・セヤドー 念住経の解説 (テキストをプリントしてご持参ください)
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Dhammānupassanā 法に関する随観
A. Nīvaraṇapabbaṃ 障害の部

Kathaṃ ca pana, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati?
Idha, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati - pañcasu nīvaraṇesu.
Kathaṃ ca pana, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati - pañcasu nīvaraṇesu?
Idha, bhikkhave, bhikkhu santaṃ vā ajjhattaṃ kāmacchandaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ kāmacchando’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ kāmacchandaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ kāmacchando’ ti pajānāti, yathā ca anuppannassa kāmacchandassa uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannassa kāmacchandassa pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnassa kāmacchandassa āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

比丘たちよ、また比丘はどのようにして法において法を随観し続けるのか。ここに比丘たちよ。比丘は五つの障害の法において(五つの障害の)法を随観し続けるのである。では比丘たちよ。比丘はどのようにして五つの障害の法において(五つの障害の)法を随観し続けるのか。
  ここに比丘たちよ。比丘は内に貪欲(欲貪)があれば「私の内に貪欲がある」と知り、あるいは内に貪欲がなければ「私の内に貪欲がない」と知る。また、未だ生じない貪欲がどのように生じるかを知り、すでに生じた貪欲がどのようにして捨断されるかを知り、捨断された貪欲が将来どのようにして生じないかを知る。

Santaṃ vā ajjhattaṃ byāpādaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ byāpādo’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ byāpādaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ byāpādo’ ti pajānāti, yathā ca anuppannassa byāpādassa uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannassa byāpādassa pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnassa byāpādassa āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

次に内に怒りがあれば「私の内に怒りがある」と知り、あるいは内に怒りがなければ「私の内に怒りがない」と知る。また。未だ生じない怒りがどのように生じるかを知り、すでに生じた怒りがどのようにして捨断されるかを知り、捨断された怒りが将来どのようにして生じない かを知る。
      
Santaṃ vā ajjhattaṃ thinamiddhaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ thinamiddhaṃ’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ thinamiddhaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ thinamiddhaṃ’ ti pajānāti, yathā ca anuppannassa thinamiddhassa uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannassa thinamiddhassa pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnassa thinamiddhassa āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

あるいは内に惛沈・睡眠があれば「私の内に惛沈・睡眠がある」と知り、あるいは内に惛沈・睡眠がなければ「私の内に惛沈・睡眠がない」と知る。また、未だ生じない惛沈・睡眠がどのようにして生じるかを知り。すでに生じた惛沈・睡眠がどのように捨断されるかを知り、捨断された惛沈・睡眠が将来どのようにして生じないかを知る。

Santaṃ vā ajjhattaṃ uddhaccakukkuccaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ uddhaccakukkuccaṃ’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ uddhaccakukkuccaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ uddhaccakukkuccaṃ’ ti pajānāti, yathā ca anuppannassa uddhaccakukkuccassa uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannassa uddhaccakukkuccassa pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnassa uddhaccakukkuccassa āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

 あるいは内に落ち着きのなさ。後悔があれば。「私の内に落ち着きのなさ。後悔がある」と知り、あるいは内に落ち着きのなさ、後悔がなければ「私の内に落ち着きのなさ、後悔がない」と知る。また、未だ生じない落ち着きのなさ、後悔がどのように生じるかを知り。すでに生じた落ち着きのなさ、後悔がどのようにして捨断されるかを知り、捨断された落ち着きのなさ。後悔が将来どのようにして生じないかを知る。

Santaṃ vā ajjhattaṃ vicikicchaṃ ‘atthi me ajjhattaṃ vicikicchā’ ti pajānāti, asantaṃ vā ajjhattaṃ vicikicchaṃ ‘natthi me ajjhattaṃ vicikicchā’ ti pajānāti, yathā ca anuppannāya vicikicchāya uppādo hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca uppannāya vicikicchāya pahānaṃ hoti taṃ ca pajānāti, yathā ca pahīnāya vicikicchāya āyatiṃ anuppādo hoti taṃ ca pajānāti.

あるいは内に疑いがあれば「私の内に疑いがある」と知り。あるいは内に疑いがなければ「私の内に疑いがない」と知る。また、未だ生じない疑いがどのようにして生じるかを知り、すでに生じた疑いがどのように捨断されるかを知り、捨断された疑いが将来どのようにして生じないかを知る。

Iti ajjhattaṃ vā dhammesu dhammānupassī viharati, bahiddhā vā dhammesu dhammānupassī viharati, ajjhattabahiddhā vā dhammesu dhammānupassī viharati, samudayadhammānupassī vā dhammesu viharati, vayadhammānupassī vā dhammesu viharati, samudayavayadhammānupassī vā dhammesu viharati, ‘atthi dhammā’ ti vā panassa sati paccupaṭṭhitā hoti. Yāvadeva ñāṇamattāya paṭissatimattāya anissito ca viharati, na ca kiñci loke upādiyati. Evaṃ pi kho, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati pañcasu nīvaraṇesu.

このように自己の法において法を随観し続け、あるいは他の法において法を随観し続け。あるいは自他の法において法を随観し続ける。また法において(法を)生法なりと随観し続ける。
 あるいは法において滅法なりと随観し続け、あるいは法において生滅の法なりと随観し続ける。
 そこで「法のみあり」との念が彼に起こる。それこそは智慧の(増大の)ため、念の(増大の)ためになる。彼は(愛着・誤った考えに)よることなく(随観し)続け、世の何ものにも執着しない。比丘たちよ。比丘はこのように五つの障害の法において法を随観し続けるのである。
                                    
 障害の部終り

Khandhapabbaṃ 集まりの部

Puna caparaṃ, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati pañcasu upādānakkhandhesu.
Kathaṃ ca pana, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati pañcasu upādānakkhandhesu?

Idha, bhikkhave, bhikkhu, ‘iti rūpaṃ, iti rūpassa samudayo, iti rūpassa atthaṅgamo; iti vedanā, iti vedanāya samudayo, iti vedanāya atthaṅgamo; iti saññā, iti saññāya samudayo, iti saññāya atthaṅgamo; iti saṅkhārā, iti saṅkhārānaṃ samudayo, iti saṅkhārānaṃ atthaṅgamo; iti viññāṇaṃ, iti viññāṇassa samudayo, iti viññāṇassa atthaṅgamo’ ti.
Iti ajjhattaṃ vā dhammesu dhammānupassī viharati, bahiddhā vā dhammesu dhammānupassī viharati, ajjhattabahiddhā vā dhammesu dhammānupassī viharati, samudayadhammānupassī vā dhammesu viharati, vayadhammānupassī vā dhammesu viharati, samudayavayadhammānupassī vā dhammesu viharati, ‘atthi dhammā’ ti vā panassa sati paccupaṭṭhitā hoti. Yāvadeva ñāṇamattāya paṭissatimattāya anissito ca viharati, na ca kiñci loke upādiyati. Evaṃ pi kho, bhikkhave, bhikkhu dhammesu dhammānupassī viharati pañcasu upādānakkhandhesu.

比丘たちよ、次にまた比丘は五つの固執される集まりに関する法において、(五つの固執される集まりの)法を随観し続けるのである。比丘たちよ、では比丘はこのように五つの固執される集まりに関する法において。(五つの固執される集まりの)法を随観し続けるのか。
  ここに比丘たちよ、比丘は「これが色であり。これが色の生起であり、これが色の消滅である。これが受であり、これが受の生起であり。これが受の消滅である。これが想であり、これ認が想の生起であり、これが想の消滅である。これが行であり、これが行の生起であり。これが行の消滅である。これが識であり。これが識の生起であり、これが識の消滅である」と、この ように自己の法において法を随観し続け、あるいは他の法において法を随観し続け、あるいは自他の法において法を随観し続ける。また法において(法を)生法なりと随観し続け、あるいは法において滅法なりと随観し続け。あるいは法において生滅の法なりと随観し続ける。そこで「法のみあり」との念が彼に起こる。それこそは智慧の(増大の)ため、念の(増大の)ためになる。彼は(愛着・誤った考えに)よることなく(随観し)続け、世の何ものにも執着しない。比丘たちよ。比丘はこのように五つの固執される集まりに関する法において、法を随観し続けるのである。

                                     集まりの部終り
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12

2月の予定 2月16日(日)中板橋、MCWAにて
トゥ・ミンガラ比丘(Thu Mingala Bikkhu)によるダンマパダ(法句経)の解説です。
ダンマパダ(法句教)182、186、187偈
「人間の身を受けることは難しい。死すべき人に寿命があるのも難しい。正しい教えを聞くのも難しい。もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい」「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。「快楽の味は短くて苦痛である」と知るのが賢者である」「天上の快楽にさえもこころ楽しまない。正しく覚った人(=仏)の弟子は妄執の消滅を楽しむ」

«サヤレー合宿の締め切りは12月25日です

2012/8 宝台樹高原

  • 6
    8月に合宿の行われたみなかみ町藤原は宝台樹山のふもとにあり、冬はスキー場になる高原風ののどかな村です。

2009年クムダ・セヤドーのお寺 

  • 10 セヤドーのお話を聞く
    ミャンマー・ヤンゴン市郊外モービにあるクムダ・セヤドーの瞑想センターを訪ねた方が写真を送ってくださいました。 シーマホールも完成し、そこには富士山をバックにした仏像がまつられています。

2008/8 水上合宿

  • 雨上がり
    8月に合宿の行われた水上町藤原はまさに水の里。民宿周辺の風景をお届けします。

2008 夏の風景

  • 朝霧の沢
    夏の暑い日、川の源流では入道雲が湧き、山や木々は様々な表情を見せていました。

2008/7 関西合宿・瞑想会

  • 延命寺三門にて
    大阪、河内長野市にある延命寺は弘法大師空海が開基と伝えられ、市の紅葉名所にもなっている美しいお寺です。 ここで7月、クムダ・セヤドーをお招きして一週間の瞑想合宿が開かれました。
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